境界線上の魔王

読了目安時間:6分

エピソード:54 / 142

5-15 冷たい雨、火照る指先

 糸がきれたように倒れたリュートの姿を見て、セイジは飛ぶような勢いで身を翻した。  抱えあげるように背中に滑り込ませた手に、生暖かい感触が触れて、はっと手を引く。  絵の具に浸したかのような、爪の先まで鮮血に染まった手を見て、セイジは力なく腕をおろした。 「また、守れなかった……」 「…………」  その背をただ見守っていたサティの肩を、ニアがぽんと叩いた。 「気ぃ抜くなよ。こっからだぞ」 「……わかってる。ファウストさまのご用命だからね」  二匹の龍の視線の先で、項垂れていたセイジがゆらりと顔をあげた。背を向けたままの表情は窺えないが、身にまとう魔力の質が明快な敵意を振りまいている。  重圧と息苦しさと沈黙が渦巻くなか、二匹は同時にそれを見た。  螺旋状に広がっていたセイジの魔力の端々が、夜より黒い粒状のなにかに変異して、地面に溶けていったのだ。 「リュート、ちょっと待っててな……」  投げ出した剣を拾い上げて、セイジが振り返った。 「「…………っ!!」」  その半身を見た二匹の龍が、言葉を失った。硬直した体から魔力が溢れ出し、意思とは無関係に、本能が臨戦態勢をとった。 『すぐニあいツら、コ�樞包シ搾シ�てやるからな』  吐き気を催すような、どろりと沸騰する粘性のなにかが、震える声を変質させた。セイジの顔半分を埋め尽くすそれは、もはや龍たちの議論の対象にはなりえなかった。  溢れ出す魔力の質と量。比喩ではなく、押しつぶされるような重圧と、禍々しいまでの気配。先程までのセイジの魔法を『この世の終わりのよう』と形容したサティの言葉を借りるなら、それは『この世の終わり』そのものであった。  …………キャハッ  息をのんで立ち尽くした二匹の耳に、赤子のような声が飛び込んできた。  足元に違和感を覚えて落とした視線の先、その目に映る光景に、二匹は声にならない悲鳴をあげた。  紛れもなく、それは赤子の姿だった。  墨のごとく燻った黒い体と、それに対して不釣り合いなほど大きな頭部の真ん中に、いびつに折れ曲がった一ツ目が左右非対称に貼り付けられている。首から下は、およそ胴体と呼ぶことを憚られる、隆起した物質が付着していた。  二匹の視線に気がついたそれは、目の下に亀裂のような笑みを浮かべて、またしても赤子のような声をあげて笑いはじめた。 「ひっ………!」  悲鳴を絞り出すことに成功した二匹は、だが逃げ出すことは許されなかった。  足元の赤子の首元のあたりからのびた一本の腕が、二匹の足首をそっと拘束していたのだ。 「化け物め!」  そう叫んだニアが、赤子の顔めがけて小さな光の球を投げつけた。寸分狂いもなく放たれたそれは、不自然なまでに大きく広がった赤子の口に吸い込まれて、魔力の欠片も残さず消滅した。  直後、思わずたじろいだニアの体が、サティの手に引かれて宙を舞った。 「ニア」  揺れて傾いた景色の奥で、サティが優しく微笑んだ。その後ろで、どす黒く肥大化した赤子の口が、彼女の小さな体に食らいつこうとしていた。 「あとは頼むよ」 「サティ――」  ニアの呼びかけに、鈴の音が返答した。透き通る真紅の宝玉となったサティが、時の止まった空間を転がって、やがてゆっくりと動きをとめた。 「やりやがったな!」  絞り出すような咆哮に、跳躍が重なった。振りかぶられた拳とともに、ニアの全身から魔力が迸り、鳥籠のようなシルエットを描いてセイジへと襲いかかった。  セイジは正面を見たまま微動だにしない。魔力どころか生気すら感じられないその体に、放物線を描いた魔法と拳が直撃した。  ――直撃、しただけであった。 「なっ…………!」  綿を貫いたようなやわらかい感触が拳をくすぐって、ニアは反射的に飛び退いた。顔面をとらえた拳が、手首ごと消え去っていた。痛みも出血もない切断面から、黒と紫を織り交ぜた煙が泡をたてて噴き出している。  