朝食を御一緒しませんか ~小倉トーストホイップ蜂蜜添え~

前編の続きです。

フレンチトースト3種ソース添え ≪メープル掛けホイップ・クランベリーソース掛けバニラアイス・林檎のコンポート≫ 後編

 通勤とは違う路線で駅3つ。東口から7分ほど歩いた、閑静な住宅街の中にそのカフェはあった。大きく看板は出していないものの、パンジーや細々とした寄せ植えが丁寧に手入れされている印象のウッドデッキを進む。硝子張りの入り口からは落ち着いた雰囲気の内装が見て取れた。  中に入ると何組か先客がいるのが見え、店員がこちらを見て「いらっしゃいませ」と朗らかな声を上げた。僕は勝手が分からず案内されるのを待って──少々高級そうな雰囲気があった──いると、接客中だった店員が僕に歩み寄り「お1人ですか」と尋ねた。 「2人です」 「かしこまりました。お好きな席へどうぞ」  僕は「どうも」と肯き、店内を見渡した。住宅地だからか入り口の他には窓はないが、天井がやはり硝子張りで、曇りでも充分な光量が部屋中に行き渡っている。壁も無垢材を使用しており、本格的な観葉植物が至る所に置かれているせいか、温室のような雰囲気があった。隣の席との距離は充分だが開放的な空間だ。僕はできるだけ奥に進み、やはり角の席に着いた。 「朝のお勧めはフレンチトーストになっております」  そう言って店員は檸檬水の大瓶をテーブルに置き「お決まりになりましたらお呼び下さい」と去った。  スマホが振動した。タップしてメッセージを見る。「あと5分くらいです。もし注文がまだなら……」  僕は店員を呼び、メニューを見ずに注文をした。 「フレンチトースト3種ソース添え、2つお願いします」  ***  土岐は慌ててやって来たようだった。身なりはいつも通りきちんとしていたが、髪が薄ら濡れている。 「すみません、遅くなりました」 「いやさっき注文したところだ」 「そうですか」  土岐はホッとした顔でそう言った後、何か思い出したように顔を硬くした。そして羽織っていた薄手のコートを脱ぎ、僕の向かい側に座った。  沈黙が降りる。土岐が何も言わない。  僕は沈黙の続く内、何をしにここに来たのだったか、よく分からなくなっていた。昨日電話で話した内容を聞くためか。または酔いに任せて土岐を怒らせるようなことをしてしまったのかを確かめるためか。謝罪するためだったか。  土岐がそっとグラスを持ち上げて檸檬水を飲んだ。いつもはきっちりとネクタイを締めるか上までボタンを閉めている土岐だが、今日は1つ外されている。嚥下した時見えた喉元の白さに僕は知らず息を飲んだ。瞬間渇きを覚えて僕も真似するように飲む。  爽やかな檸檬の香りが喉を心地よく潤した。気づけば、昨夜のビールから何も飲んでいなかった。僕はゴクゴクと勢いよく一気にグラスを空け、もう1杯飲もうと大瓶に手を向けた。  と、土岐が僕より先に大瓶を傾け、それを注いだ。 「悪い」 「喉が渇いてたんですか」 「あぁ今朝から何も飲んでなかった」 「はぁ?」  土岐は眼光鋭く僕を睨みつけた。「まだそんな生活してるんですか」と低い声で呟く。 「いや色々あって飲めなかっただけだ。普段は起きたらすぐ水を飲む」 「……色々って」  未だ疑いの眼差しでこちらを眺める土岐に何と説明していいものかと逡巡する。酔っ払ってしまい佐々木が泊まって事情説明を受けシャワーを貸して少し送って来た、では不親切か。しかし佐々木という厄介な人物を説明するだけの労力が惜しい。彼女のことを懇切丁寧に解説する気も起きない。返答に困る。  すると土岐がもごもごと何か言いたげにこちらを見ていた。僕は目で発言を促す。 「昨日の……女性を送って行った……とかですか」 「見てたのか?」  まさか土岐は近所に住んでいたのか、という驚きに僕は目を丸くした。一方土岐は「ぁ……」と弱々しい声を漏らし、顔を俯けた。「やっぱりそうなんだ」という呟き。 「どうした?」  土岐はまたしても黙ってしばらく俯いていた。