悪報

 illusion(イリュジオン)のカウンターの奥にある厨房の中で寛いでいる店主をよそに燈哉は一人で昼間のピークが過ぎ去った後の皿を全て片付けた。ふと見上げると時計は既に十四時四十分過ぎを指している。漸く一息つけそうだと息を吐き出した燈哉はカウンターの一番奥の席でライムジュースを緩く回している碧衣に声を掛けた。 「新作があるんだが、食べるか」 「ええ。新作ってどんな?」  彼女の答えに燈哉は冷蔵庫の扉を開くと中からシンプルなガラスの小さな容器を二つ取り出すと、小さめの栗の木のまな板の上でライムを薄く切り分ける。 「ライムゼリー」  思わぬ新作の中身に碧衣の表情が嬉しそうに綻ぶ。薄くスライスされたライムを最後に載せたライムゼリーをスプーンと一緒に渡すだけで満面の笑みを浮かべる彼女につられて燈哉も笑んだ。 「何回か味見はしているが、美味いかどうかは保証しない」 「大丈夫よ。貴方が作った物だもの」  一口分を掬い上げると楽しげに彼女がライムゼリーを頬張る。見る見るうちに更に破顔した碧衣を見るに味付けは上手くいったようだと息を吐いた燈哉は迷っている部分の感想を求めた。 「ゼリーの硬さをどうするべきか悩んでいるんだがどう思う」 「そう? 硬すぎず柔らかすぎない感じでとても良いと思うけれど」  少なくとも私は好きだわ。と緩み切った表情の彼女に問題なさそうだなともう一つ同じゼリーの入っている容器を店主の元へ持っていくと性懲りもなくまた懐を探っている。 「ここは禁煙のはずですが」 「おー、そうだったねぇ。つい、ね」 「ついもくそもないでしょう」 「うん、おっさんが悪かったから許して。んで、その手に持っているもの頂戴」  まだ未遂だからさ。と両手を上にあげて白旗状態の店主に聞こえるようわざと舌打ちしてからライムゼリーを与えた。スプーンはー? と呑気な声が戻っていく燈哉の背中を追いかけるも、彼は気にすることなく碧衣の居るところに戻っていく。彼女に近づくにつれて何処か表情が柔らかくなっていく姿に店主は、ふむ。と納得した様子で一人スプーンを近くの棚から取り出し、ライムゼリーを一口食べて、うん、美味い。と呟いた。 「悠奈ちゃんの様子はどう?」 「まだ駄目だろうな。もう少し情報班に専念させるつもりだ」  戻ると既に平らげていた碧衣から空になった容器とスプーンを受け取った燈哉の答えに彼女が瞼を伏せる。 「そう」 「言っておくが、お前のせいじゃないからな。あまり責任を感じ過ぎるなよ」 「ええ、わかっているわ」  容赦なく刺した釘に曖昧な笑みで返した碧衣がライムジュースを口に含むのを見て、気にかかるのは責任を感じている証拠だと心の中で思う。さて、どうしたものかと思考を巡らせた燈哉は無難な話題へ移行させることに決めた。 「村上と今日は会うのか」 「予定では。あちらの仕事状況に寄るけれどね」  どうなるかしら。と碧衣が呟いたタイミングで店の扉のベルが鳴り開く。反射的に客の姿を見た燈哉は眼を見開き、同じく客の姿を見たであろう彼女は、本当に予定は未定ね。と諦めたように零した。  二人に注目されながら颯爽と店の中へ入って来た全身黒ずくめの洋装で引き締まった身体の中年男性、富永柳雨(とみながりゅうう)は勝手知った様子で碧衣と一つ間を開けて席に着く。自分の目の前にやって来た柳雨に、嬉しそうに眼を細める燈哉とは対照的に碧衣は視線を外し、グラスを手に取って回し、小さく息を吐き出す。 「お久しぶりです」 「うん、久しぶりだね。二人とも」 「ええ」  彼女の素っ気ない態度に柳雨が少しばかり困ったように微笑して肘をつく。そんな彼の前に水の入ったガラスのグラスをカウンター越しに置いた燈哉は軽く頭を下げた。 「うちの相棒が申し訳ありません」 「いや、気にしないでくれ。それより、ブレンドコーヒーを頂けるかな」 「はい」  柳雨の注文を受け、棚からコーヒー豆を手挽きのコーヒーミルに一杯分入れて豆を挽いていく。いつもなら多少顔を出して挨拶する店主は完全に奥に引っ込んでしまったらしく、顔を見せる気配はなかった。その代わりとでも言うようにラジオの音が微かに漏れ聴こえてくる。 『――――日本国大統領である富永智希は、世界政府に飛び、……でき――予告について会見を開き――た……――』  電波が悪いのか、かなり聴きづらい。それが嫌になったのか、程なくラジオの音声が聴こえなくなり、柳雨に向かって軽く会釈した店主がいつもの定位置である厨房の奥に置いてある椅子に腰かけ、手に持っていた文庫本を読み始める。一杯のコーヒーを手淹れする燈哉を一目見た碧衣が依然として柳雨と顔を合わせないまま話を切り出した。 「本題の要件は何でしょうか」  両肘をカウンターの上について顔を前で両手を組んだ柳雨の表情は一変し、切れ長の眼が無慈悲に細められた。 「少し、やっかいなことになってね。今日の午前零時、大阪支部が危機的状況に陥っているとの情報が神崎雅樹(かんざきまさき)から入った」  神崎の名に淹れ終ったブレンドコーヒーを柳雨の目の前に差し出した燈哉も、目線を合わせようとしなかった碧衣も脊髄反射のように顔を上げた。 「神崎夫婦の安否は」 「午前零時以降、大阪支部と連絡がつかない状態にある」 「安否不明、ですか」  露骨に眉を顰める碧衣と沈黙した燈哉に対して、残念ながら、と柳雨は話を続ける。 「だが、昼間の人気がある場所での妨害は考えにくく、大阪支部は元々移設する予定であったため、警護人数も通常時よりもかなり多い。生存確率は極めて高いはずだ。京都支部が今、ハッキングを試みているようだが、どうも強力なジャミングが展開されているらしく、成果は乏しい。それに加え京都支部は現在、多くの人材を大阪支部移設に派遣しているため、あまり戦力が残っていない」 「救援要請、ということですか」  目を伏せた燈哉の一言に柳雨が頷いて肯定し、付け加える。 「それに伴い、大阪支部の強制移設を実行する。やってくれるね?」   威圧の含んだ声にしっかりと燈哉は彼の眼を見据え、小さく首を引いた。 「わかりました」  燈哉の了承を得た柳雨は碧衣に視線を向け、彼女が頷くのを確認すると満足そうに笑む。 「チーム選抜、並びに出発時刻は君達に一任する。躊躇う人間が居ればすぐに連絡してくれ。私が話をつける。この際、東京支部の膿を吐き出してくれて構わない」 「了解しました」  間髪入れず燈哉が返答するのを聞いていた店主は溜め息を吐いて懐を探る。ブレンドコーヒーを一口飲んだ柳雨は通行儀礼のように店主に話しかけた。 「と、言う訳だ。マスター、すまないが暫く流崎君をお借りする」 「あいよー」  ひらひらと手を振った店主は口に火のついていない煙草を咥えたまま、重い腰を上げて外に出ていく。十五時過ぎ、illusion(イリュジオン)は閉店した。

