朝食を御一緒しませんか ~小倉トーストホイップ蜂蜜添え~

短編として書きましたので、近々連載用に改稿致しますね。 少々長いですが、お付き合い下さいませm(_ _)m

小倉トーストホイップ蜂蜜添え

 木曜、朝7時。  彼は必ずあの席で僕と同じメニューを頼む。そして僕はその真後ろの席からすでに食べ終えたそれが運ばれてくるのを見つつ、彼の華奢な背中を眺めては食後のコーヒーを飲む。  週に3度は研究室に泊まり込むことになる僕は、この店の常連だ。1年前の今頃「この時間だと牛丼か」とぼやきながら、あまりの冷え込みに近道しようと偶然裏道を通ったのが縁、てやつだ。  朝の白々しい空気の中で、裸のオレンジ色の電球がやけに暖かそうに見えて、ついと入ったのが始まり。  気づけば研究で泊まった翌朝は、ここに朝食を摂りに来るのが定番になっている。初めてここに入った朝から、僕の頼むメニューは変わらない。  小倉トーストホイップ蜂蜜添え。  完徹の脳味噌にはこれくらいの糖が丁度いい。正直味はよく分からないくらい甘い。でも、その痺れるくらいの甘さで、研究室に戻るとまたデータ取りを始められるくらいには頭が動き出す。それでまた午前中いっぱい研究して、やっとねぐらに帰る。 「小倉ホイップ……ってげろげろー。お前よくそんなん朝から食えるなぁー。病気になっちまうぞ」と、うちのゼミ──名子研では矢萩を筆頭に僕はゲテモノ扱いされている。まぁ一理ある言だが恐らく、この週3完徹生活が終わりを告げれば自然と消える習慣、と思っている。長くともあと3ヶ月だろう。  なかなか洒落た店のようで早朝というのに人は入る。僕は少し奥まった角の、店が見渡せる席に着く。  時折一見さんと思われる女子大生達が、ホイップを舐める僕を胡乱に眺めてくる。ご苦労なことだ、とその朝帰りであろうくたびれた化粧顔を見返してやる。何やらこそこそ言いながらでも離れた席に座るなら文句はない。  7時。彼は周囲を気にしてか真っ直ぐパキラと相席になる隅に座る。  いつの間にか木曜の朝は、彼がそこに座ることが当たり前になっていた。  いつからだったか、とホイップに蜂蜜を掛けながら、思う。夏、青い半袖のカラーシャツ、色素の薄い髪色。汗をかいたら格好つかないようなシャツ着てるな、とコーヒーを飲みながらぼんやり眺めたのが始まりだったか。マスターが銀の盆に例の小倉トーストをそこに運んで行ったのを見て、僕は少々目を見張った。そして人の良さそうな声で「ありがとございます」と礼を言ったのが聞こえて、ふぅんと思ったのだったか。  それから夏が過ぎ秋になり、ここに通い始めて1年になる。もはや僕が席に座ると、何も言わなくてもきっかり3分後には『いつもの』が出てくる。そこまで効率が良ければ、通いを止める理由もない。  今朝は彼のいつもの席に先客が来た。訳ありげなカップルが一時も離れがたいように角席でひっついている。  僕の席に誰か座ることはあっても、その奥まった狭い席に人が座ったところを見たことがなかった。カップルが腰掛けるのを見た時、僕は思わずホイップを小倉に擦りつける手を止めた。  なぜかいつもよりも食が進まない。ちらり、と何度もパキラの緑を隠すボーダーだの花柄だのがいなくなっていないかと確認してしまう。伸び直ぎた前髪の隙間から、何度見ても、ごっちゃりとした柄で席は埋まっていた。  5分後、彼が店に入ってきた。ちり、とささやかなベルの音。  すでに彼も『いつもの』客になっている様子で、マスターは訳知り顔できっかり3分後に銀のお盆をひらめかせて来る。しかし今日は来店と同時のお冷やも運んで来られないようだった。  