境界線上の魔王

読了目安時間:17分

エピソード:15 / 142

2-5 魔王

 後背を圧迫するモノが、しゅるしゅると音をたてて微震した。ひと呼吸ののち、それは弾けて紐状に広がり、宙を駆るクリスの靴底をかすめた。 「やっ!!」  風に身を乗せる魔法に緩急をつけて、身をよじりながら短剣を一閃。むなしい手応えと同時に、紙吹雪のように何かが散って、溶けてなくなった。  効果のほどはといえば、多少怯んだ様子はみせたものの、それ以上目立った反応もない。溜め息を吐いてしまいたい思いに駆られたクリスは、数回の無為な駆け引きののち、それを実行した。 「…………」  クリスの胸中やいかに、と、彼女をよく知る者であれば抱くであろうレフィリアの配慮は、この場では杞憂に終わった。言い換えれば、クリスにとってこの戦いは有意義なものではなかった、ともいえる。  剣による攻撃は、おそらくほぼ効力がない。いまや、池から産まれたとは考えがたい体積となり、なおも増殖し膨れ上がる体の一部を切り落としたところで、薄皮をめくる程度のダメージにしかならなさそうだ。  境界線の一部から生まれたということもあって、魔法は斬撃以上に効果が薄かった。粉々にするつもりで風の魔法を投げ込んでみたところ、巨躯の端々が涼しげにそよいだので、それ以上の追求をやめてしまった。  と、なると打つ手がない。結果、必要最低限の──効果は求められないであろう──牽制だけを繰り返しながら、視界に映るようにひらひらと逃げ回り続けているだけで、それが楽しいわけがない。端から見ると、獲物を追いかける猫と、猫から逃げ回る蝶のようにも見えるかもしれない。  ふと、背後に魔力の気配を覚えて、クリスはわずかに緩んだ手元を引き締めた。 「クリス! こっちは終わったぞ!」 「はい!」  みじかい返答を返して、クリスは再び斜め後方へと斬り返した。風に乗って飛翔してきたレオンを避けるかのように、クリスへと追いすがる化け物の腕の一部が、音もなく解けて力なく落ちていった。さらにつづいた攻撃も、横薙ぎに振るわれたレオンの剣に斬り落とされ、クリスの身を捉えることはかなわなかった。 「これからあの池を破壊する! こいつに変化があるかもしれんが、それまで牽制してくれ!」 「承知……しましたわ! お兄様も……お気をつけて!」  隙間をくぐり抜けて距離をおいたレオンには目もくれず、化け物の大小さまざまな攻撃がクリスへと浴びせられた。上下左右に飛び回りながらそれを躱して、ちらりと下方を流し見ると、地上のふたりが今まさに池を破壊せんと剣を振り上げた瞬間であった。 『オ……オォ……オオォオオ!』  にぶい音が空高くまで響いて、池を囲う魔力を帯びた石が砕けた。黄金色の流動体が溢れ出すのとほぼ同時に、化け物が動きをとめて咆哮を放った。叫ぶやいなや、不可解なほどまでに執着をみせていたクリスに背を向け、太い脚部をもたげて地面を蹴った。白い帯のようなものが全身から無数に飛び出して、池へと目掛けて宙を踊った。 「好機!!」  状況の変化を黙って見過ごすほど、クリスは穏やかでも日和見主義でもなかった。  化け物の背面へと、放たれた矢のように直進し、化け物の足取りに合わせて双剣をひらめかせた。  糸状に走り抜けた閃光が、いくつもの軌跡をえがいた。音のない斬撃の直後、化け物が咆哮とともに動きを止めた。執拗ともいえるほどの斬撃が、化け物の足首を半ば切断したのだ。  膝を折りながら、なおも背から攻撃を繰り出す姿勢を見て、クリスはふたたび剣を握りなおして空を駆った。  どうやら、化け物は攻撃と修復を同時に行うことができないようだ。それでも池に執着するあたり、こちらの読みは概ね的を射ているらしい。 ──ならば、ここで仕留めるまでだ。  クリスを乗せた風が、よりいっそう烈しさを増した。狙いは一点、斬撃の効果が見て取れる左足首を、次の一撃で切断する。そうすれば──  不意に走り抜けた衝撃が、クリスの思考を切断させた。左右を高速で流れていた景色が急停止して、クリスは反射的に振り返った。  紐状のなにかが、クリスの足首をがんじがらめに捉えていた。化け物の背から池へと延びた紐状の攻撃のうち、一本だけが地を這い迂回して、後背へと襲いかかってきたのだった。  短時間の思考は、強制的に中断させられた。