──夢でも見ているのだろうか。 まずそんなことが頭を過る。続けて、それを確かめてみるつもりで目を凝らすが、やはりその光景は変わらない。……現実、なのだろう。 加えて頬もつねってみるが、それでもやはり、変わることはなさそうだ。 ──やっぱりナツノなの? 月光により照らされたその姿は、まるで見たこともない形をしている。少なくとも、彼女の知る“彼”ではなかった。 今や見慣れた姿勢だけは悲しいほどに似通っている。 幾度となく、繰り返し問い掛けようと口は動くが、乾燥した喉はうまく言葉を紡がない。 そんな掠れた声を風が拐っていったかと思うと同時に、彼がそっと振り向いた。 「僕だよ。驚いたかな?」 察したのだろうか。静かに発せられたその言葉は、まさにエステルの疑問に対する答えでもあった。 固まる彼女に気が付いたのか、それは直ぐに再び前へと向き直る。 ──こんなに違うのに……。 まるで何事もないかような、そんな普段通りの口調を聞くと、胸が張り裂けるようにずきりと痛んだ。 ──予言、伝承、月が満ちる夜に現れるという怪獣、お伽噺、キュライナ、ルルザス、出ていった父、雨、伝承の生き物、龍と鬼、獅子、魔法使い、リコルト、そして──ナツノ。 エステルは、膝から崩れ落ちた。 ◇ その生物……ナツノは庇うようにエステルの前に立つ。 驚いたことに、彼の姿は彼女が見たこともない獣のような姿をしていた。 「これは、獣がベースになっているな。さしずめ狼男といったところか。初めて見たよ、そんなに忠実なやつは。その精霊でも付いているのか」 メアリードが確認をするかのように言葉を発し、ナツノが応える。 「長い年月が掛かったけど、僕の心が描いたものは龍じゃない。……ただの痩せた狼だったんだ」 「心……?」 「苦労したよ。なかなか同調出来ないし……それでいて、鬼や龍にも到底敵わないとも思う」 人狼が──ナツノが胸に手を当てた。 細身とはいえ、幾分か体が大きくなったようにも見える。 「でも、今は僕一人というわけでもないんだ。やれるだけやってみせるよ」 「そうか。苦労したとみえるが、その感覚はわからない。何故なら、鬼は生まれた時からそこにいるものだから。私たちは生まれたときから鬼だった」 メアリードはエステルへと視線を投げる。 「エステル、と言ったかな。離れておくといい。巻き込まれたくはないだろう?」 エステルは黙って一度頷くと、逃げるようにその場から離れていく。 伝説の存在、その一つである鬼に睨まれたようで怖い、いや、恐ろしかったのだ。……しかし、本当はそうでないのかもしれない。 彼女はただ、ナツノが怖くて、とても怖くてたまらなかったのだ。 いつも通りでいて、そうでない。 目を閉じていれば、その異変にも気が付かないほどの彼が、どうしようもなく怖かった。 「少しは信じてもらえたのかな? 龍にもなれないって」 「どうかな。だが、噂では聞いたことがあるぞ。できもしない変身ばかりしている変わり者がいると。……お前のことか?」 「はは……、それはまた酷い言われようだね」 メアリードが口角を上げ、反対にナツノのそれは下がる。侮蔑されたのではなく、単にからかわれたのだろう。 しかし、それもまた事実であるので、彼は苦笑せざるを得ない。 「気持ちはわからなくもないが、大事にしろよ、家を。そして、その魔法をだ」 「わかっているよ。そんなことより、どうして攻撃を止めたのかな?」 苦手な話となりそうな気配を感じ、ナツノは慌てて話題を逸らした。 「やはり怪我をさせるのは不本意だった」 「よく言うよ。あれだけやっておいて」 まるで冗談には思えない台詞に、ナツノは再び苦笑いで返事をする。 先もそうであったが、メアリードの気性は彼には計り知れない。否、瞬間的に爆発するので、案外エルマ以外にはわからないものなのかもしれない。 「正直、冷静でなかったことは認めている。しかし、それほどまでに放っておけない存在であるのは確かなのだ」 「龍……って言ってたよね。でも、僕はトウカのことはほとんど知らないんだ。師は同じだけど、ほとんど活動してる所を見ていないからね。本音を言えば、僕だって驚いてる」 “龍”という言葉にナツノは目を細くする。 思い返せばあの時、ハンザー・リコルトの名を出したのは、彼女がリコルトの家の者だったからか。だとすれば、それを知るクレハは……。 「この世界で龍を感じた。トウカ、あいつだけでなくだ。