マジョルカ・マジョリテ

読了目安時間:16分

エピソード:7 / 121

六. 魔界への扉

   ルークは全速力で走った。  真っすぐ行くと、はじめてエミカと買い物に行った店があった。ここで下着や衣服をたくさん買ってもらった。右手に行くとパン屋があり、ここの〝(ピーチ)パン〟がうまいと新一郎が言っていた。期間限定らしく、まだ食べたことはない。  となりには雑貨屋もあって、はじめてお金をもらって買い物をしたところだ。いたるところに商品があり、日用雑貨やオモチャなどが安く売っている。ここで赤いミニカーを見つけた。流星型で、形がなんとなくカッコよかった。  新一郎に、ずいぶんガキっぽいものを買ったんだな、とからかわれたりした。  この店では、ときたまあの子供たちの姿を見ることがあった。  ルークがはじめて人間界に来たとき、言葉を交わした子供たちだ。  さすがに、もう『マジシャン!』と言って群がってこないが、遠巻きに見つめられたとき「よおっ!」と軽く挨拶した。すると驚いたのか、親の背中に隠れたり、逃げられてしまった。  なんだか嫌われてしまったらしい。本当に最後まで失礼なやつらだ。  そんなことが、次から次へと思い出された。  自分でも嫌になるくらい、未練タラタラだ。 「くそっ!」  それらを全部ふり切って、全速力で走りぬけた。  約束の場所に着いたとき、あんなに天気が良かったのに、森のなかは霧が立ち込めていた。 「はあ、はあ」  呼吸が乱れ、声を出すのがやっとだ。 「はあ、はあ……キツ……」 「本当に来たんだね」  視界はよくなかったが、あの少年の声だけはわかった。  草を踏む音。  近づけば近づくほどに、懐かしいような、そうじゃないような魔界の匂いがした。 「来たさ」  大樹の影から少年だけがあらわれた。この前の男はいないようだ。 「魔界の扉。もうすぐ閉まっちゃうよ」  前とは違う黒いスーツを着用し、膝丈の半ズボン。靴はローファーで、ハイソックスをはいている。そして、レトロなハンチングもかぶっていた。  少年の視線のさきには、大きな窪みがあった。  大樹の根もとが空洞となり、その窪みの中から光りを放ち、歪んだような空間が見えた。 「それが扉?」 「この樹は魔界樹の系統をくみ、魔界と人間界をつなぐ境界に根ざしている。でも、もうすぐ寿命なのか、とても脆くなっている」  老木は植物としての生命を終えようとしているそうだ。魔界の空間から根をはり、なんらかの偶然で人間界に移植してきたらしい。 「――で」  少年はひと息おいてから、 「約束のモノは持ってきたのかい」 「これだろ」  ルークは、コートのポケットから鉱物を取り出した。 「まさか!」  少年は信じられないとばかりに、ルークの手のなかにあるものを奪い取った。 「セントマリノア──、たしかに本物だ……。しかも、こんな大きい物を初めて見る」 「へえ、そう」 「これを、どこで手に入れた!」  質問というより詰問に近かかった。  片目の少年は異常に興奮している。 「答えるんだ!」 「それは──」  魔法で呼び寄せた──と、言う気分にはなれなかった。 「秘密さ」  一瞬、少年の顔に強い怒気のようなものが走った。  凍てつくような視線を向けたが、すぐに冷淡な面持ちに戻った。 「君は何者だい」  ゆったりとした口調でたずねてくる。 「見たところ、魔力もたいして無いのに」  ルークはムッとした。 「オレはラ・ジェールから、こっちの世界に飛ばされてきたんだよ」 「ラ・ジェール?」  少年は怪訝な顔をしたが、 「なるほど」  と、指をならした。 「あのラーガが作った、魔法ごっこをするところか」 「魔法ごっこ?」 「だって、そうだろう。やれ火を()こせ、水を操れだの、小さなところに集まって低レベルな魔法を学んでいる。ラーガもおかしなことを考える男だ。役に立たない魔法を教えてなんになる。あの男が魔界を衰退させたようなものだ。考えてもごらん。魔界に秩序をつくり、そのなかで慎ましく生きるだなんて、しかも秩序を乱す者には、法という名のもとで裁くなど笑わせるね」  少年の黒すぎる瞳が、天を睨みつけていた。 