朝食を御一緒しませんか ~小倉トーストホイップ蜂蜜添え~

シリアスです(当社比)

ハニーカフェオレ

 ぽつ、と額に雨が落ちた。段ボールにも見る見るうちに濃い雫の跡が出来る。1つ顔に当たるだけで体温が下がるような冷たい雨だった。僕は更に足を速め、アパートのエントランスに駆け込んだ。髪が濡れた程度。ダウンジャケットはさすがおろしたてだけあって、軽く払うと水の粒を弾いて転がした。  108号室、1階の一番奥が僕の部屋だ。玄関と呼ぶには狭すぎる上がり口に段ボールを置く。すぐに傘を手に取って返そうとしたが舌打ちした。昨日職場に差して持ち帰らなかったらしい。  土岐に「雨大丈夫か」と送る。「もう少しなので大丈夫です」「了解」  部屋に上がり、段ボールから牛乳、卵パック、バターを出し冷蔵庫へ。ホットケーキミックスも念のため冷蔵庫に入れる。矢萩の差し入れのドリップコーヒーも入っていた。大きな蜂蜜ボトルとハニーナッツの瓶詰めは流し台に置いた。見るとご丁寧に泡立て器も入れてある。箸ではダメなのかと独り肯く。それも置き場が定まらず、とりあえず流し台に置いた。  ダウンを脱ぎ、エアコンをつける。カーテンを開ける。雨は強く降っているようだった。ぐるりと自分の部屋を見渡す。先程出て来た佐々木の部屋の広さを思えば、物置のような狭さだった。独りで居る分にはそう感じないが、矢萩が来た時など、人ん家で足を伸すなと言いたくなる。そう、先だって佐々木が宿泊した時はスペース問題は然程でなかったが違和感は酷かった。  土岐は華奢だが男だ、恐らく狭く感じるだろう、と床に投げ出していた専門書をテレビの脇に避難した。エアコンが風を吹き出し始めた。  ***  土岐は毎日連絡したい宣言をしてから、話を(たが)えずメッセージや電話を寄越す。仕事の日はメッセージ、翌日休みや休日には電話を。あの時は勢いで全肯定してしまい、後からさすがに面倒事を抱えたと頭も抱えたが、始まってみればそこまででもなかった。むしろ。  これまでは昼食に限っての連絡。それが朝や夜、いつどんな方法になるかは分からなくなったために少しの休憩にもスマホを確認することが増えた。昼食にメッセージがないと手持ち無沙汰になった。2ヶ月近く続いた食前食後の習慣がなくなると、こんなにも何をしたらいいか分からなくなるものか、と佐々木の強引さがありがたく思えることもある。いやそれは言い過ぎた。嵐の後は結局徒労が残る。  土岐は僕のことはよく尋ねるが、自分のことはあまり話さない。僕も聞かれれば答える程度なのだ、土岐にしても僕に聞かれてもないのに話す訳はない。それに、一々(いちいち)いつが休みか聞くのも面倒だからしたいようにさせている。僕は土岐の仕事の時間帯も知らない。聞かない。  だが通話中、土岐があの幸せそうな笑みを浮かべてるだろうと思う瞬間は悪くない。「時季さんは」と、おずおずとした声に何でも答えてしまうのはなぜか。  僕の朝食が菓子パン1つだけと怒る土岐。夕食を駅の牛丼チェーンで食べたと話せば、野菜も摂ったかとうるさい。だが次の瞬間には、僕も一緒に食べたかった、と呟く土岐。  まだ数回の通話しかしていないのに、僕の生活にじわじわと浸食していく。まるで気に入った甘味を食べているみたいだ。  メッセージの後の僅かな高揚、着信に気づいた時の期待、声を聞いたときの訳の分からない安堵と不安、そしてまた安堵。話を終えた後、メッセージを終えた後の満足感、喪失感、よく分からない欲求。端末による接触が途切れればすぐに生活に戻るが、ふと思い出す話題、土岐の声。  一番上のホットケーキのように、蜂蜜とバターが染み込むように、僕の生活は土岐なしでは物足りないものになってしまっている。強い、自覚があった。 「え? 今から電話が来るから早く話を終わせ? いやだぁぁぁ! 俺のことも構ってぇぇぇ!」うるさい矢萩の一言に打ちのめされた。 「あぁ、木曜のアレも、土岐くんだったのかー」 「あ?」 「だって、あの何でもどうでもいい誰にも興味ない高野が、水曜の夜だけは絶対泊まり込んで時間通りに朝飯行くなんておかしいと思ってたぜ。