境界線上の魔王

読了目安時間:9分

エピソード:86 / 142

6-30 思い、重なり、揺れる時。

 長く広い回廊に、軽やかな靴音が音高く響いている。  ぴんと伸びた背筋と、猫のように弾む足取り。『場所を変えましょう』と背を向けたクリスの動きは、躍動感と生命力にあふれるいつもの様子と何も変わらない。  だからこそ、その体中に纏わりつく黒いもやに、異様さを感じずにいられない。さっきまでいびつに広がっていたそれは、今は少し和らいでいるのだろうか。ゆるやかに上下するクリスの動きにあわせて、篝火のようにゆらゆらと揺れている。  ……真夜中に、他人の部屋に押しかけて、仕合を切望する。  少女のようにあどけなく笑ういつものクリスからは、とても想像のできなかった我儘だ。クリス本人の強い意思があってのことなのか、それとも、黒い魔力にあてられて、ごくごく小さな欲望が露出してしまったのか。どちらであっても、看過できるものじゃない。  ただ、ほんの少し、黒い魔力を相手にすることへの躊躇いが、私の足に重い枷をまとわせていた。 「安心してください。お手合わせですもの。黒い魔力は使いませんわ」  背を向けたままのクリスが、私の内心を射抜くような言葉を投げかけてきた。思わず足をとめた私に向けて、クリスがゆっくりと振り返った。 「自覚、していたんですね」 「ええ。つい先ほどの、セイジさまとの仕合の際に、ですけど」  よい拾い物をしたとでも言いたげに、クリスは事も無げに言葉をつづけた。 「最初は、少し調子がよいだけなのかと気にもしなかったのですが。セイジさまの風の魔力のなかに、ほんの少しだけ自分の魔力と重なるものを感じまして。これが黒い魔力なのだな、と察しました」 「……怖くは、なかったのですか」 「怖い? 何がでしょう?」  問い返すクリスの語気と音色が、はっきりと変調した。剣をぐっと握りなおして、気圧されて竦んだ気持ちを立て直す。 「間近で見たセイジの莫大な力が、自身に宿ることに恐怖を感じなかったのですか?」 「力を得ることを恐れるままに、剣の道を志すことなどできましょうか」 「っ……!」  雲から顔を出した月光が、クリスの全身を照らし出した。  血色の薄い地肌の青白さと、絡みつく影の黒さが混ざりあった、正常であるはずのない表情の一点、変色した瞳だけが、むしろいつもより力強く輝いていた。 「恐怖を飼いならし、腕を磨くことこそ騎士の本分ですわ。気持ちを尊び、理想論を語ることだけで、誰かを守ることなど叶いましょうか」  はっきりと言い切った声にも、一片の淀みすらみられない。私が何も告げられずにいると、クリスは月光から逃げるように踵を返した。  クリスは、望んであの力を得ようとしているのだろうか。  嘘偽りのない本心から、その欠点すら飲み込んで、純粋に強くなろうと志しているのだろうか? 「それでも――!」  戸惑いをかき消そうと吐き出した思いは、その途中から声にならなかった。  先を行くクリスの背中に、セイジの背中が重なる。  黒い魔力を恐れるあまり、故郷に帰ることもできず、力を使うたびに痛ましく歪んでいく心と体。その背中を見てきたから。見ていることしかできなかったから。だから、クリスの目指す道は間違っていると、私なら正せると、そう思いこんでいた。  ……セイジに旅立ってほしくない、と思う気持ちも、確かにあった。ただの我儘だから、そっと応援すべきだと、押し殺していた。  だけど、目の前で口にされたクリスの我儘に、私は言い返すことができなかった。  セイジもクリスも、自分の答えを持っている。  否定も肯定もできずに、どちらの思いも選べていないのは、私だけなのかもしれない。  ……もし、そうだとするのなら、私も私の思いを言葉にしないといけない。  我儘でも。怖くても。まっすぐな気持ちをぶつけなきゃだめなんだ。 …… ………… ……………… ……………………  クリスの行き先は、思っていたとおり、あの訓練場だった。  防護壁で覆われている箱型の建物は、陽の光の下で見たときと変わらないまま、夜の下、うすぼんやりと光り続けていた。ただひとつ、あのときと違うのは、今ここにいるのは私達だけであること。それだけだった。 「さあ、思う存分、お付き合い願いますわ!」  問答を挟んで向かい合ったクリスの瞳は、なお苛烈な魔力をまとって揺らいでいた。それがクリス自身の意思によるものなのか、魔力に侵されつつあるからなのか、もう私には判断することができなかった。  ここから先は強さこそが正義となる、騎士の領分だ。何かを主張したければ、少なくとも敗北は許されない。  剣を抜き放ち、鞘をそっと地面に据える。私の手には少し大きな柄、その真ん中に埋め込まれた宝石に視線を落として、ぎゅっと力を込めた。  私は魔法を使えない。だから、これはただのおまじないだ。 「……おねがい。少しでいいの、私にちからを貸して」    ふと、深く沈んだ紅色の宝石、その奥がちいさく光ったような気がした。思わずのぞきこんだ宝石の中心、浮かび上がった十字の光が、私の目の前でぱっと弾けて広がった。 「わっ……!」  あわてて構えを解いた私を支えるかのように、剣から滲んだ光があたりを包み込んだ。ぱちぱちと飛び出ては消え去る燐光は、しだいに私の周りにとどまりはじめ、形をなして、橙色の球体に変わっていった。  浮かび上がってはふわりと沈む、等間隔の光。それはセイジが扱うときにみせる、『鈍色蛍』の魔力にちがいなかった。 「ふ、ふふ、うふふふふふ………!」  驚きながらも見惚れるばかりの私の前で、クリスの長く怪しい笑い声が響いた。顔を持ち上げ、夜空を溶かした藍色の刀身に風をまとわせて、その剣先を私に突きつけた。黒い魔力とせめぎあい、痛ましいほどに引きつっていた笑顔が、吹き抜けた風とともに嬉しそうに弾けた。 「マリーちゃん、やはり、あなたは最高ですわ!」  嬌声をあげたクリスの足が、ゆらりと持ち上がった。その両足の動きに、睨みつけるようにして視線を突き刺した。  一歩、二歩。蹴られた砂地が、音をたてて舞い上がる。踏み込んだ三歩目で、クリスの体がおおきく跳躍した。目で追いかけた上空、影を連れて振りかぶるクリスの姿が、淡い防護壁の光に縁取られてきらめいた。  勢いに任せて振り下ろされた剣を、ぎりぎりまで引きつけてから跳び退る。  武器を弾き飛ばせば勝機はある。浮かせた靴底を踏み抜いて、一気に距離を詰めた。  直後、背筋に凄まじい寒気を覚えて、私は最後の一歩を踏みとどまった。視界の隅にみえた鈍い閃光が、目の前の景色をふたつに斬り裂いた。逃げ遅れた前髪が、私たちの間にぱらぱらと舞い落ちた。  ……踏み込んでいたら、やられていた。 「いけませんわ」  すっと立ち上がったクリスが、笑みを浮かべた口元を薄く開いたまま、構えをあらためた。 「得物の不利が明快ならば、迂闊な踏み込みは厳禁ですわ。それこそ、セイジさまほどでないと――」  マリーに向けられていた助言が、前触れもなく、消え去るように途切れた。威圧感すら滲ませていた構えが脱力し、垂れ下がった剣がずるりと地面を削った。 「……そうですわ……セイジさまは素晴らしいお方なのです……お逢いするたびに遠く、お近づきになりたいと願うほどかなわない……」  呟くと、クリスは手のひらで顔の半面を覆った。指の隙間から覗く恍惚の紅色が、滲み出した魔力に黒く塗りつぶされていった。 