僕はまたしても窮し、ただ空から降る柔らかな白い光に明るく透ける髪を見つめた。お互いぼんやりしていたのだろう、気づけば店員が席にワゴンを寄せていた。 「失礼します。いつもありがとうございます」 「! おはようございます」  店員は土岐にそう気軽に話し掛けた。土岐が弾かれたように顔を上げ、ふ、と微笑んだ。苛立ち。 「どうぞ。フレンチトースト3種ソース添えです」 「ありがとうございます」  完璧な微笑み。先程まで僕をいじいじと睨んだり俯いていたのは誰だったのか。  しかしテーブルには、目にも鮮やかなフレンチトーストの皿が線対称に置かれ、急に空腹を感じ土岐から目を離した。  ミントで飾られた温かく柔らかそうな楕円型のパンが皿の左手前に3枚絶妙に重ねられて鎮座している。奥にはゆるめのホイップに飴色のソースがたらりと絡んでいる。そしてその隣には半球ドーム型のバニラアイスに目の覚めるようなソースで色づけされている。パンに近い部分のアイスはすでに溶け出しており、一番下のパンが足を浸しているようだった。 「あぁ今日は林檎のソースなんですね。嬉しいです」  土岐が言った。その通り手前には、桃色と黄色のグラデーションの美しい林檎の砂糖煮(コンポート)がごろりとフレンチトーストに侍るように乗っていた。如何にも食べ応えのありそうな1枚であり、食べずとも美味いことが分かる。林檎を見遣り、以前半分もらったアップルパイを思い出す。土岐は林檎が好きなのだろうか。 「ではごゆっくり」と朗らかに土岐に笑いかけた店員が去ると、土岐は再び浮かない顔になった。目を伏せてフレンチトーストを見ている。  土岐の様子は気になるものの、アルコールと共に排出されただろう様々の栄養素を欲して、僕の空腹は限界を迎えようとしていた。 「食うぞ」「……どうぞ」遠慮なくいただくことにする。  1枚のトーストを半分に。まずはキャラメル掛けホイップを一混ぜし、ナイフで寄せてトーストに擦りつける。このホイップは小倉トーストのものより固めか。キャラメルソースが混ざりすぎずマーブル状に模様を見せる。む、と口に入れるとキャラメルホイップが溶け、キャラメルの風味を舌に残したまま、フレンチトーストの海綿構造体がしゅわ、と中からバターと卵と砂糖の甘みと塩味を噴き出す。外は焼きしめてあり、中はほろりと溶けるように温かく柔らかい。ん、と満足して思わず口の端を上げた。見れば海綿体の内部は卵液が完全に浸透しており、上からナイフで押すだけでしゅわ、と音がするようだった。  次はどのソースにしようか、と迷っていると「美味しいですか」と、土岐の声がした。 「美味い」 「……時季さん、フレンチトースト嫌いじゃなかったんですか」  僕は顔を上げた。言っている意味が分からずナイフでクランベリーソースをすくって味見しながら思案する。コーヒーが欲しい。 「前にフレンチトーストの写真見せた時、惹かれないって……」  そうかあの時か、と合点がいった。同時に急速にあの時のことを思い出し、沸き上がる羞恥に軽く目を覆った。  これは、この1ヶ月の間に時折思い出していた土岐との朝食の付録として、自己分析を重ねた結論からの羞恥だった。  僕はあの時、これが最後と告げることも出来ないのに、いつも通り幸せそうに笑う土岐に勝手に苛立ちあたった。僕は土岐が笑う穏やかで居心地のいい時間を終わりにしたくなかったのだ。  カトラリーを置き、僕は俯いたままの彼を見つめた。 「悪かった」 「……何がです」 じと、と睨む。 「よく考えたらきちんと謝ってなかった。心ないことを言った」 「何のことか」 「僕は土岐との朝食の時間を気に入ってたらしい」  いや心から気に入っている。断定しなかったのはプライドか。目を伏せる。口内のクランベリーの種がガリ、と言った。 「就職するから来週から来れなくなる、と言えなかった。でもお前は何にも知らずに笑ってた。だから美味そうに見えた写真を否定したんだ。自分の溜飲を下げるためだろう。