「あの男だけは、絶対に許すことはできない」 (なんだ、こいつ──) 「さっきから何のことを言っているんだ?」  少年の眼がキッと吊り上がった。 「君は、ラーガが何をやってきたのか知らないだろ」 「ラーガって……、まさか大尊師のことを言っているのか?」  魔界(セルメイヴ)の創始者であり、その世界を()べていた大尊師ラーガ。 「大尊師? そんな敬称で敬うべき者ではない! やつは、教化した者どもを使って己を神格化させ、自分の考えを末代まで従わせようとしている」  まるで知り合いのような口ぶりで、さらに興奮していた。 「はっ! ふざけるなと言いたいね。魔界(まかい)に秩序? 魔界に法? そんなものを作ってなんになる! 無秩序こそが魔界そのものではないか! 忘れたのか、自分たちも《魔》に属していることを。そんな世界、僕は認めない!」  ルークは首をかしげた。さっぱりわからない。 「まあ、君にこんなこと言っても理解できないか。いまの魔界にどっぷり浸かり、満足に魔法さえ使えず骨抜きにされているのだから。そうだろ?」  さっきから魔界(まかい)、魔界と──、しきりになにか訴えてくるが、ルークはまったく関心がなかった。 「オレには関係ないよ」  早く取引を終えて、この場から離れたい。 「そんなことよりも約束のモノは渡したんだ。魔界の扉に案内してくれ」  少年は憮然としたが、さっと身をひくと道をあけた。 「いいだろう」  魔界樹の幹のなかを覗くと、どす黒く、色々なものがねじ曲がったような渦があった。ひどく不安定で、濁りのある空間だ。  ルークは、一歩踏み出すのをためらった。 「どうした、行かないのかい」  後押しするように、少年が背後に立った。 「これは、魔界のどこに繋がっているんだ」 「さあ」 「どこに出るかわからないのか?」  なんだろう。ひどく不快なものを感じた。  戸惑っていると、背中になにか尖ったものが当たった。 「あっ!」  振り向くと鋭い短刀が迫ってきた。ルークは身をひるがえし、その拍子に右手の甲が斬りつけられた。 「なにするんだっ!」  短刀についたルークの血をペロリと舐めると 少年が口許でなにかを唱えた。すると、途端に身動きができなくなりその場に(ひざ)をついた。 「うわっ、なんだっ!」 「ふん。まったく手応えがない。いまの魔界の者はレベルが低すぎる」  掛けられた魔法は《呪縛の術》のようで、頭から下がまったく動かなくなった。 「これ、知っているかい」  少年は身をかがめると、上着の胸ポケットから、黒い種のようなものを取り出した。 「ペプラの実って聞いたことある?」 「知らないよ。それよりも早く呪縛を解けよ!」 「自分で解けばいいじゃない。僕より魔力があるなら簡単なことだ」 「ふざけるなよ!」  くくくっ、と少年は喉奥で楽しそうに笑っていた。 「ペプラの実はね、体内で成長する植物なんだ。一度、根を張られた者は自分の意志をなくし、僕の言うことをなんでも聞く人形になる」 「な、なんだって!」 「セントマリノア(共鳴する石)を採ってきたご褒美に、僕の〝お人形さん〟にしてあげるよ」  少年は《共鳴する石》をうっとりと眺めていた。中心に灯る青い炎が、徐々に黒く変貌してきた。 「素敵だね。もっと採ってきてもらおう。ついでに、君の失礼な言動や態度も改まるしね」 「お、おまえ、狂っているのか。頭オカシイぞ!」  漆黒の瞳を鼻先に近づけると、少年は吐息をもらした。 「それ──、最高の誉め言葉だよ」  ぺフラの実を、ルークの傷ついた手に近づけた。 「ほら、こうやってペプラの実を近づけたらどうなるだろう」  種の先端部分から、細い根のようなものが伸びてきた。 「ほらほら、君の血のにおいに反応して発芽しようとしている」  傷口に根が伸びはじめ、ペプラの実は、そこからルークの体内に侵入しようとしていた。  ルークはどうにか逃れようとしたが、呪縛の術は強固で、首をふって叫ぶことしかできない。  体はさらに硬直し、根の尖端が、ぐいっと傷口をこじ開けた。 「うわっ──!」 「もう逃げられないよ」 「やめろよ──!」  