ルークは全速力で走った。
真っすぐ行くと、はじめてエミカと買い物に行った店があった。ここで下着や衣服をたくさん買ってもらった。右手に行くとパン屋があり、ここの〝桃パン〟がうまいと新一郎が言っていた。期間限定らしく、まだ食べたことはない。
となりには雑貨屋もあって、はじめてお金をもらって買い物をしたところだ。いたるところに商品があり、日用雑貨やオモチャなどが安く売っている。ここで赤いミニカーを見つけた。流星型で、形がなんとなくカッコよかった。
新一郎に、ずいぶんガキっぽいものを買ったんだな、とからかわれたりした。
この店では、ときたまあの子供たちの姿を見ることがあった。
ルークがはじめて人間界に来たとき、言葉を交わした子供たちだ。
さすがに、もう『マジシャン!』と言って群がってこないが、遠巻きに見つめられたとき「よおっ!」と軽く挨拶した。すると驚いたのか、親の背中に隠れたり、逃げられてしまった。
なんだか嫌われてしまったらしい。本当に最後まで失礼なやつらだ。
そんなことが、次から次へと思い出された。
自分でも嫌になるくらい、未練タラタラだ。
「くそっ!」
それらを全部ふり切って、全速力で走りぬけた。
約束の場所に着いたとき、あんなに天気が良かったのに、森のなかは霧が立ち込めていた。
「はあ、はあ」
呼吸が乱れ、声を出すのがやっとだ。
「はあ、はあ……キツ……」
「本当に来たんだね」
視界はよくなかったが、あの少年の声だけはわかった。
草を踏む音。
近づけば近づくほどに、懐かしいような、そうじゃないような魔界の匂いがした。
「来たさ」
大樹の影から少年だけがあらわれた。この前の男はいないようだ。
「魔界の扉。もうすぐ閉まっちゃうよ」
前とは違う黒いスーツを着用し、膝丈の半ズボン。靴はローファーで、ハイソックスをはいている。そして、レトロなハンチングもかぶっていた。
少年の視線のさきには、大きな窪みがあった。
大樹の根もとが空洞となり、その窪みの中から光りを放ち、歪んだような空間が見えた。
「それが扉?」
「この樹は魔界樹の系統をくみ、魔界と人間界をつなぐ境界に根ざしている。でも、もうすぐ寿命なのか、とても脆くなっている」
老木は植物としての生命を終えようとしているそうだ。魔界の空間から根をはり、なんらかの偶然で人間界に移植してきたらしい。
「――で」
少年はひと息おいてから、
「約束のモノは持ってきたのかい」
「これだろ」
ルークは、コートのポケットから鉱物を取り出した。
「まさか!」
少年は信じられないとばかりに、ルークの手のなかにあるものを奪い取った。
「セントマリノア──、たしかに本物だ……。しかも、こんな大きい物を初めて見る」
「へえ、そう」
「これを、どこで手に入れた!」
質問というより詰問に近かかった。
片目の少年は異常に興奮している。
「答えるんだ!」
「それは──」
魔法で呼び寄せた──と、言う気分にはなれなかった。
「秘密さ」
一瞬、少年の顔に強い怒気のようなものが走った。
凍てつくような視線を向けたが、すぐに冷淡な面持ちに戻った。
「君は何者だい」
ゆったりとした口調でたずねてくる。
「見たところ、魔力もたいして無いのに」
ルークはムッとした。
「オレはラ・ジェールから、こっちの世界に飛ばされてきたんだよ」
「ラ・ジェール?」
少年は怪訝な顔をしたが、
「なるほど」
と、指をならした。
「あのラーガが作った、魔法ごっこをするところか」
「魔法ごっこ?」
「だって、そうだろう。やれ火を熾こせ、水を操れだの、小さなところに集まって低レベルな魔法を学んでいる。ラーガもおかしなことを考える男だ。役に立たない魔法を教えてなんになる。あの男が魔界を衰退させたようなものだ。考えてもごらん。魔界に秩序をつくり、そのなかで慎ましく生きるだなんて、しかも秩序を乱す者には、法という名のもとで裁くなど笑わせるね」