完全に逆恨みだった」 「……酷い」  気づけば土岐は顔を上げ、目を潤ませているように見えた。今まであやふやだった罪悪感がこの瞬間にハッキリと形を造った。そして終わりにしたくないと駄々をこねた時間が、やはり無くなってしまうかもしれないという予感に震える。グッと胸が苦しくなって息をし損ねて、はく、と口を開けた。 「時季さんは……僕が、病院で言ったこと、覚えて、ますか」  苦しげに寄せた眉。なんのことだ。 「俺、時季さんが……『来るんじゃないかと思って、毎週待って』るんです。一昨日も待ってました」 「は?」 『待っていた』? じわり、とトーストから滴るアイスのような甘さが胸に広がるのを感じた。感情がマーブル状になるようだった。一体何と何が混ざり合っているのか理解しきれぬまま、僕は言葉を継ぐ。 「別に待つ必要ないだろ」 「それでも」 「毎日連絡取ってるだろ」 「それでも……時季さんが来てくれるんじゃないかって……。今日みたいに簡単に連絡が来て一緒に食べようって時季さんが来てくれるんじゃないかって……でも全然来やしなくて」  土岐は抑えた声で話しているが、怒りだろう顔を赤くしていた。目は僕を睨んで離さない。 「俺だって、時季さんはメッセが面倒なんだろうなって気づいてます。もう連絡なんてしなくてもちゃんと昼食を食べるだろうって分かっているのに、必死になってネタを探してメッセして。……1ミリも好意を見せないのに……それなのに『俺との朝食の時間を気に入ってる』なんて……酷い……! 俺を莫迦にするのもいい加減にして下さい!」  土岐が何かたくさん言ったのが聞こえた、だから理解しようとした。だが結論は僕に対する完璧なる非難で、ホイップとキャラメルが混ざり合っていたお気楽で矮小な僕の心は、一気に真っ黒に塗りつぶされた。土岐ははぁ、と怒りを長く吐き出すように嘆息した。 「もう、木曜は行きません。会うのも連絡するのも今日で止めます。……今まですみませんでした」  そう言って土岐はカトラリーを手に取って林檎のコンポートを1つ口に入れた。しょり、という林檎を噛み潰す音。もう土岐は僕を見ていなかった。 「土岐」  土岐はこちらを見ない。  目の前が真っ暗になっていくような感覚の中、ずるり、と言い訳のようにいつかの想いが口から出た。 「……お前がいない席に座りたくなかった」  自嘲を含む情けない感情まで引きずり出る。 「あの席で僕を待っていればいいと思いながら、僕はお前の居ないかもしれないあの場所で、独りであの朝食を食べる勇気がなかったんだ。変に意地張って行かなかった。でもお前との時間は、居心地が良くて本当に気に入ってた。嘘じゃ、ない。だが、そうだなもう止めよう。その方が、いい」  少しずつ下がる視界に芸術品のようだった朝食があって、それをぼんやり眺めた。最早バニラアイスが完全に溶け始めて、ホイップなのかアイスなのか林檎かクランベリーかキャラメルか、判別がつかなくなりそうになっている。僕はゆるゆるとカトラリーを手にし、トーストにその混ざり合ったソースを擦りつけて食べた。  トーストは冷え、アイスもホイップも溶け、キャラメルとクランベリーと林檎がケンカする味。美味いはずがない。もう、会わない方がいい。  食欲を無くし、檸檬水でも飲もうと顔を上げた。  土岐が目を丸くしてこちらを見ていた。「あ」という口のまま、頬を染めて静止している。 「土岐」  僕は僅かに首を傾げた。は、と土岐が息を吐いた。 「と、と時季さんは、俺がいないかもしれないのが嫌で、その、来なかったって……ことですか」 「あぁ」 「じゃぁ俺が……俺が変な意地張らないで、待ってますって言えば来てくれたんですか」 「あぁ仕事でなければ」  よく分からないが土岐の顔が強張っていない。それだけで心はほぐれた。 「毎日メッセージや写真を寄越す割に、朝食の誘いが来ないとは思っていた」 「じゃ、じゃぁ俺がすぐ誘ってたら」  僕は肯く。 「行ったさ。一緒に朝食を食べたいから連絡先を交換したんだろ」  土岐は「あぁぁぁ」と頭を抱えて項垂れた。