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いつか荒野のガオケレナ ~されど薬師はカルテをつづる~

読了目安時間:17分

【前回のあらすじ】  ふたたび《大棘(オオイバラ)》を狙って現れた旅装の集団。その正体は、薬師の里の毒薬専門家集団、通称《濁(だみ)》と呼ばれる一党だった。  その《濁》の女・ノルハから、薬師の里・《洞(うろ)》が今や《陰清(いんせい)》の生産で成り立っているという事実と、そのきっかけである《大棘》を里へ持ち込んだのが師匠と亡き母であったことをハナは聞かされる。師匠の屈辱を理解しつつも、責められる立場にないことを理解し、ハナは《濁》たちに《大棘》を返すと決心した。  しかし、握りしめた《大棘》の切っ先は、なぜか師匠の喉もとへと突き出され――

第一章・第十一節<後編> 幻獣とイバラ

「――師匠ーッ!?」  ずるりと、肉に刃の沈む感触。  はたして、剣先の消えた場所に、師匠の体は見えなかった。  代わりに、横合いから伸びてきた大きな腕がそこにあった。白い刀身が黒い(そで)を突き破り、固い肉の中に埋もれて止まる。  師匠の青ざめ切った顔のとなりに、くちばし型の面鎧(ハーフメイル)がある。彼女を背後からかき抱くようにして、士人がハナの刺突(しとつ)を受け止めていた。 「ミ……ミス、ター……?」  なかば放心したようになりながら、釈明がハナの口をついてこぼれる。 「す、みま、せ……手、が、かっ……てに……」  言いながら、刺し傷から刀身をたどって、《大棘(オオイバラ)》の柄を見た。そこを握っているのがたしかに自分の手だと確認して、今度こそ言葉を失う。反射的に手を離しかけるが、そこでさらに愕然とした。 (手が、動かない!?)  ハナの意識は躍起(やっき)になって指を開こうとしていた。なのに力の入る感覚がない。目に見える手の甲には静脈が浮き、指先は赤く充血しているというのに。 (なんだ、これは……意識はたしかなのに……)  背後でかしましい哄笑が鳴り響いている。こいつはけっさくだ。()()()ともども()()()ときた――だが意識はまるで向かわず、次第に激しくなる自身の(どう)()にかき消されていく。音という音がよどみ沈んでいく中、思い起こされたのは師匠の言葉。  ――意識は取り戻せても、肉体への作用は取り除けない…… (《(いん)(せい)》を吸い込んだ体が、《大棘》を手放すことを拒んでるのか? 《陰清》の持つ依存性が、無意識まで支配して? なんてデタラメな!) 「いけない! ハナちゃん、抜かないと!」  師匠の声でハッとわれに返る。と同時にハナは、《大棘》がふたたび雨を吸って赤い煙を吐き出し始めていることに気がついた。  雨水だけではない。切っ先が食い込んだままの刺し傷からは、()飛沫(しぶき)のように《陰清》の霧がほとばしっている。ハナは瞠目(どうもく)した。血の半分もまた水なのだ。  いったん《大棘》を離すのを諦め、ハナは意識を腕を引くことだけに集中させた。今度は意図したとおりに体が動き、《大棘》は突き刺した肉から難なく離れる。  士人が腕をだらりと垂らして地につけ、おおいかぶさられるかたちになった師匠が彼の胸の下で身をよじっていた。そこから抜け出すより先に、師匠は大きな頭に手を添えて、間近で瞳孔をのぞき込もうとする。 「まだよ。しっかりして! 呼吸を深く――」 「ミスター! 師匠ッ!」  士人の背後に白くうねる巨木のような首を見た瞬間、ハナは叫んだ。  間髪入れず、士人が弾かれたように立ちあがる。そばに落ちていたマサカリを拾いあげ、振り向きざまに振りかぶる。  刺獣は、間合いの外にいた。向かってきていない。ただ、ヒトに似た四角い歯の並ぶ口をあくびのように大きく広げ、(のど)(おく)に鎮座する黄金色の目玉をさらしていただけ。  