境界線上の魔王

読了目安時間:6分

エピソード:97 / 192

7-2 空からの仲裁者

 時は、少し遡る。  「それ」が訪れたのは、セイジが旅立ってから二ヶ月ほどあとの、風の強い日であった。  黄昏を鈍らせた曇り空は、夜明を霞ませ、今なお陽の光を遮っていた。白と灰と黒、三色の絵の具を無秩序に散りばめたような底なしの曇天に、むろん意思などはない。しかし、その下で暮らすものたちの心境を慮ることもなく、晴天を求めて空を見上げた者たちの瞳に、鈍色の光を映しつづけた。  降り注ぐ陰の影響は、それを仰がぬ王宮のなかにあっても、なお甚大であった。 「――だから、あたしが行くいうてるやん」 「駄目だって言ってんだろ。どこの世界に、亡命してきた国の女王様を戦地に送り込む国があるんだ」 「そんなん言うてても、具体的に戦力が足りてへんねんやろ?」 「駄目だ」 「…………」  反復された応酬は、もはやその回数を数える意味を亡失しつつあった。  ……ある日、レオンの部屋に差し入れをしたマリーの手料理を、いつものように居合わせたレフィリアがいたく気に入り、ある日のクリスとの話題にて持ち出した。それを聞きつけたポーラがヘイゼルを呼び寄せ、呼ばれていないがレベッカもやってきた。  そうしていつしか定着した、昼餉ついでの顔合わせの時間。それぞれの職務に人心地つけ、和気藹々と弾ませる会話の眼下に並ぶ品々は、むろんすべてがマリーのお手製である。寒いなかでも英気をと、暖かいものを中心に並べられた料理の数々が、食卓を代わる代わる彩った。味はもちろんのこと、見目も麗しいその仕事ぶりに、レオンたちの胃袋はたちまち陥落した。  その日も、いつもの時間に、いつもの顔ぶれが揃った。馴染んだ座席で談笑する面々に破顔しながら、マリーが配膳をはじめる、なんら変わりのない光景のはずだった。  ただひとり、レオンだけが鬱屈とした雰囲気を崩すことなく、ひたすらに手元の書類を睨み続けていた。着席したマリーが声をかけるも、返ってくるのは中身のない相槌ばかりである。 「……ちょい、レオン」  見かねたポーラが、手にしていたカップを少し傾けて、苦々しげに口を開いた。 「…………?」 「部屋にまで押しかけといてあれやけど、今は切り替えて食事しようや。こっちまで息詰まってまうで」  諌めるようなその声に、平時であれば淡々と返す。発言者であるポーラ自身も、伝わりさえすれば、との思いであったのだが、返ってきた反応は予想だにしない、有り体に言えばひどいものであった。 「お前には関係ない話だ」 「……あ?」  瞬きと逡巡ののち、放たれた言葉の意味をようやく飲み込んで、ポーラは勢いよく立ち上がった。食器を置く音が高く響いて、穏やかな空気に電撃が走り抜けた。出来たばかりの料理から心地よく立ち昇る湯気が、ふたりの間をさりげなく霞ませたが、開かれた戦端は収まりをみせなかった。 「ラフィアの国境線の戦力の件やろ? 昨日も言うたけど、あたしが抜けたからできた穴や、あたしに関係ないわけないやろ」 「補足しよう。フェルミーナの庇護下に入った今のお前には、関係ない話だと言ってるんだ」 「他のフェルミーナの騎士は派遣されてるやん。あたしが行くのもおかしい話やないやろ?」 「…………」  返答がわりに放たれた溜め息が、ポーラの眉をいっそう険しく顰ませた。レオンの隣に座るレフィリアも、ポーラの隣に座るヘイゼルも、それぞれ口を挟む時機を見計らいつつ、好機を見いだせないでいた。 「はい、はい。ふたりとも、まずは冷めないうちにお食べなさいな。マリーに失礼でしょ?」  唯一、割って入ったのは、それこそ事態と無関係であろうレベッカであった。長音の似合う抑揚に反して、紅色の瞳をぎらりと光らせて、ふたりを一瞥した。  剣呑な雰囲気は、既のところで破裂を逃れた。ようやく始まりを告げた食事の時間は、だが、会話によって彩られることはなかった。生まれた沈黙の端々を、食器の音が重々しくも冷たく埋めた。  ……セイジの旅立ちは電撃的ではあったものの、目的は事前に、かつ明瞭に定められていた。  