ルークが叫んだのと同時に、黒い塊が頭上から落ちてきた。 「およしっ!」  ペプラの実を叩き落とすと、あっという間に枯れてしまった。 「それ以上、お痛をすると、許さないよ!」 「なんだ、お前は」  少年は、足もとにあらわれた動物に困惑していた。 「あたしは、この子の保護者だよ」  猫が、ルークの身を護るように全身の毛を逆立てている。 「この子に手を出すなら、容赦しない!」  ダージョは言い放った。 「なにがあらわれたと思えば。おろかな(けだもの)ごときが、僕に楯突くというのか」  見下しながら、少年は嘲笑した。 「ああ、やってみな」 「ずいぶん生意気だな」  少年は小馬鹿にしていたが、突如、探るような目をした。 「ん、いや。もしや、……お前は」  ふいに真顔になると、おもむろに両手をあげ、天にむかって叫んだ。  《プリ-シャス・アデラ・ビシャンド》  自己を防御する術を唱え、さらに念ずると、上空から強烈な風が発生した。  それが空を斬り裂きながら、攻めたててくる。  ダージョは全身に《気》で防御を張った。いくつかの風圧があたると、背中の毛が刈られ、皮面がミミズバレのようになった。 「ダージョ!」  ルークはまったく動けず、ジタバタもできないでいる。 「大丈夫さ、これくらいの傷。でも、この体では分が悪いねぇ」  そう言うとダージョの体が輝いた。  黄金色の光りを放つと、三メートルほどある大きな動物があらわれた。  全身をまとう艶やかな毛と太い尻尾。  黄金の瞳に、細く縁どる翠色のラインがくっきりと描かれている。 「まさか、これがダージョ?」  驚きのあまり、ルークは腰を抜かしそうになったが(実際は、腰も抜かせない状況だが)、対峙する少年の表情がさらに厳しくなった。 「やはり、アスタラ族か」  熱帯地域である南の中つ国に生息し、四本足の魔獣にして知性と理性を兼ね備えた、誇り高きアスタラ族。  同族同士の争いで、その血は絶えたとされていた。 「すでに滅んだと思っていたが、しぶとく生きていたのか」 「あたしを知っているなんて、お前さん、ただの魔物ではないね」 「僕を、そのへんの魔物(やから)と同じにするな」 「そうかな。お前さんの体から発する臭いが鼻につくよ。まだ、そのへんの魔物(やから)のほうが数倍ましさ」 「僕を愚弄するつもりか!」  ダージョはわざとらしく、鼻をくんくんと鳴らした。 「その体、死体をかき集めて造ったのかい。死臭がきつくてたまらない」 「ちっ、黙れ!」  周囲から、炎がおこった。  火柱がまわりの木々にまとわりつくように瞬く間に燃え、ルークは息苦しくなって咳き込んだ。ダージョは、ルークのそばに近づくと、迫ってくる火の粉を蹴散らした。  燃えた木々をなぎたおし、消火につとめる。  やがて鎮火し、ルークが丸焼けになるのは免れたらしい。 「今度はあたしからだよ!」  長い尻尾が少年の脚をすくい、少年は機敏にかわす。  ダージョはさらに攻め立てた。少年は、()()()()()()で身を包んでいたが、あまりにも激しい攻めに、しだいに息があがってきた。  ダージョの前脚が、防御の膜を引っ掻くと、亀裂ができた。 「くっ、僕の壁に傷をつけるとは」 「いくら丈夫な防御でも、風穴ひとつあけば脆くなる。その状況で、いつまで持ちこたえられるかな」  少年の体がじりじりと圧されていった。このままでは防戦一方だ。  ダージョの体躯がのしかかり、少年の腕にかぶりついた。  その瞬間、ダージョの腹の下に小さな竜巻がおこった。 「うがっ!」  竜巻が、ダージョの腹部を裂傷させる。 「僕を見くびるなよ」  少年は容赦なく攻めはじめ、ダージョは小さな竜巻を交わしながら、反撃する機会をうかがっている。  お互いに一歩も引かない戦いは、意外なほころびで中断された。 「うっ」  少年がさらに攻めようと腕を上げたとき、片腕がポロリと落ちた。 「くっ……、この体」  さきほど、ダージョに噛まれたところだ。 「どうした。腐った体が悲鳴をあげたのかい」 「黙れ!」 「無理をするとバラバラになるよ」  ダージョがにじり寄ると、少年は慌てて腕を拾い魔界樹の方にむかった。  