一条兼定(いちじょう・かねさだ)いざ参る! ~無能者と呼ばれた男の逆転劇~

9.3 天王寺の戦い2 ~包囲の罠

 1576年月。  摂津の織田軍は、(ばん)直政に与力として元・三好家の家臣、三好康長(やすなが)を帯同させると、南の天王寺砦から本願寺の木津砦と三津砦を攻める方針を打ち立てた。  第一陣には、三好康長(やすなが)と鉄砲傭兵に優れた根来衆。  第二陣に司令官として(ばん)直政と、畿内の大和(現・奈良県)や山城(現・京都)の国人衆。 「目指すは本願寺の三津(みつ)砦! 天下に逆らう坊主共を、文字通り三途(さんず)ノ川へと送ってやれ!」  織田の兵士達は直政の号令と共に一斉に進軍する。  直政は織田家中でもかなりの出世頭である。彼はこの戦いに参加している国人衆の出身地、大和、山城、河内(現・大阪府の東)の三カ国に及ぶ広範囲の管理を任されているほどで、宿老・柴田勝家らに匹敵するほどの信頼を勝ち得ていた。  どちらかといえば事務的能力に優れていた直政だが、信長の親衛隊・赤母衣(ほろ)衆に抜擢されてからというもの、各地で数々の武功も重ね続けていた。ここ最近でいえば武田家との『長篠の戦い』に同行し、長島一向一揆、越前一向一揆においても多くの一揆勢を討ち取る活躍を見せている。  この一揆勢との長年に渡る戦いが、直政の胸の内に怒りの炎を燃え上がらせる事になったのだろうか。  冷静に物事を判断せねばならない指揮官という立場にありながらも、この時の彼は「天下のために本願寺と一揆勢の(ことごと)く殲滅せねばならぬ」と、自身の義憤に駆られていた。  そんな彼が、周到に張り巡らされている敵の罠に気付けるはずは無く―― 「三津の砦方面からの報告です。予定通り織田軍が砦の包囲を開始しました。また、北からは一条の援軍もやって来ております」  本願寺の軍司令官、下間頼廉(しもつまらいれん)の元に近況報告が入る。本願寺軍はこの時、三津の砦へ向かった織田軍を包囲殲滅するべく、本拠地から一万を超える大軍で討って出ていた。 「罠にかかったな……こちらに情報が筒抜けであるとも知らずに、我の殲滅(せんめつ)陣の中に飛び込みおった。よし、このまま進軍して三津の砦方面の織田軍を包囲するぞ。鉄砲衆は前面に出て、敵と遭遇次第、その鼻っ先に砲火を集中するのだ」  頼廉(らいれん)はそう指示を出して、それから、本願寺側の援軍として参戦している紀伊国(現・和歌山県)の雑賀(さいか)衆の方をチラッと見た。  雑賀(さいか)衆は鉄砲傭兵に優れている。  その雑賀(さいか)衆の面々は、その指示を聞いてか聞かずか、各々がまばらに野に座ったまま銃の手入れをしていた。 「聞こえておるのか、雑賀(さいか)衆の頭領・孫一(まごいち)よ」  名指しされた雑賀の孫一(まごいち)は、(ほう)けた様子で両眉をくいっと上げて頼廉(らいれん)を見る。 「大声で言わずとも聞こえておるよ。これでも耳はいい方でね、司令官殿」  そう言ってまた下を向き、火縄の筒の中に棒を何度も刺し込んでいる。 「聞こえているなら、せめて返事をするがよい」  孫一(まごいち)飄々(ひょうひょう)とした態度が、根が真面目な頼廉(らいれん)には歯がゆかった。 「では改めて汝らにも指示をする。我らの鉄砲部隊に合流して、共に織田へ向けて進軍せよ」 「言われるまでもない、もう先行して一部の鉄砲衆を向かわせてある」孫一(まごいち)はそう言うと、銃を片手に立ち上がった。「それに協力するとは言ったが、やり方は俺達の好きにやらせてもらうぜ」 「好きにやるだと? いったい何をどうするというのだ?」 「俺達は別に兵隊じゃない――俺達は狩人なのよ」孫一(まごいち)は鉄砲に軽く接吻(せっぷん)をした。「これは戦ではなく狩りだ。信用しているのは己の腕と、この銃だけなのさ。だから俺達は各々の判断で最適な獲物を仕留めるだけよ――おい! 行くぞ、手前ぇら!」  孫一(まごいち)が手で合図をすると、周りの男達が一斉に立ち上がった。彼らは隊列を組むこともなく、バラバラの隊列のまま、頼廉(らいれん)率いる本願寺の信徒部隊の横を颯爽(さっそう)と通り過ぎて行く。 「良いのですか、あのような風来共を信用して」本願寺最高幹部の一人、下間仲孝(なかたか)は疑いの目を雑賀衆の背に向けていた。 「まあ構わんだろう。ああ見えても彼らは熱心な浄土真宗の信徒だ。だからこの戦いにも協力してくれているし、口だけでなく腕も確かだ。我らにも制御はできないかもしれんが、彼らがもし敵であったのなら、拙僧も肝を冷やしておったろうな」 「確かに……いったい何処から狙撃されるやら、分かったものではありませんからな」 「奇襲が雑賀衆の持ち味。