「どうした」「莫迦なのは俺だったってことです」「お前は悪くな」「時季さんすみませんでした」土岐が僕の言葉を遮った。 顔を上げた彼は、紅潮し口元を手で覆い上目遣いで僕を見た。 「俺、毎日連絡するかもしれません」 「あぁ」 「でも朝食も誘います」 「あぁ」 「時々、夕食も誘うかもしれません」 「……そうか」 「電話も、したいです」 「分かった」と肯く僕に、土岐は泣きそうな程眉を下げてふにゃり、と笑った。まるで甘味を食べたように、幸せだと言うように、笑った。  結局その後それぞれコーヒーとミルクティーを頼み、冷えてしまったフレンチトーストを食べた。土岐の笑った顔で安心したのか、僕の食欲は戻りすぐに完食した。しかしあの一口目の美味しさを知ったからには温かい内に食べたかった、と後悔したが今回は致し方ない。  またいつか来ればいいだけの話だ。    店を出て住宅街を一緒に歩いた。土岐はすっかり調子を取り戻して時々意味もなく「はは」と笑う。僕はそれを横目で見て訳もなく満足する。  と、土岐が「あ、時季さんシミが」と僕のTシャツに顔を近づけた。止める間もなく、土岐はそのまま躊躇なく鼻面を胸骨の辺りに押しつけた。すん、と何かを匂う音、唇につきそうな程近い茶色の髪。ほのかな香り。 「おい!」  僕は驚いてザッと後ずさった。「あ」と微笑む顔。 「キャラメルホイップでした。帰ったらすぐ洗濯機ですね。今度は温かい内に食べましょうね! あれ、時季さん耳が赤」 「帰る」 「ちょ、待って下さい時季さん」  僕は土岐に背を向け、痛い程鳴る鼓動を、彼の触れた感触をそっと押さえた。

お読みいただきありがとうございます。 たくさんの方にお読み頂いてるようで、心から感謝しております! ありがとうございます! 拙い文章ですが、まだ2人の恋は始まったばかり? もう少しお付き合い下さい。 さて、これで距離が縮まって、時季を呼び出し放題になった訳ですね…… どどどどうしよう……。

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  • 女魔法使い

    KONOHANA YORU

    ♡2,000pt 〇200pt 2020年11月21日 8時09分

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    キマシタワーッ

    KONOHANA YORU

    2020年11月21日 8時09分

    女魔法使い
  • 猫のべら

    micco

    2020年11月21日 8時23分

    えぇぇぇ(  Д ) ゚ ゚ 大盤振る舞いすぎて震えが((( ;゚Д゚))) あ、ありがとうございますヽ(;▽;)ノ

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    micco

    2020年11月21日 8時23分

    猫のべら
  • チンチラちゃん

    魚住真琴

    ♡1,000pt 2020年12月4日 17時23分

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    お慕い申し上げます

    魚住真琴

    2020年12月4日 17時23分

    チンチラちゃん
  • 猫のべら

    micco

    2020年12月4日 19時41分

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    ホラー「ありがてぇっ!!!」

    micco

    2020年12月4日 19時41分

    猫のべら

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