アイリーンに対して陰口を言った選手たちにブレッドが歩み寄った。
その中でも主犯と言えるのが、黄緑色の短髪、尊大な性格と中性的な顔、女性のように高い声が特徴のリンツァートルテだった。
隣にはエドワード、ウォーリー、丸雄、プレクムルスカの4人が座り、不良のような顔でブレッドを睨み返していた。プレクムルスカは黄土色と茶色の縞模様の短髪を手入れしながら、少年のような顔でグラブを左腕にはめた。
「お前ら、あの超人的なプレイを見てなかったのか?」
「ハハッ、超人的? あれはただのビノーだ。買い被りすぎだよ。なあプレク」
「そうそう。リンツの言う通りだよ」
「オーナーは低迷しているペンギンズの人気を取り戻そうと、奇を衒ってアルビノをメルリーグデビューさせようとしているみたいだけど、やめておいた方がいいと思うぞ。恥をかくだけだ。誰もあいつのことを歓迎してないみたいだし」
丸雄が吐き捨てるように言うと、さっきまで持っていたバットをベンチのバットスタンドにしまってから椅子に腰かけた。
「……お前らが持っているその価値観は先祖から代々受け継がれてきたものだ。自分たちと違う存在に対する偏見を植えつけられ、自分より弱い立場の人間を貶めることでしか喜びを感じられないような可哀想な連中みてえだから、今のは聞き流してやる」
獲物を狙う獣のような声に、レギュラーチームのベンチが凍りついた。
ブレッドは威嚇するようにリンツの右肩に手を置いた。
傍から見れば軽く触れた程度だが、リンツには鉄鎧のように重く感じた。
「だがこれだけは言っておくぞ。アイリーンを公平にきちんと扱うことだな。さもないと解雇ということもある。僕はお前らの心臓を握っている。お前らを生かすも殺すも僕の機嫌次第だ。もしアイリーンとの間に問題を起こすようなら容赦はしない。覚悟しておけ」
そう言い残すと、さっきまで調子に乗っていたリンツたちが逃げるように守備につき、丸雄は固まったままベンチに座っている。
そんな丸雄の緊張を解そうと、ブレッドは丸雄の隣に座りながら微笑みかけた。
「なあ丸雄、DH以外はできないってホントか?」
「ああ、俺の得意分野は打点を挙げることだ。守備なんてクソくらえだ」
「チャンスに強いのは本当のようだが、さっきは惜しかったな」
「全くだ。先制したと思ったのに」
「6年連続150打点と、打点王3回の記録を持っているんだってな」
「まあな。俺がペンギンズに入った頃は、地区優勝できるほど打線が強かったから、ランナーもよく溜まるし、それなりに充実してた。でもオーナーが事業に失敗してからは状況が変わった」
「事業に失敗? エステルが?」
「知らないのか? オーナーは高級な化粧品を売ることを目的としたグループ企業、『コズメティックバロン』の社長だ。元々は旧式カメラをアンティーク商品として売る冴えない企業だったけど、プリューゲルクラプフェン家がコマンドフォンに全自動浮遊撮影機能を導入してからは更に業績が下がった。でもしばらくしてフィルムを作る技術を化粧品に応用したことで生き延びた」
「じゃあ何で今のエステルは資金難に陥ってるわけ?」
「コズメティックバロンが『ソーラーガード』っていう、日光を完全にシャットアウトできる画期的な魔法科学商品を開発した。だが12年前、ライバルのグループ企業に、ソーラーガードがアルビノ相手に売られているという噂を広められて、そこまでして儲けたいのかと言わんばかりに、不買運動が始まったんだよ」
事情を知っていた丸雄がベンチから空を眺めながら言った。
「あぁ~、そういうことかぁ~」
ブレッドが大きく口を開けながらゆっくりと何度も頷いた。
どこか腑に落ちないところもあり、ブレッドはエステルに対して不信感すら抱いていたが、アイリーンがこうして日光に晒されながらもいつも平気でいられる理由をようやく理解した。
エステルがグループ企業を抱えながらも、球団の予算を確保する手段がないことが分かった今、ブレッドの決意はますます固いものとなった。
「それでまた経営難になったせいで、球団に回すはずだった予算を確保しきれず、多くの有力選手やプロスペクトに年俸を払えず、他球団に売り渡す結果になった」
「どうりで選手層が薄いわけだ」
「監督がそれを言っちゃお終いだろ。1つ忠告しておいてやる。うちのオーナーは根っからの拝金主義者だ。ソーラーガードを開発したのも、アルビノをメルリーグに参加させようとしているのも、結局は金のためだ」
「……」
目を半開きにさせながら下を向くブレッド。
「監督はエステルに利用されてるだけだよ。ちょっと水飲んでくるわ」
「いってらっしゃい」
ブレッドが力なく答えると、丸雄がベンチ裏の階段を降りていった。
全員が全員アイリーンのことを嫌っているわけじゃなく、中には仕方なく嫌いなふりをしている選手たちもいることをブレッドは思い知った。
アルビノと関わった者も迫害の対象となる。エステルとて例外ではなかった。
――そうか……みんなアイリーンと関わるのが怖いんだ。
そう気づきながらも、ブレッドは心の中で呟くことしかできなかった。