だが、守勢に回ると案外、(もろ)い。彼らの持ち味を生かすためにも、あれで良いのかもしれんな――さて、我らも急がねばなるまい」  一方、本願寺拠点の一つ、三津砦。  織田軍がここへ到着するであろう頃合から少し遅れて、兼定の一条軍も三津砦の北側に到着していた。 「南の状況はどうか?」兼定は先行させていた偵察に尋ねた。 「織田軍の第一陣、三好康長(やすなが)が砦を先に包囲する手筈でしたが……まだ南側から到着していないようでして」 「うん? それは……妙だな。ただ真っすぐ向かうだけなのに、統率の取れた織田軍がこのように遅延しているのは変だ。さては何かあったか?」  兼定はこの時初めて、戦場に漂う不穏な空気を感じ取った。  いったい何が起きている?  兼定はそれを探るべく、戦況を全体を見通そうと、黙って目を閉じた。  真っ暗な空間の中に、兼定独りだけが立っている。そこからさらに五感を研ぎ澄ませて、地表に、空に、この戦場に自身の体ごと浸透させるかのように第六感までも働かせる。  兼定はしばし、戦場の匂いを探った。 「……この匂いは煙か? それと遠くに微かな銃声が聞こえる……まさか!」  兼定は血相を変えて馬に飛び乗った。 「おい、どうした兼定!?」元親が今にも走り出さんばかりの兼定を見て、慌てて兼定の背中から質問を投げつけた。 「おそらく伏兵だろう。南の織田軍は既に包囲されておるに違いない」 「馬鹿な!」元親が首を大きく横に振る。「三津砦の本願寺の僧兵は鉄砲を所持しておるのだ。ならば、普通は敵に砦を攻めて来られたら、籠城して中から狙撃するのが犠牲が少なくて済むだろう。それをわざわざ……討って出て野戦に持ち込む意味が俺には分からん。何よりも、包囲するのがあまりに早すぎるだろう。天王寺から織田軍が出陣したのは昨日などではなく、つい今朝の事だぞ?」 「そうだ、だから俺も敵の包囲に気付かなんだ。だがもしも、敵に全ての情報が予め筒抜けなのだとしたら? つまり、織田軍に裏切り者がおるとしたら……立て籠もるよりも、あらかじめ伏兵を忍ばせて迎え撃つ策が最善となろう――おい、赤影!」  兼定が大声でそう叫ぶと、一人の忍びが何処からともなく現れた。黒を基調とした忍び装束に、赤の染物の色が淡く浮かび上がっている。  彼は一条家専属の忍び集団の上忍。 「赤影よ、本願寺の本拠地、石山御坊方面を探れ。おそらく裏切り者が我らの情報を敵に流しているはずだ」 「……御意……」赤影は小さくそう告げると、すっとその場から消え去った。 「さあ、我らは急ぎ三津砦を迂回して南へ向うぞ。全軍、南の織田軍と合流する!」  その頃の南の織田軍。  兼定の予想は――的中していた。 「直政様! 第一陣の三好康長(やすなが)隊が鉄砲による襲撃を受けて、もはや壊滅状態にあります!」 「なぜだ!? あまりにも早いではないか……我らの後方についてはどうか?」 「後方の天王寺砦方面からも、敵の伏兵部隊が距離を徐々に詰めております。我らは完全に……完全に包囲されております!」 「ちっ……私としたことが。坊主共を甘く見ておった」  直政は自分の勇み足を悔やんだ。  所詮は坊主と、信仰に洗脳された素人の農民兵の集団。石山御坊を中心として大規模包囲を敷いている織田軍が、まさか局地戦で包囲される事などありはしないと、心のどこかで油断していた。  ダンダーン!  遠くから敵と味方の銃声が鳴り響く。 「直政様、敵には我らと同じ、紀伊国の雑賀衆がおります」織田軍の根来衆の一人がそう告げた。  紀伊国は守護大名による統治が行き届いておらず、四つか五つばかりの地侍集団が独自に支配している地域。その中でも根来衆と雑賀衆は最有力の勢力であり、共に鉄砲傭兵に優れた集団なのだが、互いに友好関係を結んでいない代わりに、特に敵対もしていない。  彼らはその時々の利害関係で戦に参加しているのである。  今回の戦いにおいては、雑賀衆は主に浄土真宗本願寺派が多く所属するため本願寺に味方しており、一方の根来衆は真言宗を軸として信仰しているため本願寺と無縁であり、故に織田家の要請に従っていた。  今、直政はかなり厳しい状況に立たされていた。  敵に、しかも鉄砲集団に包囲されている事が既に窮地なのだが、それに加えて直政の織田軍は一枚岩ではない。直政は三カ国の管理を任される立場であるとはいえ、彼は戦国大名のように直接領地を支配してはいない。いわば支配地域の代表としての立場に過ぎず、つまり彼が率いている国人衆は織田家に従っているだけであって――  別に直政に忠誠を誓っているのではない。  それに比べて、本願寺側は『自身の信じる宗派を守る』という目的で一致しており、その士気には歴然たる差があった。  