境界線上の魔王

読了目安時間:8分

エピソード:141 / 142

7-46 闇に咲く花

「……あれ……?」  黒一色に包まれた世界で、クリスは静かに目を覚ました。  光を求めて周囲を彷徨った視線は何物をも映さず、冷感すら覚えるほどの静寂に、ぼんやりと零れた自身の声が響きわたる。 「……ここ、は……?」  起き上がろうと地面に向けた指先が、なにか硬い物体に触れる。暗闇のなか、それが愛剣の柄であることに気がついたクリスは、微睡むように薄く開いていた目をぱっと見開き、剣を引っ掴んで弾かれたように身を起こした。  反射的に放たれた魔力は、しかし敵手の姿はおろか気配すらも察知することなく、クリスの全身を鈍色に輝かせるだけであった。 「私……セイジさまにいただいた魔力を解放して……それで……?」  その後の記憶の一切がない。  回答のない疑問に、薄ら寒い沈黙が続いた。  剣を握りしめていた腕が、茫然自失のままにぱたりと落ちていく。地面をなぞる剣の感触を追いかけて、クリスは自身の体をはたと見つめ直した。アリアと繰り広げた戦闘で負った傷も、雨に濡れたままの衣服も、何もかもが意識が飛ぶ直前の様子と変わらない。 「痛みが残っているあたり、死んでしまったわけではなさそうですが……」  物騒な言葉を事もなげに呟きながら、その場でくるりと反転して、周囲に視線を巡らせる。やや離れた場所にもう一本の愛剣のものであろう鈍色の光を見いだすと、クリスは迷うことなく歩み寄り、ひょいと拾い上げた。 「…………」  取り戻した双剣をぼんやりと眺めていたクリスであったが、やがて思い出したように顔をあげると、二本の剣を静かに鞘に収めた。左右を見渡し、変わらず何も見えないことを再確認すると、ひとつ小さく頷いてみせる。 「……うん、よし。悩んでいても仕方ないですね。まずは情報を集めるとしましょう」  そう独りごちたクリスは、身軽になった両手のひらを力強く開閉させ、体の調子を確かめるように屈伸をはじめた。靴の先でとん、と地面を叩くと、見上げた空めがけて強く高く、魔力を使わずに舞い上がる。  ゆっくりと速度を落とした体を上空で踊らせながら、クリスは地平線らしき四方を見回した。  その一点、泳ぎかけた視線が、ほんのわずかに瞬いた光点を捉えると、凝らした目がぴたりとそこに照準を定めた。  疑問が生じるより早く、逡巡に動きを止めるでもなく、クリスの足が反射的に宙を蹴った。風音を纏って突き進んだその先、眩いだけであった光が拡大するにつれ、次第に明瞭な形を帯びていく。  やがて浮かび上がったその光景を見たクリスは、思わずみずからの目を疑った。  それは、紛うこと無き家屋であった。  暗闇のなか、切り取られたかのように円形に広がる草原を背景に、切り出した木材のままに設えられた、情緒あふれる一軒家。自然色の外観、その奥に見える庭園には、背丈の低い観葉植物らしき緑の色が等間隔で立ち並んでおり、どこからか吹き抜けている風を浴びて心地よさそうに揺れていた。 「なに、ここ……?」  もはや何度目かもわからない困惑の声をこぼしながら、クリスはその家屋のそばにおそるおそる着地した。半開きの門扉越しにそっと中を窺うと、飴色に艶がかった無垢材の壁面、正方形に切り取られた磨り硝子の窓に、楽しげに揺れ動く人の影絵が映っている。  異様、されど唯一の手がかりである家屋の前で、クリスはごくりと息を呑んだ。  ざぁっ……とひときわ強く吹いた風が、クリスの背中とそっと押し、きいきいと門扉を軋ませる。  ふらり、誘われるがままに門扉に向き直ったクリスは、わけもわからず足を持ち上げ、踏みおろそうとした。  その、寸前。 『行っちゃだめ!』  後背から、窘めるような女性の声が雷鳴のごとく響き渡った。  弾けるように振り返ると同時に、クリスは流れるような所作で剣を抜き放ち、飛び退る。その踵が、わずかに門扉と『こちら側』の境界に触れ、越えた。  瞬間、クリスの背筋に、電撃と氷塊をすり潰してかき混ぜたような、形容しがたい怖気が走り抜けた。 「――――っ!」  総毛立ち、居竦みかけた体をなんとか奮い立たせて、クリスはふたたび体を反転させた。  そして見た。楽しげにこぼしていた声をぴたりと止め、窓越しに確かにこちらを見据える影絵を。  穏やかに揺れる草花の隙間を蛇のように潜り抜け、今まさに口を開けて襲い来る、黒い魔力の姿を。 『危ないっ!!』  間に合わない。実感しつつも魔力を迸らせたクリスの横合いを、何かが通り過ぎた。  振りかぶった剣をぴたりと止めたクリスの眼前、彼女を庇うように声を張り上げたのは、人どころか生物ですらなかった。  成人の頭部ほどの大きさのクリーム色の発光体が、相反する漆黒の翼をもたげて、クリスを襲った黒い魔力の前に立ちはだかっていた。  長細い煙のかたちをなしていた黒い魔力は、割って入った発光体の姿を認めるや否や、持ち上げていた鎌首を下ろし、大きく膨らませていた体躯をしゅるりと萎縮させてゆく。  