この世界にはおそらく龍がいる。そして、この世界では誰が龍でもおかしくはない」 「この世界はヒシガル様が関係しているからね。僕も──トウカも、誰も知らない秘密はありそうだ」 メアリードの言葉にナツノは思考を中断され、また、ナツノ言葉にメアリードが声を荒げた。 反射的にナツノは身構える。 「なに、ヒシガル様が関係しているだと? とすれば普通の惑星ではないというのか」 「……何も知らないで来ていたのか。僕達も僕達以外の魔法使いが来るとは聞いていなかったしね」 ナツノもこれ以上は何も知らないと両手を上げ、そこで一旦話を区切ることにした。 聞きたいことはまだまだあったが、変に刺激をするのではないかとの懸念もあったからだ。 「もういいかな? 流石に戦う必要はもうなさそうだろ?」 メアリードのほうもしばらく動きは止めていたものの、やがて頷くようにその構えを解き両手を上げた。 「龍の惑星……か。ヒシガル様の考えはわからないが、私は龍に用がある。好都合だ」 考えるように呟くと今度は魔法を解き、ゆっくりと魔法樹の近くまで歩き始める。その間も何やら独り言を発しているのが聞えていた。 彼女達は一体どの程度の知識を持って動いているのだろうか、などと考えていた時、ふと、その一つに見知った誰かの名前が聞こえた気がするも、割り込むことは止めておく。 「トウカとは揉めないで欲しいけど、難しそうな気がするな。かといって、僕が止められるとは思えないし」 その代わりに、せめてもの牽制……にはならないだろうが、願望を伝えておくことにする。彼女とはまだまだ協力して為さねばならぬことがあるのだ。 ナツノと違い、トウカはメアリードの戦いには応じるスタンスでいる気がしてならなかった。 ナツノも元の姿に戻ると、何度か頭を掻いてみせる。そして、追い掛けるように魔法樹へと歩みを進めた。 「ああ……リコルトだったなら、特にな」 「ん、どうして?」 「予感だよ。龍と鬼、どこかの国みたいだろ?」 はぐらかされてしまったような気がしたが、それ以上は聞いたところで答えはきっと返ってこないのだろう。 適当な場所に腰を降ろすと、二人の間に少しの静寂が流れる。 「──エルマは? 着いたときに叫んでいたけど」 ナツノの問いに、メアリードは顔をしかめた。 「わからない。転移が遅すぎることを考えると、不慮の事態に陥っているかもしれない」 「不慮? 一緒だったんだよね?」 「ああ、結果としては戦闘に巻き込んでしまったが……」 メアリードはそれきり言葉を詰まらせる。 「そういえば、戦闘中に転移させられたって?」 「私も熱くなっていた。退くことが出来ない私を庇い転移を発動させたようだが……てっきり本人も後から来るものだと思っていたが、途切れてしまった」 思い出すように目を閉じて、こめかみの辺りをトントンと叩く。 転移とは、どういう魔法になるのだろうか。 「最初に出会った時も転移をしてきたと思うけど、再発動までに多少時間が?」 ナツノが確認をするように問うと、メアリードは頷く。 「ああ、エルは慎重だからな。いつも同時には飛ばなさないな」 「ということは、しばらくトウカと戦ったとみるほうがいいよね」 「エル……」 心配なのだろう。真剣な眼差しで、彼女はここではない何処かを見つめていた。 「間に合うかわからないけど、助けにいってみる? 僕もトウカに会いたいんだ」 メアリードは静かに首を振る。 「いや、一人でいい。そのほうが気楽だ。それに、今度はお前のことを伝えておく」 「そうだね。実は僕も今はあまりここを離れたくないんだ。ただ、場所だけは教えてもらいたいんだけど」 初めて得たトウカの情報は、是が非でも手に入れておきたいとナツノは思った。 「ラザニー、そう呼ばれる街だ。国境際の砦、グランバリーからマーキュリアス領へ入ることが出来ればすぐにたどり着けるはずだ」 「グランバリー、聞いたことないな。エステル、わかるかな?」 何気なく声を掛けたが、聞こえなかったのだろうか。 「ん、エステル?」 振り返って姿を探すが、その姿は見えなかった。少なくとも付近にはいないようだ。 「気付いていた?」 不思議に思いつつもメアリードに聞いてみる。 「いや。離れておけとは言ったものの、それからは特に気にしていなかった」 「キャンプのほうにまで戻ったのかな。正直考えにくいけど」 ここにいない以上、思い当たる場所はそこしかないが、直ぐに見つかるだろう。 