仲良しは俺くらいのもんだろー。てことは、土岐くんと結構付き合い長いんだなー」 「付き合い」 「え、彼氏じゃないの」 「切る」  ***  ピンポン、と気の抜けた音が呼んだ。土岐か。段ボールを畳んでいなかった、とそれを見下ろす。通路の3分の2が塞がれている状態でドアを開けた。玄関口は薄暗い。瞬間聞こえる土砂降りに近い雨の音。 「土岐」 「あ、とと時季さん。こんにちは」 「大丈夫か、濡れてないか」 「え、あ、ちょっと……いえ結構濡れちゃって」  確かに土岐の髪は水滴が滴る程濡れ、フェルトのコートはじっとりと重そうだった。 「入れ」  僕はそう言いながら段ボールを畳み、短い通路の壁に立てかけた。微妙に膨らんでくるが倒れはしない。 「おお邪魔します……」 「狭いぞ」  土岐は恐る恐るスニーカーを脱ぎ──彼が革靴以外を履いているのを初めて見た──困ったように「時季さん」と呼んだ。 「ん」 「あの靴下とコートがびちゃびちゃなのでここで脱いでいいですか」 「あぁ」  土岐はコートを脱ぎ、上がり口に腰を掛けて靴下を脱ぎ始めた。僕はハンガーとタオルを準備しコートを受け取る。「そこに洗濯機あるから入れろ」と台所の向かいの浴室スペースを指差した。タオルを渡す。「いやでも」「いいから靴下貸してやる」「……はい、すみません」  土岐はいつもより声が小さく恐縮しているようだった。午前中の僕が同じ状態だったから察する。僕は濡れたコートを部屋に運び、部屋の角に渡した干し場に掛けた。丁度エアコンの向かい側なのですぐ乾くだろう。土岐が洗濯機にタオルと靴下を入れ部屋に入ってきた。 「お、お邪魔します」 「あぁ。これやる」 「! 新品じゃ無いですか、ダメです! どうせ帰る時濡れちゃうんで裸足で帰ります」 「……そうか」 「はい……」  さあ……と窓から雨音が聞こえる。なぜか土岐は顔を俯け黙ったまま動かない。視界に入る裸足の足。白さ。焦れた僕はとりあえず洗濯機を回すか、と彼に「狭いが座ってろ」と言った。居心地が悪そうだが傘もなくコートも濡れてしまっては、雨がどうにかなるまでは外に出られまい。僕は場を濁すためにテレビをつけた。  自分の部屋に彼が居る。不思議な感じがした。  いつもの土岐は、お洒落なカフェが似合うかっちりとしたシャツを着込んで、柔らかく微笑む有能そうな社会人という印象だ。だが今は電気を点けても薄暗い部屋に膝を抱えて座り、髪を明るく染めたパーカー姿の大学生にしか見えなかった。心細げに見えた。  洗濯機が本格的に動き始め、コンロのやかんの底も温まってきた音がする。土岐はぼうっとテレビを見続けている。どうした。普段なら土岐はよくしゃべる。メッセージや電話でも同じだ。しかし今は。 「はっくしゅ」  僕はドスドスと部屋に入り土岐を見下ろした。 「タオルで頭拭いたか」 「あ」 「馬鹿か」  しゅんと項垂れる土岐を見、知らず舌打ちする。洗面所からタオルとドライヤーを持ち出し、タオルを彼の頭に放る。何も言わずとも自分で頭を拭き始めるのを確認しながら、僕はプラグを差し「おい」と声を掛けて温風を出してやる。 「あ、ありがとございます」「ん」しかし土岐がドライヤーを受け取るとケーブルの接続が悪いのかすぐに切れてしまう。 「あれ」  正直あまり髪は乾かさない。そう言えば故障したと思ったからしまい込んでいたのだった。面倒だが仕方が無い。 「……ほらそっち向け」 「わ」  僕は土岐の背後にどかり、と座りケーブルの角度に注意しながら再び温風を出した。 「あのあぁとき、すえさ」「早く」面倒だ。僕は土岐の頭を掴み、前を向かせた。やはり髪はしっとりと濡れて風呂上がりのようだ。指を髪に絡ませると水気がついた。頭皮に触れると土岐が身を固くした。土岐の髪は見た目通り僕の髪より細くて柔らかかった。温風にさらされ僕の頬も熱い。根元からきれいに染まっているところを見ると、地毛のようだ。と、観察が過ぎ、少々強く髪を引っ張ってしまった。 「ぁ……」「悪い」「だい、じょうぶです」乾いたことで時折シャンプー──安物でない、柑橘系の匂いがして心臓が音を立てた。なぜか苦しい。満腹だからか。  