「まさか二日もの間、大雨にたたられるとはな……」
ライ麦のビスケットをぼそぼそとかじりながら、ヴィックはうらめしい気持ちで、未だにぬかるんだ道を眺める。
「そりゃ仕方ないよ……」
彼と同じく、ライ麦のビスケットを頬張りながら、サラは苦笑した。
「天気だけは、どうにもならないからねえ」
デラポスタを発ってから七日目。二人は左手に川、右手側にはうっそうたる森を臨む街道を進んでいた。今は昼の休憩をとっている最中で、二頭の軍馬たちも、彼らの近くでのんびりと草などを食んでいる。
ヴィックは革の水袋の蓋を開けて、少し前に川から汲んでおいた水を飲む。ビスケットを食べてぱさついた口中と乾いた喉が潤され、一息つく事ができた。
(それにしても……)
ヴィックは手持ちの保存食の数々――ライ麦ビスケットや干し肉に干し果物などを思い浮かべて、げんなりとした。
(「ぱさついた不味い食いもん」とは、良く言ったもんだ)
彼は、少し前に自分を捕えた巨漢の悪党ども――連中は恐らく、二、三日前頃に行われたであろう惨たらしい公開処刑によって、すでにこの世を去ったものと思われる――の言葉を何となく思い出しつつ、サラを見やる。すると、彼女もやはり革の水袋から水を飲んでいた。こういった乾物じみた保存食の類を水無しで食べるのは、少々厳しいと言えよう。
「こんな物を食べさせるはめになって、本当に申し訳ないな……」
ヴィックは心底申し訳ない気持ちで、水を飲み終えたサラに詫びる。魔道士討伐という決して楽しいものでは無い内容の旅ゆえ、せめて食事くらいはまともな物を用意しておきたいという気持ちがあったからだ。
「何、言ってんのさ」
サラは意外そうな表情をヴィックに向ける。
「こうして、ちゃんと食べられてるってだけでも有難いものなんだよ? だのに『おいしい物を』だなんて贅沢言っちまったら、それこそ罰が当たるよ」
彼女の言葉に、ヴィックは少し救われた気持ちになった。実際のところ、別に彼は保存食しか用意していなかったわけでは無い。まあ、最初の二日間の昼食こそは、パンとチーズだけという簡素なものではあったが、それでも一日目の夜は、野菜と肉でシチューを作り、それと一緒にパンなどを食べた。
二日目の夜はハムや腸詰めを焼き、それらと若干固くなったパンなどを。
三日目の昼には、保存の利く固焼きパンを、乾燥豆とベーコンを具にして作ったスープに浸して食べ(そうでもしないと、このパンは固すぎて食べられない)、そしてその日の夜には街道沿いの旅籠に辿り着けたため、そこで割と豪勢な夕食と、ベッド付きの温かい部屋にありつく事ができたのである。
食事の事はさて置き、ここまでの旅の行程は二人で立てた計画通りだった。予定ではその後、この旅籠で食料を調達してから出発し、さらに三日ほど街道を進んでラドルヌスの街に到着する予定だったのだ。しかしながら世の中そう上手く事は運ばぬものなのか、予定外の事態が発生してしまう。
四日目の朝、雨が降ったのである。しかも一日中、ずっと。土砂降りの中、旅を強行して体調を崩すよりはと、やむを得ずにこの日は宿に留まる事にした。
すると、五日目も一日中雨にたたられてしまう。若干その勢いは弱まったものの、やはりこの日も旅を見合わせる事となった。
そして六日目。夜のうちに雨は上がっており、しかも晴天に恵まれた。旅を再開する運びとなり、宿を出る際にヴィックは食料調達の交渉をするも、やんわりと断られてしまう。
何でも、この二日続いた雨によって、この旅籠も食材の補充にやや難儀しているらしく、しかもヴィックたち同様にここに足止めされた宿泊客たちも大勢いたとあって、食料は不足気味であり、売るほどの余裕はないとの事だった。
かくして、六日目の日から旅の食事は(念のために多めに用意しておいた)保存食で賄わねばならなくなっていたのである。