彼はいつも通りの軌道で僕の席の前まで歩を進め、その場所にカップルの姿を認めたかピタリと静止した。左足の踵が浮いたままだ、とナイフ越しに僕は思った。フォークに刺さったあんまみれのトーストを持ち上げるのと同時、僕は顔を上げた。    彼は他の空席を確認したようだった。1度首を巡らせ、僕の方に視線を寄越した。ひた、と目が合った。あ、と行儀悪くもナイフについた蜂蜜ホイップを舐めようと口を開けたまま。  彼は一瞬目を泳がせ、ふら、と僕に近づいた。なぜか僕は焦り、急いでむ、と口を閉じてしまう。蜂蜜の味、次いでホイップが舌の熱で溶けた。 「あのご迷惑でなければ、朝食を御一緒しませんか」  頬を染めた彼が、つ、と席に触れながら言った。ナイフを咥えたままの僕と立ったままの彼の間に、マスターが何も言わずお冷やをコトリと置いて行った。「あ」と彼が呟いた時、僕は気管にホイップが入り盛大に噎せた。ごっちゃりとした柄がひっつきながら席を立つのがぼやけた視界を横切っていった。  ***  木曜の朝、7時。僕と彼──土岐との最後の晩餐ならぬ朝食。  僕は何とか論文を提出し教授から修了確定と言われ、内定していた研究所にも論文を送った。博士ではないから給料は安いだろうが、やりたいことだ、拾ってもらっただけありがたいだろう。修了式で矢萩が「お前さん、就職したら朝の甘いモン控えろよ」と真顔の心配顔だったことから、ここが生活改善すべきタイミングかとも思っている。  ただ、初日こそ気詰まりだった相席も今日で終わりかと思うと少々、感傷的になるようだ。3ヶ月間、毎週1度は朝食を共にした仲……いや、よく分からない関係か。  余った蜂蜜を無言で土岐の方へ押っつける。 「あ、ありがとうございます」  土岐は微笑む。僕の蜂蜜はいつも半分余る。いつの間にかそれは彼に差し出すルールのようになっていた。  土岐は真性の甘党だった。彼曰く、ここの小倉あんはかなり美味しいのだそうだ。ホイップも出来合ではなく裏で泡立てている、と嬉しそうに話す。僕はそんなもんか、と咀嚼したがよく分からない。彼のスマホの写真は甘い物で埋め尽くされている。ここへは、木曜がフレックスだから通えるのだそうだ。  今日を最後に僕が5駅先の職場に朝8時から始業──フレックスタイム制がある職場かは分からない──ということは土岐には話していない。ねぐらは大学より職場の方が近く、路線も反対方向。恐らく、平日ここへ来るのは滅多なことがない限り無理だ。学生街だからか、この店は日曜定休。もう土岐と会う機会もないのだろう、と小倉をナイフですくって食べた。 「はは」と土岐が笑う。彼は時々、こんな風に訳の分からない笑みをこぼしながら幸せそうにトーストを食べる。そして砂糖3杯分入れたミルクティーを飲みながら笑うこともある。不可解だが僕はそれを眺めるのは嫌ではなかった。バカにされてる訳でも面白がられてる訳でもないようだから放っておいたら、彼が勝手によく笑うようになった、それだけだ。 「そうだ、時季(ときすえ)さん。この前見つけた美味しいフレンチトースト、見てください」  彼は馴れ馴れしくも下の名前で僕を呼ぶ。いや、どちらが年上とか確認し合っていないが、週に1度朝食のために相席するだけの関係で、僕は下の名前は呼べない。彼はきっと誰にでも人懐っこいのだろう、と初めて呼ばれたときに納得してそのままにしている。ただどうやっても親しげに声を交わせなくて僕はぶっきらぼうなタメ口、彼は柔らかな敬語で落ち着いているのは、ある意味バランスが取れているのかとも思う。  僕が黙々と小倉にホイップを擦りつけたり、蜂蜜とホイップを混ぜたりしながらトーストを食べる間、土岐は天気の話をしたり写真を見せたり時々笑ったりと忙しく食べる。  