こちら内閣府異世界通行管理局管理一課です

第一部 第三章 業務変更

第二十五話 七月四日の業務後

 七月四日、午後九時。  稔と波木清花は、ようやく代々木の稔のアパートの部屋へたどり着いていた。  清花の分の布団や衣服など必要なものを渋谷で買い、細々したものは後日買い足す予定だ。途中、電車の中や道路で清花の姿を奇異の目で見る人間もいたが、大半は無視していた。コスプレか何かと勘違いされたのだろう。  狭い玄関と廊下に布団を押し込んで、荷物を置く。 「いっぱい買っちゃったね」  清花は大型衣料品店で買った服を着ていた。四十という年相応の服にこだわり、落ち着いた色のブラウスとカーディガン、スカート姿の清花は、もう『異世界人』ではない。杖はクローゼットに片付け、緑のローブも明日クリーニングに出す。清花は大きな袋に入った衣料品を取り出して、シールを剥がしていた。  稔は棚からはさみを取り出し、清花に渡す。 「はい、はさみ。タグ切らないと」 「ありがとう、稔お兄ちゃん」  清花は多分、無意識に稔のことを『稔お兄ちゃん』と呼んでいる。明らかに清花のほうが年上なのに、何だか複雑だ。 「……何か、気恥ずかしいな」 「え?」 「いや、何でもない。それより、晩御飯カレーでいいか?」 「うん、何でもいいよ。お腹空いちゃった」  清花は屈託のない笑顔を稔に向ける。何年振りだろうか、稔が清花の笑顔を見るのは。  稔は冷凍庫から冷凍ご飯を取り出し、電子レンジにかける。その間に帰りにコンビニで買ってきたカレーのスープを鍋で温め、温まったご飯とともに皿に盛る。  服のタグの取り外しに悪戦苦闘していた清花は、カレーが運ばれてくると服をぽいっと置いて、席に着いた。  清花の目は輝いていた。「食べていい?」と何度も聞いてくる。稔は「いいよ」と答えた。 「いただきます!」 「いただきます」  ぱくり、と一口食べた清花は、そのままスプーンを止めず一気に食べる。稔より早い。そして、また目に涙を浮かべていた。  驚いた稔は、どうしたのか尋ねる。すると、清花はこう答えた。 「美味しいの……向こうの世界、全然ご飯美味しくなかった。慣れても全然、こっちの世界のご飯が忘れられなくて」  それは由々しき問題だ。おそらく、清花は成長期に十分な食事を摂れなかったせいか、身長も小さいし妙に痩せている。服部の言ったような人間よりモンスターの数のほうが多い世界で、こちらの世界基準の美味しい食事を求めるのは困難だっただろう。 「モンスターの丸焼きなんか食べようとも思わなかった」  さすがにそれは稔も遠慮したい。だが多分服部は食べていただろうな、と容易に想像できる。 「温かい食事はあったのか?」 「うん、スープくらいはね。大雑把で一食一皿も当たり前だった」 「それは……きついなぁ」 「最初は皆、泣きながら食べてた。でも文句は言えない立場だったから、一年くらいすれば慣れてきて、あとパン職人になった子なんかは美味しいパンを作って売ってた。こっちの世界ほどじゃないけど、向こうの世界の人にすれば相当美味しいパンが作れるから、大繁盛してた」 「すごいな。その魔法で適性? を測るって、パン職人も測れるのか」 「うん。ごちそうさま」  清花はあっという間にカレーを完食した。それから稔の皿をじっと見てくるので、稔は食べづらかった。  やがて稔も食べおえ、台所で皿洗いを始める。米の一粒まできちんと食べた清花の喜ぶ顔が、稔の脳裏から離れない。  ——想像以上に、苦労したんだろうな。  ぱちん、ぱちんと服のタグを切る作業を再開した音と、台所のシンクに水が落ちる音、洗剤をたっぷり含んだスポンジが皿を洗う音がする。  ——それにしても、自分以外の人間の音がする生活は、何年振りだろう。  稔はそんなことを考えながら、皿についた泡を水で洗い流した。あと、隣から聞こえてくる毎朝のどたばた音は生活音とは言わない、と思った。

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