窪みから滲み出る空間の煌きが、弱まっている。 「まずいっ。扉がしまる」  少年は、ダージョにむかって小さな竜巻を放ち、そして背をむけた。 「お待ち!」  ダージョは竜巻を交わしながら追いかけたが、少年の動きはすばしっこく、魔界樹の窪みのなかにスルリと体を滑らせた。  それと同時に魔界の扉は消えた。 「逃げられた」  だが、呪縛の術を掛けられたルークは、いまだ動けずにいた。  ダージョが解除しようとしても通じなかった。 「ダメだ。思ったより高度な魔法だ。あたしじゃ解けない」 「マジで」 「あたしとは系統が違う。あいつは本当に魔界の者か?」  ダージョはルークの体をくわえ、安全な場所に移動させようとした。  そのとき、べつの方向から誰かがやってくる足音がした。  まわりの木々の火が消えたとはいえ、くすぶり、煙がすごかった。しかも、ここは公園内である。近くには住宅街もあり、なにが起こったのかと住民がやって来たのかもしれない。 「ダージョ──どこ!」  だが、その甲高い声には聞き覚えがあった。 「エミカ、こっちだよ!」  ダージョが叫ぶと、林の間から白いハーフコートを着たエミカが顔を出した。 「迷ったわ」 「ひと足遅かったね」 「ダージョったら、血相変えて走っていくんだもん」 「どうしても気になったんだよ。あの少年の得体の知れなさがね」  ダージョは、ルークのようすを見に行きたいとせがんだらしい。  エミカも付いていくことになったが、嫌な予感がするといって一目散に走っていった。エミカにしてみれば、公園のどこにいるのかわからない。だが、異様な火柱を目撃し、それを目印にここまでやって来たそうだ。 「なんだか、エライことになっちゃってるわね」  公園の森は惨憺たるありさまだった。 「血が出てるわ」  エミカが近づき、ルークの両肩に触れた。すると、その瞬間、体のこわばりが取れ、動けることができた。気がつくと、傷ついた手にエミカが触れていた。 「顔も(すす)だらけよ」  心配そうに覗きこみ、ルークの髪を指で梳いてくれた。 「それにしても、ずいぶん派手にやったのね」  あたりは煙がたちこめ、樹木の枝がところどころ折れている。炎で焼かれた枝には残り火がくすぶっていた。 「手加減できる相手じゃなかったんだよ」  言い訳がましくダージョが呻くと、もとの大きさに戻っていた。  ルークはそれにも驚いていた。 「ダージョって巨大化するんだ」 「失礼な。あれが本来の姿だよ」 「ひさしぶりに見たわぁ」  エミカが讃嘆するように眼を輝かせていた。  美しい金色の毛並に、三メートルは優に超える大きさ。  さすがに人間界では目立ちすぎる。 「猫の姿のままなら切り裂かれ、黒こげのスプラッターになるところだったよ。あちちっ」  自分で体中を舐めはじめている。 「ルーク、動ける?」  エミカに助けられて立ち上がると、いつのまにか刃物の傷は消えていた。  少年が消えた魔界樹に近づくと窪みのなかを覗きこんだ。 「扉がない……」 「ずいぶん古い木ね」 「魔界樹の系統をくむって言っていた」 「魔界樹――」  全体的に禍々しい印象があった。  木立がうねるように曲がり、黒い樹皮と枝には沢山の(こぶ)のようなものがあった。 「かなり毒されているわ」  そっと樹皮にふれ、エミカはしばらく目を瞑っていた。  触診し、なにかを探っているような仕草だった。 「やっぱり駄目だわ。これは使ってはダメ。ルーク、帰りましょう」  その場から離れはじめた。  ダージョも続いたが、ルークは動かなかった。 「帰るよ。扉は閉じられてしまったんだよ」  エミカが顔をかしげた。 「どうしたの?」 「オレ、悔しい。何もできなかった。あいつの術に掛かり、なにひとつ抵抗できなかった。ダージョが来なかったら死んでいた」 「ちょっと相手が悪かったね。あれほどの使い手とは思わなかったよ」 「ともかく帰りましょう。もうすぐ日が暮れるわ」  ふたたび促されたが、ルークは一歩も動かなかった。 「どうしたの?」  エミカたちは待っている。  ルークは足もとを見つめたまま、小さくつぶやいた。 