しかしそれも今日で終わりだ。 「ほらホイップと蜂蜜、追加でアイスも乗せてくれるんですよ」 「あぁ」 「しかも7時から開いてるんです。席の間に仕切りがあって、隣も気にならなくて」  土岐は線が細い。声も柔らかで低くもなく高くもない。そんなにずっと微笑んでたら顔が引き攣らないのだろうか、とこちらが引き攣りそうになるくらい幸せそうな目。  今日は小倉がやけに重く、ナイフでごたごたとかき混ぜてしまう。昨日は完徹していないからか、と思い当たる。今朝は早起きしてここに来たのだった。 「良かったな。今度はそっちでゆっくり食べられるじゃないか」 「え」  土岐はポカンと動きを止めた。 「わざわざ相席しなくてもゆっくり食べられる所が見つかって良かった、と言ったんだ。……残念だけど僕はその店には惹かれないから、もうその話は止めてくれ」  冷たい言い方になった自覚はあった。マスターが音もなく側にいて、食後のコーヒーとミルクティーを盆からゆっくりと降ろした。その白い陶器の登場がいつもより早いことに気づいてはいたが、特に咎める理由もなかった。僕は早くこの場を去りたくて堪らない気分だったから。 「あ……すみません。そうですよね、このお店がお好きですもんね」  にへら。愛想笑いと分かる顔を見、初めて彼に苛立ちを感じた。来たばかりの熱すぎるコーヒーをちろりと舐めただけ、僕は席を立った。「あ」と小さな声。パキラの緑が目に入った。誰もいない隅の席。3ヶ月の間に春が来て、植物は頃合いよく更に背を伸ばしたようだ。来週から彼はあのパキラの席に戻るだろう。いや、もしかしたらそのフレンチトーストの店に変えるかもしれない。それなら好都合、と僕はなぜか苛々と波立つ内心を抑えた。勘定を払いにレジへ向かう。財布を取り出し、少々乱暴に金を渡す。マスターが白い眉を上げ、怪訝な顔で僕を見る。 「2人分、お願いします」  抑えておかなければ何か別の言葉を吐き出してしまいそうで、僕は声を押し殺した。マスターは何度か肯いて釣を寄越した。「またどうぞ」とやけに真剣な顔で言う。いや、もう来られない、物理的に。  ちり、と控えめにベルが鳴って僕は外へ出た。  外は煩わしいくらいの陽光が差していた。口の中がやけに甘ったるく、気分が悪い。すぐにコンビニに入って無糖のコーヒーを買う。だがそれは泥のように苦く渋く、全部飲みきれず駅に捨てた。  それきり、あの店には行かなかった。  *** 「あちゃー、時間間違えた。すまん高野、そこで時間潰そうぜ」  就職して半年経った。なかなかに濃度の高い毎日を過ごし、秋になったと冷たい雨が降った翌日。平日だが、丁度休みの合った矢萩と僕は映画に来ていた。矢萩はB級ホラーが大好物で、何を見ても怖がらない僕を連れたがった。  僕の職場は一応週休2日だが、土曜の分が他に移ることが多い。管理職になればフレックスも希望できるようだが、研究職希望の僕は今のところ関係がない。研修期間が終わり、いよいよ残業も増えた。僕は人混みが苦手なこともあり、くたびれも癒えないので連休でもなければ近場で済ませてしまう。だから矢萩──でなくとも友人と会うような休日らしい休日は、本当に久しぶりだった。  目当ての上映時間まであと2時間先だそうだ。  だとすればもう少し寝たかった、と僕はため息を吐きつつ矢萩の後を追う。「目つき怖いぞ」「誰のせいだ」毎日顕微鏡ばかり覗いているから、視力が悪くなったのか。いや、空腹のせいか。さっき映画館のポスターを見上げてから薄ら気持ちが悪いのだ。「悪い悪い」と全然悪いと思っていない顔で矢萩は近くのコーヒーショップに入った。