境界線上の魔王

読了目安時間:6分

エピソード:97 / 142

7-2 空からの仲裁者

 時は、少し遡る。  「それ」が訪れたのは、セイジが旅立ってから二ヶ月ほどあとの、風の強い日であった。  黄昏を鈍らせた曇り空は、夜明を霞ませ、今なお陽の光を遮っていた。白と灰と黒、三色の絵の具を無秩序に散りばめたような底なしの曇天に、むろん意思などはない。しかし、その下で暮らすものたちの心境を慮ることもなく、晴天を求めて空を見上げた者たちの瞳に、鈍色の光を映しつづけた。  降り注ぐ陰の影響は、それを仰がぬ王宮のなかにあっても、なお甚大であった。 「――だから、あたしが行くいうてるやん」 「駄目だって言ってんだろ。どこの世界に、亡命してきた国の女王様を戦地に送り込む国があるんだ」 「そんなん言うてても、具体的に戦力が足りてへんねんやろ?」 「駄目だ」 「…………」  反復された応酬は、もはやその回数を数える意味を亡失しつつあった。  ……ある日、レオンの部屋に差し入れをしたマリーの手料理を、いつものように居合わせたレフィリアがいたく気に入り、ある日のクリスとの話題にて持ち出した。それを聞きつけたポーラがヘイゼルを呼び寄せ、呼ばれていないがレベッカもやってきた。  そうしていつしか定着した、昼餉ついでの顔合わせの時間。それぞれの職務に人心地つけ、和気藹々と弾ませる会話の眼下に並ぶ品々は、むろんすべてがマリーのお手製である。寒いなかでも英気をと、暖かいものを中心に並べられた料理の数々が、食卓を代わる代わる彩った。味はもちろんのこと、見目も麗しいその仕事ぶりに、レオンたちの胃袋はたちまち陥落した。  その日も、いつもの時間に、いつもの顔ぶれが揃った。馴染んだ座席で談笑する面々に破顔しながら、マリーが配膳をはじめる、なんら変わりのない光景のはずだった。  ただひとり、レオンだけが鬱屈とした雰囲気を崩すことなく、ひたすらに手元の書類を睨み続けていた。着席したマリーが声をかけるも、返ってくるのは中身のない相槌ばかりである。 「……ちょい、レオン」  見かねたポーラが、手にしていたカップを少し傾けて、苦々しげに口を開いた。 「…………?」 「部屋にまで押しかけといてあれやけど、今は切り替えて食事しようや。こっちまで息詰まってまうで」  諌めるようなその声に、平時であれば淡々と返す。発言者であるポーラ自身も、伝わりさえすれば、との思いであったのだが、返ってきた反応は予想だにしない、有り体に言えばひどいものであった。 「お前には関係ない話だ」 「……あ?」  瞬きと逡巡ののち、放たれた言葉の意味をようやく飲み込んで、ポーラは勢いよく立ち上がった。食器を置く音が高く響いて、穏やかな空気に電撃が走り抜けた。出来たばかりの料理から心地よく立ち昇る湯気が、ふたりの間をさりげなく霞ませたが、開かれた戦端は収まりをみせなかった。 「ラフィアの国境線の戦力の件やろ? 昨日も言うたけど、あたしが抜けたからできた穴や、あたしに関係ないわけないやろ」 「補足しよう。フェルミーナの庇護下に入った今のお前には、関係ない話だと言ってるんだ」 「他のフェルミーナの騎士は派遣されてるやん。あたしが行くのもおかしい話やないやろ?」 「…………」  返答がわりに放たれた溜め息が、ポーラの眉をいっそう険しく顰ませた。レオンの隣に座るレフィリアも、ポーラの隣に座るヘイゼルも、それぞれ口を挟む時機を見計らいつつ、好機を見いだせないでいた。 「はい、はい。ふたりとも、まずは冷めないうちにお食べなさいな。マリーに失礼でしょ?」  唯一、割って入ったのは、それこそ事態と無関係であろうレベッカであった。長音の似合う抑揚に反して、紅色の瞳をぎらりと光らせて、ふたりを一瞥した。  剣呑な雰囲気は、既のところで破裂を逃れた。ようやく始まりを告げた食事の時間は、だが、会話によって彩られることはなかった。生まれた沈黙の端々を、食器の音が重々しくも冷たく埋めた。  ……セイジの旅立ちは電撃的ではあったものの、目的は事前に、かつ明瞭に定められていた。  それに対して、フェルミーナの王宮に残された面々の目的は、その筆頭が『龍への対抗』という、ひどく曖昧なものであった。  めくるめく戦闘を乗り越えた面々は、それぞれ燃えるものを抱いて修練に励んだ。『いつか訪れる強大な敵に対抗する』という命題に、当初は各々真剣に取り掛かったものの、真剣が深刻に変貌するまで、さほどの期間すらも要することはなかった。  心意気も新たに、と言えば華麗に聞こえるが、心意気以外については、今までの日常となんら代わり映えのないものであることに、みながそれぞれ悟ったのだ。  同時に、そういった時にはいち早く方針を転換させ、指示を飛ばすべきであるレオンの動きが、今回に限ってはひどく凡庸であることにも気がついた。  理由は明快にして簡潔であった。  何ということはない、ただレオンが多忙を極めた、というだけのことである。  史書のページをめくるかのように、ぱたぱたと舞い込んだ事件や事故、それに巻き込まれるうえで『しかたがない』と諦めていた仕事の山々に、レオンは久方ぶりに向き合っていた。国王ジーンが吐血してからというもの、父の執務室から書類を奪うかのように持ち出して捌きはじめ、傍目にも献身を飛び越え、常軌すら逸脱する様相をちらつかせていた。  そんな折、ルーレインから文が舞い込んだ。旧ラフィア領から侵入する魔物の数が日々増加傾向にあるという、報告の体裁で飾られた実質の救援要請であった。  ルーレインには、ポーラが魔物を討伐していたということを報告しなかった。居合わせたレフィリアもまた沈黙を保っていたので、そこに対する追及まではなされなかった。罪悪感を微震させつつも、これ以上、ポーラ個人の責務に国の事情を絡めたくない、という思いが、当初の意思を貫徹させた。  ひとまず筆をとったものの、ルーレインにとっての主題であろう援軍については、即日の断言を避ける内容にとどまった。  そもそも、レフィリアをけしかけたルーレインのやり口に、かねてより報いをとらせようと画策していたのだ。憂き目に立ち向かう悲鳴をかたどった文面を見下ろす瞳に、嘲るような仄暗い色が宿るのも、無理からぬことであった。  むろん、感情論だけの名分ではない。『龍の襲撃に備え、主要な戦力は手元に置いておきたい』という、深刻な理由を抱えていることも事実である。しかし、言い出せない。伝わるはずもない。  もとを正せば、隠すことを選んだのはこちら側である点、誰を責めるわけもいかなかった。  正答を求めて逡巡を繰り返し、そのたびに挫折した。高い理性によって押し止められていた感情が、打破しえない現状と向き合ううちに、満を持して沸騰をはじめた。それが露出しなかったのは、山積する書類によって、ただ隠されていたにすぎなかった。  庇い続けたポーラに対して感情をぶつける矛盾にさえ気づかないほど強く、レオンは自分を喪失していた。  優秀であるがゆえ燻る葛藤は、気の置けない仲間たちを前に、その日、静かに決壊した。それだけのことであった。  一同の食事が無言のままに終わりを迎えると、張り詰めた空気に揺蕩う音が、いよいよゼロに等しくなった。  誰しもが何かを言い出そうとして、しかし閉口する。空模様を鏡映した室内、俯く一同の目線が、いっせいに跳ね上がった。蹴り飛ばさんばかりの勢いで押し倒された椅子が、絨毯とぶつかって鈍い悲鳴をあげたのだ。 「……兄貴?」  立ち上がったヘイゼルが、ポーラの呼び声むなしく窓際へ駆けていった。尋常ならざる気配を感じ取った一同は、重い空気の余韻を振り払って、それにつづいた。 「結界に、何かが掛かりました」  白雲に向けた呟きが、しがみついた窓にぶつかって、すぐに結露した。それが喫緊の事態であることは、蒼白とした横顔が明晰に物語っていた。ヘイゼルはひとつ大きく息をのむと、揺れる視線をレオンにうつした。 「……魔力の、反応です」

