突然の来訪者に戸惑いながらも、どうにかベースメトリクスを理解したブレッド。
だがブレッド本人は至って現場主義だ。ましてや選手としてプレイしたことのない人々が作ったデータのみのベースボールをどうにも信用できないブレッドであった。
すると、さっきまで黙って話を聞いていたブレッドが口を開いた。
「おおよその概要は理解した。つまりベースメトリクスを取り入れることで、ちょっとでも勝率を上げようっていう魂胆だろ?」
「平たく言えばそうですわね。ところで、ブレッドは打順をどうやって決めていますの?」
「あっ、それ私も聞きたかったなー」
「簡単だ。OPSの高い順に選手を並べていって、バントは打力のないピッチャーと終盤のみに限定して、極力序盤で勝負を決める感じかな」
「――奇しくもベースメトリクスの考え方とほとんど被っていますわね。社会人チームでトリプルリーグのチームを相手に善戦したのも頷けますわ」
「よく知ってるな。別にマネしてもいいんだぜ」
誇らしげに鼻が高くなるブレッド。
ブレッドは頭を使いながら行うスモールボールの思考を基本としているが、バントにはかなり消極的であった。たとえ自ら生きるセーフティバントであったとしても、長打の可能性を放棄してしまう問題があった。全体的に打力に乏しい社会人チームであれば1点のリードで十分だったが、メルリーグは打者のレベルが高く、投手陣のことを考えれば5点のリードは欲しいと考えている。
それ故、今のブレッドにとって、バントという選択肢はほぼないに等しい。
ヘレンはベースメトリクスのホログラムの1つをブレッドの目の前に持ってくる。
「でもその戦法じゃ勝てませんわ」
「何でだよっ!?」
「打順がちょっと違ったくらいではあまり得点に響くことはありませんけど、バントは必要ないという結論が出ていますの」
「あのなー、ランナーが得点圏にいるのといないのとじゃ、相手ピッチャーに与えるプレッシャーが全然違うぞ」
「バントをする価値があるのは打率が1割未満の選手だけですの。1割以上なら打たせた方がいいってデータには出ていますわ。一度ベースメトリクスの法則通りに打順を組んで、それでマンキースと練習試合をしてほしいんですの。それで全て分かるはずですわ。レオンはスモールボールに固執していたせいで、得点のチャンスを自ら潰してしまっていましたわ」
「だったら何で放っておいた?」
「去年までは別に何年連続で地区最下位になろうと問題じゃなかったのですわ。でも今年ばかりは事情が異なりますの。ペンギンズが必ず最下位を免れる必要が出てきましてね」
左手で右腕の肘を抑え、顔を背けながら悲しそうに話すヘレン。
それを見たブレッドは、ヘレンの様子から何らかの事情があるものと推測する。
「どんな事情か聞いてもいいか?」
「いずれ時が来たら話しますわ。今はとにかく最下位を免れることだけを考えてくださらない?」
「分かったよ。僕もどの道最下位になっちゃいけない事情があるし」
「今後は仕事の合間に、わたくしがお爺様やお父様の目として、あなた方の活躍を見守ることにしますわ。何か必要なものがあったら、遠慮なく言ってくださいね。ではごきげんよう」
ヘレンがブレッドの部屋を去っていき、扉がバタンと閉まった。
ふと、ブレッドが時計の方を向くと、時刻は既に12時を回っていた。
「――やべっ! 遅刻じゃん!」
「ああ~っ! ご飯食べ損ねたぁ~!」
「お前は関係ねえだろ。ジャム、急いで支度だ」
「こういうことになると思って、みんなが話している間に準備しておきました」
抜け目ないなとブレッドが感心すると、ブレッドたちは昼過ぎになってようやくスプリングトレーニングに合流する。普段よりも遅いが、選手たちが気にすることはなかった――。
ブレッドはヘレンの指示通り、ベースメトリクスの起用法を参考に打順を組んでいる。
「最も重要なのが1番と2番と4番で、3番と5番と6番は強打者に準ずる打者を置くって言われてもしっくりこねえよ。社会人チームにいた時は3番に最強打者を置いていたからな」
「ベースメトリクスだと、最強打者は2番に置いた方が良いそうです。ランナーがいれば長打でホームに生還させて、ランナーがいなければ自ら出塁してクリーンナップに回せるからだそうです。3番はツーアウトランナーなしで回ってくることも多いので、最強打者を置いても活きないとされています。平たく言えば、3番打者を2番に置くような感覚でしょうか」