少年の黒すぎる瞳が、天を睨みつけていた。
「あの男だけは、絶対に許すことはできない」
(なんだ、こいつ──)
「さっきから何のことを言っているんだ?」
少年の眼がキッと吊り上がった。
「君は、ラーガが何をやってきたのか知らないだろ」
「ラーガって……、まさか大尊師のことを言っているのか?」
魔界の創始者であり、その世界を統べていた大尊師ラーガ。
「大尊師? そんな敬称で敬うべき者ではない! やつは、教化した者どもを使って己を神格化させ、自分の考えを末代まで従わせようとしている」
まるで知り合いのような口ぶりで、さらに興奮していた。
「はっ! ふざけるなと言いたいね。魔界に秩序? 魔界に法? そんなものを作ってなんになる! 無秩序こそが魔界そのものではないか! 忘れたのか、自分たちも《魔》に属していることを。そんな世界、僕は認めない!」
ルークは首をかしげた。さっぱりわからない。
「まあ、君にこんなこと言っても理解できないか。いまの魔界にどっぷり浸かり、満足に魔法さえ使えず骨抜きにされているのだから。そうだろ?」
さっきから魔界、魔界と──、しきりになにか訴えてくるが、ルークはまったく関心がなかった。
「オレには関係ないよ」
早く取引を終えて、この場から離れたい。
「そんなことよりも約束のモノは渡したんだ。魔界の扉に案内してくれ」
少年は憮然としたが、さっと身をひくと道をあけた。
「いいだろう」
魔界樹の幹のなかを覗くと、どす黒く、色々なものがねじ曲がったような渦があった。ひどく不安定で、濁りのある空間だ。
ルークは、一歩踏み出すのをためらった。
「どうした、行かないのかい」
後押しするように、少年が背後に立った。
「これは、魔界のどこに繋がっているんだ」
「さあ」
「どこに出るかわからないのか?」
なんだろう。ひどく不快なものを感じた。
戸惑っていると、背中になにか尖ったものが当たった。
「あっ!」
振り向くと鋭い短刀が迫ってきた。ルークは身をひるがえし、その拍子に右手の甲が斬りつけられた。
「なにするんだっ!」
短刀についたルークの血をペロリと舐めると 少年が口許でなにかを唱えた。すると、途端に身動きができなくなりその場に膝をついた。
「うわっ、なんだっ!」
「ふん。まったく手応えがない。いまの魔界の者はレベルが低すぎる」
掛けられた魔法は《呪縛の術》のようで、頭から下がまったく動かなくなった。
「これ、知っているかい」
少年は身をかがめると、上着の胸ポケットから、黒い種のようなものを取り出した。
「ペプラの実って聞いたことある?」
「知らないよ。それよりも早く呪縛を解けよ!」
「自分で解けばいいじゃない。僕より魔力があるなら簡単なことだ」
「ふざけるなよ!」
くくくっ、と少年は喉奥で楽しそうに笑っていた。
「ペプラの実はね、体内で成長する植物なんだ。一度、根を張られた者は自分の意志をなくし、僕の言うことをなんでも聞く人形になる」
「な、なんだって!」
「セントマリノアを採ってきたご褒美に、僕の〝お人形さん〟にしてあげるよ」
少年は《共鳴する石》をうっとりと眺めていた。中心に灯る青い炎が、徐々に黒く変貌してきた。
「素敵だね。もっと採ってきてもらおう。ついでに、君の失礼な言動や態度も改まるしね」
「お、おまえ、狂っているのか。頭オカシイぞ!」
漆黒の瞳を鼻先に近づけると、少年は吐息をもらした。
「それ──、最高の誉め言葉だよ」
ぺフラの実を、ルークの傷ついた手に近づけた。
「ほら、こうやってペプラの実を近づけたらどうなるだろう」
種の先端部分から、細い根のようなものが伸びてきた。
「ほらほら、君の血のにおいに反応して発芽しようとしている」
傷口に根が伸びはじめ、ペプラの実は、そこからルークの体内に侵入しようとしていた。
ルークはどうにか逃れようとしたが、呪縛の術は強固で、首をふって叫ぶことしかできない。