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  • マンドラゴラ(覚醒ver.)

    ……くくく、えっ?

    ♡1,000pt 〇500pt 2022年5月9日 12時18分

    ぐう……ヤバイ。PC落とさねば(汁)また夜にでも来まする。

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    ……くくく、えっ?

    2022年5月9日 12時18分

    マンドラゴラ(覚醒ver.)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年5月9日 17時56分

    すまーとふぉん活用術! UMPCでもよかですよ。

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    羽山一明

    2022年5月9日 17時56分

    ミミズクさん
  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年8月26日 19時45分

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    えんどろ~!ファイ

    くにざゎゆぅ

    2022年8月26日 19時45分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年8月26日 22時49分

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    うれしぬ

    羽山一明

    2022年8月26日 22時49分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年7月19日 3時46分

    ポーラたん、妹思いのいい兄貴が居て良かったであります。拙者にはこんなピュアピュアな関係は掛けないので、色んな意味で羨ましいでありますぞ押忍。

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    うさみしん

    2022年7月19日 3時46分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月19日 8時03分

    見ようによっちゃかなり危ない兄妹なので、なかなか。種違いですし。

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    羽山一明

    2022年7月19日 8時03分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    塔都

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年9月7日 11時07分

    レオン決壊。ポーラを庇って、ルーレインとの板挟みに、秘密を持って、言うに言えない状況に沸点も高く。ほんとに何でもできる人に、休息は訪れない。読んでるだけでしんどそう。なんとか癒やしてあげてほしいと思いつつ…。

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    塔都

    2022年9月7日 11時07分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年9月7日 17時55分

    レフィリアを恋人に据えたのは、単独で放置すると過労死する懸念があったからだったりします。余裕がないと、ほんと人間はすぐにだめになります。ある意味、去った男性陣が心の支えになっていたのかもしれませんね……。

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    羽山一明

    2022年9月7日 17時55分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月27日 5時56分

    レオンがピリピリしてるのは疲れてる感じでしょうか。休めといっても休まない、休みたくても休めない、そんな匂いがします押忍。

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    うさみしん

    2022年2月27日 5時56分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月27日 9時29分

    レオンはワーカホリックかつ超人ですが、シンプルに限界がきています。個人にすべてを詰め込むことの恐ろしさを身をもって知っており、戦闘面でセイジにすべてを委ねることに危惧しているのも頷けるかなと。

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    羽山一明

    2022年2月27日 9時29分

    ミミズクさん

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