それに対して、フェルミーナの王宮に残された面々の目的は、その筆頭が『龍への対抗』という、ひどく曖昧なものであった。  めくるめく戦闘を乗り越えた面々は、それぞれ燃えるものを抱いて修練に励んだ。『いつか訪れる強大な敵に対抗する』という命題に、当初は各々真剣に取り掛かったものの、真剣が深刻に変貌するまで、さほどの期間すらも要することはなかった。  心意気も新たに、と言えば華麗に聞こえるが、心意気以外については、今までの日常となんら代わり映えのないものであることに、みながそれぞれ悟ったのだ。  同時に、そういった時にはいち早く方針を転換させ、指示を飛ばすべきであるレオンの動きが、今回に限ってはひどく凡庸であることにも気がついた。  理由は明快にして簡潔であった。  何ということはない、ただレオンが多忙を極めた、というだけのことである。  史書のページをめくるかのように、ぱたぱたと舞い込んだ事件や事故、それに巻き込まれるうえで『しかたがない』と諦めていた仕事の山々に、レオンは久方ぶりに向き合っていた。国王ジーンが吐血してからというもの、父の執務室から書類を奪うかのように持ち出して捌きはじめ、傍目にも献身を飛び越え、常軌すら逸脱する様相をちらつかせていた。  そんな折、ルーレインから文が舞い込んだ。旧ラフィア領から侵入する魔物の数が日々増加傾向にあるという、報告の体裁で飾られた実質の救援要請であった。  ルーレインには、ポーラが魔物を討伐していたということを報告しなかった。居合わせたレフィリアもまた沈黙を保っていたので、そこに対する追及まではなされなかった。罪悪感を微震させつつも、これ以上、ポーラ個人の責務に国の事情を絡めたくない、という思いが、当初の意思を貫徹させた。  ひとまず筆をとったものの、ルーレインにとっての主題であろう援軍については、即日の断言を避ける内容にとどまった。  そもそも、レフィリアをけしかけたルーレインのやり口に、かねてより報いをとらせようと画策していたのだ。憂き目に立ち向かう悲鳴をかたどった文面を見下ろす瞳に、嘲るような仄暗い色が宿るのも、無理からぬことであった。  むろん、感情論だけの名分ではない。『龍の襲撃に備え、主要な戦力は手元に置いておきたい』という、深刻な理由を抱えていることも事実である。しかし、言い出せない。伝わるはずもない。  もとを正せば、隠すことを選んだのはこちら側である点、誰を責めるわけもいかなかった。  正答を求めて逡巡を繰り返し、そのたびに挫折した。高い理性によって押し止められていた感情が、打破しえない現状と向き合ううちに、満を持して沸騰をはじめた。それが露出しなかったのは、山積する書類によって、ただ隠されていたにすぎなかった。  庇い続けたポーラに対して感情をぶつける矛盾にさえ気づかないほど強く、レオンは自分を喪失していた。  優秀であるがゆえ燻る葛藤は、気の置けない仲間たちを前に、その日、静かに決壊した。それだけのことであった。  一同の食事が無言のままに終わりを迎えると、張り詰めた空気に揺蕩う音が、いよいよゼロに等しくなった。  誰しもが何かを言い出そうとして、しかし閉口する。空模様を鏡映した室内、俯く一同の目線が、いっせいに跳ね上がった。蹴り飛ばさんばかりの勢いで押し倒された椅子が、絨毯とぶつかって鈍い悲鳴をあげたのだ。 「……兄貴?」  立ち上がったヘイゼルが、ポーラの呼び声むなしく窓際へ駆けていった。尋常ならざる気配を感じ取った一同は、重い空気の余韻を振り払って、それにつづいた。 「結界に、何かが掛かりました」  白雲に向けた呟きが、しがみついた窓にぶつかって、すぐに結露した。それが喫緊の事態であることは、蒼白とした横顔が明晰に物語っていた。ヘイゼルはひとつ大きく息をのむと、揺れる視線をレオンにうつした。 「……魔力の、反応です」

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