体はさらに硬直し、根の尖端が、ぐいっと傷口をこじ開けた。
「うわっ──!」
「もう逃げられないよ」
「やめろよ──!」
ルークが叫んだのと同時に、黒い塊が頭上から落ちてきた。
「およしっ!」
ペプラの実を叩き落とすと、あっという間に枯れてしまった。
「それ以上、お痛をすると、許さないよ!」
「なんだ、お前は」
少年は、足もとにあらわれた動物に困惑していた。
「あたしは、この子の保護者だよ」
猫が、ルークの身を護るように全身の毛を逆立てている。
「この子に手を出すなら、容赦しない!」
ダージョは言い放った。
「なにがあらわれたと思えば。おろかな獣ごときが、僕に楯突くというのか」
見下しながら、少年は嘲笑した。
「ああ、やってみな」
「ずいぶん生意気だな」
少年は小馬鹿にしていたが、突如、探るような目をした。
「ん、いや。もしや、……お前は」
ふいに真顔になると、おもむろに両手をあげ、天にむかって叫んだ。
《プリ-シャス・アデラ・ビシャンド》
自己を防御する術を唱え、さらに念ずると、上空から強烈な風が発生した。
それが空を斬り裂きながら、攻めたててくる。
ダージョは全身に《気》で防御を張った。いくつかの風圧があたると、背中の毛が刈られ、皮面がミミズバレのようになった。
「ダージョ!」
ルークはまったく動けず、ジタバタもできないでいる。
「大丈夫さ、これくらいの傷。でも、この体では分が悪いねぇ」
そう言うとダージョの体が輝いた。
黄金色の光りを放つと、三メートルほどある大きな動物があらわれた。
全身をまとう艶やかな毛と太い尻尾。
黄金の瞳に、細く縁どる翠色のラインがくっきりと描かれている。
「まさか、これがダージョ?」
驚きのあまり、ルークは腰を抜かしそうになったが(実際は、腰も抜かせない状況だが)、対峙する少年の表情がさらに厳しくなった。
「やはり、アスタラ族か」
熱帯地域である南の中つ国に生息し、四本足の魔獣にして知性と理性を兼ね備えた、誇り高きアスタラ族。
同族同士の争いで、その血は絶えたとされていた。
「すでに滅んだと思っていたが、しぶとく生きていたのか」
「あたしを知っているなんて、お前さん、ただの魔物ではないね」
「僕を、そのへんの魔物と同じにするな」
「そうかな。お前さんの体から発する臭いが鼻につくよ。まだ、そのへんの魔物のほうが数倍ましさ」
「僕を愚弄するつもりか!」
ダージョはわざとらしく、鼻をくんくんと鳴らした。
「その体、死体をかき集めて造ったのかい。死臭がきつくてたまらない」
「ちっ、黙れ!」
周囲から、炎がおこった。
火柱がまわりの木々にまとわりつくように瞬く間に燃え、ルークは息苦しくなって咳き込んだ。ダージョは、ルークのそばに近づくと、迫ってくる火の粉を蹴散らした。
燃えた木々をなぎたおし、消火につとめる。
やがて鎮火し、ルークが丸焼けになるのは免れたらしい。
「今度はあたしからだよ!」
長い尻尾が少年の脚をすくい、少年は機敏にかわす。
ダージョはさらに攻め立てた。少年は、聖なる防御法で身を包んでいたが、あまりにも激しい攻めに、しだいに息があがってきた。
ダージョの前脚が、防御の膜を引っ掻くと、亀裂ができた。
「くっ、僕の壁に傷をつけるとは」
「いくら丈夫な防御でも、風穴ひとつあけば脆くなる。その状況で、いつまで持ちこたえられるかな」
少年の体がじりじりと圧されていった。このままでは防戦一方だ。
ダージョの体躯がのしかかり、少年の腕にかぶりついた。
その瞬間、ダージョの腹の下に小さな竜巻がおこった。
「うがっ!」
竜巻が、ダージョの腹部を裂傷させる。
「僕を見くびるなよ」
少年は容赦なく攻めはじめ、ダージョは小さな竜巻を交わしながら、反撃する機会をうかがっている。
お互いに一歩も引かない戦いは、意外なほころびで中断された。
「うっ」
少年がさらに攻めようと腕を上げたとき、片腕がポロリと落ちた。