士人はそこで静止した。なぜか。踏み込めば届く距離だったのに、怯んだようでもためらったようでもなく、マサカリを叩きつけかけた姿勢のまま、ただ固まる。  彼をのぞき込む巨大な瞳孔の奥には、真白い奇妙な光がともっていた。小さな光だが、およそ陽光でしかありえないような強い光。その意味するところは見当もつかないが、()()(かん)がハナにはあった。 「刺獣の《眼光(がんこう)》……!?」  士人の背にかばわれていた師匠から、うめくような声が飛び出す。寸刻(すんこく)息を引きつらせながらも、彼女は推移を見張っていた《濁》の者たちを振り返って懇願(こんがん)を始めた。 「お願い! わたしたちごとでもいいから刺獣を()って! このままだとこの人も取り込まれてしまう!」 「あーん? まあいーんじゃね?」  赤毛の女が答える。無関心そうでいて、どこかほくそ笑むように。 「どうせそいつも《陰清》目当てだったんだろ。売る側になろうってハラだったかもしれねえが、まあちょいと気が変わるだけさ。《陰清》だけじゃ、はち切れるまで吸いまくってもたどり着けねえ、格の違う極楽が待ってんだ。代償が一生刺獣()()の奴隷だっつっても、冥利(みょうり)につきちまうらしいぜ?」  既視感のためか、女の言うことがハナにも理解できた。  刺獣が放つ文字どおりの『眼光』。おそらく《陰清》の作用を増幅する特殊な効果がある。依存性をも異常加速させ、《陰清》の影響下にある人間を一方的に魅了する。  魅了された人間はどうなる?  士人は今しがた、自身の血液から生成された《陰清》を傷口から取り込んだ。そして師匠は彼が取り込まれると言った。  現にハナは《大棘》を手放せず、あまつさえ、それを渡すよううながした師匠を攻撃した。  《陰清》による無上の安らぎは、記憶の中ではおぼろげにもかかわらず、深層意識を支配しつづける。意志の力も及ばず、手段を選ぶこともなく、《陰清》を味わう立場を固持するだけがおのれの至上原理に取って代わる。《眼光》が《陰清》を《陰清》以上のものにするのなら、魅了された人間は刺獣を守り、力ずくで《大棘》を奪い返そうとするようになるだろう。そうしておのが身をかえりみることもなく、《大棘》を奪おうとする者がいなくなるか、自身が壊れるまであばれつづける。  刺獣に眼を、口を閉じさせなくてはならなかった。動けないハナにはできようもない――そんなのは明らかだったが、ハナは意を決して石畳に倒れ込んだ。手放せない《大棘》の(つか)(じり)石畳(いしだたみ)に突き立て、(ひじ)を曲げて体を引きつけるようにして前進していく。まず、なによりも刺獣に近づくために。 (立って歩けなくてもいい。《大棘》を刺獣の前に持っていけば、眼もこちらへ向くはず!)  二回と進まないうちに息が切れる。腕にも思うように力が入るわけではなかった。濡れた敷石(しきいし)に額が落ち、跳ねる雨粒を肺で吸い込む。むせ返り、それでも必死で呼吸をしずめようと肋骨(あばら)をきしませる。 (ミスター……! ダメだ、こんなところで……ミスターには、お姉さんがっ……!)  間に合うかどうかなど知るはずもない。わかるはずもなかった。ふたたび顔をあげ、一心不乱にただ前へ――  不意に、(そで)を引かれた。  反射的に振り向いて、止まる。  かたわらに、女が横たわっていた。老婆のような白い髪に、ボロ着をまとう()せた()(たい)。  ハナが《陰清》による幻覚から解放されたとき、足もとで気を失っていて、ずっとそのままだった女だ。今も変わらず寝転んだままでいたが、いつの間にか目があいている。血の気の薄い指先が、ハナの上着(ボレロ)の袖をつかんでいる。  女はまばたきをせず、目に雨が流れ込むのもかまわず、ハナを見つめていた。もともと水をたたえていたかのように濃く澄んだ青い瞳。