境界線上の魔王

読了目安時間:8分

エピソード:56 / 142

5-17 境界線上に佇む者

 セイジとマリーが立ち去ってしばらく。降り続ける雨に濁された景色の奥、本家の境界線が放つ眩い光のなかに、ひとつの人影が浮かび上がった。 「さて……どこだ……」  はでな水音をたてながら姿を現したのは、艶のある青色の法衣に身を包んだ、隻眼の偉丈夫であった。衣服と同じくはでな青の髪を左右に揺らしながら、なにかを探している様子であった。 「おっ、いたいた」  陥没と穴だらけの雨上がりの戦闘跡地に、男はまっすぐに歩を進めた。運よく水たまりに沈んでいなかったリュートの宝玉を拾い上げ、厳しい顔つきをさらに険しく歪めた。 「おい、もういいぞ。とっととその擬態を解け」  返答はない。傍目に見れば当たり前である。だが男には甚だ不快であったようで、手に持った宝玉をいきおい地面に放り投げた。 『痛っったい!! 何を――』  叩きつけられて跳ね返った宝玉から、悲鳴にちかい声があがった。腕を組んで見下ろす偉丈夫の圧力に屈したのか、宝玉は反論代わりに光を放ち始めた。ゆるやかに形を変えたその光が、リュートの輪郭をかたどった。 「迅速果断だね、相変わらず」  光がおさまると、苦々しげに微笑んだリュートの姿がそこにあった。全身に焼き付いた傷跡までも、生々しいまでにそのままの姿であった。 「お前の調子に合わせてばかりいたら、寿命がいくらあっても足らんからな」 「性急に過ぎても世の中は変わらないさ。ひとつひとつ、丁寧に、だよ」  危なげない足取りで歩き始めたリュートが、少し離れた場所で寄り添っていたニアとサティの宝玉を拾い上げて、少し距離をおいた場所に置き直す。 「寿命が長い私たちにしかできないやり方があるんだからさ」  言いながら、リュートはふたつの宝玉に手をかざした。リュートと同じく、光を放ち始めた宝玉が、二匹の龍の姿をかたちどった。  リュートの向こう側で倒れ込む二匹を見下ろした男が、呆れ半分、怖気半分といった表情をつくって、逆立つ髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。 「信じられんな。こいつらを打ち負かす人間など、存在するものなのか?」 「現にいるんだからしょうがないじゃないか」  重々しい男の独り言に対して、リュートの声色はいかにも事も無げであった。うめき声を上げながら具現化した二匹を見下ろしながら、半身をよじって男を流し見た。 「悔しそうだね。自分と戦った時は手加減されてたことがわかったからかい?」 「ふん……」  底意地の悪い笑みを浮かべたリュートをひと睨みして、男はふいっと顔を逸らした。満足げに振り返ったリュートが、二匹にかざしていた手のひらを下げると、二匹はほとんど同時に意識を取り戻した。  向かい合った姿勢のまま、目を開いた二匹はお互いをみとめると、またも同時にリュートへと目を向けた。 「おはよう。ごめんね、苦労かけて――」  やわらかな声と表情が、半ばから消失した。二匹の背に滲んだ黒い影が、矢のような勢いでリュートへと手を延ばしたのだ。  反応の遅れた二匹と男の前で、影はまっすぐにリュートの目に飛びかかった。その瞳に触れるか触れないか、その直前で、影は時間を切り取られたかのように動きをとめた。 「まだ残ってたのか。丁度いい」  弾けるような反応をみせた周囲に反して、リュートは驚く様子もなく観察をはじめた。抵抗する様子すらみせない影の周囲で、時計のようなシルエットが陽炎のごとくゆらめいている。 「うーん……だめだ、やっぱり全然わかんないや」 「それが、やつの魔力か?」  男の態度が、わずかな興味とそれを遥かに上回る嫌悪感を露出した。 「その欠片だね」 「本人から離れてなおその圧力か。確かにこの世のものではないな」 「本当、不思議だよねえ……」  言いながら、リュートは黒い影に向けて指先を逆回転させた。錆びた扉を思わせるかすれた重低音が響いて止むと、点滅をはじめた時計が、黒い影を抱きかかえるように膨らんでいき、次の瞬間、もろとも虚空に消え去った。その脇を通り過ぎたリュートの意識は、すでに座り込む二匹のほうに移り変わっていた。 「さて、改めて。ふたりともお疲れ様」 「……失礼。話の前に、一発よろしいでしょうか?」  起き上がった直後、よろめきながら傅いたニアが、頭を垂れたまま口を開いた。 「うん、いいよ……ん? 一発って何――」 「ォオラぁ!!」  疑問符を貼り付けたままのリュートの顔に、ニアの跳び蹴りが炸裂した。後ろで佇んでいた男が、飛んできたリュートをいかにも煩わしそうにやり過ごした。 「……え、いや、いきなり何を――」  頭を抑えて起き上がったリュートが、口を開いたまま硬直した。顔をあげた先に立っていたサティが、満面の笑みで拳を握りしめていた。  