次々と舞い込む異様な光景を前に、クリスは音をたてないよう慎重に気息を整え、構えを改めた。  切り取られたように静止した空間のなか、動いたのは発光体であった。ふわりと翼をはためかせ、黒い魔力に身を寄せる。 『大丈夫。安心して。この子はあなたの敵じゃないわ。落ち着いて家に戻りなさい』  発光体の放った優しげな言葉と声色は、さながら子を躾ける母親の囁きの様相であった。  訝しげに交互を見比べたクリスをよそに、黒い魔力はその場でぐるりと渦を巻くと、ずりずりと身を引きずりながら、閉じたままの窓のなかに吸い込まれていった。その向こう側、窓際でクリスに視線を張り付けていた影絵もまた、時を取り戻したかのようにぴくりと動き、ふい、と窓から遠ざかっていく。 『……ふぅ』  絶句するばかりのクリスの前で、発光体は持ち上げていた翼をぱたりと閉じ、振り返った。 『驚かせてしまってごめんなさい。でも、あの子も悪気があったわけじゃないの。許してあげて?』 「え、ええ……」  クリスが頷いてみせたのは、放たれた言葉よりも、目の前の発光体が纏うやわらかな雰囲気によるものが大きかった。その透明感のある声にどこか懐かしさを覚えたクリスは、戦意がないことを示すために剣をおさめ、目の前でふよふよと漂う発光体に改めて向き直った。 『お詫びも兼ねて、色々と説明させてちょうだい。あなたも私に聞きたいことがあるでしょう?』 「……ええ。沢山、ありますわ」  思ってもみない発光体の提案に、クリスは刀身より鋭い気迫を込めて同意をしめした。 『わかったわ、場所を改めましょう。今のこの姿じゃ、あなたも話しづらいでしょうし』  頷くようにぱたりと羽ばたいた発光体が、家屋に背を向け、闇に溶けていく。  裏表のないその背に追従しようとして、クリスははたと足をとめた。振り返り、黒い魔力が帰って行った家屋をじっと遠目見る。 「…………」  そよそよと風を浴びて揺れる木々、どこからか降り注ぐあたたかな陽射しと、かすかに漏れ聞こえる談笑。そして、何者をも拒むかのようにかたく閉ざされた門扉がそこにあった。  "お願いだから、そっとしておいてほしい"  そう言われたような気がして、さっと目を逸らす勢いのまま、クリスは身を翻した。暗闇の奥、遠ざかっていく発光体の背中へと、息苦しい思いを振り払うように駆け寄っていく。  蛍火に似た光の導きのまま進むにつれ、身を包む闇は深く色濃く沈んでいった。やがて家屋が纏っていた光が完全に見えなくなる頃、ゆらゆらと羽ばたいていた翼が静かにその動きをとめた。 『少し待ってて』  独り言のように呟いた発光体は、言葉に続けてちいさく何かを詠唱した。丸い輪郭がわずかに光量を増したと思うと、光り輝くその体表から、豆粒のような欠片がふわりと浮き上がっていく。虚空に向かって泳いだそれは、何もない宙空にじわりと滲んで広がると、最後にひとつ眩い光を放って、純白の扉に姿を変えた。 『はい、どうぞ。驚くかもしれないけど、遠慮なく上がってちょうだいね』  何やら意味深な一言を残して、発光体は扉も開けずにするりとその中に消えていった。  ひとり置いて行かれたクリスは、自分と同じく無言で佇む扉の取っ手をしげしげと見つめてから、意を決したように手をかけた。驚くほどに軽やかに開いた扉の向こう、暗がりに馴染んでいたクリスの目がわずかに細まり、直後に見開かれた。  そこは、見慣れたフェルミーナ王宮にあるはずの一室。中心に陣取るローテーブルも、その左右に添えられた小ぶりのソファも。大窓を背負う書机の位置から、テラスへの扉脇に佇む書架のささやかな内容物に至るまで。  何から何までが、クリスの私室そのものであった。 「なっ……!」  いよいよ混乱をあらわに立ち尽くしたクリスの目が、何かの違和感を覚えてわずかに動く。  書机の隣、据えられた見覚えのない姿見。白磁の枠に囲まれたその鏡面が、傍に浮かんだ発光体をやけにぼんやりと映していた。 『重ねてごめんなさいね。あなたが見慣れた部屋のほうが、何かと思い浮かべるのに都合がよくって。それに――』  ぱたり、とひとつ羽ばたいた発光体が、姿見に触れ、消えていく。ふっと色を失った鏡面に水音と波紋が広がると、波打つその表層に乳白色の光が滲み、溢れ出していった。  部屋を埋め尽くす光のその奥、強く揺れた鏡面から、黄金色の頭髪を揺らす人影が姿を現した。  波紋と光が収束し、落ち着いた色調を取り戻した空間に、軽やかな靴音とともに舞い下りたその人物。  端正な容貌は肖像画で、目覚ましい活躍は物語にて。面識のないクリスにとっても馴染みが深く、史上から姿を消して二十年経つ今なお、数多くの人々から畏敬と崇拝の意を集める、伝説ともいえる人物。 「――もとは私の部屋でもあるし、ね?」  初代聖騎士フリージア・フェルミーナは、悪戯っぽく舌を出すと、誤魔化すように微笑んでみせた。