「怖い思いをさせたことはすまなかったな」 「直ぐに襲ってくるのは勘弁して欲しいな。二回目だし」 少し大人しくなったメアリードに、ナツノは少しだけ意地悪に笑い掛けた。 「ああ、気を付けるよ。しかし、お前もあいつに会えたら注意しておくんだ。急に暴れるんじゃないってな」 ナツノは少し驚いてから、その後再びメアリードに微笑んだ。 既に真夜中になっているであろうというのに、とても明るい空だった。 「うん。言い聞かせるよ」 最後に珍しく口元を綻ばせると、メアリードは直ぐに何処かへ向かっていった。 その姿を見送ると、ナツノはしばらくその場に倒れこむ。彼女はその足でラザニーという街まで戻るのだろうか。 ──フリットが戻ってきたら向かうことにしよう。 ナツノがエステルを探すために再び歩き始めたのは、それからもう少し時間が経ってからだった。
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ロッシ
エステルは何か大きなものを抱えているみたいですね💡それに、ナツノのことが怖くなってどこかへ行ってしまったみたいですし、相当なトラウマ的なものがあるのでしょうか?😿ナツノはフリットもエステルも仲間のように思ってるみたいですが、人の心はそう単純ではないってことでしょうか🐱
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ロッシ
2022年1月16日 9時19分
山岡流手
2022年1月17日 0時06分
いつもありがとうございます。 実はエステルも色々ありまして、心の奥では悩むことも多いようです。そりゃ、皆色々ありますよね。ナツノもナツノで仲間と認めたのならもうちょっとしっかりしても……! まったくもって悩ましい局面となってしまいました。
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山岡流手
2022年1月17日 0時06分
花時雨
こちらは無事に収まったようで何よりでした。でもエステルは見たくないものを見てしまったようですね。ショックが大きそうです。大丈夫かな……
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花時雨
2021年12月24日 19時29分
山岡流手
2021年12月24日 22時12分
いつもありがとうございます。 一時は危ないところでしたが、なんとか争いは収束しました。しかし、二人の魔法使いを見たエステルの胸中はそうでもなく……。実は彼女もまた、知らずのうちに魔法使いと接点があったのかもしれません。それは伝承なのか、お伽噺なのか。
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山岡流手
2021年12月24日 22時12分
成橋 阿樹
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成橋 阿樹
2021年11月2日 10時03分
山岡流手
2021年11月2日 12時24分
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山岡流手
2021年11月2日 12時24分
結月亜仁
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結月亜仁
2021年12月29日 15時59分
山岡流手
2021年12月30日 2時36分
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山岡流手
2021年12月30日 2時36分
つーちゃん
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つーちゃん
2021年12月12日 21時34分
山岡流手
2021年12月12日 21時46分
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山岡流手
2021年12月12日 21時46分
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