「帰りたい……」  エミカとダージョは、おたがいの顔を見合わせた。 「それは──、魔界に帰りたいということ」 「うん……」 「わたしたちと一緒にいるのは嫌?」  まさか、と首をふった。 「楽しいよ。魔界にいるときより何百倍も楽しいかもしれない。色々な物があるし、楽しいことも沢山ある。それに、みんなの事も好きだし」  それでも心が疼いた。 「だけど、オレ」  なにかが叫んだ。 「――人間じゃない」  そうだ、自分は人間じゃない。  暖かな日だまり、穏やかな日々。  みんなで笑いあって、食卓を囲む。  休みには近くの公園で散歩し、ゆったりとした時間を楽しむ。  なのに。  それは違うと、自分のどこかが叫んでいる。  あの冷酷な少年のなかにある魔界の匂いが、オレを呼んでいる。  憎らしい存在なのに、この世界(にんげん)の誰よりも近いものを感じた。  オレはあいつに負けた。  負けたまま、ここで普通に暮らしていくのか。  それは出来ない。 「帰りたい」  取り憑かれたように、何度もつぶやいた。  ダージョが哀願するように、エミカに向かって『にゃあ』と鳴いた。  エミカはふたたび魔界樹に近づくと、さぐるように触れた。そしてあらためてルークの側によりそった。 「そうね。あなたは人間じゃないものね」  肩に手をそえ、語りかけるように囁いた。 「ルークは魔界の子。それに、やっぱりあなたは男の子なのよ。このままわたしたちと暮らしていても、あなたにとっては苦痛かもしれない」 「苦痛だなんて、そんなことっ」  顔を上げると、まともにエミカの視線とぶつかった。  はじめて間近でみる彼女の瞳は、朱に染まったような輪郭が浮き出ていた。 「魔界の者には、魔界で生きる意味がある」  ルークはその瞳から目をそらせなくなり、耳もとで囁く声が、どこか遠くから響いているような気がした。そして自分の体が自分のものでなく、宙に浮いているような感覚になった。 「目をとじて」  その囁きにはあらがえず、まるで催眠にでも掛かったように、ルークは言われるまま目をとじた。 「思い出して、あなたの居場所、空気、その匂い。すべてを五感に体現してみて」  ゆっくりと呼吸する。 「静かに念じてみて。心を解放し、思いのままに──」  声が体中をかけめぐる。  ──ああ。  懐かしい故郷の山が見える。  山間から淡い光が差し込み、村を照らしている。  この匂い、この感覚。 「ルーク、目をあけて」  エミカの声が、すぐ近くではっきりと聞こえた。  目をあけると不思議なものがあった。 「魔界への扉よ」  七色に輝く球体。美しい異空間のゆらぎがあった。  魔界樹の窪みにあった空間とは違い、良質な気の流れを感じた。 「扉……。どうやってこれが……」 「あなたの思いが引き寄せたの。わたしはちょっとお手伝いしただけ」  眩しそうにエミカも球体を見つめていた。  瞳の色がさらに朱に染まっていた。その横顔は普段よりもとても大人びていて、見たこともない表情だった。 「これで帰れる?」 「ええ」  ルークは口許をひきしめると、エミカたちに別れをつげた。 「今度こそ、オレ、いくよ」  引き寄せられるように球体に近づいた。 「気をつけてね」  エミカとダージョは、一歩離れ、見守るように並んでいた。 「いつか会いにいくよ」 「そうね」 「本当に会いにくるから」  別れはつらかったが、前に踏み出さないといけないと思った。 「もっと力をつけて会いにくる。そして新一郎と約束した野球をする」  エミカは、あはっと微笑んだ。 「なるべく早く来ないと、新ちゃんお爺ちゃんになっちゃうから」  ルークもつられて笑ったが、その意味合いをはかりかねた。 「じゃあ……」  なんだか泣きそうになった。  もっと色んなことを言いたかったのに言葉にできなかった。  ルークは球体に足をすべらせた。  すると強い力で引っ張られ、球体のなかに飲み込まれる。 「ぐっ……ぐっ」  最後に、エミカたちに目をやると、ゆっくりと手をふって見送ってくれた。   《第一章・了》  六. 魔界への扉の挿絵1                                    

