境界線上の魔王

読了目安時間:6分

エピソード:88 / 142

6-32 そして夜は寝静まり

 長く広い回廊に、軽やかな靴音が音高く響いている。  ぴんと伸びた背筋と、猫のように弾む足取り。躍動感と生命力にあふれるクリスの動きが、ひときわ大きな靴音をたてて止まった。  燭台の鈍い明かりに照らされた、深く黒い景色の奥。高さの異なる、ふたつの真っ赤な双眸が、色鮮やかに浮かび上がった。 「……わたくしを、監視していたのですね」  嘆息をひとつ挟んだクリスは、微動だにしないその瞳に向けて歩み寄った。 「それが仕事だからな」  明瞭かつ淡泊な返答に続いて、ノインとレベッカの輪郭が、夜の闇から溶け出すようにあらわになった。 「貴様があの魔力に飲まれたときは、止めねばならぬ」 「って思ってたんだけど、結果的にマリーが全部片づけちゃったわねぇ」  横合いから苦笑まじりに補足されて、ノインの厳めしい顔が、なお険しく歪んだ。  取り巻く雰囲気と、会話の内容の著しい落差にあてられて、クリスは内心で小首を傾げた。少しだけ躊躇ったのち、彼女は内心でうずく疑念を言葉に変えて吐き出した。 「……何の御用ですの?」 「そう急くな、ただの確認だ。貴様が精神まで侵食されているか否かのな」 「あれだけの失態、どちらでも同じことです……」  呟いて、クリスは夜の空を見上げた。逸らされたふたつの眼差しが、互いを見つめて、ふたたびクリスへと注がれた。 「……何が、失態だというのだ?」 「全てですわ。夜這いとも捉えられかねない夜半の訪問。居合わせただけのマリーちゃんへの八つ当たり。その挙げ句、騎士ですらない彼女に怪我までさせておいて、謝るどころか慰められるばかり。これが失態でなければなんだというのでしょう」  ふつふつと湧き上がる言葉は、表立っては平静を保ち続けている。瞳の裏側に閉じ込めた感情が発露されてしまえば、彼女の言う失態はたちまちこの場で再現されることになったであろう。  王女で聖騎士とはいえ、まだ齢十七の少女である。年相応に、他人に感情を吐き出したい、と思うこともあった。  だが、自身の幼さが黒い魔力の顕現を招き、今回の事態を引き起こした。それを自覚しておきながら同じ過ちを繰り返すほど、彼女は子供にもなれなかった。 「失態ではない。それは経験というものだ」  人の子の覚悟は、しかし龍の一言によってたちまち両断された。目を見開いたクリスの前で、ノインがやけにぼんやりと小首を傾げた。 「貴様を縛りつけているものはなんだ? 良心の呵責か? それとも王族の矜持か? いずれにせよ、感傷や自己憐憫と同類の、いかにも生産性を欠いた発想ではないか?」 「…………」 「デリカシーのない発言ねえ……」  言葉を失うクリスを庇うように、レベッカが横槍をさしこんだ。反抗期を迎えた子供さながら、勢いよく見上げたノインをさらりと受け流し、クリスへと向き直る。 「ごめんね。この子、これでも慰めようとしてるのよぉ」 「……わけがわかりません。私に同情することで、あなたたちに何の利があるというのですか?」 「私たちの利ではない。この世にとっての利だ。貴様が揺るぎなく生きてゆく。ただそれだけで、この世の不安がひとつ減るのだ。結構なことではないか?」 「身に余るお言葉、恐悦至極にございます……しかし、人の世では、立場のある者ほど、失態も重く受け止めねばならないのです」 「ならば、なおのこと顔をあげて前へ進め。責任をとる立場にあるのなら、責任を拭う能力もあるはずであろう? その能力を、未来ではなく過去に向けることに、それこそどのような利があるというのだ?」  聞く者によっては辛辣に響く言葉は、当人であるクリスにはなお深く突き刺さった。言い返そうと口を開き、しかし口惜しそうに唇を噛む。客観視に基づく理性的なノインの持論に対して、心の底から反論できなかったのだ。  その様子を見たレベッカが、俯いたクリスに見えないように、したたかにノインの靴を蹴った。猛禽のごとく勢いで振り返ったノインだったが、無言のままにもう一度蹴り上げられて、さすがに押し黙った。その肩を押しのけて、レベッカが身を乗り出した。 「ねえ、クリス。マリーのこと好き?」 「ええ、好きです。友人と呼ぶのもおこがましいですが、そうありたいと思いますわ」  流れにそぐわないレベッカの言葉に、だが、クリスは間を置くことなく肯定してみせた。 「じゃあ、たとえば服を見繕ってあげたりはどうかしら。彼女、ここに長く留まるつもりはなかったみたいだし、戦いがあると服もダメになっちゃうでしょ? 仲直りのしるしに、ね?」 「仲直り……」 「ローズマリー自身も、貴様が自責の念にかられるのをよしとしまい。セイジも心残りがあっては心地よく旅立てんだろう」  ノインの小さな指が、クリスの鼻先へと突きつけられた。 「あとは、貴様が顔をあげるだけだ」 「…………」  クリスの琥珀色の視線が、何を捉えるでもなく虚空を泳いだ。  やがて、力を抜くような吐息を吐き出して、二匹の龍に深く頭を下げると、彼女は無言のまま颯爽と立ち去っていった。  その背が闇に溶けるのを見届けた二匹が、張り詰めていた雰囲気を緩め、視線を交わして笑みをこぼした。 「本当に、ローズマリーに感謝だな……」 「まさかと思ってたけど、ひとりで片付けてくれたわねぇ……あ、マリーといえば、ねえ?」  しみじみと呟いたノインを覗き込むようにして、レベッカが気の抜けた声をあげた。 「あの子、ホントのところ何者なの?」 「知らんし分からん。が、少なくともヒトではないだろうな」 「ふぅん……もしかして、龍族だったりして?」 「……いや、龍族にしては、魔力の技術があまりにもぎこちない。生まれて間もなければそれもわかるが、セイジともそれなりに長い付き合いのようだしな」  夜風が雲を追いやり、髪の巻き上がったふたりを白日のもとに晒した。どちらともなく、注ぎ込まれた月の光を見上げ、鈍いその眩さから目を逸した。 「不思議なふたりよね……」 「そうだな。龍とて理解の及ばぬものはあるが、それが同じ時代に産まれ、ああして肩を並べて歩いているのは、もはや天命としか思えぬよ」  語尾に苦笑をひとつ結びつけると、ノインはおもむろに歩き出した。 「え? どこ行くの?」  当然のように去っていくノインを、当然のようにレベッカが呼び止めた。 「セイジの部屋に行くに決まっているだろう。ことの成り行きを見届けねば、今後の心残りになるのは私も同じことよ」  そう言い残し、ふたたび歩き出した肩が、勢いよく掴まれ引き戻された。のけぞったノインを抱き寄せたレベッカの瞳が、紅色の光芒を放った。瞬間、ノインの四肢がびくりと震え、だらりと脱力した。  その体を抱きかかえたレベッカが、セイジの部屋と真逆の方角に足を向けた。 「おばかさん。野暮なことしないで、そっとしてあげなさいな」 「なっ……離せ! これも我らの仕事のうち――」 「そんなわけないでしょ。もう……」  喚く子供と、嗜める母親。傍目にはそのようにしか映らない超生物たちがその場を去ると、いよいよ夜が夜らしく寝静まった。未だ起きているものは、この場で言葉を交わしたひとりと二匹。  ……そして、セイジとマリーだけであった。

