マジョルカ・マジョリテ

読了目安時間:8分

エピソード:49 / 64

Ⅹ 夢の続きに、さようなら

   極寒の地──オリビエラル。  見渡す限りの、氷原地帯。  そそり立つ氷河のうえに立った彼の口許から、ふっと笑いがもれた。 「広いな……」  一瞬、途方にくれた思いになったが、すぐに自身を鼓舞するように氷に覆われた地を睨みつける。  黒貂(くろてん)とも呼ばれる、セーブルの毛皮の帽子とコートを身にまとい、片方しかない漆黒の瞳を輝かせ、手にした共鳴する石(セントマリノア)を高々と掲げる。  だがしかし、どれほどそうしていたか、石は何かを呼び寄せることもなく、つれないほど無反応だった。  オリビエラルの氷原の下にある海流とやらには、闇黒ともいうべき〝無〟の世界があるそうだ。そこに漂っている《キャスバランの箱》を取り出すには、どうすればいいのだろう。  なにか呼び水のようなものが必要だろうか──? 「……そうだ。きっと魔王は……、新鮮なる血を所望している」  エクアスは、いいことを思いついたとばかりにトコトコと駆け出した。  ヴァインの配下であるパーシェたちが、オリビエラルに長く駐屯していた。  武術と魔術にたけた精鋭だが、北から吹く冷気が厳しく、彼らの体力を消耗させていった。  片目の少年は、あらゆるところに魔物を召喚し、野に放った。  すでにヴァインはこの地を離れ、彼らの士気が落ちはじめているときだった。  雪原を巡回していたパーシェが、突如、目の前に飛び出した巨大な狼に襲われた。全身氷で覆われ、鋭い牙が襲い掛かってくる。  見たこともない魔物に、パーシェたちは恐れたが、自分たちの知力と魔術で果敢に応戦した。  しかし魔物は一匹ではなかった。雪原の中から、つぎつぎと飛び掛かってくる。  エクアスは躍起になって魔物を召喚した。  これは狩りだ。  魔王には、捧げものが必要だ。  忌々しいラーガの徒を狩り、魔王に捧げると思うと興奮する。   エクアスは共鳴する石の力をかりて、魔力を増幅させ、さる場所を狩場としての結界を引いた。  そして狩った遺体を、大きな網のなかに入れ、そそり立つ氷河の先から吊るした。まるで魚を呼び寄せる餌のように、その肉が、その血が、したたり落ちる。  落ちた血液が凍った地に染みわたると、ほんのわずかな変化をもたらしはじめた。染みた血が氷の層を溶かし、渦を巻きはじめたのだ。渦は大きくなり、ドス黒く変色した。  エクアスは歓喜した。  これは、魔王の核が反応したせいかもしれない。      共鳴する石を使って、魔王の魂ともいえる《核》を、さらに呼び寄せた。  石の力は素晴らしく、恐怖と憎しみに満ちたエネルギーが、暗く染まった海流へと沈んでいく。  そうまるで、自身の悔しさと同調するかのように魔王の《核》を探しはじめた。  エクアスは、封印の地で、黒く変色した石を掲げながら時を待った。  待って、待って、待ちわびた。  極寒の地はすべてを凍らせ、いつしか血液さえも止まるのではないかと思われた。  半身の細胞は凍結し、もうすぐ心臓も止まりそうだ。  すると氷の渦の中から、何かの影が見えた。    ──ぼこっ。  水面に小さな箱が浮かびあがった。  青く美しい宝箱だ。 「おおっ……!」  あれはまさしく《キャスバランの箱》。  ユンナの霊木で作られ、全面に細かい彫刻がある。  聖なる力を携えた宝石が敷きつめられ、この世にふたつとない宝だ。  エクアスは手のひらほどしかない小さな箱を拾い上げ、嬉しさのあまり頬ずりした。  聖なる光りに包まれている箱は、触れるとジュッと火傷するほど輝いていた。それを苦ともせず、ジュルジュルと焼かれながら愛しく掻き抱いた。  そして──、誰も来ることのないアベリアの湿地帯へとむかったのだ。        ⛓ ⛓ ⛓      ⛓ ⛓ ⛓ 「ただいま」  買い物から帰ってきたエミカは、まっすぐに台所にむかった。  朝からひどく無口で夕食の食材はあるのに、また買い物に行った。なにを買ってきたのだろう。大きな袋を抱え、強力粉を何袋も取りしている。  強力粉を大きなボールに入れると、水を計り、必要な材料をいれて両手で捏ねだしていた。  どうやらパンを作りたいらしい。 「ずいぶん沢山作るんだね」 「ええ」  いつになく真剣な面持ちだ。  ダージョは、遠巻きで彼女を見つめるしかなかった。  お花見の日以来、エミカのようすがおかしかった。  ときより物思いに耽ったり、話かけても気がつかず、心ここにあらずといった感じだ。 「ダージュ」 「なんだい」  エミカは、パンを捏ねる手をとめた。 「後のことお願いね」 「なんのこと?」  苦しそうに目をふせたが、顔を上げたときには、はっきりとした声だった。 「わたし、魔界に行くわ」  悩んでいる時間はなかった。  ここ数日、何か得体のしれない感覚に陥ることがある。研ぎ澄まされた五感が、魔力が、そう予感させる。たとえここが異世界でも、自分を脅かそうとする存在をはっきりと感じとれた。  このまま人間界にいたら、いつこちらに被害をもたらすかわからない。  もし新一郎に何かあったらと思うと、不安で一杯になる。  だからわたしは──、魔界(あちら)へ行かなくてはならない。 