「くっ……、この体」
さきほど、ダージョに噛まれたところだ。
「どうした。腐った体が悲鳴をあげたのかい」
「黙れ!」
「無理をするとバラバラになるよ」
ダージョがにじり寄ると、少年は慌てて腕を拾い魔界樹の方にむかった。
窪みから滲み出る空間の煌きが、弱まっている。
「まずいっ。扉がしまる」
少年は、ダージョにむかって小さな竜巻を放ち、そして背をむけた。
「お待ち!」
ダージョは竜巻を交わしながら追いかけたが、少年の動きはすばしっこく、魔界樹の窪みのなかにスルリと体を滑らせた。
それと同時に魔界の扉は消えた。
「逃げられた」
だが、呪縛の術を掛けられたルークは、いまだ動けずにいた。
ダージョが解除しようとしても通じなかった。
「ダメだ。思ったより高度な魔法だ。あたしじゃ解けない」
「マジで」
「あたしとは系統が違う。あいつは本当に魔界の者か?」
ダージョはルークの体をくわえ、安全な場所に移動させようとした。
そのとき、べつの方向から誰かがやってくる足音がした。
まわりの木々の火が消えたとはいえ、くすぶり、煙がすごかった。しかも、ここは公園内である。近くには住宅街もあり、なにが起こったのかと住民がやって来たのかもしれない。
「ダージョ──どこ!」
だが、その甲高い声には聞き覚えがあった。
「エミカ、こっちだよ!」
ダージョが叫ぶと、林の間から白いハーフコートを着たエミカが顔を出した。
「迷ったわ」
「ひと足遅かったね」
「ダージョったら、血相変えて走っていくんだもん」
「どうしても気になったんだよ。あの少年の得体の知れなさがね」
ダージョは、ルークのようすを見に行きたいとせがんだらしい。
エミカも付いていくことになったが、嫌な予感がするといって一目散に走っていった。エミカにしてみれば、公園のどこにいるのかわからない。だが、異様な火柱を目撃し、それを目印にここまでやって来たそうだ。
「なんだか、エライことになっちゃってるわね」
公園の森は惨憺たるありさまだった。
「血が出てるわ」
エミカが近づき、ルークの両肩に触れた。すると、その瞬間、体のこわばりが取れ、動けることができた。気がつくと、傷ついた手にエミカが触れていた。
「顔も煤だらけよ」
心配そうに覗きこみ、ルークの髪を指で梳いてくれた。
「それにしても、ずいぶん派手にやったのね」
あたりは煙がたちこめ、樹木の枝がところどころ折れている。炎で焼かれた枝には残り火がくすぶっていた。
「手加減できる相手じゃなかったんだよ」
言い訳がましくダージョが呻くと、もとの大きさに戻っていた。
ルークはそれにも驚いていた。
「ダージョって巨大化するんだ」
「失礼な。あれが本来の姿だよ」
「ひさしぶりに見たわぁ」
エミカが讃嘆するように眼を輝かせていた。
美しい金色の毛並に、三メートルは優に超える大きさ。
さすがに人間界では目立ちすぎる。
「猫の姿のままなら切り裂かれ、黒こげのスプラッターになるところだったよ。あちちっ」
自分で体中を舐めはじめている。
「ルーク、動ける?」
エミカに助けられて立ち上がると、いつのまにか刃物の傷は消えていた。
少年が消えた魔界樹に近づくと窪みのなかを覗きこんだ。
「扉がない……」
「ずいぶん古い木ね」
「魔界樹の系統をくむって言っていた」
「魔界樹――」
全体的に禍々しい印象があった。
木立がうねるように曲がり、黒い樹皮と枝には沢山の瘤のようなものがあった。
「かなり毒されているわ」
そっと樹皮にふれ、エミカはしばらく目を瞑っていた。
触診し、なにかを探っているような仕草だった。
「やっぱり駄目だわ。これは使ってはダメ。ルーク、帰りましょう」
その場から離れはじめた。
ダージョも続いたが、ルークは動かなかった。
「帰るよ。扉は閉じられてしまったんだよ」
エミカが顔をかしげた。
「どうしたの?」
「オレ、悔しい。何もできなかった。あいつの術に掛かり、なにひとつ抵抗できなかった。ダージョが来なかったら死んでいた」