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  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年8月15日 20時45分

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    面白かったです。

    くにざゎゆぅ

    2022年8月15日 20時45分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年8月15日 22時54分

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    励みになります!

    羽山一明

    2022年8月15日 22時54分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年7月9日 3時39分

    あれ、二周目の拝読で気付きましたが、どこかにそっと紛れていたんでしょうか、マリーに関して少々不穏な感じであります。さらっと流してしまっていたんでしょうか。今になって気になりますぞ押忍。 

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    うさみしん

    2022年7月9日 3時39分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月9日 11時22分

    マリーについてはとても難しいところです。仄めかせながら、マイナス要素をできるだけ省いて書かなければならないので。マリー自身も少し気にしているところではありますが……。

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    羽山一明

    2022年7月9日 11時22分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月23日 5時21分

    更に、更に感じました! 尊みをッ! ちょっとこの路線の続きもじっくりと見てみたいであります押忍!

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    うさみしん

    2022年2月23日 5時21分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月23日 13時37分

    この話はクリスへの悪印象を拭うために挟んだのですが、お気に召していただけたようで嬉しいです。セイジxマリーの路線は次話に続きますが、龍たちの掘り下げもこそこそとやってまいります。数少ない子たちですので、ゆっくりじっくり。

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    羽山一明

    2022年2月23日 13時37分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    乃木重獏久

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月3日 22時07分

    初登場時の言動からは考えられないレベッカの様子がいいですね。彼女がクリスにマリーちゃんのことを好きだと言わせたのは、胸の内を実際に言葉にすることによって思考を前進させる狙いがあったのかも。そして今頃、セイジとマリーちゃんの清く尊い時間が流れているかと思うと、ほっこりしますね。

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    乃木重獏久

    2022年2月3日 22時07分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月4日 7時39分

    あの頃のレベッカにもそれなりの事情はあったのですが、年若いほど成長があるのなら、もっとも若いレベッカこそ、もっとも変化して然るべきかな、と。彼女がクリスにかけた言葉は、彼女なりの気遣いでしょうね。セイジとマリーについては、次話をご覧いただけると……。

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    羽山一明

    2022年2月4日 7時39分

    ミミズクさん
  • くのいち

    影桜 紅炎

    ♡1,000pt 〇100pt 2021年12月19日 13時02分

    ノインさん、見かけによらず面倒見が良いのは推せるけどそれ以上は無粋というものですぞ……。

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    影桜 紅炎

    2021年12月19日 13時02分

    くのいち
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年12月19日 18時34分

    より生意気でより好奇心の強いレオンって感じなので、ストッパーがいないとこうなっちゃいます。

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    羽山一明

    2021年12月19日 18時34分

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