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  • マンドラゴラ(覚醒ver.)

    ……くくく、えっ?

    ♡2,000pt 〇500pt 2022年9月21日 22時17分

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    いつも見てますよ

    ……くくく、えっ?

    2022年9月21日 22時17分

    マンドラゴラ(覚醒ver.)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年9月22日 2時22分

    ああっ……マシンがおこなんでしょうか。それとも台風の余韻でおこなんでしょうか……! いずれにせよ、ご無理なく。

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    羽山一明

    2022年9月22日 2時22分

    ミミズクさん
  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年9月21日 22時39分

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    「気になるわネ!」ステラ

    くにざゎゆぅ

    2022年9月21日 22時39分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年9月22日 2時25分

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    続きはもっとすごいんだからね!

    羽山一明

    2022年9月22日 2時25分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年9月22日 3時35分

    漂ってまいりました! あの世感が! もうねこの展開! いや言葉が続かないのです! 毎度まいど拙者を吃驚させて! 予想外過ぎて感想出ないですよ。おそらく初代との対話で何か世界の秘密に迫る事になるんでしょうけど、それをクリスがどう受け止めるか、興味津々でありますぞ押忍!

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    うさみしん

    2022年9月22日 3時35分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年9月22日 9時47分

    いよいよファンタジーっぽくなってきました。向いてねえ。お察しの通り、ここでなんとしてもフリージアから情報をかっ攫いたいところですが、現実に戻ったら戻ったで無理ゲーみたいな敵が居るので、両立させねばなりません。さて。

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    羽山一明

    2022年9月22日 9時47分

    ミミズクさん
  • マンドラゴラ(覚醒ver.)

    志茂塚 ゆり

    ♡1,500pt 〇100pt 2022年9月22日 22時51分

    ここでフリージアさんご本人様登場ーーーーっ!!!!∑(゚Д゚)何故こんな精神世界みたいなところに……!?あれ、年齢は……???←女性に訊いちゃダメなやつ!そしてあの小屋が何なのか、中にいた黒い魔力が誰なのか、続きがとってもとっても気になります!!!

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    志茂塚 ゆり

    2022年9月22日 22時51分

    マンドラゴラ(覚醒ver.)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年9月23日 2時16分

    年齢は聞いちゃだめなやつです。御年41のジーンの実妹。なのですが、なぜか見た目は若々しいご様子。精神世界のような場だからなのか、或いは。小屋のほうも併せて気になることだらけのクリス、さて、何から問い詰めましょうか。

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    羽山一明

    2022年9月23日 2時16分

    ミミズクさん
  • ひよこ(重)

    田中 他郎

    ♡1,000pt 〇50pt 2022年9月21日 19時27分

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    顔文字「キタ―――――!!」

    田中 他郎

    2022年9月21日 19時27分

    ひよこ(重)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年9月22日 1時49分

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