拘束されたクリスの足が、体ごと化け物に引き寄せられる。 「風よ……!」  咄嗟に行使した魔法は、力の流れが定まらず、むなしく髪をたなびかせた。振りかざした剣も、体ごと絡め取られて微動だにできなくなった。  身体中から体力と魔力が抜け落ちて、思考がぼんやりと滲んでいった。まどろみによく似た倦怠感のさなか、指先に触れた剣の感触が、薄らいだクリスの瞳を見開かせた。 「負けて……たまる……かあぁあぁ!!」  勝利の雄叫びのような化け物の咆哮をかき分けて、クリスはあらん限りの力を振り絞って喉を震わせた。叫ぶ勢いのまま身をよじり、獲物を飲み込まんと口を開いた化け物の顎部へと、拘束されたままの手に握った剣を突き立てた。 『……カ……オォォオ……』  はじめて苦悶の片鱗をみせた化け物の拘束が緩んだ。振りほどくや否や斬撃をお見舞いしたクリスだったが、距離をおいた直後、均衡を失うかのように空中でぐらりと崩れた。その隙めがけて振り下ろされた腕をかい潜って疾駆したレオンが、クリスの体をすんでの所で拾い上げた。 「無茶はやめてくれ。心臓に悪い」 「ごめんなさい。過信しすぎましたわ」 「いや、おれも侮っていた。もう少しばかり頭が働かない化け物と思っていたんだがな」  こいつの目的は、最初から一貫してクリスだった。池の破壊を口実に、自分の目標がクリスから外れたように装って、おれたちを欺いてみせたのだ。  考えてみれば、こいつは叡智の化身ともいえる魔力から産まれたのだ。全身筋肉の能なしであるほうが、むしろ不自然といえる。 「……もう、動けますわ」  片手で魔力補給剤を飲み干したクリスが、遠慮がちにレオンから離れた。化け物はといえば、首から上をこちらを睨みつけるような角度に据えたまま、千切れかけた脚部の修繕をはかっている。 「いかがなさいますか、お兄さま」 「そうだな。池を壊してもこいつは活動できるようだし、直接倒してしまうしかなさそうだな」 「ですが、どのように?」  逸るような声をあげたクリスをよそに、レオンは空を見上げながら、髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。 「剣の攻撃が有効なら、物理魔法も効果があるとみてるんだが。さて、どうなることやら」  レオンに倣って、訝しげに空を見上げたクリスの額に、透明な雫がぽつりと落ちた。渇いた気候から一変して、暗灰色の雲から訥々と降り始めた雨が、瞬く間に視界を濁らせる豪雨となった。 「よしきた」  頭上に風魔法を展開させて雨を避けるクリスの隣で、レオンは前髪に雫を滴らせながら剣を天に掲げた。雨に濡れた銀色の刀身を、純白の膜が覆い尽くした。それを追うように、薄氷が乾いた音をたてながらレオンの体を覆いはじめた。 『わが眷族よ! 凍てつく魔力よ! やわらかな青の滴を、万物を穿つ白き牙へと化身させよ!』  剣先から飛びだした青白い光が、化け物の頭上周囲を旋回した。何かを感じ取ったのか、化け物が腕をおおきく振るったが、もはやすべてが手遅れであった。  化け物に降り注ぐ雨という雨が、粒の先端からするどい氷塊となって、化け物の腕を貫いた。掲げていた腕はひと呼吸のうちに原型を失い、その巨大な体躯は見るも無残に、言葉の通り蜂の巣状に穿ち抜かれた。  悲鳴や咆哮が轟くことはなかった。無数に自由落下する氷柱が、空いた穴の隙間を埋め尽くしてなお降り積もり、化け物を氷像さながらに閉じ込めてしまったからである。 「…………はぁ」 「お兄さま!」  抵抗していた化け物が動きを止めると、それを追うように、レオンの体に貼り付いていた氷が弾けて消えた。レオンを支えたクリスがふわりと地上に降り立つと、草木が硝子のような音をたてて砕けた。地表近くは凍えるような風がいまだ吹き荒れており、レオンの魔法の規模を黙して語っていた。 「悪い。久しぶりだったから思いっきりやったら、魔力の残りカスまで使い切っちまった」 「人に言っておいて、自分も無茶してるじゃないですか」 「まったくだ。危なっかしい」 「なんだお前ら、ふたりして……」  駆け寄るなり毒づいたレフィリアに反応する声も、力なく歯切れ悪い。状況の沈静化を手にした代償ならば手を打とう、とでも言いたげに、レオンは苦々しげに笑ってみせた。呆れたように笑い返したレフィリアが、ちらりと化け物へと視線を転じた。 