前髪を乾かす場面では少々思案した。後ろから手を回すのは乾かしづらいのだ。土岐に寄り掛かってもらうか、こちらを向いてもらうか。温風を出しながら手を止めた僕に、土岐がこちらに少し振り向く。顔が真っ赤だ。「大丈夫か」「はぃ」「こっち向け前髪」「えぇ!」「じゃあ寄り掛かれ」「……そっち向きます」真っ赤な上に涙目。よく分からないが風邪を引いてなければいい。とりあえずそうなる前に乾かさなければ。  古い型だからかなかなか乾かず、何度土岐の頭を撫で回したか分からない。人の髪を乾かすのは初めてなので、指が時折耳をかすめてしまう。髪質は柔らかく少し細く温風を当てただけでは変な癖がついてしまいそうだった。やっと毛先が少々湿っている、くらいになった時「とと時季さ、ん、もう、大丈夫です……」と土岐が涙目で僕を見上げた。  頃合い良くお湯が沸き土岐にカフェオレを作る。ちら、と部屋の中を見るとふわふわの髪の土岐がまだぼんやりしていた。普段は髪を固めているのか。 「飲め」 「わ」 「カフェオレだ」  僕は部屋の真ん中に置いているローテーブルにマグカップを置いた。テーブルを挟んで土岐の向かいに座る。 「あ、ありがとうございます……」  ふにゃ、と相好を崩す様子に内心沸き上がる甘さ。はふはふ、と熱いのに息を吹きかけながら飲み始める。 「……蜂蜜、美味しいです」 「そうか」  砂糖がなかっただけだ。佐々木からもらった牛乳や瓶詰めがこうまで役に立つとは思わなかった。独り肯く。 「俺、蜂蜜好きなんです」 「そうか」 「そうかって時季さん知ってますよね」 「ははっ」と土岐が幸せそうに笑った。頬が赤い。 「俺、おばあちゃん子だったんですけど、おばあちゃん……祖母が外国人で」 「あぁ」  髪が明るいのは祖母の遺伝か、と納得し肯く。 「祖母とちょっとだけ暮らした時期があって。祖母が寝る前に飲ませてくれるミルクには、必ず蜂蜜が入ってたんです」  少し困ったような微笑み。思い出すように目線は揺れた。 「もう亡くなったんですけど、その時の幸せな気持ちが忘れられなくて。……大人になっても蜂蜜好きなんです」 「あぁ」 「祖母だけでした、俺を可愛がってくれたのは……」  グイ、と袖で目を擦る土岐。 「……祖母は僕をhoneyと呼びました」  土岐はマグを持ったまま涙を流した。涙が幾筋も跡を残して頬を伝っては落ちる。はた、はたとパーカーの布に落ちる涙の音と雨の音しか聞こえない。  なぜ泣くのか。泣き顔は見たくない。朝食の時のように笑っていて欲しい。 「泣くな」  土岐はビクリと身を固くした。ウロウロと彷徨う視線。 「あ……すみません……俺、男なのに」 「違う、泣くな」  テーブルを挟んだ距離が、こんなにも遠すぎると感じたことがあっただろうか。今すぐにそれを飛び越えたい衝動。グッと拳を握って抑える。涙を乱暴に拭う土岐。よく分からない衝動。目を赤くして俯く土岐。 「……すみません、なんか、思い出しちゃって」 「泣いちゃいました」にへら。いつかと同じ愛想笑いを浮かべた。いつかと同じく込み上げる苛立ち。苛立ち? そんなに弱い感情ではない。 「止めろ」 「ぁ……」  途端青ざめる顔。瞬間的に僕は言葉を間違ったと悟った。そして主語も目的語もすっ飛ばした救いようのない否定の命令文は、暴力のように彼を傷つけたと思った。本当は何と伝えれば良かったのか。  怯えるようにわなわなと震える土岐の顔は、青を通り越しだんだん白くなっていく。不味い! 「土岐!」  僕はテーブルを蹴り上げる勢いで彼に駆け寄り同時に傾いた体を支えた。肩を抱く。マグを上から掴んで強引にテーブルに置く。ぐにゃ、と僕の胸に力なく寄り掛かる頬を軽く叩いた。「土岐!」「起きろ、土岐!」 「うぅ……」すぐに意識が戻った。だが体は明らかに発熱していた。

お読みいただきありがとうございます。 あー……(時季さんのオタンコナス!) 雨で帰れない、風邪、熱→お泊まり、攻撃的な看病 がテンプレかと思いますが……うん。

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