コメント

コメント投稿

スタンプ投稿


このエピソードには、
まだコメントがありません。

読者のおすすめ作品

もっと見る

  • 生意気最強メカ娘と往く空中都市の冒険譚

    ♡447,200

    〇2,504

    SF・連載中・77話・432,791字 新星

    2020年11月29日更新

    機械の四肢で空を駆けるメカ娘『奉姫』が人を支える空中世界『カエルム』 空の底、野盗に捕えられた奉姫商社の一人娘『アリエム・レイラプス』を助けたのは奇妙なAIと奉姫のコンビだった。 『奉姫の神』を名乗るタブレット、カミ。 『第一世代』と呼ばれた戦艦級パワーの奉姫、レミエ。 陰謀により肉体を失ったというカミに『今』を案内する契約から、アリエムの冒険が始まる。 カエルムと奉姫のルーツ、第一世代の奉姫とは? 欲する心が世界の秘密を露わにする、蒼空世界の冒険譚。 ・強いて言えばSFですが、頭にハードはつきません。むしろSF(スカイファンタジー) ・メカ娘を率いて進む冒険バトル、合間に日常もの。味方はチート、敵も大概チート。基本は相性、機転の勝負。 ・基本まったり進行ですが、味方の犠牲も出る時は出ます ・手足武装はよく飛びますが、大体メカ娘だ。メカバレで問題ない。 ※2020.3.14 たのの様(https://twitter.com/tanonosan)に表紙およびキャラクターデザインを依頼・作成いただきました。この場を借りて感謝申し上げます ※2020.8.19 takaegusanta様(https://twitter.com/tkegsanta)にメカニックデザイン(小型飛空艇)を依頼・作成いただきました。この場を借りて感謝申し上げます

  • 広い異世界を少年は冒険生活の旅にでる!

    ♡496,884

    〇73,600

    異世界ファンタジー・連載中・102話・322,298字 ネコカレー

    2020年12月2日更新

    ある日突然、アズマ=レンは異世界に転移すると、少女セレナに鍵を探して欲しいと伝えられる、転移した者は元の世界に戻ることは出来ない。レンは帰る気が無かったので異世界で生活する事にした! スライムのレム、メイドのミュウ、ギルドマスターのセレナと共にギルド結成!! レンはレベルアップして召喚石で召喚獣のライとアンジュをサモン!二人がスキルで人の姿に変身!? レン達は様々な大陸や時にだれもいったことがない未開の地に足を踏み入れりと!! この広い異世界で生活しながら冒険の旅に向かう! 感想やポイントなどもらえると小説の励みになります!

同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る