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。  『第一章 ようこそ、魔女のお家へ』は終了。  次回から『第二章 魔界』がスタートします。   引き続き、読んでいただけると嬉しいです。      ※お絵描きも、絶賛修行中〜。🐧。。ヒィ〜。。

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  • ミミズクさん

    羽山一明

    ♡1,000pt 〇100pt 2021年12月3日 2時54分

    ひと悶着あったものの、雨降って地固まる。また会える日をより強く待ち望むような、そんなお別れをお互いに告げられたように思います。例の少年が言い残した言葉がちくりと胸の端に残りますが、ともあれ久方ぶりの故郷。いつか力をつけて、人間界に足を運べるほどの使い手になれる日を願って。

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    羽山一明

    2021年12月3日 2時54分

    ミミズクさん
  • 女魔法使い

    ななせ

    2021年12月3日 22時06分

    応援、たくさんの貴重なpt.ありがとうございます。 穏やかな人間界の暮らしに別れをつげ、これからルークには試練がやってきますが、彼なりに成長し、ちょっと不器用でも元気だったらいいやん、と思いつつ書いてます。いつもコメントありがとうございます。(≧▽≦)

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    ななせ

    2021年12月3日 22時06分

    女魔法使い
  • 猫

    けーすけ@AI暴走中!

    ♡1,000pt 〇50pt 2021年9月15日 2時24分

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    「コレはいい作品だ・・・!」氷川Ver.ノベラ

    けーすけ@AI暴走中!

    2021年9月15日 2時24分

    猫
  • 女魔法使い

    ななせ

    2021年9月15日 20時58分

    たくさんの応援、貴重なポイントありがとうございます。 そう言っていただけると、励みになります😍

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    ななせ

    2021年9月15日 20時58分

    女魔法使い
  • 野辺良神社の巫女

    花時雨

    ♡500pt 〇50pt 2021年10月25日 19時10分

    いよいよ、魔界へ。ルークが人間界で見聞きしたもの、そして触れ合ったことが第二章以降でどのように力になるのか、楽しみです!

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    花時雨

    2021年10月25日 19時10分

    野辺良神社の巫女
  • 女魔法使い

    ななせ

    2021年10月25日 22時39分

    たくさんの応援、貴重なポイントありがとうございます。 魔界に戻ったルークですが、彼にとって、かなり窮屈で試練の日々が続きます。 なかなか冒険の話しにならないのが悩み中です。(ぴえん)

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    ななせ

    2021年10月25日 22時39分

    女魔法使い
  • 文豪猫

    涼寺みすゞ

    ビビッと ♡1,000pt 〇10pt 2022年4月1日 14時44分

    《あの冷酷な少年のなかにある魔界の匂いが、オレを呼んでいる。》にビビッとしました!

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    涼寺みすゞ

    2022年4月1日 14時44分

    文豪猫
  • 女魔法使い

    ななせ

    2022年4月3日 11時30分

    ビビッとありがとうございます。恐ろしいやつでも、誰よりも近しいようです。人間のなかにいて、楽しく暮らしていても、どこかおさまりが悪いのを感じていたのかもしれません。(*'ω'*)

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    ななせ

    2022年4月3日 11時30分

    女魔法使い
  • 女魔法使い

    結月亜仁

    ♡100pt 〇1pt 2022年1月14日 17時47分

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    見事なお点前で

    結月亜仁

    2022年1月14日 17時47分

    女魔法使い
  • 女魔法使い

    ななせ

    2022年1月14日 23時28分

    ※ 注意!この返信には
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    ▼▼

    ありがとうございます

    ななせ

    2022年1月14日 23時28分

    女魔法使い

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  • JK巫女の遥ちゃん

    JKの巫女さんを主人公にしてしまった

    1,443,866

    19,483


    2023年9月17日更新

    ここは埼玉県所沢市のとある町。 この町では現役JKでありながら巫女さんを務めている遥ちゃんという美人で(見た目は)清楚で可愛い女の子がいた。 この物語はそんな遥ちゃんののんびりした日常だったりヒリつく日常の話である。 暴力描写はかなり多めで、思いつきで書いているので話がドンドンおかしくなってますw