ハナとおなじ色の目だ。  おなじ色。つながる視線。  視線以外のなにかどこかも、溶け合うように重なる気がして。  瞬間、視界が(あわ)い赤に染まった。 「……は!?」  なにが起きたのか。  降りしきる雨に黒く深く彩られていた街の景色が、一瞬にして薄赤色に塗りつぶされた。薄赤色の、深いもやだ。まるでその色の雲が空から落ちてきたかのような。  もやは色濃く、二歩先も見えない。雨音は激しく続いているにもかかわらず、もやをかき消す気配もなかった。もやの上にだけ雨が降っていないのか。そんなことがあるだろうか。だが現に石畳や肌を打つ雨もない。どころか、石畳はすでに()()()()()()。  うつぶせに這いつくばったまま、ハナの混乱は加速する。乾いている。地面だけではない。自分の服も髪も、あれだけ水を吸っていたのがうそのように乾き切って、素肌にまとわりつくのをやめている。  水はどこへ――悪寒が走る――この薄赤色の雲の正体。見覚えのある色彩。赤く色づく湯気のような(きり)のようなもや。ハナを取り囲んでいたすべての〝水〟が()()()()()のだとしたら。 (そんなことが……どうして……)  触媒たる《大棘》は変わらずハナの手にある。通常、あらゆる触媒の作用条件には『直接ふれること』が含まれる。反応するものの近くにあるだけでは、触媒は触媒たりえない。  《大棘》は例外、ということなのか。ふれていなくても、一定範囲に影響を及ぼせるのだろうか。もしもその状態がずっとつづいているとしたら、降りしきる雨にもやが晴らされないことにも、ハナや地面に雨粒が届かないことにも説明はつく。  ただ、なにがきっかけで急にそうなったかがわからない。  変化の理由がわからなければ、ハナは途方に暮れるしかない。(しゃ)()()()()い進んだところで、湧き続ける雲海の核を持ち運んでしまうのでは脱出も叶わない。  すでに当たり前のように《陰清》の中で息をしている。意識があるのは師匠の処置してくれた気つけ薬の効果がまだ残っているためか。それもいつまで続くかわからない。  まして、処置をしていない師匠たちは―― 「ミスター! 師匠! そこにいますか!?」 「ダメッ、ハナちゃん! 声をあげては!」  もやのむこうに目を凝らして、そこにいるはずの者たちに呼びかけた。しかし間を置かず返ってきたのは、焦燥で焦燥をかき立てるような(こた)えと、小さな白光(びゃっこう)。  光を透かしながら、不意にもやそのものが不穏にうごめく。  最初は、風向きが変わっただけに見えた。歪んだもやの流れが、しかし次第に意志を得たかのような()(みつ)な流動を見せ始める。気体でありながら、なにかの輪郭を得ようとしているとハナが気づいたときには、それはすでにほとんど完成されていた。  鼻すじの長く伸びた細長い顔。大きく開いた(あぎと)の上下に並ぶ、ヒトじみた四角い歯列。  喉奥に眼球こそないが、それは明らかにハナへ敵意と害意を向ける実寸大の刺獣の頭部だった。薄赤色のもやで(かたど)られたそれが二つ、四つ、おなじもやの中にいながら濃度で誇張され、目のない顔でハナを見おろす。  ハナは喉を鳴らした。幻覚だ。そう確信しながらも、噴き出る汗が噴き出た端から変化し、蒸散していくのを肌で感じ取っている。幻覚でなくても、所詮(しょせん)気体。あくまで明晰(めいせき)な判断が頭ではできている。  だというのに、血と骨の狭間(はざま)では嵐が吹き荒れていた。ヒリつく肌がはがれそうに(あわ)立っている。(えん)(ずい)の下で雷鳴じみた爆音が鳴りやまない。 (しぬ……のか? もやに()み切られ、バラバラにされて……それもきっと幻覚なのに。殺される幻覚? わからない。想像できない。死んだことなんてない。幻覚に殺されて、それで、意識はあっても、体が現実だと信じ込んだら……?)  