悲鳴はあがらなかった。ニアの一撃とは比べ物にならない勢いで、リュートの身体が作り物のように直上に舞い上がった。地面に叩きつけられたリュートのそばにいた男が、跳ねた泥を不快げに叩き落とした。 「あーーーー! すっとした!」 「あんなの聞いてねえぞ、おい!」  倒れ込むリュートに向けて、容赦なく罵声が浴びせられた。 「ごめんてば。私もよくわかってないんだから、あんまり酷いことしないでおくれよ」 「なに痛がってんだ。『止めてた』んだろ?」 「……あ、ばれた?」  薄く笑うリュートの全身に、半透明の時計が浮かび上がった。滲んで溶けたその影がやがて見えなくなると、ニアに貫かれた傷はおろか、血痕すらも跡形もなく消え失せていた。その様子をまじまじと見つめていたサティが、幼い顔つきに似合わない、呆れたような深い溜め息を吐き出した。 「悪趣味ねえ。セイジさん、あなたのこと本気で心配してたのよ?」 「……趣味であんな演技をするほど、堕ちちゃいないさ」  立ち上がったリュートの声が、別人のように重々しく変質した。軽薄さすら窺えた瞳から放たれた威圧感が、二匹の背筋に電撃を走らせた。   「率直に聞くけど、彼、どうすべきだと思う?」 「……いたずらに接触するのは得策ではないと感じました」 「おれも同意見だな。正直言って、もう二度と戦いたくない」  突き放すようなニアの声に、サティが意外そうな目を向けた。 「私はまたお手合わせ願いたいよ。あんなにレベルの高い接近戦、龍相手じゃできないからね」 「殺された相手とまた会いたいとか、すげえな、お前……」  子のやり取りを見守る親のように、リュートが大きく頷いた。 「危険性はどう見る?」  その問いかけに、二匹は目を瞬かせた。同時に目をあわせて、同時に口を開いた。 「「危険性なし、です」」  一言一句違わず、呼吸のタイミングすら重ねた声は、どちらも強く断言するような口調であった。セイジを忌避する素振りをみせたニアですら、見解に異を唱えることはなかった。 「その根拠は?」 「俺たちが死んでも復活できることを知ってるなら、お前に構わず戦えばよかったんだ。でも奴はそうしなかった」 「それどころか、途中まで私達に反撃すらしませんでした。あれだけの実力がありながら、本質的には好戦的ではないのだと考えます」 「うん、うん。妥当な評価だね」 「……なあ、お前自身はどう感じたんだ?」  満足げに頷いたリュートに、不満げなニアが問いかけを投げ返した。意外そうにニアを見つめ返したリュートは、だがすぐに顎に手をあてて考え込んだ。 「うーん……あの魔力のことは、正直言ってよくわからなかったよ。境界線の向こう側でたまに見かける、汚染された個体に取り憑いた魔力によく似てたけど」  ただ……と、リュートが躊躇いがちに言葉をつづける。 「彼自身があの力を恐れていることは確かだね。何にどんな影響があるのかわかったものじゃないから当たり前だけど、だからこそ使いこなせてない。そこは助言をしておいたつもりだよ」 「魔力の化身みたいなお人でしたね、ほんとに」 「彼自身、自分自身の処遇に困ることもあるんだろうね。ヒトでありながら、魔なる力を持ち、その狭間で揺れている……『境界線上の魔王』とでも言うべきなのかな」  自問自答を重ねたようなリュートの声が途切れると、その場にみじかい沈黙が訪れた。耐えかねたようなニアの溜め息が、重苦しい静寂をつらぬいた。 「あー……じゃあ、フェルミーナとルーレインの龍に、結論を共有しないといけないわけだが」  至極まっとうなニアの意見に、空気がふたたび張り詰めた。互いが互いに目を逸らし、重なった視線をあわてて外す。  互いに責務の落とし所を模索しあう――言い換えれば「やりたくないから、お前がやれよ」という空気が流れた。 「……私が行くよ。リュートがむこうで顔をあわせるのはまずかろう」  一歩後ろで、ことの成り行きを静観していた男が、不毛な駆け引きを終結させた。男の声に、なんともいえない一同の空気と表情がやわらいだ。  ふと、何かを思い出したように、サティが顔をあげた。 「ね、そのリュートっていう名前はどうしたんですか?」 「ラフィアで出会った女の子が、私に名付けてくれたんですよ。私が龍であることも隠して匿ってくれた、いい子でした」 「へえ……じゃあ、そっちの名前で呼ぶほうがいいですか?」 「いえ、もとの名前でいいですよ。説明するのも煩わしいですし」 「そっか。じゃあ――」  ひと呼吸おいて、ニアとサティの体がふわりと浮かび上がった。やや遅れたリュートに手をのばして、サティは嬉しそうに言葉を結んだ。 「帰りましょうか、ファウストさま」  その声を最後に、三匹の龍の体がひとつの光となって、境界線の光の渦のなかに消えていった。  彼らの背を見届けた男は、ひとり苦々しげに身を翻して、銀幕のなかへと姿を消した。

