両手一杯のカルミアを君に

奴隷の少女

     檻の中に彼女はいた。  いや、〝居る〟という表現が正しいのか分からない。彼女はただ、虚空を見つめる様な虚な瞳を、ただこちらに向けていたのだ。  目の前にいる私を見ているのかすらも定かでは無い。現にその目は、私を〝写して〟はいるが〝認識〟はしていないーーーーそんな眼差しだった。  歳は十五、六歳だろうか。  無造作に伸びた髪は洗っていないのか痛んでおり、服も汚れていて、とても人間らしい生活を送っている風には見えなかった。奴隷という立場の存在が、これほどまでに現実世界から乖離した環境にあるのだと、この時、私は改めて知らしめられた。そして、奥歯が砕けるくらいに強く噛み締めた。 「さて旦那、如何いたします? エルフは見た目で歳は分かり辛いですが、〝夜伽〟で使うのなら、この辺りをお勧めしますが……」  言うに事欠いてこれか。  反吐が出そうになりながらも、私は黙って金を出しーーーー目の前のエルフを買った。  ◆ 「ただいま、今帰ったよ」 「ああ、お帰りなさい」  玄関を開けると、洗い物をしていたのか、エプロン姿の妻が出迎えてくれた。彼女の名はユノ、私より五歳下の自慢の妻だった。 「洗い物ならメイド達に頼めばいいじゃないか。君はまだ、ちゃんと寝ていなければ駄目だ」 「……でもね、寝てばかりだと気が滅入るし」 「…………」 「うぅ、ごめんなさい。明日からはちゃんと寝ておくからーーーーあら?」  ユノは私の後ろにいたエルフを見て、ポカンとした表情を浮かべた。  それもそうだろう。私は家を出る時、エルフを買ってくるなんて言ってないのだから。 「アナタ、この子はどうしたの?」 「街で売りに出されていた。だから、買った」 「……へぇ」  私は自分でも理解しているが言葉足らずな所がある。だがユノは、そんな私の言いたい事を、この短い言葉から拾い上げるのが上手かった。 「ふふ、じゃあまずお風呂にはいりましょうか? ねぇアナタ、この子の名前は?」 「名前?」 「まさか、決めてないの?」 「……む」 「じゃあ、私がお風呂に入れてくるから、その間に決めておいてね」 「……ああ、わかったよ」  そう言い残し、ユノはエルフの少女を連れて浴室へと向かった。その後、後から来た一人のメイドが恭しく頭を下げた。 「旦那様、外は冷えたでしょう。いいブランデーが手に入りましたので、すぐにお部屋にお持ちいたします」 「助かるよ。しかし……相変わらず街の様子は酷いものだ」 「ええ……しかし、昔からそんな街ですよ、此処は」 「……そうだね。じゃあ、ブランデー楽しみにしているよ」 「はい、旦那様」  メイドはカーテシーと共に頭を下げると、足音も無く踵を返した。私はそのメイドの、少しばかり尖った耳を見送りながら立ち尽くした。  そして、ゆっくりと屋敷の中を見廻す。  壁一枚隔てたすぐ向こうでは、先程の様な人身売買が当たり前に行われているのだ。特に、エルフやハーフエルフといった種族は〝扱い〟が劣悪だ。人権なんてものは粉微塵に砕かれ、家畜の方がいい生活をしていると言っても過言では無い。  あのエルフの少女も例外では無く、食べるものもロクに与えられず、ギリギリ命を繋いでいたのだろう。  自室に戻ると、メイドがブランデーを運んでくるのを待ちながら、読みかけの本を手に取る。  この本は、とある資産家の生涯を綴ったものだ。  貧しい幼少を経て、猛勉の末に莫大な金を手にするというありきたりな話だった。成金と呼ばれ、金を手にしてから貧しい人々を卑下した結果、召使いに毒を盛られて死ぬという、なんとも言えない後味の悪さが印象に残っていた。  それを差し引いても読み返したくなる様な、そんな不思議な魅力がある作品だと思う。現に私は、決して短くはないこの小説を既に五回は読んでいた。そして六回目にあたる今、主人公が金を手にした場面に差し掛かっている。  次のページをめくろうとした時、静かに部屋のドアがノックされ、私は手を止め「どうぞ」と返事をした。規則正しく三回ノックするのは、あの子の癖だった。 「ブランデーをお持ち致しました、旦那様」 「ありがとう、鍵は空いているよ」  私の言葉を受け、先程のメイドがブランデーと小さな皿を乗せたワゴンを運んできた。  頭を下げると、手際よくテーブルにグラスを置き、ブランデーを注ぎ入れる。皿の上に乗っていたのはチーズのようで、羊乳で作られたフェタチーズらしい。その傍らには、鮮やかな色をしたサーモンが添えられていた。 「その本、お好きなんですね」  椅子から立ち上がり、テーブルのあるソファーへと向かう私に彼女はそう言った。一度、彼女にもこの本を貸したのを覚えている。感想は味気ないもので、「私にはよく分かりません」と言っていた筈だ。  そして彼女は「旦那様は、その作品に自分を重ねていらっしゃるのですか?」と付け加えた。  私は笑いながら「毒殺されるのは勘弁願いたいね」とチーズを口に運んだ。独特の酸味とブランデーの風味との相性が良い。 「安心して下さい、旦那様は愛されておりますよ」 「ほう? 