「……それでも、その強さを追わずにはいられない!」  不可解な言葉を噛みしめる時間は与えられなかった。  俯いた姿勢のままのクリスの姿が、瞬きの間に煙と消えた。持ち上げた剣に響いた衝撃が全身を走り抜けて、私の体が腕ごと押し返された。 「なぜ……なぜそこまでして、力ばかりを追い求めるのですか」  擦れあう剣の金切り声に負けないように、熱っぽい吐息を言葉に変えて、懸命に絞り出した。交差する剣の向こう側に、私と同じ、痛苦の表情が見えた。 「その選択の末で、セイジがどんなに苦しんだのか、わかっているでしょう!」 「ええ、存じておりますわ」 「それじゃあ、なぜ――」 「では、強大な敵のすべてをセイジさまにお任せすることが正しいのですか?」  クリスの瞳の炎が揺れて陰り、その奥の琥珀色の光が、私を射抜くようにひらめいた。どくん、と、脈をうった体の奥底から、息苦しさがこみあげた。 「っ……それ、は……」  巻き起こった風が、クリスの体を包み込んだ。先手をとられる前に、競り合った剣を勢い任せに捻り、強引に距離をとった。 「あの孤独感を思うたび、代わってさしあげたい、と、何度願ったかわかりません。危険に身をさらして、努力の果ても限界も知らず、ひたすらに修練を重ねる。狂気といわれようが、理解のされないものであろうが、いざ窮地が訪れたときに後悔するより、よほどましではないですか?」 「…………」  言葉を返すどころか、息すら吐き出せなかった。  私は、セイジがあの境地に至るまで、どんな修練をしてきたか。その過程を知らない。クリスが委ねているような狂気に、いつかセイジも身を沈めていたのかもしれない。  クリスとセイジ。ふたりの強さに対する意識の違いは、些細なきっかけで逆転していたのかもしれない。なにかの間違いひとつで、今、ここでこうして嘆いていたのは、セイジだったかもしれない。  そう思うと、セイジのことを引き合いにクリスを否定することなど、できるはずもなかった。 「マリーちゃんの強さだって、いつかは通用しなくなるかもしれません。それでもまだ、手を汚すことなく、傍に居たいと願い続けることができますか? 戦いのたびにぼろぼろになって、それでも笑顔を浮かべるセイジさまを、心の底からまっすぐに出迎えることができますか? 私は――」  私を説得するような静かな声が、しだいに熱っぽい抑揚を帯びた。理性と感情をごちゃまぜにした、これはきっと、誰にも言えなかったクリスのほんとうの言葉だ。 「――私はいやだ! そんなの耐えられない! お見送りもかなわず……いつか逢えることを願うだけの日々……もう、二度と、あんな思いはしたくない! そのためなら、こんな命なんて惜しくない! もし……もし、そう願うことすら許されないのでしたら――」  クリスを中心につむじを巻いていた風が、天に向けて駆け上った。黒い魔力を織り交ぜて掠れる風の音が、クリスの慟哭を彩るような悲鳴に変わった。  顔をあげたクリスの目に、涙が溢れていた。睨みつける視線に思いを乗せるように、クリスはゆっくりと剣を構え、ひと息に跳躍した。 「――こんな私なんて、消えてなくなってしまえばいい!」  その涙声が、どんな剣よりもするどい棘になって、胸の奥に突き刺さった。  覚悟もない。身も賭さない。騎士の立場になれない私の言葉は、きっと何を説いても、クリスの言うとおり、ただの理想論にしかならない。  だけど、せめて、同じ舞台に立って、私のこの思いを伝えたい。だから。  私は、構えていた剣を手放した。交わして外さなかったクリスの目が、瞬間、見開かれた。  風が逆向き、振り抜かれた剣の勢いが緩み、それでもわずかに間に合わず。  鮮血が、音もなく噴き上がった。