「ちょっと相手が悪かったね。あれほどの使い手とは思わなかったよ」
「ともかく帰りましょう。もうすぐ日が暮れるわ」
ふたたび促されたが、ルークは一歩も動かなかった。
「どうしたの?」
エミカたちは待っている。
ルークは足もとを見つめたまま、小さくつぶやいた。
「帰りたい……」
エミカとダージョは、おたがいの顔を見合わせた。
「それは──、魔界に帰りたいということ」
「うん……」
「わたしたちと一緒にいるのは嫌?」
まさか、と首をふった。
「楽しいよ。魔界にいるときより何百倍も楽しいかもしれない。色々な物があるし、楽しいことも沢山ある。それに、みんなの事も好きだし」
それでも心が疼いた。
「だけど、オレ」
なにかが叫んだ。
「――人間じゃない」
そうだ、自分は人間じゃない。
暖かな日だまり、穏やかな日々。
みんなで笑いあって、食卓を囲む。
休みには近くの公園で散歩し、ゆったりとした時間を楽しむ。
なのに。
それは違うと、自分のどこかが叫んでいる。
あの冷酷な少年のなかにある魔界の匂いが、オレを呼んでいる。
憎らしい存在なのに、この世界の誰よりも近いものを感じた。
オレはあいつに負けた。
負けたまま、ここで普通に暮らしていくのか。
それは出来ない。
「帰りたい」
取り憑かれたように、何度もつぶやいた。
ダージョが哀願するように、エミカに向かって『にゃあ』と鳴いた。
エミカはふたたび魔界樹に近づくと、さぐるように触れた。そしてあらためてルークの側によりそった。
「そうね。あなたは人間じゃないものね」
肩に手をそえ、語りかけるように囁いた。
「ルークは魔界の子。それに、やっぱりあなたは男の子なのよ。このままわたしたちと暮らしていても、あなたにとっては苦痛かもしれない」
「苦痛だなんて、そんなことっ」
顔を上げると、まともにエミカの視線とぶつかった。
はじめて間近でみる彼女の瞳は、朱に染まったような輪郭が浮き出ていた。
「魔界の者には、魔界で生きる意味がある」
ルークはその瞳から目をそらせなくなり、耳もとで囁く声が、どこか遠くから響いているような気がした。そして自分の体が自分のものでなく、宙に浮いているような感覚になった。
「目をとじて」
その囁きにはあらがえず、まるで催眠にでも掛かったように、ルークは言われるまま目をとじた。
「思い出して、あなたの居場所、空気、その匂い。すべてを五感に体現してみて」
ゆっくりと呼吸する。
「静かに念じてみて。心を解放し、思いのままに──」
声が体中をかけめぐる。
──ああ。
懐かしい故郷の山が見える。
山間から淡い光が差し込み、村を照らしている。
この匂い、この感覚。
「ルーク、目をあけて」
エミカの声が、すぐ近くではっきりと聞こえた。
目をあけると不思議なものがあった。
「魔界への扉よ」
七色に輝く球体。美しい異空間のゆらぎがあった。
魔界樹の窪みにあった空間とは違い、良質な気の流れを感じた。
「扉……。どうやってこれが……」
「あなたの思いが引き寄せたの。わたしはちょっとお手伝いしただけ」
眩しそうにエミカも球体を見つめていた。
瞳の色がさらに朱に染まっていた。その横顔は普段よりもとても大人びていて、見たこともない表情だった。
「これで帰れる?」
「ええ」
ルークは口許をひきしめると、エミカたちに別れをつげた。
「今度こそ、オレ、いくよ」
引き寄せられるように球体に近づいた。
「気をつけてね」
エミカとダージョは、一歩離れ、見守るように並んでいた。
「いつか会いにいくよ」
「そうね」
「本当に会いにくるから」
別れはつらかったが、前に踏み出さないといけないと思った。
「もっと力をつけて会いにくる。そして新一郎と約束した野球をする」
エミカは、あはっと微笑んだ。
「なるべく早く来ないと、新ちゃんお爺ちゃんになっちゃうから」
