境界線上の魔王

読了目安時間:6分

エピソード:72 / 142

6-16 琥珀の瞳の水底に

「――お待たせ、いたしましたわ!」  文字通り、嵐のように現れたクリスが、剣を握る腕を嬉々として突き出した。あまりにも刹那の出来事に、尾を半ばから失った使者たちがわずかに動揺をみせた。  その躊躇いと間隙を傍観するほど、クリスは甘くはなかった。かるい靴音をたてたクリスの体が、放たれた矢のような勢いで使者たちへと斬りかかった。 「ちょっ……ちょっと?!」  遠ざかるクリスの背へと、レベッカが当惑の声を投げかけた。  その動きを窘めるかのように、マリーが小さな腕をすっと伸ばした。 「大丈夫ですよ。クリスは強い子ですから」 「そうじゃなくて――」 「なぜ助けにきた……ですか?」  音もなく振り返ったマリーの紅色の視線が、間近で響きわたる剣閃よりも鋭く、レベッカを射抜いた。 「勘違いしないでください。あなたが信頼に足るかどうかは、今後のあなたの振る舞いひとつです。今は、先んじてあちら側の対処をすべき時、というだけですので」 「…………」  まあ、そうよね。と、レベッカは落胆しながらもどこか安堵していた。  客観的に見れば、ヒトが自分を信頼するに足る材料などどこにもない。この状況だけを見て、一方的に信頼を寄せてくれるような相手なら、味方になったところでむしろ心配になるだけだ。  強硬派として女王派を裏切り、面倒事を避けるためにノインを裏切り、あらわれた使者をも自分自身の判断で裏切った。  今までの自分であれば、力で勝てる相手は蹂躙し、負けた相手には服従する。そうして生きていくことに、なんの疑問もなかった。  ……どうも、ヒトたちに破れてから先、あれこれと余計なことを考える時間が増えた。何より悩ましいのは、その「余計なこと」こそが、じつは正しい手順であったのではないか、と思うようになってしまったことだった。 『――これから唯々諾々とやつらに従うつもりなのか?』  ノインの声が、薄く長く頭のなかで反響する。 「私、どうするべきなのかしらねえ……」  身の振り方を定めること。  それは、龍とはいえ、生を受けて間もないレベッカにとっては、容易に見出すことのできる問いかけではなかった。 …… ………… ……………… ……………………  空を舞うクリスの口元がかすかに、だが確かに綻んだ。  体が、軽い。  手繰る夜風の一筋が、まるで自分の手足のように動いてくれる。  それだけじゃない。相手がどこにいるのか、何を仕掛けてくるのか、視覚より早く風が教えてくれる。私はそれに従って、剣と体を揮うだけでよかった。  戦闘中における些細な躊躇は、とくに私のような風魔法の使い手にとっては大敵だ。一流の使い手は、流れ行く風向きの不自然な変化を鋭敏に感じ取って、その先を読む判断材料にしてしまう。  機動力を武器にする者が、その原動力である風を信頼していないと知られること。相手にとって、これほど有利を意識することはない。 ――だから、躊躇ってはいけない。たとえ尽き果て、魔力が枯れ落ち、心が焼き焦がされようとも。  ふたたび笑みを浮かべたクリスを前に、龍の使者たちは苦々しげに言葉を失っていた。  およそ感情というものは、総じて不要な要素である。と、龍たちはかねてから考えている。  様々な判断を下すにあたって、そのような曖昧な基準が介入してはならない。畏れは動きを鈍らせ、不遜は勝機を取りこぼす。ひたすらに正確なだけの思考が、すべてにおいて正しいのだ、と、目の前の少女の愚直とすらいえる猛攻に姿勢をあらためた。  その思考そのものが、感情の揺れに他ならないということに、彼等は気がついていなかった。  その眼前で、クリスの輪郭がゆらりと揺れて、ひと息のうちに姿を消した。いっせいに視線を転じた使者たちが、闇から溶け出すように現れたクリスの姿をとらえ、展開していた攻撃魔法の照準をさだめる。  と、クリスに先んじて吹き荒れた風が、使者たちの魔力の矛先を狂わせた。  刃のように殺傷力のある風ではない。ただ、通り過ぎる先にあるものを洗い流す、それは精霊の悪戯のような。展開前の魔力はおろか、身を守る魔力すら突き動かしてしまう風だった。  その風の後方からあらわれたクリスが、線上にいた使者へと斬りかかった。肩から突進する姿勢から振り抜かれた、鮮やかな紅色の剣が空を裂いた。爪を持ち上げてそれをいなした使者の視界の隅に、対比するような紺色の白刃がうつりこんだ。  見開かれた瞳孔の内側で、火花と金属音が弾けた。  軌道の異なる二本目の剣閃を受けそこねた使者の体が、ぐらりと平衡を失った。一撃離脱するクリスの後背から、またしても風が吹き荒れて、背を向ける彼女への追撃をしたたかに阻む。  機をのがした使者が、魔力の展開を中断して守勢に転じる。風から身を守るように目を細める使者が、まとう覇気をやらわげた。  当人すら自覚できないほどのわずかな安堵を浮かべる目の色を、クリスは見逃さなかった。瞬間、ぴたりと止んだ風が、凄まじい勢いで逆風に変化した。  その渦の中心に身を乗せて、クリスの剣が腰の引けた使者へと強襲した。  刹那のさなか、使者は確かにそれを垣間見た。邪気の欠片もなく嗤う少女の、その瞳から溢れるどす黒い魔力を。 「……っ!!」  二度の猛攻を受けた使者のもとへと漸く加勢が介入すると、クリスはふわりとその矛先を変えた。地を蹴り宙を舞い、クリスの姿を視認しづらい位置にいたであろう、最後尾の使者へと、息つく間もなく剣を振り下ろす。  流麗とすら形容できるような、息をつく間もない攻勢の前に、使者たちははっきりと手段に窮していた。  その光景を遠巻きに眺めていたマリーとレベッカが、にわかに眉をひそめた。 「ね、ねえ……あの子、なにかおかしくない……?」  震えるレベッカの声が、先程までとは意味の異なる動揺を表していた。 「…………」  無言を貫くマリーの態度と表情が、その問いかけに同調するようにさざめいていた。  邂逅の当初こそ、いつでも介入できるよう身構えていたマリーであったが、クリスが優勢になるにつれ、険しい表情がより鋭く引き締まっていった。クリス自身、覚悟と懸念を重ねていたはずの魔力はむしろ重圧を増し、剣と一体化するような体捌きも、緩むどころか研ぎ澄まされていく。  ……クリスの戦士としての強みは、剣術、風魔法、治癒魔法が高い水準で調和している点にある。  破壊力の高い攻撃魔法や、魔法の応酬による遠距離戦を不得意とする一方、近接戦闘、特に遭遇戦や乱戦では無類の強さを発揮する。  魔力効率の悪い放出系の魔法はほぼ行使せず、身体強化と防護魔法を帯びた体を風に乗せて叩き斬る。単純がゆえの戦術は、能率と効率の両面において凄まじく優秀な水準にあった。  ただし、その単純さゆえ、セイジや緋色級の龍のような、理屈を越えた規格外の能力をもつ相手には通用しない。近接戦闘を主戦場とする以上、どうしても反撃を浴びやすく、薄皮一枚で均衡を保っている防護と回避が一方でも揺らぐと、そのまま敗北に直結しかねない危うさを秘めている。  それが、セイジやマリーが下した、クリスという騎士の評価であった。  実際はどうであろうか。レオンとレフィリアを圧倒した青色級が四体、マリーを追い詰めた緋色級が一体。計五体もの龍族を相手に、単身、互角以上に渡り合っているではないか。  じわりと滲み出るような不安のさなか、マリーは確かに見た。  纏う魔力すら振り切るほどに揺れる、恐ろしい速度で空を駆るクリスの瞳が、見紛いようもない、黒い煙を燻らせていたことを。  それは、誰よりもマリーがよく見知っている黒い魔力。セイジをして使うことを躊躇う『カオス』と呼ばれている力に他ならなかったのだ。