「あれ、これ?」  夕飯の食卓で、こんにゃくの煮物を口に運んだ新一郎は箸をとめた。 「この味って、まさか」 「義母(おかあ)さんの味付けをマネしてみたの。このまえ教えてもらった通りに作ってみたの」 「へえー、懐かしい味だ」 「美味しい」 「うん」 「よかった」  唐辛子をいれて甘辛く煮込んだものだが、なかなか新一郎の実家の味にはならなかった。  お正月に帰ったとき、レシピを教えてもらったのだ。  夕飯が終わると新一郎は風呂に入りにいった。  エミカは後片付けを終えると、二階の寝室にむかった。  新一郎は明日から出張なので荷造りをしないといけない。下着や細々としたものを鞄につめると、ふと、エミカは天井を眺めた。 (ここには、いろんな想いが詰まっている)  ここを離れるなんて、思ってもいなかった。  新一郎との暮らしは、夢のような幸せな日々だった。 (ごめんね、新ちゃん)  自分の正体も生きかたも嘘ばかりついている。  すべてを晒すこともできず、これからも嘘をつき通すだろう。  なぜなら、わたしは魔女。  本心から溢れ出る想いを、そっくりそのまま告げることなど出来やしない。  ──これが、おまえの望みなのか。  ジョシュアが呆れていた。  かつての私を知っているなら、彼がそう訊ねるのは不思議ではないだろう。  ガトールの樹が生える西の国で暮らしてきた。そこはとてもおおきな大陸だったが、何もなく、長い時をひとりで過ごしてきた。  それなのに今は人間界の片隅で、ささやかな幸せを噛みしめている。  けれど、  特異にして特殊な能力ゆえに、なにが真実なのかわからないのも事実だった。  ときより、ふとした疑念が頭をもたげるときがある。  新一郎と、結婚という形式で繋がった。  だけどこの生活を、新一郎自身が望んだことなのだろうか。  新一郎の気持ちは──本当の、彼の気持ちなのか。  もしかしたら、わたしの深い念が知らず知らずのうちに、無理やりそうさせていたらどうする?  それを思うと、胸が苦しくてなにも言えなくなる。 「あれ、エミカ?」  部屋の真ん中で座り込んでいたエミカに、新一郎はしばし驚いていた。 「どうしたんだ」 「なんでもない」  エミカは顔を伏せた。 「えっ、もしかして泣いてるの?」 「違う、目にゴミが入った……」 「なんだ、俺が出張行っちゃうから寂しいのかと思った」  冗談まじりにからかわれたが、エミカは素直にこたえた。 「そうかも」 「えっ」 「寂しいかも」 「どうしたんだよ。出張なんていつものことなのに」  新一郎はうろたえたが、エミカは涙をぬぐうと元気よく立ち上がった。 「冗談に決まっているじゃない。新ちゃんがいないあいだ羽伸ばしておくね」 「エミカ」  腕をつかまれ、引き寄せられた。 「最近、おかしいけど」 「そんなことないもん」 「そうか? ルークが来てから変だ。なにか心配事でもあるのか」 「ない……」  小さな声で答えるのが精一杯だった。  ジョシュアの登場は、自分でもかなりの衝撃だったようだ。これが見知らぬ魔界の者なら、冷たく追い返していただろう。だが、ジョシュア自身が訪ねてきたとなると話は違う。  ずっと眼をそむけていた自分を、目の当たりにしたような気がする。 「新ちゃん……」  エミカは新一郎に抱きついた。これ以上の言葉は持ち合わせていなかった。  彼は人間なのだから、ここからは立ち入ってはいけない。  新一郎の胸に頬をすりよせ、しばらくそうしていた。 「トクトクと心臓の音がする……」  心音を聞いていると、心が落ち着いてきた。  新一郎の手が髪を撫で、抱きしめてくれた。 「わたしね……」 「ん?」 「すごい幸せなの」 「うん」 「新ちゃんに出会えて、本当に良かった」  ぎゅうと新一郎の体に抱きついた。 「エミカ……?」  新一郎の手が頬を優しく撫でた。 「今度さ──」 「なあに」 「どこか旅行にでも行くか」 「旅行?」 「あ、いや。旅行が嫌なら、なにか欲しいものや、やりたい事でもいいよ。俺に出来ることなら、エミカの望みを叶えてやるよ」 「望み──?」  私の望み……。  優しく笑いかける新一郎に、エミカも微笑み返した。 「何もないわ。新ちゃんが元気ならそれでいい。こうやって優しく抱きしめてくれるだけで充分よ」 「エミカ──……」  今夜は──、手を繋いで眠った。  規則正しい心音が、心地いい。  エミカは夜中に目を覚ますと、ベッドサイドに目をやった。  鍵がかかった引き出しに、鍵穴にむかって人さし指を、くいっと曲げる仕草をした。  すると引き出しが勝手にひらき、そこから香木がついたネックレスが浮かんだ。  かぐわしい、ガドールの香木。  私とともに生き、私の礎となってきた樹木(ガドール)の温もり。  エミカは手にとると、眠っている新一郎の首にかけた。  すると香木は、新一郎の体を透りぬけ中に入っていった。  エミカは、新一郎の髪にふれた。 「ごめんね」  ガドールの香木は、エミカの──いや、エルモアの命そのもの。  エルモアが死ねば、香木の効果もなくなる。  すべての邪気をはらい、命の連動をくりかえすガドールの樹。 「……元気でね」  そっと頬にキスをした。  