それでいて全方向からの包囲。  時間と共に次々と鉄砲で討ち取られていく織田の兵。  もはや全滅するのは時間の問題かと思われた。直政もそれは分かっている。もはや玉砕しかあるまいか、そう考えていた時。  北からの援軍が、一条軍が本願寺の包囲を突き破ってきた。 「直政殿! 無事であったか!」  陣中に馬で突っ込んで来た兼定を見るなり、直政は喜びを全身で表現するように両手を広げて、その救援を心の底から感謝した。 「これは兼定殿! かたじけのうございます! もはや、かくなる上は玉砕しかあるまいと思っておりましたので」  これから敵陣に突っ込んで討ち死にしようと槍を握っていた直政は、兼定と肩を抱き合った。 「直政殿、まだ無事で良かった。だが、喜んでばかりもいられん。直政殿の配下に敵と通じてる者がおったぞ――赤影!」  すると忍びの赤影が、縄で縛った一人の男を二人の前に引きずりだした。 「お前は……」  直政は縄で縛られたその男を見て驚愕した。男の顔は、直政のよく見知った顔。 「勘ノ助! お前が本願寺に内通していたとは……いったいこれはどういう事だ!」  すると勘ノ助と呼ばれた直政の部下は、怒りの目を直政に向けた。その目は、もはや狂人のように正気を失っている。 「阿弥陀仏(あみだぶつ)様に逆らう仏敵は滅びるがよいわ!」  その言を聞いて、直政は全てを理解し、ふらっと立ちくらみがした。 「そうか……我らの中にも……織田の兵の中にも……本願寺の信徒がいたのか」 「それも一人や二人ではない。だが考えみれば至極当然、織田家の直々の家臣ならともかく、国人衆の中に本願寺信徒がいても不思議ではなかったのだ。無論、これは結果論であるが、信徒との戦いを俺も甘く考えておった」 「もう手遅れよ!」内通者の勘ノ助は大声で笑い出した。「我らの仲間達が、石山の信徒が、もう主らを囲んでおるわ! それも千や二千などではない。数万の同胞による包囲殲滅が開始されておる」 「御坊の信徒の数万が既に来ておると ?ええい、裏切り者め! 貴様などここで斬り捨ててくれるわ!」  直政は怒りにまかせて槍を握ると、裏切り者をその場で手討ちにした。  そこに元親が遅れてやって来る。元親の肩には、織田軍の先陣を任されていた男、三好康長(やすなが)が怪我で息を切らしていた。 「康長(やすなが)、生きておったか!」織田軍の第一陣を勤めていた康長(やすなが)の姿を見て、直政は先ほどの怒りを忘れ、満面の笑顔を彼に向けた。 「そやつの言っていた事は本当にござる。既に我が先見部隊は御坊方面からの信徒の軍に飲み込まれてしまい申した」 「兼定よ、北の包囲を一時的に突破してここに辿り着いたはいいが、三津砦から敵が討って出てきている」  そう言ったのは元親。皆に現状を報告する。 「さらに御坊方面からの軍が展開しており、我らの左も右も、前も後ろも、万を優に超える信徒に包囲されつつある。とりあえず直政殿の命はここで救えたが、このままでは我らの全滅も必須であるぞ。かといって、南の天王寺砦まで退却するのも容易ではあるまい。我らの動きに合わせてこちらに転進してくるであろう本願寺の本隊を足止めしつつ……決死の覚悟で退路を作らねばならんのだから」 「そうで……ありましょうな」直政は大きく肩を落とした。このような状況に一条家も巻き込んだ責任を痛感していた。  北と南から三津砦を包囲するつもりが、事前に作戦が敵に筒抜けになっていた事により、織田と一条軍は全方位を数倍の数の敵に包囲されてしまった。しかも、そこには鉄砲を多数要する僧兵と、あの雑賀衆。いかに個々の武が優れていようとも、四方八方から鉄砲で討たれてはたまったものではない。 (先ほど拾ったばかりの命だが……やはり、私の取るべき道は一つしかないようだ)  直政は覚悟した。  ここで一条の当主・兼定を死なせてしまっては、仮に自身が生き延びたとしても、信長様はこの失態を決して許しはしないだろう。戦犯としての打ち首も十分に有り得る。  ならば、ここは総大将の自分が犠牲になるべきである、と。 「ここは全責任を取って、私が敵に……」 「俺しかおらんだろう」  直政の言葉を誰かが遮った。その発言をした男の顔に、皆が一斉に視線を投げかける。 「はっは! 武士としての死地、ついに見つけたわ! 俺が南へ突撃して、皆が退却するまでの殿(しんがり)を引き受けた!」  笑いながら、ドンッと槍を地面に突き立てる男――  四国の猛将、親貞(ちかさだ)の姿がそこにあった。

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