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  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年7月25日 19時54分

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    君なら世界を救えるかもしれない

    くにざゎゆぅ

    2022年7月25日 19時54分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月26日 3時15分

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    できらぁ!

    羽山一明

    2022年7月26日 3時15分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年6月20日 5時24分

    ここは何度読んでも「えー!?」ってなりますぞ押忍。

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    うさみしん

    2022年6月20日 5時24分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月20日 11時00分

    闇堕ち、というほどではないのですけど、子供ゆえ行き過ぎた感情が間違った方向に行き着いてしまう、というものを、ファンタジーに落とし込んだ感じですね。

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    羽山一明

    2022年6月20日 11時00分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月15日 5時18分

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    ホラー「うわああああ」

    うさみしん

    2022年2月15日 5時18分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月15日 9時41分

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    実は狙ってました。

    羽山一明

    2022年2月15日 9時41分

    ミミズクさん
  • 文豪猫

    涼寺みすゞ

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月7日 20時29分

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    さすがですね

    涼寺みすゞ

    2022年2月7日 20時29分

    文豪猫
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月8日 7時47分

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    いつもありがとう

    羽山一明

    2022年2月8日 7時47分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    乃木重獏久

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年1月18日 21時49分

    余計なことや無駄なことこそが、ヒト族を発展せしめる一因であることに気付きつつあるレベッカは、すでに龍としては異端なのでしょうね。潜入している龍は多少なりとも、そのような一面があるのでしょうか。しかし、クリスにカオスが!? 前話の終わりで彼女の瞳に見えた不穏はこれを示していたのか…

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    乃木重獏久

    2022年1月18日 21時49分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月19日 2時26分

    レベッカたちが他の龍に比べて異端に見えるその理由は、2話ほどのちに彼女自身の口から説明がなされますので、そちらに委ねます。龍はともかく、人間サイドにも新たな問題が発生しました。セイジに次ぐ二度目の覚醒者は、暴走せずにいられるのか、どうか。

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    羽山一明

    2022年1月19日 2時26分

    ミミズクさん

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