「さて、こいつをどうするかだが……」  逡巡と返答を、不穏な音がさえぎった。耳をつんざく叫び声がそれに続いて、氷の天頂部から化け物の腕が飛び出した。 「――――っ!!」  まだ万全とはいえないふたりを庇い立てするように、レフィリアが前へと躍り出た。濡れた長髪を荒々しくかき上げて、抜き放った細剣を胸に押し付けるように構えた。 『荒れ狂え黒雲! 我に弓引く彼の者に、白銀の鉄槌を下さん!』  脚部を寸断され、体中に大穴を空けられ、氷漬けにされてなお再起した化け物の頭上に、黒々しい雲が不自然に集約しはじめた。化け物が半壊した氷の檻を乗り越えようとした瞬間、目の眩む稲光が天地を横断した。 『ギャアアアアアアアアッッ!!』  翻訳を要さない、明解な悲鳴があがった。化け物の白い表皮の至る所に刻まれた赤い亀裂から、形容しがたい色の煙がゆっくりと立ち昇っている。 「……………………」  眉をひそめたまま、レフィリアが掲げていた剣をおろした。その瞬間、気配を失っていた化け物の体がぴくりと動いて、太い腕が蛇のように延びた。  矛先のレフィリアが眼光をひらめかせた。拾い上げた軍帽を目深に被り直しながら、剣を前方に突きつけた。 「芸がないぞ、化け物め!」  前のめりになった化け物の胴体を、雷鳴がふたたび貫いた。二度、三度と反復される轟音が、衝撃にのたうち回る巨躯に容赦なく打ち付けられた。燻った全身は、さながら焼却された書籍の山のごとく、かろうじて原型の面影を残しながら、灰となるのを静かに待っているようにも見えた。 「レフィリア……」  呼び止められて、レフィリアはわずかに苦笑して振り返った。 「さ、これで全員、打ち止めだな」  清々しさすら感じさせる発言に、ふたりも言葉を失った。わずかな間をおいて、レフィリアは表情を改めた。 「奴が起き上がるようなら、私は置いてゆけ。元より私が立案した作戦だ、お前たちを最後まで巻き込むつもりはない」  かろうじて残された気力を言葉に変え、ただ無意識に立っている。レフィリアの声からは、そんな印象すら感じさせる迫力があった。  耳に心地よく滑り込む明朗な声に、地鳴りのような音がつづいて、レフィリアの背後で化け物の体がうごめいた。なおも口を開こうとしたレフィリアの肩を、力なく歩み寄ったレオンが支えた。その脇を、クリスが無言のまま通り過ぎた。 「……はいわかりました、なんて言うとでも思ったのか、おい?」  抱きすくめたレフィリアの頭のそばで、レオンが不快げに鼻を鳴らした。 「レフィリア。わたくしが諦めないのは、信念や矜持などいった立派な理由からではありません」  静かな会話の向こう側で、化け物が身を引きずるようにして起き上がろうとしていた。絶望的な光景を背に、クリスは少しだけ困ったように、薄く笑ってみせた。 「目の前の苦難に一度でも背を向けてしまうと、本当に逃げてはいけない時にも逃げてしまう。わたくしには、それが怖くてたまらないのです」 「…………」 「きっちり終わらせて、一緒に帰りましょう、ね?」 「帰るところは別だろ」 「そうですわね……」 「……ふ、ふふ、かなわないな、全く」  レオンから離れたレフィリアが、ゆっくりと剣を抜いて構えた。肩をすくめながら、レオンもそれに倣った。 「好きなようにしろ。援護は約束する」 「ええ。背中、お預けしますわ」  変色した胴体を持ち上げて、化け物が身を起こした。剣を構えて立ち尽くすクリスの姿をみとめると、みじかい咆哮をあげて、まっすぐに猛進した。ふたりの魔法を身に纏ったクリスが、真正面から応対するように地を蹴った。  ──魔力の無駄遣いはもうできない。風の魔法に頼っていたぶん、いつもより強く速く、一歩を踏みしめ、蹴り出す。  化け物の腕が突き出てくる。まだ剣は振りかぶらない。直前まで、相手の攻撃を引きつけ、観察して── 「今!!」  クリスの左足が、ひときわ強く地面を蹴り出した。  直後、横合いからすさまじい暴風が叩きつけられて、クリスの前髪が左方へと、体ごと煽られた。それが風の仕業だと理解した直後、澄んだ琥珀色の瞳の中心に、化け物の腕が映し出された。  その瞬間であった。  切り取られたような、限りなく静止したクリスの視界が、風をともなう何かの影をとらえた。