おそろしい想像はほんの一瞬。  完全な輪郭を手に入れたもやの刺獣たちが、声のないいななきを風切り音に変えた。押し寄せる(あぎと)の群れを前にしながら、凍りつくハナには目を閉じるいとまもなかった。  だから――横殴りの暴風が頭上をかすめて、並んだもやの刺獣たちが真横に両断される様も、間近で跡形もなく吹き飛ぶ光景も、ひとつづきに目に映し込んでいた。  見通せない濃霧の中から、大きな黒い影が飛び出してくる。  振り抜いた得物で敷石を削りながら、影はハナのそばで足を止めた。放心していたハナがひとつまばたきをして振り返るよりも早く、大きな手がハナの上着の襟首(えりくび)をつかまえて、また走り出す。 「……へ? ちょっ、なぁっ……!?」  (はら)()いの状態から上着ごと釣りあげられ、ハナは立たされるどころか思い切り宙に浮いた。腰から下がちぎれるかと思ったし、さらにどしどしと地を蹴る疾走でめちゃめちゃにゆらされる。 (幻覚よりこわい……!!)  不意に景色が暗雲と、しとど濡れた街に戻ってくる。肌と服の上をふたたび雨が打ち始める。  勢いをつけてもやの外まで飛び出したのだろう。置き去りにされたもやの雲が、通りの真ん中を荷馬車ひとつ分埋めるようにして鎮座していた。  次第に崩れだす薄赤色の半球体に気を取られるうち、ハナは襟首をさらに引きあげられる。  気がつくとハナはあお向けで、士人の肩の上に寝かせられていた。すぐそばに大きな頭があり、その頭とおなじ目の高さから、通りの先が逆さまに見える。  そこへ居並ぶ旅装の者たちが、弓とクロスボウとにつがえた矢の先を、もれなくハナたちに向けて定めていた。 「出たぞ! ()て!」 「え、ええぇえっ!?」  だれかの怒号とハナの悲鳴。  士人は片手で引きまわしていた長柄のマサカリをその瞬間、無造作に()いだ。間髪入れず飛来した矢たちが、激しい風圧にまとめて軌道を失う。  ()(ぜん)。圧倒されるハナの耳に、《濁》の者らのどよめく声も遅れて届く。しかしどこか様子が違った。赤毛の女の呆れたような声色が響く。 「なんの冗談だ、ありゃあ? 本物かあ!?」 (なにが……)  おののいた素振りを見せる《濁》の者らの視線は間違いなくハナたちに集まっていた。もとい、ハナではなく士人の方を指す者たちもいる。  彼がなにか持っているのか。ハナの位置からは黒帽子と、かろうじて太く濃い眉が見えるだけ。首をひねって、どうにか目もとが視界の入る。  小さくもはっきりとした琥珀(こはく)色の瞳。あいかわらず感情はうかがえない、が―― (あ、面鎧が……?) 「上等だ! 化け物退治ならますます遠慮はいらねえよなあ! 射て、射て射て射て!」  ハナがなにかに気づきかけたのを女の怒号がはばんだ。《濁》の者たちが一斉に次の矢をつがえ始める。  すかさず士人はハナを再度持ちあげた。頭よりも高く掲げるようにして、さらに()()()()()。 「……へ?」  ハナは予期せず雨空を見させられる。その景色が瞬間、()()()()()。  水面(みなも)を突き破って浮き出る感覚とともに。  視界が縦に回り、通りの先の《濁》の者らがすさまじい勢いで近づいてくる。「次射急げェ!」と怒鳴り散らす赤毛の女の一瞬遅れて振り向いた顔が逆さまの大写しで迫ってきて、血走った目が限界まで開き切るより早く、ハナの目の奥で稲妻(いなずま)がほとばしった。 「んぎゅっ!?」 「ぐアァッ!?」  自分とだれかの二つの悲鳴。視界が明滅しながらもう半回転。尻から落ちたと気づいたときには、幸いなにか柔らかいものの上だった。が、額が割れそうに痛くて、ほとんど意識が遠のきかける。 (まさか、投げられるなんて……!)  ぐらぐらする頭を抱えて愕然としながら体を起こそうと躍起(やっき)になる。