随分ハッキリと言ってくれるね」 「少なくとも〝私達〟は、旦那様に命を救われました。その恩義を、残りの命を賭して返していきたいと思っております」  彼女はそう言うと、メイド服に手をかける。やがてブラウスと下着姿になると、そっと私の上に跨ってきた。 「……旦那様、私は」  瞳を潤ませ、彼女ーーーーハーフエルフのアルメダは私を見下ろしている。琥珀色のセミロングの髪がシャンデリア越しに輝き、透き通る様な肌には朱が差していた。  私はゆっくりと彼女の肩に手を置くと、そっと起き上がり頭を撫でる。アメルダは眉を顰め、膝の上から降りると涙を拭い、頭を下げた。 「……失礼しました、旦那様」  身を引き裂かれる様な、そんな悲痛な顔をしていた。目は腫れ、強く唇を噛み締めるが、私はその顔に触れそうになり、寸前の所で手を止めた。 「……アメルダ、覚えているかい? いや、覚えているからこそか。私と君が出会った日の事を」 「……忘れる訳がありません。旦那様に救われるまでの日々は、ただの地獄でした。でも、このお屋敷に来てから、私は初めて……生きたいと思えました」 「ああ、そうだね」 「旦那様、私は悔しいのです。奴隷として生まれ落ちた運命が、叶わないと決まっているこの想いが」 「……一つ、君に頼みたい事があるんだ」  私の言葉に、アルメダはゆっくりと顔を上げた。 「これから君はーーーーいや、私が屋敷に連れてきた皆は、強く生きなければならない。どんな運命が待ち受けても、自分の考えを信じ、尊重して欲しいんだ」 「……仰る意味が、私には分かりません」 「大丈夫、君達なら大丈夫だ」  立ち上がると、アルメダの涙をハンカチで拭った。そして出来る限りの笑顔を作り、その頭を撫でた。    立ち尽くす彼女の願いは聞き入れる事は出来ない。私と彼女は、主人と従者であると同時に、家族なのだ。  それを無理やり飲み込んだのか、アルメダは頭を下げて部屋を後にした。  ◆ 「お待たせアナタ。ほらすごく可愛くなったでしょ?」 「……これは見違えたな」  先のアルメダの件もあったが、私は無理やり平常心を保ちながら返事をかえした。  風呂から上がったユノは、私が連れてきたエルフの少女を部屋に連れ「これから頭を乾かして、服も見繕わないと」と張り切っている。  ユノは貴族の生まれで、私は婿養子として今の地位を手に入れた。  今思えば私達は若かった、何もかも。相手を愛していればどうとでもなると信じていたのだ。  私達の婚約は彼女の両親に大層反対されたが、駆け落ちにも近い状態で家を出た。しかしユノが病を患っていた事もあり、なし崩し的に婚約を認めてもらう形に収まったのだ。  しかしその病はかなりの難病で、薬も無く、発病から十年生き延びるのも稀と言われていた。ユノは二十歳の時に病を患い、その歳に私と知り合った。  今日みたいに肌寒い昼下がり、ユノは橋の上から水面を見つめ、靴を脱ごうとした時に私がそれを制した。今でも鮮明に覚えている。儚げに涙をたたえた、あのユノの表情を。  私はその病を知った上で、ユノの両親の前で彼女を妻にすると宣言した。そして、ユノの父親と命を賭けた約束を交わしたのだ。  ユノが死ぬまで、その側を離れないと。  私はその約束を、契約を、我が人生の根幹として、愛し添い遂げる決めた。  幸いにも、自然に囲まれたこの地に移ってからユノの体調はすこぶる良かった。ただ不満があるとすれば、奴隷制度が根強い土地柄である事だ。  アルメダもそうだが、私はこの地に移ってから、使用人として何人かのハーフエルフとエルフを買った。ユノに楽をさせてやりたいという思いか、売られていた彼女達の死んだ様な目を見たからなのかは定かでは無い。ただ、奴隷としての彼女達に残された選択肢は、死か、それよりも酷なものしかないのだと私は知っていた。  同情と言われたらそこまでだ。だが、私はどうしても、彼女らに対して拭いきれない後ろめたさがあった。それがある限り、私は本当の意味で彼女らを受け入れる事は出来ないだろう。だから、上部だけでも良い主人を演じようと思った。  いつか、その瞬間が来るまでは。 「ねぇ、アナタ?」 「…………」 「ねぇ、アナタってば!」 「……ん、えっと、何だったかな?」 「もう、また考え事してたでしょう。約束したじゃない、この子の名前を考えてって」 「ーーーーあ」  すっかり失念していた。  しかし、今更忘れていたと言えない私は、パッと思いついた名言葉を口にしていたのだ。 「カルミア……この子の名前は、今日からカルミアだ」 「カルミア? ……うん、語感の良い名前ね」  ユノは屈んでカルミアと名付けた少女と同じ目線になり、優しく頭を撫でた。 「よろしくねカルミア、今日から貴女も家族よ?」 「カル……ミア?」  小さく途切れ途切れになりながら、少女は繰り返した。私もユノの隣に歩み寄ると、カルミアと名付けた少女の手を握り、その長い髪を撫でた。 「ああそうさ、君は今日から、私達の家族だ」  贖罪という名の楔と共に、私は新たな家族を得たのだった。

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