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  • ミミズクさん

    羽山一明

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年7月16日 22時57分

    着々と準備が進む復活の儀。呼応するように増大するエミカの不安。彼女自身、もとより平穏な日常に身を置く立場とは遠いものである、という自覚があるがゆえの苦悩なのでしょうけど、魔界に手を貸すことが人間界を救う、と思えばこその決断。いつかまた逢えますよう。

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    羽山一明

    2022年7月16日 22時57分

    ミミズクさん
  • 女魔法使い

    ななせ

    2022年7月18日 0時08分

    応援、コメント、貴重なptありがとうございます。 嫌々魔界に戻りますが、けっこう有名人(?)だから、待遇されたり冷遇されたり、それでも人間の癖が抜けないので、ちょっと浮いた存在になってます(*'ω'*)でも、早く帰りたい~。誤字、見つけてくださりありがとうございました。感謝

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    ななせ

    2022年7月18日 0時08分

    女魔法使い
  • 野辺良神社の巫女

    花時雨

    ♡1,000pt 〇50pt 2022年6月13日 20時16分

    とうとう、魔界に戻る決断をしたのですね。そう簡単には行き来できない二つの世界。ましてや、魔王が復活しそうだとなると、永遠の別れとなるかもしれません。長い長い生命の中で初めて見つけた愛する人と離れるのは身を切られるような思いでしょうね……どうか無事に戻ってこられますように。

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    花時雨

    2022年6月13日 20時16分

    野辺良神社の巫女
  • 女魔法使い

    ななせ

    2022年6月13日 23時58分

    応援、コメント、沢山のpt.ありがとうございます。 旅立っていきました~(正確には、まだ人間界にはいますが)彼女にとっては久しぶりの魔界。早く魔王を片付けて帰りたいとは思ってますが、果たして。誤字、脱字、色々やらかしてしまいました。(^^;)ありがとうございます。感謝(≧▽≦)

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    ななせ

    2022年6月13日 23時58分

    女魔法使い
  • 男戦士

    気にしない人間

    ♡500pt 〇10pt 2022年7月25日 0時21分

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    グッジョブ!

    気にしない人間

    2022年7月25日 0時21分

    男戦士
  • 女魔法使い

    ななせ

    2022年7月28日 0時45分

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    ありがてえありがてえ

    ななせ

    2022年7月28日 0時45分

    女魔法使い
  • サキュバステラ

    特攻君

    ♡100pt 〇10pt 2022年6月14日 11時02分

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    お疲れ様ですご主人様

    特攻君

    2022年6月14日 11時02分

    サキュバステラ
  • 女魔法使い

    ななせ

    2022年6月15日 20時46分

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    サンキューですよ

    ななせ

    2022年6月15日 20時46分

    女魔法使い
  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇10pt 2022年6月13日 20時59分

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    見事なお点前で

    くにざゎゆぅ

    2022年6月13日 20時59分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • 女魔法使い

    ななせ

    2022年6月14日 7時54分

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    ありがとうです

    ななせ

    2022年6月14日 7時54分

    女魔法使い

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