硝子片で爆ぜた泡沫や【短編集】

「俺が憧れたヒーロー像はお前だった」 ヒーローになりたかった学生の話。明るめな話なのでこの短編集の中では異質な存在。ちょっとほっこりな読後感が割と好き。

問二、将来の夢を答えなさい。

 大人になれば、なりたいものになれると思っていた。そうじゃないって事に気が付いたときには、何もなかった。  ゴミ箱のほうがもっと沢山詰まっている。汚かろうと、何もないよりもずっと良い。なのに、オレには何にもなくて。その点トッポって凄い。あいつは最後までチョコたっぷりだ。軽い嫉妬を覚えるまでに中身のある奴で。  すっからかんのオレは、空っぽっぽ。 「ハヤテ」  ガラガラと音を立てて部室のドアが開いて、見慣れた顔が覗いた。ガタイの良い長身、校則違反の真っ赤なロン毛と人一人くらい殺してそうな目つきの悪い顔。  机の上に仰向けに寝転がるオレは顔だけそちらに向けて、不機嫌さを隠しもせずに言う。 「ここではオレは椿(ツバキ) (ハヤテ)じゃないぞお」  面倒臭そうに嘆息しながら彼が低い声でボソリと名前を呼ぶ。 「……坂ノ下レッド」  返事はしなかった。ただ目線だけで返事をする。ただでさえ怖い顔している赤城(アカギ) 龍磨(タツマ)が──いや、ここでは坂ノ下ブラックだ。ほとんど睨みつけるような目でオレを見ている。なにか怒らせるような事をしただろうか。心当たりが幾つもあって、その内のどれだろうと考えてみるが、どれも普段なら許してくれる筈だし、やっぱり心当たりは無い。 「お前なあ。委員長困らせんなよ」 「何がー?」 「惚けんな。テメェ進路希望の紙、提出期限明日だぞ」  ペラペラと用紙を掲げて坂ノ下ブラックが言うから、上体を起こし、机の上に座りながら紙を凝視した。  『二年三組 椿 颯』。確かにオレの字でオレの名前が書いてある。しかし、隣のクラスの赤城が何故それを持っているのかは不明である。 「オレ出したよ? しかもなんでそれをお前が言いに来るんだよ?」  教室の入り口に突っ立ったままだった赤城がすぐ側まで歩み寄ってきて、オレの顔に用紙を押し付けた。 「再提出食らってんだよ、お前が進路:ヒーローとか書くからな、レッドさんよ」  力強く押し付けられたブラックの掌をなんとか引き剥がして、用紙を受け取る。 「ヒーローなんて書くアホを説得してくれって依頼受けてんだ。同じヒーローとして……」  坂ノ下高校ヒーロー部。その活動は、部室の前に置いた依頼箱に毎日投函される依頼用紙に書かれた依頼をひたすらにこなす事だ。依頼は、部活の助っ人、先生の雑用、いじめの解決、人生相談、パシリ、なんか色々、とにかくカッコイイ誰もが憧れるヒーローっぽいことをやる。学校公認ヒーローごっこ活動とか言われたりするが、オレは誇り高きヒーロー活動だと思っている。部員は俺を含めて五人。部長であるオレ、坂ノ下レッド。副部長で貴重な女子部員、坂ノ下ピンク。そして目の前にいる元不良、坂ノ下ブラック。後はほぼ幽霊部員の坂ノ下ブルーと、手芸部と掛け持ちしてるからほぼ幽霊部員の坂ノ下グリーンがいる。 「オレの将来にケチつけんのかよ、お前が」  ヒーロー部はほぼ廃部寸前のところをオレと坂ノ下ブラックが協力して立て直したのだ。共にヒーローになるという志を掲げあったブラックが、何処か否定的に“ヒーロー”の文字を睨みつけているのを、苦しく感じた。  腰に手を当てて、さも「呆れました」と言いたげに深く嘆息する。それから真剣にオレの顔を見つめるブラックの目と、目を合わせることができなかった。 「俺らが今ヒーロー名乗ってられんのは、そういう部活だからだ。学校っつう狭い括りの中でのお遊びだ」  諭すような口調。お前はオレの母ちゃんかよと言いたくなるような、いつもより少しだけ優しい声色が気持ち悪い。 「ヒーローになんか、なれねぇよ」 「…………」  わかってる。赤城にこんなこと言われなくたって、わかっている。つもりだった。  そのくせ、胸に真っ直ぐに刺さって、苦痛だと感じる。息が上手くできない感じがする。ヒーローに心臓を剣で貫かれる、悪役みたいな気分だった。 「卑怯だな、委員長。坂ノ下ブラックにこんなこと言われたら……」  その先の言葉が声にならなかった。喉に絡み付いて、小さな痛みとしてそのままそこに居座り続ける。