ルークもつられて笑ったが、その意味合いをはかりかねた。
「じゃあ……」
なんだか泣きそうになった。
もっと色んなことを言いたかったのに言葉にできなかった。
ルークは球体に足をすべらせた。
すると強い力で引っ張られ、球体のなかに飲み込まれる。
「ぐっ……ぐっ」
最後に、エミカたちに目をやると、ゆっくりと手をふって見送ってくれた。
《第一章・了》
コメント投稿
スタンプ投稿
羽山一明
ひと悶着あったものの、雨降って地固まる。また会える日をより強く待ち望むような、そんなお別れをお互いに告げられたように思います。例の少年が言い残した言葉がちくりと胸の端に残りますが、ともあれ久方ぶりの故郷。いつか力をつけて、人間界に足を運べるほどの使い手になれる日を願って。
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
羽山一明
2021年12月3日 2時54分
ななせ
2021年12月3日 22時06分
応援、たくさんの貴重なpt.ありがとうございます。 穏やかな人間界の暮らしに別れをつげ、これからルークには試練がやってきますが、彼なりに成長し、ちょっと不器用でも元気だったらいいやん、と思いつつ書いてます。いつもコメントありがとうございます。(≧▽≦)
※ 注意!この返信には
ネタバレが含まれています
タップして表示
ななせ
2021年12月3日 22時06分
けーすけ@AI暴走中!
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
けーすけ@AI暴走中!
2021年9月15日 2時24分
ななせ
2021年9月15日 20時58分
たくさんの応援、貴重なポイントありがとうございます。 そう言っていただけると、励みになります😍
※ 注意!この返信には
ネタバレが含まれています
タップして表示
ななせ
2021年9月15日 20時58分
花時雨
いよいよ、魔界へ。ルークが人間界で見聞きしたもの、そして触れ合ったことが第二章以降でどのように力になるのか、楽しみです!
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
花時雨
2021年10月25日 19時10分
ななせ
2021年10月25日 22時39分
たくさんの応援、貴重なポイントありがとうございます。 魔界に戻ったルークですが、彼にとって、かなり窮屈で試練の日々が続きます。 なかなか冒険の話しにならないのが悩み中です。(ぴえん)
※ 注意!この返信には
ネタバレが含まれています
タップして表示
ななせ
2021年10月25日 22時39分
涼寺みすゞ
ビビッと
1,000pt
10pt
2022年4月1日 14時44分
《あの冷酷な少年のなかにある魔界の匂いが、オレを呼んでいる。》にビビッとしました!
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
涼寺みすゞ
2022年4月1日 14時44分
ななせ
2022年4月3日 11時30分
ビビッとありがとうございます。恐ろしいやつでも、誰よりも近しいようです。人間のなかにいて、楽しく暮らしていても、どこかおさまりが悪いのを感じていたのかもしれません。(*'ω'*)
※ 注意!この返信には
ネタバレが含まれています
タップして表示
ななせ
2022年4月3日 11時30分
結月亜仁
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
結月亜仁
2022年1月14日 17時47分
ななせ
2022年1月14日 23時28分
※ 注意!この返信には
ネタバレが含まれています
タップして表示
ななせ
2022年1月14日 23時28分
すべてのコメントを見る(23件)