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  • ひよこ剣士

    乃木重獏久

    ♡1,000pt 〇1,000pt 2022年1月3日 1時03分

    なんとっ! そう来ましたか! リュートの正体がファウストだったとは。境界線の魔王に対する威力偵察も無事完了。彼ら龍との邂逅は、危険性なしと判定されたセイジにとっても、ある意味大いにプラスとなった事でしょう。しかし、セイジの魔力とカオスが似てるとのリュートの言葉に、不穏を感じます。

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    乃木重獏久

    2022年1月3日 1時03分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月3日 7時49分

    長いお芝居でした。死をもって完遂する、という発想はおよそ人間にはなく、それでもリュートとしては内心ヒヤヒヤしていたかもしれません。みごとに騙し、セイジを激昂させなければ、その真の危険性は見いだせませんでしたからね。セイジに対する助言は、彼なりの贖罪か、世を思うばかりの行動か……。

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    羽山一明

    2022年1月3日 7時49分

    ミミズクさん
  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年7月1日 20時51分

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    君なら世界を救えるかもしれない

    くにざゎゆぅ

    2022年7月1日 20時51分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月2日 9時59分

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    できらぁ!

    羽山一明

    2022年7月2日 9時59分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年6月3日 6時41分

    いろいろ生きてたw

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    うさみしん

    2022年6月3日 6時41分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月3日 9時02分

    生かしたかっただけ、という思いもありますが、生かした方が面白くなりそうだったので。そのためリュートはただの小間使いというわけにもいかず。色々とジャンプアップしました。

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    羽山一明

    2022年6月3日 9時02分

    ミミズクさん
  • あんでっどさん

    星降る夜

    ♡500pt 〇200pt 2021年9月20日 16時25分

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    グッジョブ!

    星降る夜

    2021年9月20日 16時25分

    あんでっどさん
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年9月21日 2時09分

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    元気が出ました!

    羽山一明

    2021年9月21日 2時09分

    ミミズクさん
  • 吟遊詩人

    秋真

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年6月4日 23時40分

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    さすがですね

    秋真

    2022年6月4日 23時40分

    吟遊詩人
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月5日 2時32分

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    「ドヤァ」ステラ

    羽山一明

    2022年6月5日 2時32分

    ミミズクさん

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