満身創痍のオレに、赤城はまだ言葉を浴びせる。 「分かってんだろ。進路:ヒーローなんてアホな事書いてねぇでまともな事書けよ」  わざわざ消しゴムとシャーペンまで押し付けてきた。今すぐ書き直して、今すぐ提出してこい、という意味だろうか。内心そんなもの受け取りたくなくて、手をこまねいていたが、赤城に無理やり握らされる。オレがいつも教科書ごと筆箱を置き勉しているから、今は筆箱を持ち歩いてないことも知っているのだ。マジで保護者かよキモいな、なんて悪態は意味を成さない。  渡された黒と白のシャープペンシルの側面には知らない大学の名前があった。オープンキャンパスとかに行ったら貰えるやつだ。いつの間に行ったんだろう。そして消しゴムは黒、白、青の三色でお馴染みのアレだった。  進路希望の用紙に視線を落としたまま、ふいに浮かんだ疑問を口にする。 「……お前は、なんて書いた?」 「正義の味方」  は。突拍子も無い回答に、一瞬思考が停止した。ぽかんとするオレの顔を見て、赤城が気まずそうに顔を顰める。 「……冗談。俺は警察になりたいんだよ」 「え? 警察? 初耳。お前不良だったくせに」 「うっせぇな。いいからさっさと書き直せよ。俺は言ったからな。帰る」 「え」  さっさと遠ざかる後ろ姿と閉まる引き戸。追いかけるわけにも行かないし、追いかけて呼び止めたとして、その後どうするか分からないし。じゃあな、とすら言えずに見送るしかなかった。  第一志望の欄に、拉げた文字で『ヒーロー』と書いてあるのを見る。  ヒーローになんかなれない。言われた言葉を自分の口からも繰り返してみる。なんでなれないんだろう。子供の頃、誰もが憧れて、誰もが夢見て、目指したはずなのに。最終的には誰もヒーローになんかならない。蜃気楼のように揺れて掴めない幻想。オレが憧れたものはそういうものだったのだろうか。  噛み締めた唇の痛みにも気付けなくて、気が付いたら血が滲み始めていた。わかってるよ、と口にするときはいつも何もわかっちゃあいない。わかりたくない。理解したくない。  模範的な答えなんか嫌いだ。解答欄に書き込むオレの言葉は大体いつもレ点を打たれる。不正解なんて誰が決めたんだ。オレの答えを否定しやがるな。オレのヒーローを諦めさせないでくれ。  握り締めた紙がくしゃ、と鳴く。オレは何時までもガキのままだった。  唐突に、ガラガラと教室の引き戸が開く音がして肩を跳ねさせる。見れば、入り口に立つ赤城と変な顔したオレの目が合う。 「……帰ったんじゃねーのかよ、なに、忘れもん?」 「俺はこういう事言うのは得意じゃねぇけど。一つ」  赤城がちょっと目を伏せながら、控えめな声で言う。 「俺が憧れたヒーロー像はお前だった」  目を剥く。  言葉の意味がちゃんと理解できない。情報処理が追い付いていないのに、赤城は待ってはくれない。マラソン大会のときも一緒に走ろうぜの言葉を無視して全力で先に行くやつだったし、コイツはいつもそう。 「喧嘩なんか弱っちいくせに、いじめられてる奴がいたら、後先考えずに突っ込んでく。困ってる奴を放っとけないクソお人好し。落ち込んでいる奴がいたらウザいほど元気づけようとしてくるお節介。一人じゃ何もできねぇくせに、誰かの力になろうと馬鹿みてぇに努力して」  褒めてるのか貶しているのかわからない言葉を、淡々とぶつけてくる。 「でも、俺はそういう姿に憧れてた。お前はもう、俺のヒーローなんだよ」  理解できない。わからないくせに、胸の奥が熱い。烈火の炎は爛々と燃える。焼き尽くしてしまいそうなほどに。  赤城は言い切ると、少し息を吐いてから踵を返す。 「そういうことだ。じゃあな」 「どっ、どういうことだよ!?」  去り際、ニヒルに笑う赤城は、ブラックは、やっぱり格好良くて。絶対に超えられないヒーローはそこにいる。だから超えたいと願う。  オレは進路希望の用紙を机の上に置いて、消しゴムをかけた。薄汚れたなんにもない空欄。ゴミ箱じゃなくたって、トッポじゃなくたっていい。カチカチとノックしたシャーペンを走らせて、すっからかんの空っぽっぽを満たしていく。そんなオレが多分、最高にカッコイイ。

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