味気無い食事を済ませると、ヴィックは背負い袋から丸めた羊皮紙を取り出した。これはコロバルデ公国の中部から南部にかけての地図である。彼は丸まったそれを広げて調べ、現在位置を把握した。そして地図から顔を上げ、彼らの行く先である北を真っすぐに見つめる。右手には森が広がり、左手に流れる川の向こうにも、やはり森が広がっていた。そして、道の先々でも所々に森が見える。
とどのつまり至る所が森だらけであった。この前方、はるか先にも緑色の海じみて広がる森は、そのさらに奥にて。まるで、そこからにょっきりと生えるかのごとくそびえ立つ山がある。「からす山」なる名の山の、その向こう側のさらなる先に、目的地であるラドルヌスがあるのだ。
そこへ行くには二種類の経路がある。からす山の西側か東側、その周囲を迂回する道を通った場合、街までの距離はここから、おおよそ三十一トルネ(約四十九・六キロメートル)ぐらいである。しかし、はるかなる昔――「ロメティア」なる旧王国の存った時代よりもさらなる過去。アルンガット島ばかりか、北大陸のほぼ全土すらも領土に収めていた、「オルンディート」なる強大な古代帝国時代――に作られた「からす山の大隧道(トンネル)」を抜ける道を通れば、街までの距離は、だいたい二十トルネ(約三十二キロメートル)くらいとなり、上手く行けば明日の夕方か夜には街へ着く運びとなる。
もちろんその分の通行料金はかかるものの大した額でも無いため、これを使わない手は無いだろう(早く到着すれば、その分まずい保存食を食べる回数も減るからだ)。
満足げにうなずくと、彼は地図をくるくると丸めて背負い袋の中へしまいこんだ。その時、ひゅんっと空を切る音が聞こえ、ヴィックは思わず音のした方へ振り向く。するとサラが剣の訓練を行っており、彼はそれを見学する事に決める。
彼女は剣の柄を両手で握る、「長剣術」と呼ばれる当世剣術の一つを駆使して、架空の敵との剣戟に興じていた。
中段からの振り斬りや、上段からの下し斬り、側面からのはたき斬りに、剣を背中に担ぐような構えからの力強い払い斬り、そして疾風じみた素早い突き刺しなどなど、多彩な技で「相手」を攻める。
かと思いきや、次は「相手」からの攻撃を想定した防御行動に移っていた。剣で受け流し、あるいは素早く身をかわし、「相手」の攻撃を回避する。攻撃、防御と共にサラの動きには一切の無駄が無く、その上、まるで踊っているかのような美しさすらあった。
「見事だな……」
ヴィックは思わず、素直な感想を漏らす。するとサラは訓練を止めて、こちらを振り向いた。
「ああ、これかい?」
動き回っていたにも関わらず、全く息を切らすことなく彼女は答えた。
「地味だ、なんて言う人もいるんだけどね」
そう言いながら、彼女は自分の剣をヴィックに見せる。どうやら、先ほどのヴィックの感想は、この剣に対するものだと勘違いしたようだった。しかしながら、その剣もなかなか見事だと思ったヴィックはサラに、それを手に取って見せてもらっていいだろうかと頼む。すると彼女は快く了承し、ヴィックにそれを手渡した。
剣を受け取るとヴィックはまず、その重さを確かめる。
(軽すぎず重すぎず、か。いい塩梅だな)
次にヴィックはそれをしげしげと眺めた。その全長は、だいたい三と半ペーデ(約一メートル五センチ)くらいといったところか。次いでその下部を見やる。円盤状の柄頭と、真っすぐ横に伸びた四角い棒状の鍔は、それぞれ金色に加工されている。鍔と柄頭の間の部位、両手でも握られるように少々長めにされた柄の部分は、木で作られたものが被せられ、それにはさらに革が巻かれていた。
彼は、今度は鍔より上の部分に目を移す。その長い三角形の刃は、先端に向かうにつれて細くなってゆく作りであるため、その切っ先はとても細く、そして鋭い。それは斬撃よりも刺突に重きを置いた当世式の剣の特徴であり、そう言った意味では確かに地味な、あまり代り映えしない両刃剣であると言えるのだが。
「美しい剣だ……」
ヴィックはため息交じりに言った。一見地味であまり代り映えしない物であるにも関わらず、彼の目にはそう映る。人を惹きつける「なにか」を感じるのだ。
