その週の土曜日の夜十九時。 僕は自転車で、臨との待ち合わせ場所である大学病院近くのコンビニに向かった。 あいつは日中撮影があるとかで、十九時の約束もぎりぎり間に合うかどうか、とかなんとか言っていた。 来なかったら来なかったで、ひとりで行くか……? まあ正確にはひとりじゃないが。 僕が肩にかけているショルダーバッグの中で、もぞもぞと蠢くものがある。 狸の妖怪、リモだ。 リモはあれからずっと、僕と一緒にいる。 親は突然現れた狸に驚いた様子だったが、怪我をしているのを病院で拾って手当はしたけれど病院に置いてはおけないのでしばらく預かることにした、とかいう嘘を言ったら信じてはもらえた。 二つ下の弟は疑いの目を向けてきたけどリモが人懐っこく、分福茶釜よろしく芸のようなものをして見せるから、すっかりうちのペットとなっていた。 幸か不幸かわからないが、両親も弟もリモの言葉がわからないらしい。 たった数日でリモはだいぶ丸くなった。 おかげでショルダーバッグが重い。 コンビニでホットの紅茶を買い、店の前でペットボトルを開ける。 十月の終わり。日が暮れるとさすがに寒い。 両手でペットボトルを握り少しずつお茶を飲む。 「息が白い……」 「おお! 本当だ、寒いですなあ」 バッグから顔を出した狸が、はあ、と息を吐いて言った。 「あぁ。もうちょっと厚着してくればよかった」 これからどんどん寒さが増してくるだろう。 空を見れば月はだいぶ傾き、西の空に消えていきそうだ。 スマホをパーカーのポケットからだし、時刻を確認する。 十九時十五分。 臨が来る気配はない。 特にメッセージも来てないので僕は地面に座り、ぼんやりと空を眺めていた。 「紫音」 しばらくして名前を呼ぶ声に僕は立ち上がり声がした方を見た。 黒のパンツに、カーキのカットソー、それにダークグレーのコートを羽織った臨がこちらへと近づいてくる。 「臨」 「ごめん、遅くなって……て、なにその……えーと、狸……?」 僕の鞄から顔を出すリモを見て、臨は不思議そうに言った。 「あぁ、狸」 立ち上がりながら僕は答える。 「こんばんはー!」 リモが言うと、臨は僕の方を見てにっこり笑った。 「喋る狸なんて珍しいね」 「そうだろうな」 臨ならリモが話す言葉がわかりそうだなと、根拠もなく思っていた。思った通り、わかるらしい。 「どうしたの、この子」 「病院の庭で拾った」 「へえ。この辺に喋る狸なんているんだね」 「ふつうはいねえと思うぞ」 言いながら、僕は臨の隣に立つ。 「おぉ! お兄さんもおいらの言葉がわかるなんてめっちゃ胸アツ! さすが紫音さんのお友達さんですねえ」 「じゃあ、ふつうの人は君と話せないって事?」 「そうなんですよー。なので人前で僕に話しかけるととってもファンシーな人に思われますよ!」 ファンシー……ていうか、狸に向かって独り言いう危険な奴じゃねえか。 よかった、学校に連れて行かなくて。 何度か着いて来ようとしたが、断固拒否した。 僕は自転車を押して臨と並んで歩き、例の山へと向かう。 進めば進むほど街灯は減っていき、人通りもなくなっていく。 臨はパーカーのポケットから懐中電灯を取りだし、それを点けて辺りを照らした。 天狐の山は灯りがなく、闇に包まれた森がただ広がっている。 普段、人が散歩に利用する獣道にも街灯はなく先が見えなかった。 虫の鳴き声が響き、風が吹くたびに枝が擦れがさがさと音が響く。 寒い。 空気がピーン、と張りつめているような、そんな気がして僕は思わず息をのんだ。 「で、臨。お前が言ってた幽霊ってどこにいるんだ?」 「うん。社があるの知ってる?」 「あぁ」 獣道からも、公園からも離れた場所にある古い社。 謂れも何も知らないが森の中にひっそりと建っていて、子供の頃よく、秘密基地ごっこで行った場所だ。 「獣道を進んで行って、その社に向かう道と、山頂に向かう分かれ道のあたりに現れるって話なんだよね」 そう言った臨の声はなぜか弾んでいた。 こいつなんでこんなに楽しそうなんだよ。 僕は獣道の入り口横に自転車を止め、鞄から懐中電灯を取り出した。 首から下げるタイプの物で、これなら両手が空く。 「あー、それ便利だね」 「だろ? 俺はお前と違って機械こわさねーし」 「ははは。僕がそれつけて雷使ったら壊しちゃうね」 臨の能力の難点。 身体に雷を纏うので、電子機器を身に着けて能力を使うと壊す可能性が高い。 だからこんなのぶら下げて力を使ったらすぐに壊してしまうだろう。 僕たちは獣道を進んで行く。 いつも日中にしか通らない獣道。 まるで異世界の入り口のような、先が何も見えず不安を感じさせる。 「なあ、リモ」 「なんでしょう?」 「お前、幽霊の事知ってるか?」 「幽霊なんてそこらじゅうにいるじゃないですか」 当たり前のことのようにリモが言うので、僕は思わず隣にいる臨の腕を掴んだ。 「え、ほんと? 幽霊ってそんなにいるの?」 嬉しそうに言う臨の神経が信じらんねえ。 リモは僕の鞄から飛び出し、僕らの前に二本足で立ちあがって言った。 「はい! わりとどこにでもいますですよ! でもだいたい回収されていきますから、余程の事がない限り、この世に残りませんが」 ってなると、今ここに残っているのはよほどのことがある奴って意味じゃないか。 思わず、臨の腕を掴む手に力がこもる。 その手に臨の手が重なり、僕の顔を覗き込みながら奴は言った。 「大丈夫だよ、紫音。俺がついているんだから」 それを言われ、僕は思わず手を離す。 「何言ってんだお前、馬鹿じゃねーの? そう言うのはカレカノに言えよ!」 少なくとも、僕に言う言葉じゃないだろう。 臨は笑って、僕の方を懐中電灯で照らす。 「あれ、もしかして顔紅い?」 「んなわけねーだろ!」 真っ赤になって否定し、僕はくるりとリモの方を向いて歩きだし、その身体を抱き上げた。 「ほら、行くぞ! 臨」 「はいはい」
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