下敷きにしてしまったのは《濁》の者たちの体か。「っぐぉぉぉぉぉぁあンブタなんつう真似をぉぉっ! ごろずぅぅッ!」うなるような女の()(せい)も足先から聞こえてくる。額を押さえて悶絶(もんぜつ)する赤毛の女が思い浮かぶ。  惨状(さんじょう)は見るまでもなかったが、ハナは痛みでうるむ目を無理やり()らした。乱暴すぎるやり口だったが、《濁》の虚をつくにも充分すぎたはず。  士人は次はどう出る? 師匠は無事か?  しかし三度まばたきをしたハナの眼前には、白い獣の鼻先があった。 「ぁ――」  風を孕むほどの咆哮(ほうこう)。音の衝撃に鼓膜から頭蓋も肺も背骨の芯までも強く揺さぶられる。  血の気を失いながらも、ハナは凝視していた。  めくれあがる花弁のように開き切った刺獣の喉の奥に、白光をたたえた巨大な眼球がのぞいている。  その光の奥に見出せる、(あん)()。  絶対の安堵。悠久(ゆうきゅう)の安寧がそこにあった。いつか手に入るすべてがそこにあると確信した。 「刺獣!? マズい! テメエら早く矢を――」  赤毛の女の怒号が、しかし途切れる。  雨だれの景色が、ふたたび薄赤色に塗りつぶされる。爆発するように、《大棘》を握るハナを核にして、《陰清》の雲が現出する。  見通せない濃いもやの中、巻き込まれた《濁》の者らが次々倒れていくのが音でわかる。かすまない距離にいる眼前の刺獣だけが、なにくわぬ有様で口腔(こうこう)を広げている。光の奥の安寧は、もやを透かしながらより強く鋭く。  やがて刺獣の頭の両側に、小さなもやの(うず)が二つ四つと突き出してくる。渦は濃さを増しながら輪郭を手に入れる。鼻梁(びりょう)の長い獣の首が大口を開けてせり出してくる。今度のは喉奥の目に白光もある。  六つ八つと増えゆく光に飲み込まれ、ハナは意識を保ったまま自身が薄れていくのを感じていた。薄れ、もやの中に溶け、消えていく。それこそが真の安堵と疑わずにいた。なんの責務も使命もありえない、安寧の(いただき)に至れると、急激に賛美しかけた。  だから、その光をさえぎるものが現れたとき、心の底から落胆した。視界におどり出てきたうしろ姿を、憎らしく(うら)めしいといきどおる――はずだった。 (しめい……じぶんのしめい……)  もやの中に溶けゆかない、その見慣れたうしろ姿に、未来の自分を重ねた日を思い出す。 (くすし……薬師の、じぶんの使命は……!)  ずっと(おも)ってきた。  あのうしろ姿を、(くち)()(いろ)の髪を、たおやかな手つきを目で追う日々を、なによりも誇らしいと。 「し……ぃしょ……?」 「……ふふっ」 「あ……」  ほんのいっときだけ振り向いたその人は、弓なりに細めた灰色の目よりも下を、黒いくちばしを模した黒鉄(くろがね)の面でおおい隠していた。  その面鎧(ハーフメイル)姿で前へ向き直り、口腔を全開にした獣たちの前で片手を振りあげる。手にしていたのは、《濁》の者らの()(そん)じたクロスボウの(ボルト)。実体の刺獣の口の中へ腕ごと飛び込ませ、より輝きを強めて迫りきていた黄金色の眼球へと突き立てた。 「ギョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」  憤怒に満ちたこれまでのいななきよりも、はるかにおぞましい咆哮が鳴り渡る。もやの獣が泡のようにはじけ飛び、本体の首が水に落ちた(うじ)のように激しくのたくる。  そして刺獣は勢いよく口を閉ざした。  四角い歯列の合間にあった細腕が、音を立ててひしゃげる。 「――ぁああああああッ!!」  刺獣のあごが赤に染まる。固い面鎧の内側にこだました絶叫を、しかしすぐさま()み殺して師匠は踏みとどまる()(がい)を見せた。痛みにひるむ気配は一切なく、目のない刺獣の眉間を強くにらんで、その下の鼻先に、生きているもう片方の手をひたりと添える。 