「僕の感覚だと、出塁率が高い打者を1番と2番に置くところまでは合ってるけど、1番向けを2人置くんじゃなくて、あくまでも3番向けを置く感じだな」
「だったらさー、3番向けを9人置けばいいじゃん」
ベンチで軽食のパンをもぐもぐ食べながらキルシュが言った。
「無茶言うな。今は贅沢税があるから事実上無理なんだよ。戦力の均衡を図るのがメルリーグの課題でもあったし、それができるんだったら、そもそもこうやって打順を考える必要ねえだろ」
「ふーん、打順って結構難しいんだねー」
「下位打線は打力が高い順に並べればいい。でも1つ問題がある」
「どんな問題ですか?」
「DH制だよ。僕はこのDH制というものがあんまり好きになれん」
「僕も同感ですね。社会人チームだと、どこもかしこもDH制なしでしたから」
「僕はDH制なしの試合に慣れてるし、ベースボールは打って守って走ってだろ。打線に切れ目がないし、ピッチャーの打順で代打を送る駆け引きもないし、あんまり面白い気がしないんだよなー」
「確かに選手が固定化されやすい問題はありますね。その一方でピッチャーの負担を減らせるのと、打撃に特化した選手を1人増やせるというメリットもあります。観客は打撃戦の方が盛り上がりますから、打撃に優れたチームを維持する意味でも有効みたいですね」
ブレッドはDH制という、社会人チームにはなかったルールに慣れていない。
その一方でジャムはベースボールオンラインでDH制のある試合をビデオゲームを通じて経験しており、DH制を解除できることまで知っていた。その経験が以前から練習試合にも表れている。
「監督、話があるデス」
ベンチの端っこでコマンドフォンを見ながら座っているブレッドの前にラーナが佇んでいる。
ブレッドはベンチ裏に呼び出され、ブレッドとラーナの2人きりで立っている。
「どうかしたか?」
「……この前は悪かったデス」
「別に気にしてねえよ。ジャムも言っていただろ。あの勝負は引き分けだ」
「ワタシの祖国に引き分けという言葉はないデス。勝てなかった時点で負けと同じデス。よってワタシは約束通り、ペンギンズに残ることにしたデス」
「律儀だな」
「約束くらい守れるデス。ここ数週間ほどブレッドの実力を見させてもらっていたデス。監督としての才能があることはよく分かったデスガ、おっちょこちょいで喧嘩っ早いところが子供みたいで見ていられないデス。それに強豪に移籍して弱い者いじめをしても楽しくないデス」
――それがうちに残る理由とは、何とも情けない。
思わず天井を見上げながら手で顔面を覆うブレッド。
「僕も出て行けなんて言って悪かったな。お前がかなりの実力を持っていることはあの試合でよく分かった。頼りにしてるぞ、ラーナ」
ブレッドが微笑みながら言うと、ラーナは頬を赤らめながら腕を組み、そっぽを向いた。
「わ、分かってくれればそれでいいのデス」
ラーナはホッと一息ついた。FA選手として契約保留となっていたラーナには、ペンギンズに残るべき事情があるのだ。ラーナに対してメルリーガーとしては破格の契約を求めてくるメルリーグ球団は後を絶たないが、どの球団とも条件が折り合わなかった。
そんな折、メルリーグでの選手経験がないブレッドが監督に就任した時は開いた口が塞がらず、エステルにも抗議したが、無駄に終わっている。
「ヘッドコーチに聞いたデス。あれは監督の本来のスタメンではないそうデスネ」
「ジャムは気づいてたようだな」
「社会人チームにいた時はどんなオーダーを組んでいたデスカ?」
「OPSの高い順に並べて、強打者に打順を多く回すようにした」
「1番と2番には繋ぎ役を置くのが常識じゃないのデスカ?」
「それは1番が出塁した場合の話だ。1番が凡退したらどうする? 2番に打力がなかったら2アウトだ。特にペンギンズの場合は、1番に出塁率の高い葵を置いていたから、2番にバント職人を置くオーダーの欠陥に誰も気づけなかった」
「だったらどうして、あえてレオンのオーダーにしていたのデスカ?」
「もちろん、欠陥を再確認するためだ。去年のレオン監督時代の試合も見た。あんなんじゃ最下位にもなるよ。絶望的に打てない
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