カランカランと低めのベルが鳴り、若い店員がいらっしゃいませ、と声を上げたようだった。平日の朝だが、まぁまぁの入りで、僕達は長居できそうな場所を探して奥へと進んだ。  む、と既視感に足を止める。「おい、高野、ここ」と矢萩が呼んだ。「あぁ」とか言いながら僕は矢萩の向かいの椅子に座ろうとした。そして矢萩の広げているメニューを俯瞰し、その理由は明らかになった。  フレンチトースト蜂蜜がけアイス添え。土岐のスマホ。小倉ホイップ。土岐の愛想笑い。熱いコーヒー。土岐の微笑み。パキラの緑。  1度に忘れようとして忘れかけていた記憶が回った。銀の盆、土岐の顔、蜂蜜、土岐の顔、ホイップ、土岐の顔。そうやって順番に勝手に脳みそが映像を瞼に垂れ流し始めた。  ぐらぐらと揺れるような視界と口の中に甘ったるい気分の悪い味が甦って、僕は思わず目を閉じた。目を覆う。膝が折れそうだ。 「おい、どうした高野!」  矢萩がうるさい。 「おい! 顔が真っ青だぞ!」  うるさい、静かにしろ。店の中だぞ。 「……時季さん!」  瞼の裏の土岐までうるさい。もうだめだ、ぐるぐるだ。 「あの、俺は土岐って言います」  と、差し出す名刺。僕より若く見えるがカチッとした服が多いのは働いてるからか、とそれを受け取る。禄に見ずにひょいっと両手で受け取り少々逡巡した後胸ポケットに入れた。「生憎学生なもんで」と目を伏せて言い、僕も名乗る。 「わ、ときすえってどう書くんですか?」  学生と知っても敬語を崩さない。祖母が古風な名前がいいと言って父が昔の人の名前を調べて決めたらしい、と言い訳のように補足する。 「へぇかっこいいですね。俺は所謂キラキラなんで羨ましいです」  そう言えば漢字が並んでいたが一読では分からなかった。ルビがあるだろう後で見よう。  マスターが小倉トーストホイップ蜂蜜添えを銀の盆から着陸させた。土岐は「わ」と心底嬉しそうに微笑んだ。すぐに「ありがとうございます」とマスターにその笑みを向ける。僕はふぅん、と思う。  わざわざ僕に「いただきます」と断ってカトラリーを手にする土岐。いいとこの育ちか、と手つきを眺める。同じ男とは思えない白くてきめ細やかな手がなんと上手くホイップをすくい上げる。僕みたいにかき集めなくてもホイップの方からナイフに吸い付くようだった。 「時季さん、おはようございます」 「……おはよう」 「あれ、まだトースト来てないんですか」 「寝落ちしてさっき来た。ほれ、今来る」  銀の盆がさながら未確認飛行物体のように水平飛行して、土岐のお冷やと僕の朝食を運んで来た。 「ダメですよ、少しは寝ないと」 「あぁ……マスター、すぐコーヒーお願いします」 「今日は蜂蜜全部掛けたらいいんじゃないですか」 「いや……やめとく」  そう言って僕は土岐に白い小さな器を押っつける。 「ありがとうございます」  花がほころぶように土岐は笑う。 「お、おはようございます、時季さん」 「おはよう……寝坊か」 「は、はい……」  普段ならすぐにでも出社できそうな仕立てのいいシャツで現れる土岐が、白の長袖Tシャツに黒の細めのジーンズとまるで学生にしか見えない出で立ちだった。はぁ、とストンと椅子に腰を落とし、タイミングよく出て来たお冷やを飲み干す。ゴク、と喉仏が上下したのを僕は知らず凝視していた。形のいい爪にグラスが下ろされるのと同時に内心慌てて視線を下げる。  すでに自分の皿は空っぽ、コーヒーも飲み干し帰ろうかと思っていたところだった。 「あ、時季さん……もう召し上がったんですね」  しゅん、と音がするように小さくなる土岐に僕は静止する。そして思案する。研究室に戻っても論文はほとんど出来上がってるから、シャワーを浴びに真っ直ぐねぐらへ帰ってもいいのだ。