一瞬にも満たない凝縮された時間のなかで、その影はこちらを確かめて、あわてて目を逸らしたような、そんな気がした。  轟音とともに、時間が動き出した。風に乗って現れたその人影が、クリスの鼻先に迫った化け物の腕に飛び蹴りを放ったのだ。  前言撤回、風の魔力で全身を急停止させたクリスの目の前で、化け物の体がいびつに傾き、浮かびあがって、放物線をえがいて空を舞った。衝撃が地表を削って、凍りついたままの草花と白露が眩い光をともなって飛散した。 「よくぞ吠えた、ヒトの子よ!」  金属音を伴う、重々しい足音がつづいて、三人の耳目が白濁した景色の一部に集中した。  土色だった煙は、やがてどろりとした紫色へと変色してゆき、その向こう側から、いびつな形をした刀身が姿を現した。  クリスが身に纏った風は、反射にちかいものであっただろう。舞い上がった旋風がとどまる砂塵を吹き飛ばして、あらわれた生物の外見を、薄暗く変わりつつある空のもとに晒した。  最初に目についたのは、二本のねじれた角である。頭部をすっぽりと覆う兜から生えたそれは、天を穿つかのように太く荒々しい。身体を覆う全身鎧は無骨だが、星のない夜のように混じり気のない漆黒は美しさすら感じられる。  目と鼻の位置を結ぶみじかい十字の切れ目からは、今にも泡を噴き出しそうな黒紫色の煙がどろどろと流れ出ている。  その手に握られた剣の、むきだしの牙のような刀身は、鎧によく似た艶やかさと黒々しさを兼ね備えて、クリスの眼前で妖しげに輝いている。刀身の周囲には、兜の隙間から零れ落ちる煙が絡まり合っており、黒一色の剣を毒々しく彩っていた。得体は知れないが、触れればただでは済まないのだろう。  あらわれた剣士は、そのままゆっくりと歩を進めると、化け物を蹴飛ばした小柄な人影に肩を並べた。 「……こちらの世界の方では……ありませんわね……?」  解釈しがたい剣士の言葉を、クリスは冷たく聞き流した。化け物に向けていた気迫は、そのまま眼前の剣士に転向したようであった。 「そう、殺気を放つでない」 「動かないでください!」  クリスは、もはや化け物のことなど歯牙にもかけていなかった。重なった恐怖と緊張を無理やり覆い隠したような、それはレオンも初めて見る決死の表情であった。 『カオス……!!』  蚊帳の外にされていた化け物が、突如、矛先を替えた。四散寸前の身体を地に這わせながら、あらわれた剣士へと身を迫らせた。  化け物と剣士、両者を視界にとどめるために一歩退いたクリスをよそに、剣士の動作はひどく緩慢なものであった。 「私が相手しましょうか?」 「いや、いい」  小柄な人物を制して、剣士はゆっくりと腕を持ち上げ、手のひらをまっすぐに化け物へとかざした。  閃光が、化け物の全身を包み込むようにして地上に突き刺さった。それが雷の魔法であることがわかったのは、遅れて降ってきた重低音が響いたからにすぎなかった。それはさながら白い爆発のような、レフィリアのあやつった雷の幾倍もの光が、網膜にうつる世界を白一色に染め上げた。  雷がおさまると、間髪いれずに旋風が巻き起こった。焼け残った化け物の欠片を切り刻みながら、渦の中心部へと集約させていく。風はしだいに炎をまとって、巻き上がる渦からオレンジ色の火の粉を吐き出した。  次第に風は細く高く、竜巻のように天高く立ち上がり、やがて円形の黒ずみだけを残してゆっくりと消えていった。  不気味なほどに静まり返った空間に、あらわれた剣士の鎧が軋む音がこだました。 「……さて、邪魔者も消えたことだ。本題とさせてもらうぞ」 「剣を納めてください。それまでは、あなたの要求には応じません」  剣士の頸部がわずかに揺れて、鎧がぎしりと音をたてた。 「……鞘がないのだ。無理を言うでない」  と、剣士の後方にひかえていた人物が、すっと歩み出た。剣士との印象とは全く異なり、フードを覆った華奢ともいえる背格好は、人波に紛れていてもなんら不自然ではない。  そのちいさな身体を剣士の肩に並べると、無言で手のひらを差し出した。あらわになった腕から先は、やはり人間のそれであった。白雪のような細腕で剣を受け取ると、手首を翻して、刀身を地面に突き刺した。  一同が言葉を失ったのは、その行動そのものではない。背格好ほどもある大剣を、ひと押しで柄頭まで隠れるほどに押し込んでしまった、その膂力にであった。 