「これは、相当な業物だろう?」
ヴィックに問われたサラは目を丸くした。
「その剣の価値が分かるとはね! 確かにその通りなんだけど、言われずともそれを見抜いたのは、あんたがはじめてだよ?」
「今までにこの剣を見た奴らには、きっと見る目が無かったんだろうな」
彼は、苦笑交じりに続ける。
「それでもって、そういう連中の持つ得物ってのは、ごてごてとやかましく飾られていたんじゃないか?」
実際、賞金稼ぎや傭兵といった連中の中には、そう言った武器を誇らしげに見せびらかす輩がいたのだが、ヴィックはそれを冷笑していた。
他人の好みをとやかく言うつもりはないが、彼は「鳥やコウモリの翼じみた形状の鍔」だの「竜や獅子の頭を模した柄頭」、あるいは「やたら複雑怪奇な形状の刃」といった、不必要に飾り付けた剣やその他の武器をあまり好いてはいなかったのだ。
そういった物をありがたがる連中は、恐らく物語の英雄たちが手にしている「伝説の(あるいは魔法の)武器」にあやかりたいのだろうが、武器を必要以上に派手に飾り立てた所で強くなれるわけでなし。むしろ、扱い辛いだけではないかと疑問に思っていたのである。
「驚いたね。これまたあんたの言う通りさ」
サラはただただ、感心していた。そんな彼女に、ヴィックは肩をすくめてみせる。
「そんな、派手で目立つ物にしか価値を見出せない連中に、この剣の素晴らしさが――」
そう言いかけて彼は口をつぐむ。思いがけずに剣の刃の平に触れたのだが、そこにかすかな温もりを感じたからだった。
「この剣、刃がかすかに温かいような……」
「そうだよ。それにはちょっとした秘密があってね?」
サラはにやりと微笑みながら解説する。
「――その剣にはだね。何でも『炎の魔法石』っていう物を砕いて、その粉を鋼に混ぜたものが使われてるんだってさ」
「すると、これは魔法の剣か!?」
驚きのあまり、ヴィックは大声を出した。
(だとなれば、この剣は業物どころの話じゃないぞ。とてつもない価値……いや、値段なんてつけられない!)
剣の真価を知り、すっかり萎縮したヴィックは、まるで壊れ物でも扱うかのように恐る恐る、それをサラに返す。
「そんなに大げさにしなくても、そう簡単に壊れやしないさ」
サラは苦笑しながら剣を受け取る。
「そう言えば『壊れる』で思い出したんだけど――」
彼女は、腰に下げた鞘に剣を収めながら言った。
「何でもこの剣はね。どんなに酷く刃こぼれしようと、あるいは真っ二つに折れちまおうと、燃えさかる炎の中に投げ入れれば立ち所に蘇る、って逸話があるんだって」
「それが本当なら、まるで不死鳥だな?」
「おや、気が合うねえ」
サラはにこりと微笑んでみせる。
「あたしもそれを聞いた時、あんたと同じことを考えたのさ。だからこの剣に見合う名前を付けたんだ。『不死鳥』っていう名をね」
「この剣に相応しい名前だ……」
彼女と気が合うという事実に、ヴィックが何となく嬉しさを嚙みしめたその時だった。
彼は、かすかではあったが遠くからの妙な物音を耳にして、表情を曇らせる。そして、ふとサラを見ると彼女も顔を強張らせていた。その物音とは、金属同士がぶつかり合うような音や馬のいななき、そして男たちが上げる鬨の声や悲鳴だった。
それはまさに、戦いの物音だったのである。
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夢華沙紅也
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夢華沙紅也
2021年8月28日 18時05分
須留米(するめ) いかを
2021年8月28日 20時04分
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須留米(するめ) いかを
2021年8月28日 20時04分
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