逆に言えば土岐が遅れて朝食を摂りに来たからといって待つ理由もない。だが。  気づけばコポコポとグラスに新しい水が注がれていた。僕の分も。マスターが「今『いつもの』をお持ち致しますね」と土岐に微笑みかけてカウンターへ入って行った。  僕はちろ、と満杯になった水を見た。 「あの、研究とか……お忙しかったらいいんです。お帰りになって下さい」  まるで耳を丸めた小犬のようだった。何だか可笑しくて僕はグラスを持ち上げて満腹の胃に水を流し込んだ。いい具合に体温が戻って来ているようだった。一気に糖が吸収されると小一時間はまるで酒に酔ったような心地になる。普段は研究室に戻ってから少々ハイになって矢萩に絡まれて我に返るのだが。 「いや、今日は時間がある」 「ホントですか」と土岐の顔がぱあっと明るくなる。ますます子犬みたいだ。くっと笑いをかみ殺し「食べ終わったらすぐ帰る」と答えた。 「ありがとうございます! 良かった、走ってきて」 「そ、そうか」 「あマスターありがとうございます」と毎週のことなのに嬉しそうに皿を覗き込む。  土岐。一気に自分の蜂蜜を掛けて終盤「追い蜂蜜です」と嬉しそうに僕の半分を掛ける土岐。「時季さんと知り合えて良かったです。毎週楽しみなんです」と勝手に楽しみにしている土岐。その白いきれいな手が、華奢な肩幅が、陽に透ける茶髪が微笑みが気持ち悪いほど細部まで思い出される。  僕は忘れようとしていた。もう会えないから、と。会いたくないと、木曜が休日になってもあの店に決して足を向けようとしなかった。  僕は彼が、土岐がいない席に座りたくなかった。  目が覚めてやけに白っぽい部屋にいると思った。矢萩と映画に出たのではなかったか、と首を巡らせた。点滴のパックに生理食塩水と印字されている様子から、どうやら病院だと分かった。他に誰もいない個室のようだ。ふむ、となにかすっきりした心地で天井を眺めた。恐らく糖のお陰だろう。 「時季さん、過労だそうですよ」  医師が来るまで寝るか、と閉じかけた目をこじ開けた。カタ、とベッド脇の椅子に座ったらしい音がした。そちらを向くと、自分の腕に点滴の細い管越しに土岐がいた。 「あ?」  声はかすれた。 「あ、しゃべらなくてもいいです。時季さん、今日はここに泊まりだそうです。明日も念のため仕事は休むようにって医師が」  僕は阿呆みたいな顔で土岐を見ていたと思う。さっきまで悪夢のように土岐の顔を見続けたのだ。 「夢」 「夢じゃないですよ! 時季さん、まだ眠いですか」 「いや」 「そうですか。あ、なんかすみません……俺、帰りま」 「なぁ、あれ食いに行ってるか」  僕は土岐が帰ろうとしたことに少し遅れて気づいた。あの甘ったるい痺れるような朝食を土岐には食べ続けて欲しいと、あの席で僕を待っていればいいと、夢で思ったことが口を突いて出た結果だ。  土岐は虚を突かれたようにポカンと僕を見ている。そりゃそうだ、こんな変な再会して野暮なこと聞かれたらそうなる。途端に気まずく恥ずかしくなる。急速で吸収されている糖でハイになっているみたいだ。この内に土岐とはさっさとさよならした方がいい、そう確信する。「あ、呼び止めて悪い。帰ってくれ」と点滴のない手を振る。 「とりあえず元気そうで良かった」  心からそう思った。何かよく分からない気持ちを拗らせて、延々と見た悪夢の結末は再会。なかなか良く出来た運命だと誰かに頭を下げたい。もしかして矢萩のお陰か? あいつはどこに行ったんだ? 僕にしては会心の笑みを浮かべて「じゃあな」と土岐に言った。 「ふ」  土岐はさっきのがポカンだとしたら擬音語はポッカーンくらいに目を見開いた。