「これで問題ないでしょう?」 「お前ね……」  鎧の上からでもわかる剣士の落胆ぶりは、果たしてクリスの同情を誘った。同じ剣を使う者として、思うところがあったのかもしれない。 「……なんの御用です?」 「何ということはない。あの光輝く境界を越えて、こちら側から我らの領土に足を踏み入れた者を探しておるのだ」  レオンとレフィリアが、殺気に近い気迫を放ちながら、ぴくりと体を震わせた。 「わたくしが、そうですわ」  ふたりの視線を背に感じ、躊躇いながらも、クリスは素直に正答してみせた。  『我らの領土』。それはつまり、この剣士は『彼の地』からやってきたということになる。人のみが境界線を越えうるという認識が、ただ人の持つ知見に基づいていただけだとということが証明されたわけだ。 「そうか。おぬしか。ふむ……」 「あの、それが何か……?」  返答がわりに、剣士が無造作にクリスに歩み寄った。 「そなたらヒトにも、国境というものはあるのだろう? それを土足で跨ぐような真似をする輩がどのような者か、この目で確かめておきたかったのだ」  ましてや、そやつが不義を成すような者なら、なおさらな。と、嘲るように付け加えられた剣士の言葉に、レフィリアは唇を結んで視線を落とした。 「それで、わたくしにどうしろと?」 「いや、もうよい。邪魔したな」 「はっ……?」  クリスが疑問符を重ね合わせた。剣士の隣では、あのフードの人物が埋没していた剣を引っこ抜き、刀身に付着した泥と土をぱたぱたとはたき落としていた。 「何ということはない、と言うたであろう。そなたからは、力のままに略奪や弑逆をするような邪気は到底感じられんからな」  無造作に剣を受け取ると、剣士は踵を返した。その背とクリスの横顔をおそるおそる見比べていたレフィリアが、恐れていた事に天を仰いだ。クリスが、去りゆく剣士に追いすがるようにして歩を進めたからだ。 「あの……まだ、お名前をお伺いしておりませんわ!」  兜の上からでも、レフィリアと同じく剣士が呆気にとられているであろうことが見て取れた。レオンに至っては、もはや何かに吹っ切れたように表情を凍らせて諦観している。  情景だけを切り取れば、終幕を迎えた演劇に登壇する、旅立つ剣士とそれを呼び止める一国の王女、に見えなくもない。その手に剣さえ握っていなければ、という仮定が必要ではあるが。 「……生憎だが、ヒトのような個体名は持ち合わせてはおらぬ」 「では、なんとお呼び致せばよろしいのです?」 「魔導を以てして領地を興したところから、民は魔導王などと呼称しておるが……」 「わかりましたわ。では、魔導王さま。ご機嫌よう」  礼儀を果たしたクリスに、剣士は無言で背を向けて空へと舞い上がった。それにつづいたフードの人物がちいさく手を振っていたことは、頭を下げていたクリスの知るところではなかった。  ふたつの影が薄雲のむこうへと消え去ると、その場に揺蕩っていた形容しがたい緊張感もまた消えた。思わずクリスへと駆け寄ったレオンとレフィリアは、雲のむこうへと視線を貼り付けたまま動かないクリスの異様な笑みを見て、にわかにたじろいだ。レフィリアが、レオンに止められながらもおそるおそる声をかけた。 「……クリス?」 「…………ふ、ふふふ、うふふふふふふ……」 「ひっ?!」 「ああ……強者と出会えたときのこの胸の高鳴り……たまりませんわぁ……」  彼方を見つめる瞳は潤んで、薄紅に染め上がった頬を恍惚の表情で撫であげる。クリスにまつわる良からぬ噂の深淵を見たような気がして、ふたりはたどたどしく顔を見合わせた。 「斬りかからんばかりに剣を突きつけていたのはなんだったんだ」 「敵手でしたら、それはもちろん。ですが、私の思い違いでしたので……」  何かに安心したように、クリスはふたたび嬉しそうに顔を赤らめた。  根っからの戦士であるとは思っていたが、我が妹ながらここまで変異種だとは思っていなかった。とはさすがのレオンも口に出せず、凱旋する意をしめして放心したままのクリスをたしなめた。  戦いの閉幕を演出するかのように、レフィリアが呼び寄せた雲の切れ間から、落日の陽光が降り注いだ。  こうして、人類史にとって久しい、大規模な国家間の交戦は、歴史に名を刻まれることなく奇妙なかたちで終結をむかえたのであった。