「情け、ぅっぐ……ないものね。おのれの《陰清(どく)》に当てられて、女の腕も咬み切れないなんて」  師匠の周りのもやが濃い。噴き出しつづける彼女の汗が可視化(かしか)されているようだった。今にも意識を手放してしまいそうなはずなのに、面鎧ごしの声はあくまで気丈にして穏やかで。目の前の猛る獣すらもいたわるように。 「申し訳ないけれど、この子をヘティアのようには、連れていかせてあげられない。あなた自身もよ。寂しさにたえられないのだとしても、夢からは()めなくては」  告げ切ると、今度はハナを振り返った。眉根を広げて目尻を下げ、動く方の手をさし出して。 「ハナちゃん、《大棘》を。今ならこの子に、返してあげられるから」  ハナはこわばった視線を師匠から、彼女の腕に喰いついたまま動かない刺獣へ移す。  額の中心にぽっかりとあいた(くら)い穴。そこが本来《大棘》の収まるべき場所だと確信しながらも、同時にこみあげてきた(おぞ)()に飲まれてかぶりを振る。 「む、無理だ、しーしょ……そんなことをしようとしたら、ハナはまたしーしょを刺そうと……」 「ふふふっ。ハナちゃん、昔の口調」 「し……しょう?」 「そうよ、()()。師匠としてあなたに教えます。ひとりの意志の力だけでは、決して薬や毒には勝てないの。でも、だからね、わたしを信じて? あなたの師匠と、あなたの目の前にいる薬師を」  目の前の薬師――  言葉に導かれたように、《大棘》を握る手をさし出していく。  師匠の指先がその手にふれて、次に手首をつかんで、力強く引いてハナを立ちあがらせる。  ふたり並んで、ともに《大棘》を握り合う。赤熱する刀身よりも、指に絡むもうひとつの体温をあたたかいと感じる。  刺獣の鼻先に《大棘》を掲げると、うなり声をもらした刺獣が感極まったように身震いし始めた。途端、くわえ込まれた師匠の片腕から、気化し切れない勢いの鮮血がほとばしる。 「――くぁあアァッ!!」 「師匠!? 師匠ッ!!」  喰いちぎられる!  ハナがそう確信した(せつ)()、わきからおどり出てきた巨大な影が、刺獣の顔面に組みついた。わずかに残った歯列のすき間にぶ厚い両手を迷わずねじ込み、力任せにこじあけ始める。  もやにかすまない距離でその横顔を見あげて、ハナは安堵と、より大きな戸惑いとを同時に覚えた。 「ミス……ター?」 「……」  横顔は答えず、微かに低くうなるような息を特徴的な()()()に噴きあげながら、刺獣の口を徐々に広げていく。  師匠はしかし動かなかった。はさまれていた腕が十分動かせるようになっても、刺獣の口から一向に抜こうとはしない。紫がかっていく彼女のくちびるを見て、ハナは焦る。 「し、師匠っ、早く腕を……!」 「まだよ。まだ……」  刺獣の口がさらに大きく開いていく。まろび出そうなくらいむき出しになった喉奥の眼球に、折れた(ボルト)が依然として突き刺さっている。  ひしゃげた腕で、師匠はその矢をずっと握りつづけていた。さらにその腕で体を引き寄せ、限界まで開き切った刺獣の口内に上半身を入れる。仰天(ぎょうてん)するハナと、《大棘》ごしにつないだ手も、もろとも引きずり込む。  刺されてつぶされた喉奥の眼球から、血が出るようにふたたび白光がもれ始めていた。  逃げ場のなさに取り乱しかけるハナに、面鎧(ハーフメイル)ごしの目がほほえみかける。 「ハナちゃん、わたしを見て」  真昼の月のような灰色の瞳。いいときも悪いときも、変わらずハナを映し込んできた。  安寧の光がどれほど輝き、か弱いほほえみを逆光の中へ隠したとしても、きっとそのまなざしだけは見失わない。  《大棘》を師匠が引き寄せ、ハナとふたりで、切っ先を刺獣の喉奥へ向けて突き出す。  純白の(けが)れないかのような刀身が、おなじ色をした光の中へ吸い込まれていった。