そして突然わなわなと震え始めた。 「ふっざけんなよっ! 何がじゃあなだよ! 元気そうで良かっただ!? あんた、自分が倒れといて何言ってんだ!」 「お?」 「大体あの日だってそうだ。勝手に苛々して勝手に人の代金払って、勝手に来なくなって……聞かれなくたって俺は毎週食べに行ってるよ! あんたが来るんじゃないかと思って、毎週待ってんだよ!」 「お、おい土岐。静かにし」 「うるさい! あんたには言ってやりたいことがたくさんあるんだ!」  土岐は顔を真っ赤にして震えながら僕に憤慨した。点滴のない手を振り回すだけで、健康そうな土岐を力尽くで止める術がなかった。そうする間にも土岐は過労と空腹で倒れるなんて本当に令和の人間かとか大人なんだから自分の健康管理くらいちゃんとしろとかマスターも心配してたとか俺だって心配してたとか捲し立ててとうとう「病室では静かに!」と怖そうな看護師長みたいな人から一喝された。  途端にしゅん、と小さくなって「すみません……」と振り返った土岐に、僕は不謹慎にも吹き出したのだった。 「とにかく寝て下さい。また明日来ますから絶対逃げないで下さいね」  と涙目で赤面したまま土岐は病室を出て行った。相変わらず仕立てのいいシャツで華奢な体を包んでいた。その背中を明日も来るのか、と見送る。  とりあえず僕はスマホを取り出し、メッセージアプリを開いた。矢萩からは「おい大丈夫か。お前のことはあの知り合いのイケメンに任せた」「てかあいつどういう知り合い?」「俺が一緒に乗った方が良かったか?」「過労だって? 早く言えよ。疲れてんなら誘わなかったのに」「名子研のモットーは寝ないなら食べる、食べないなら寝る、だろ!」という独り語りのメッセージが連なっており、面倒になったので既読無視することに決めた。と、バイブがメッセージの着信を伝え、そのままの画面に新着の吹き出しが現れた。 「え、土岐くん、お前の彼氏? 俺、牽制されちゃったけど、ケンカ? 当分連絡しないからちゃんと仲直りしろよな」 「あ?」目眩がして起こしていた体を重力のままベッドに投げ出した。いや、彼氏って何だ。何の誤解だ、勘弁してくれ。手で目を覆う。ぐらんぐらんの脳内で文字が躍った。 「時季さん? 寝てます?」  起きてます。僕は手の覆いを庇みたいに上げた。戻って来たのか。随分落ち着いたようでいつもの柔らかい空気の土岐だった。だが少し青ざめているようにも見えた。 「時季さん、さっき医師からケンカするくらい元気なら午前中で退院だって……」 「……分かった」 「すみません……俺が大声出しちゃったから」 「いや。その話はもういい。充分良くなってる」  さっきの矢萩のメッセージと目の前の土岐の表情がちぐはぐで頭が混乱した。でも余程申し訳ないと思ったのか、萎れたような土岐に何か言葉を掛けなければと思いを巡らす。巡らしたが気の利いた言葉などひとつも出ては来なかった。 「……あの、時季さん」 「ん」と答える。なぜかまともに顔を見られなかった。指の隙間から土岐の様子を窺う。今度はみるみるうちに赤くなっていくようだった。 「もし、もし良ければ……あの、俺」  もじもじしている。分かりやすくもじもじしていた。何と言うつもりなのか、皆目見当がつかない。僕はその様子を見ていられなくてその言葉を継いでやった。いや、これしか考えつかなかった。 「明日、朝食一緒に食べるか」

お読みいただきありがとうございます。 全然恋が始まりませんでした。本当に申し訳ありませんでした(._.)オジギ

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