著者コメント 魔導王……一体何者なんだ……

コメント

もっと見る

コメント投稿

スタンプ投稿


  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年5月14日 21時21分

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    君なら世界を救えるかもしれない

    くにざゎゆぅ

    2022年5月14日 21時21分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年5月15日 1時20分

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    できらぁ!

    羽山一明

    2022年5月15日 1時20分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年4月16日 5時57分

    このパート、見どころが多すぎてビビッとしきれません! ポインツがいくらあっても足りないであります押忍!

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    うさみしん

    2022年4月16日 5時57分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年4月16日 14時42分

    長い話はどうしてもそんなかんじになってしまいます。情報量が多いということでいいように受け取ります! あ、ポイントはほんとお気遣い無く……。

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    羽山一明

    2022年4月16日 14時42分

    ミミズクさん
  • あんでっどさん

    丹羽すず

    ♡1,400pt 〇100pt 2022年4月9日 21時31分

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    ブラボー!!

    丹羽すず

    2022年4月9日 21時31分

    あんでっどさん
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年4月10日 2時37分

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    いつもありがとう

    羽山一明

    2022年4月10日 2時37分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年1月17日 6時44分

    まぁ緻密で繊細で大胆な戦闘描写で御座いました! 才能が羨ましい! 勉強になります押忍! 今後の展開に期待大であります押忍!

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    うさみしん

    2022年1月17日 6時44分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月17日 17時13分

    ありがとうございます!戦闘はファンタジーの花形ですので、非才なる身の全力をあげて!

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    羽山一明

    2022年1月17日 17時13分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    乃木重獏久

    ♡1,000pt 〇100pt 2021年11月23日 1時33分

    面白いの一言! 立体的で大迫力な戦闘描写はもちろんですが、強力な魔法攻撃を受けながらも、何度も襲ってくる怪物にハラハラしました。そして最大の謎の存在、魔導王とフードの中の人! その正体、みんなのお母さんな可愛い子なら、知っているに違いない!

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    乃木重獏久

    2021年11月23日 1時33分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年11月23日 2時40分

    ありがとうございます!拙作の戦闘シーンはだいたいこんな感じでバチバチ繰り広げられてまいります。とはいえ、明解な敵との初戦としてはちょっとハードルが高すぎた感じもしますが、クリスが満足げなのでヨシ!

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    羽山一明

    2021年11月23日 2時40分

    ミミズクさん

同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る

  • 外れスキルの屑と言われ追放された最底辺の俺が大逆襲のリスタート! 最強賢者への道を歩み出す!「頼む、戻ってくれ」と言われても、もう遅い!

    大逆襲の人生リスタートが始まる!

    916,750

    40


    2022年10月4日更新

    負けないぞ俺!無理やりでも笑って前を向かなきゃ!絶対に大逆襲してやる! ソヴァール王国名門魔法使い一家の末っ子に生まれた少年リオネル・ディドロは、 こざっぱりした茶色の短髪、綺麗なとび色の瞳を持つが、顔立ちは平凡な18歳。 しかし、魔法学校を最低の成績で卒業。同級生から超劣等生のレッテルを張られた上、とんでもないくそスキルを授かり、家の名誉を重んじる父と兄から激しく罵倒された上、修行という名目で追放されてしまう。 非情な父から名前も変えて、1か月以内に王都を出ろと命令されたリオネルは、仕方なく冒険者となり、もてるチープな魔法と思い切り馬鹿にされたスキルを使い、精一杯生きて行く。 しかし、遂に報われる時が…… 必死に頑張る超底辺のリオネルに信じられない奇跡が起こり、手も差し伸べられたのだ。 さあ、巻き返しだ。 罵倒され、蔑まれたリオネルが覚醒し、大逆襲の人生リスタートが今始まる!