    • 残酷描写あり
    • 暴力描写あり
    • 性的表現あり

    読了目安時間:5時間22分

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  • 868回敬遠された月出里逢

    無名の少女が史上最強となるプロ野球もの

    40,700

    14


    2023年10月1日更新

    現実より多くの人々が野球に熱狂し、男女問わずプロの舞台にさえ飛び込む別の現代。 無名選手の月出里逢(すだちあい)は高校3年の秋、野球への未練を完全に断ち切る為、分不相応だと自覚していながら敢えてプロ志望届を提出し、その年のドラフト会議の日を迎えた。テレビの前で同年代や大学・社会人の有名選手が次々と指名されていくのを溜息交りに眺めていたが、六巡目で逢はまさかの指名を受ける。 逢を指名したのは、日本球界12球団で"最弱"と名高い天王寺三条(てんのうじさんじょう)バニーズ。そして逢の指名を促したのは、かつての高校球界のスター投手で、現在は女子大生でありながらバニーズのオーナーも務める三条菫子(さんじょうすみれこ)。1学年違いの逢と菫子はお互いたった一度だけ練習試合で対戦したことがあった。 体格に恵まれず、実績的にも本来なら指名に値しない逢だったが、実は人間離れした身体能力を持ち、そして、その身体能力さえも霞む程の類い稀な才能を秘めていた。菫子は逢の破格の潜在能力を見抜き、球団再建に加え、ある別の目的の為に逢を引き寄せたのである。 これは、実力も精神もまだまだ未完の大器である月出里逢が、幾多の困難を乗り越え、やがてとある怪物投手と共に"史上最強"と謳われるまでの英雄譚。そしてそんな彼女と共に困難を乗り越える者達と、彼女に挑む者達の群像劇。 (1~3日に1回くらい?のペースで1回2000文字前後くらいを予定) (更新はAM12:00かPM18:00くらいになることが多いです) twitter:https://twitter.com/best_yayoilover 表紙絵や挿絵、設定画など:https://www.pixiv.net/users/57502957

    読了目安時間:31時間42分

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  • お隣さんVtuberが消えた夏の蒲田ジムノペドゥ

    蒲田ほど楽しかった街は無いかも

    13,600

    100


    2023年9月22日更新

    ---------------- 【作者が考える作品のセールスポイント】 1.学校嫌いだったおじさんによる学校嫌いのための陰キャラブコメ 2.最終的にすべてうまくいくのはゆるふわチームビルディングでした 3.誰もヒロインのことを思い出せない夏が始まった! ---------------- 消えたいと願った人を誰も認識できなくなる怪奇事件が蒲田では起こっていました。 昨今、自分はここに居ていいんだと心から思えるコミュニティを持つことは難しい。蒲田に怪しげな店を構えるおじいさんはそういいます。 ヒロインの伊勢藍もその一人。消えたいと強く願い、学校では誰も彼女を認識できなくなりました。 そんな彼女は駆け出しのVtuberです。ネットでは少しずつ人気になり始めていて、毎日元気に配信しています。 そんな彼女を、学校に戻って来いと言っていいのか、今のままが幸せなのか、主人公は悩みます。 現実から消えたいと願った伊勢藍を追って、主人公はプロジェクト『蒲田ジムノペドゥ』を決行します! ◆現実にある街を使うので補足◆ 東京都大田区蒲田という魔境で繰り広げられる高校生ラブコメです。 蒲田に住んでいました。蒲田が大好きなので舞台にしちゃいました。迷惑をかけたくないので少しだけ補足させてください。 舞台となる蒲田という街は、横浜、川崎、羽田、品川、秋葉原、上野、どこへでも一本で行ける最強立地ですが、下町の情緒も死んでいない変な場所です。ゴミの分類がほぼ無くて全部燃えます。 道行く人も他の都内に比べると、絶対に混沌としています。昼はおばちゃん、夜は怒鳴り声、若者もいっぱい。でもファッションは奇抜じゃなく、いまいちあか抜けない。そこがまたいいんですよね。 そんな街で主人公の俺くんは、現実世界から消えたくてネットの世界で生きたいと思っている子といい感じになります。 架空の高校で、現実とネット、自分の居場所ってなんだろう、作り手や表現者ってなんだろう。そんなことを考えながら楽しくラブコメをします。 高校、お店、催しなど、随所に架空のものを用意しています。実在するあれやこれやとは関係ございません。 挿絵:高架

    読了目安時間:3時間29分

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