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  • 丸焼きターキー

    くれは

    ♡200pt 〇10pt 2021年5月31日 8時19分

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    ファンタスティック!!!

    くれは

    2021年5月31日 8時19分

    丸焼きターキー
  • 殻ひよこ

    ヨドミバチ

    2021年5月31日 13時19分

    ノベラポイントまで!圧倒的感謝です!くれはさん!(*>д<)💚

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    ヨドミバチ

    2021年5月31日 13時19分

    殻ひよこ
  • 女魔法使い

    コノハナ ヨル

    ♡1,000pt 2021年7月21日 17時16分

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    貴方に忠誠を誓います

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  • 殻ひよこ

    ヨドミバチ

    2021年7月21日 19時19分

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    天にも昇る気持ちです

    ヨドミバチ

    2021年7月21日 19時19分

    殻ひよこ
  • ひよこ剣士

    橘 紀里

    ♡1,000pt 2021年6月28日 13時54分

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    ファンタスティック!!!

    橘 紀里

    2021年6月28日 13時54分

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  • 殻ひよこ

    ヨドミバチ

    2021年6月28日 22時45分

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  • かえるさん

    こおりもち

    ♡1,000pt 2021年4月4日 10時38分

    師匠の言葉は残るものがありますね。人間は一人で生きないものですし。そしてあるいは強い意志は薬師としての矜持となり、毒を薬に変えられるのかもとも。 それと、冷静に投げるミスターが最高にクールです。

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    こおりもち

    2021年4月4日 10時38分

    かえるさん
  • 殻ひよこ

    ヨドミバチ

    2021年4月4日 19時20分

    ご感想まことにありがとうございます(*´ω`) 孤独なまま薬だけに頼っているとろくなことにならない、と言うと言いすぎではありますが、薬師もまた相手(患者)あっての存在。薬だけ投げ渡せばそれこそ毒にもなることでしょう。その薬師を無言で投げたミスター(笑)そこも作者のお気に入りです。

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    ヨドミバチ

    2021年4月4日 19時20分

    殻ひよこ
  • 闇百合ちゃん

    管野月子

    ♡500pt 2021年6月10日 11時15分

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    全俺が泣いた

    管野月子

    2021年6月10日 11時15分

    闇百合ちゃん
  • 殻ひよこ

    ヨドミバチ

    2021年6月10日 17時41分

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    天にも昇る気持ちです

    ヨドミバチ

    2021年6月10日 17時41分

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    俺 山布田努郎はVRカードゲーム カードジョブオンラインを幼女アバターでプレイしていたら、いつの間にか死んでいたらしい。 そしたら神様にカードジョブオンラインの世界に転生させられた。……前世で使っていたデッキとアバターを引き継いで。 ※2021年6月4日 異世界ファンタジー 日間 72位いきました。ありがとうございます。これも皆様のおかげです

    • 残酷描写あり
    • 暴力描写あり

    読了目安時間:14時間9分

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  • シルク、深淵の探求者(シルクシリーズ第一幕)

    一風変わった異世界ファンタジーになります

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    2021年6月18日更新

    竜族、蜴族、鳥族。 三つの種族が住まうのは、地上より遙か地下。地上での生存はできなくなり、三つの種族は十の階層に分かたれた空間で過ごしていた。 竜族は神とも崇められるほどの絶対的存在、蜴族はそれを崇め、対して鳥族はどの種族よりも卑しいとされる血族。 しかし、この三種族のどれにも当てはまらない者、竜と鳥の混血となる者がいた。 彼は亡き友の想いを継ぎ、地上へ、空へと飛び立つことを決意する。 彼の名は、シルク。 -- 宗教色強めの作品になります。既存作品とはかなり毛色の異なるものではありますが、よかったらどうぞ。 第二幕: https://novelup.plus/story/873563933

    • 残酷描写あり
    • 暴力描写あり

    読了目安時間:2時間28分

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  • 【自主企画】天才フェス

    天才だよ!全員集合!

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    2021年7月24日更新

    物語を彩る天才達。彼らの魅力は私達を惹きつける。 欲張りな私は考えた。そんな天才達を集めた宴は最高に楽しいはずだ、と。 ならば、天才であるこの私が開催してしまえばいい! それが天才フェス。 是非、楽しんでいってくれ。あわよくば、参加してくれ!! ※表紙絵は藤原アオイ様に書いていただきました!ありがとうございます!!

    読了目安時間:11分

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