(たぶん)あと3話です。

コメント

もっと見る

コメント投稿

スタンプ投稿


  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年8月12日 22時03分

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    きゃーーーっ!

    くにざゎゆぅ

    2022年8月12日 22時03分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年8月12日 23時23分

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    実は狙ってました。

    羽山一明

    2022年8月12日 23時23分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年7月6日 6時33分

    最後の一行、この引きの良さよ! 否が応にも次話への期待が高まるわけであります。初見時には遂に味方から死人が出たのかと焦り申した。

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    うさみしん

    2022年7月6日 6時33分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月6日 9時04分

    夜ということと、短い攻防であるということと、そういったことを意識して、こんな引きにした記憶があります。確か。死人を出さないのは難しいですね……。

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    羽山一明

    2022年7月6日 9時04分

    ミミズクさん
  • みりたりステラ

    玉屋ボールショップ

    ♡1,500pt 〇100pt 2021年9月30日 19時10分

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    ラティナ(うちの娘)

    玉屋ボールショップ

    2021年9月30日 19時10分

    みりたりステラ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年10月4日 9時02分

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    元気が出ました!

    羽山一明

    2021年10月4日 9時02分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月22日 2時41分

    うわ、病んだ! 病んじまった! 戦闘中に突然病むのは反則であります押忍! これ治せる怪我ですか? 間に合いますか!?

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    うさみしん

    2022年2月22日 2時41分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月22日 4時19分

    病む、というかは、激情でしょうか。彼女の場合、素振りに出なかっただけで、セイジの実力やマリーの立場に嫉妬していたことも才覚を後押ししたのだと思います。火種が煙を産み、そのまま破裂した感じです。

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    羽山一明

    2022年2月22日 4時19分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    乃木重獏久

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月1日 23時36分

    黒き魔法に気付きながらも、セイジのために自らの力として取り込もうとするクリスの覚悟に驚きです。そして、本音をぶつけてくるクリスを否定しきれないマリーちゃんの葛藤。 斬りかかるクリスを前に剣を捨てたことに、マリーちゃんのセイジへの思いの強さが伝わってきましたが、果たして……。

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    乃木重獏久

    2022年2月1日 23時36分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月2日 2時45分

    セイジに対するクリスの憧憬、その強さは、マリーの想像をはるかに超えていたようです。ラフィアへの侵入時にも激昂をみせていましたが、もう二度と、無念の別れを告げたくない。足手まといになりたくない。追いすがりたい、と。ひたすらに切望し、研鑽を続けていたのでしょうね……。

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    羽山一明

    2022年2月2日 2時45分

    ミミズクさん

同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る

  • タイムオブザワールド ~ワンオブストーリー~

    作者の願望もしも誰も死ななかったらの世界

    200

    0


    2022年9月29日更新

    この物語は [story:411315390] の枝分かれした並行世界での世界軸で紡がれる物語です。 もし大切に思う人達が誰も死なずに生きて幸せになっていたならばというifの世界でのお話。 謎の声の言葉に導かれて己の願いが叶うのならばと願った一人の少女の夢が実るまで繰り返される過去の世界での物語です。 少女の名はシトロン。日本名はゆず。勇者物語、英雄物語、戦国物語の三つの世界軸で紡がれる彼女の願いが叶うまでの道のりを描いたお話をお届けいたします。 [story:411315390] を拝読したことが前提で紡がれておりますが、こちらから拝読されても違和感なく読めるようにはなっております。 作者が自己満足したいがために書き上げた作品です。読みたいと思った方だけどうぞ。 現在勇者物語までしか書けておりませんので、英雄物語や戦国物語はまた完結できてからこちらに掲載予定です。

    • 残酷描写あり
    • 暴力描写あり

    読了目安時間:3時間45分

    この作品を読む

  • 徒歩0分の異世界

    人間×異世界人。 主人公攻めです。

    100

    0


    2022年9月29日更新

    古本屋を営む本野信乃は営業終了後に不思議な子供に誘われ 異世界へと連れ去られてしまう。 連れ去られた先は亡くなった叔父と交流があったという 孤独な男、ルドルフの家であった。 異世界で1ヶ月間の生活を余儀なくされた信乃は ルドルフの話し相手になる事に…。 人間界のオタクと異世界のオタクが交流する!

    • 性的表現あり

    読了目安時間:26分

    この作品を読む

読者のおすすめ作品

もっと見る