3回裏、0対0のまま、2アウトランナーなしの場面で再びアイリーンの打席を迎えた。
観客席からは帰れの大合唱と共にブーイングの嵐となる。
「ビノー! 帰れー!」
「おいビノー! お前がベースボールやんのかー!?」
ルドルフはまだ3回も投げていないが、既に肩で息をしている。ルドルフはランナーを1人出しながらも、ストレートとカットボールを駆使して抑えていたが、球速に勢いがなくなり、2回以降は三振1つ取れないままであった。
アイリーンは1回裏にルドルフのカットボールにバットをへし折られ、ショートにボールが転がったが、葵の矢のような送球を前にあっさりと打ち取られてしまった。
ルドルフは疲労から制球が定まらず、ストライクゾーンから大きく離れた位置に何度もボールを投げてしまっている。
『ボール』
「ちょっと、まだ3回よ。何へばってんのよ」
「うるせえ。さっさと構えろ」
キャッチャーを務めるワッフルの言葉を全く聞こうとしないルドルフ。
ワッフルが呆れながら再びサインを出し、キャッチャーミットを構えると、ルドルフはまたしても地面に向かって暴投してしまい、途中でワンバウントした球がアイリーンのストライクゾーンのど真ん中に入った。
見逃せばフォアボールだが、それに構わずアイリーンが一塁線近くに鋭い当たりを打つと、アイリーンは俊足を飛ばして一塁ベースを踏み、ライト前ヒットになった。
「あいつ、ワンバンした球を打ち返しやがった!」
「さっきのバックホームといい、まるでウィッチ・ロウだなー!」
「おいおい、あんな奴ウィッチ・ロウの足元にも及ばねえぞ」
「でも見ただろ。あいつのプレイおもしれえじゃん」
観客たちがかつての大打者の1人、ウィッチ・ロウの名を口にしている。
ウィッチ・ロウは400年ほど前のリードオフマン時代に活躍したメルリーガーである。シーズン打率4割2分8厘、通算打率3割8分5厘、シーズン安打数302本、通算安打数6062本はいずれもメルリーグ記録である。
人々はフォアボールをもぎ取るよりも安打に拘り、無理矢理にでもヒットを量産するかつての大打者の姿に、アイリーンを無意識の内に重ねているのだ。
マカロンが打席に入ると、アイリーンがさも当然のように一塁ベースから離れ、両足を大きく横へと広げた。
ここにきてアイリーンは最も得意なプレイを発揮する機会を得た。
相手バッテリーを揺さぶるように細かい動きを見せ、度々牽制を受けるが、平然とした顔で一塁ベースへと頭から素早く戻り、ファーストのエドワードがルドルフにボールを投げ返すと、懲りずに再びリードを取った。痺れを切らしたルドルフが腕を振りかぶったところでアイリーンが走った。
すかさず投球を受けたワッフルが二塁に向かってボールを投げたが、ボールが届く頃には既にアイリーンがスライディングを決めている。
『セーフ』
ロボット塁審が両腕を横に広げた瞬間、観客からの歓声がエルナン島の空へと響いた。
「結構足早いのね」
「足には自信があるわ。これが私の生きる道だから」
「あんたならきっと――ウィッチ・ロウのようになれるかもね」
アリアが笑顔でそう言い残すと、再びセカンドの定位置に就いた。
再びアイリーンがリードを取るが、二塁には誰もベースカバーに入ろうとはしなかった。
ルドルフが腕を振りかぶる少し前にアイリーンが三塁に向かって走った。さっきよりもリードが大きい上に早い反応であったためか、今度はサードスチールであるにもかかわらず、ワッフルはボールを投げることさえできなかった。
完璧なまでに投手の癖を見抜き、モーションを盗んだアイリーンに、ルドルフもワッフルも思わず舌を巻いた。すると、今度は三塁から離れ、ルドルフを挑発するように小刻みに足を動かした。
ルドルフは投球に集中しようとするも、何度もアイリーンと目線を合わせてしまい、ペースを乱されている。ホームスチールの素振りを見せるアイリーンを前に緊張の糸が切れたルドルフは外角高めにストレートを投げた。
木製バットが大きな音でボールを打ちつけると、ボールはレフトのフェンスに直撃し、アイリーンは悠々とホームに生還したが、アイリーンとハイタッチをしたのはジャムだけであった。
「見事な走塁でした。よく相手の癖が分かりましたね」
「あのピッチャー、牽制しない時は何度も首をこっちに向けてきた。だから2回以上目が合った時は、もう牽制しない人だって分かったの。思った通りだったわ」
「ベースボールプレイヤーの心が分かるのは本当みたいですね」
「人の心は必ず癖として表情に出てくる。人の癖を見抜くのは昔から得意なの」
「どうして分かるんですか?」
「私に敵意を向けてくる人は、必ず私を見た直後に一瞬だけ目を細めるの。敵意があるかどうかはそれで分かる。何度も見てきた表情だから」
「……そうですか。でもブレッドさんも私もアイリーンの味方ですから、安心してください」
「それはもう出会った時に分かったわ」
――私と出会った時、2人とも私に微笑んでくれた。
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