    • 残酷描写あり
    • 暴力描写あり

    読了目安時間:37時間51分

    この作品を読む

  • 異世界ゲームへモブ転生! 俺の中身が、育てあげた主人公の初期設定だった件!

    俺は絶対!前世より1億倍!幸せになる!

    207,650

    50


    2022年10月3日更新

    雑魚モブキャラだって負けない! 俺は絶対!前世より1億倍!幸せになる! 俺、ケン・アキヤマ25歳は、某・ダークサイド企業に勤める貧乏リーマン。 絶対的支配者のようにふるまう超ワンマン社長、コバンザメのような超ごますり部長に、 あごでこきつかわれながら、いつか幸せになりたいと夢見ていた。 社長と部長は、100倍くらい盛りに盛った昔の自分自慢語りをさく裂させ、 1日働きづめで疲れ切った俺に対して、意味のない精神論に終始していた。 そして、ふたり揃って、具体的な施策も提示せず、最後には 「全社員、足で稼げ! 知恵を絞り、営業数字を上げろ!」 と言うばかり。 社員達の先頭を切って戦いへ挑む、重い責任を背負う役職者のはずなのに、 完全に口先だけ、自分の部屋へ閉じこもり『外部の評論家』と化していた。 そんな状況で、社長、部長とも「業務成績、V字回復だ!」 「営業売上の前年比プラス150%目標だ!」とか抜かすから、 何をか言わんや…… そんな過酷な状況に生きる俺は、転職活動をしながら、 超シビアでリアルな地獄の現実から逃避しようと、 ヴァーチャル世界へ癒しを求めていた。 中でも最近は、世界で最高峰とうたわれる恋愛ファンタジーアクションRPG、 『ステディ・リインカネーション』に、はまっていた。 日々の激務の疲れから、ある日、俺は寝落ちし、 ……『寝落ち』から目が覚め、気が付いたら、何と何と!! 16歳の、ど平民少年ロイク・アルシェとなり、 中世西洋風の異世界へ転生していた…… その異世界こそが、熱中していたアクションRPG、 『ステディ・リインカネーション』の世界だった。 もう元の世界には戻れそうもない。 覚悟を決めた俺は、数多のラノベ、アニメ、ゲームで積み重ねたおたく知識。 そして『ステディ・リインカネーション』をやり込んだプレイ経験、攻略知識を使って、 絶対! 前世より1億倍! 幸せになる! と固く決意。 素晴らしきゲーム世界で、新生活を始めたのである。

    • 残酷描写あり
    • 暴力描写あり

    読了目安時間:16時間49分

    この作品を読む

読者のおすすめ作品

もっと見る

  • 偽りのドラゴンナイト

    第二章開始。魔力を司る少年を巡る物語。

    447,260

    10,207


    2022年10月3日更新

    魔法使いの名門アーティア家に生まれたトア・アーティアは、生まれつき魔法が使えなかった。 それを理由に奴隷として売られたトアは、働き先の奴隷農場で青髪の少女と出会う。 ミラと名乗った少女は、自分が竜の血を引く竜人であることを打ち明ける。故郷が襲撃され、一人逃げてきたのだという。 もう一度故郷へ帰りたいと望むミラに、トアは心を動かされ、力を貸すことにするのだが……。 魔法が使えない代わりに、魔力を司る力を持つトア。 特別な竜の血を引く竜人の末裔ミラ。 特別な二人が織りなす戦いの物語。 不定期更新。 別サイトにて掲載開始しました。

    • 残酷描写あり
    • 暴力描写あり

    読了目安時間:7時間19分

    この作品を読む

  • 異世界村開拓 ~健気な異世界転生人と訳ありモンスター~

    健気な美少女が活躍するファンタジー

    56,300

    300


    2022年10月4日更新

    テロにあった山手線の車両の7号車に乗っていた乗客の内、五十人が少年少女として異世界転生させられた。 異世界転生したら、転生者がチートスキルで無双するのが、定番だが、この物語はさにあらず。 五十人も転生させた神が、チートをして、無双する中、健気にかんばって異世界生活をする少年少女の物語である。

    読了目安時間:3時間13分

    この作品を読む