その煙が、腕を伝ってじわりと這い上がってきた。刺すような冷感のあとを追うように、触れた箇所の感覚がなくなって、ニアは力なく顔をあげた。全身と右目の中心に、渦を巻いた黒点を蠢かせながら、セイジが静かに立ち尽くしていた。 「なあ、お前……なんなんだよ……」  朧げに消えゆく苦痛まじりの問いかけは、言葉半ばで声を失った。口を開こうとしたセイジの瞳に、紅色の光が反射した。ニアだったその宝玉は、サティのそれに寄り添うように転がって、辺りはふたたび静謐に閉じ込められた。 「おれが、何かって……?」  ひとり残されたセイジが、重苦しい吐息とともに独り言を吐き出した。それは生死をかけた戦いを勝ち残った者の声としては、あまりにも悲壮感に溢れていた。  ふと、セイジが短剣を持ったままの手に視線をおとした。身にまとう黒煙が、うつむいたセイジの表情に陰影をおとした。  ふいに手首が翻った。握り直された短剣が、みずからの腹部へと、なんの躊躇もなく振り下ろされた。その瞬間、うずくまっていた煙の一部が形を変えて、剣と腹部の間に滑り込んだ。 「そんなこと、おれのほうが知りてえよ……」  独白にも似た乾いた声に、軽快な水の音がつづいた。振り返ったセイジと、壁を超えてあらわれたマリーの視線が重なった。 …… ………… ……………… ……………………  締め付けられるような痛みを覚えて、マリーは胸のあたりに手をあてた。  戦闘中の傷は、跡形もなく塞がった。流れる血もおさまった。だけど、痛みだけがむしろ強さを増して、先を急ぐ私の足を邪魔しようとする。 「クリス……」  あの心優しい子に、あんな表情をさせてしまった。  私は騎士じゃない。戦うための訓練もしない。だけど、人を護ることができるだけの力があった。  だから護った。護ることができた。  振るった力の加減を、ただ間違えただけだった。 「セイジも、こんな思いをずっと続けてきたのかな……」  そう思うと、会いたい気持ちがぐっと強くなった。  ただ何かを護るためだけに戦っているだけなのに、この気持ちを共有できるのは、あの人ひとりだけだから。 『セイジ・ルクスリアなら、ラフィアの国境の先で、紅色の龍二匹と交戦中だ。心してかかれ』  背中で聞いたばかりの声を思い出す。  あの程度の相手なら、徒党だろうがセイジはきっと勝つ。勝ってしまう。それを繰り返すだけ、遠くに行ってしまうような気がする。 「また、一人きりになるのは嫌……」  思いを乗せるように、私は目の前の銀幕に飛び込んだ。 「……マリー?」  そして見てしまった。雨のなかに紛れるように立っていたセイジが、自分に向けて剣を振り下ろしているところを。 「なに……してるんですか……?」 「あ、いや……」  慌てたような仕草で、セイジは私の肩に手をあてた。  返事を待つつもりはなかった。浮き上がった足が倒れるみたいに前に進んで、気がつけば私はセイジに縋り付いていた。隠したくて押し付けた顔が熱っぽくなって、喉の奥が焼けるように苦しくなった。 「おい、危ないぞ。あんまり近づくと──」 「……ふっ」  肩がびくりと震えて、こみ上げてくる気持ちが声に出てしまった。見られていないと思うと、そこからは歯止めがきかなかった。 「うっ……うう…………」  濡れて冷えた頭を、温かくて柔らかなセイジの手が撫ぜてくれた。雨に打たれる身体のうち、セイジに触れる指先と、セイジに触れられたそこだけが暖かくて、私は子供みたいに泣きじゃくり続けた。  何も言わないセイジの不器用な優しさが、その時はただ、嬉しかった。

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  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年6月28日 21時16分

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    全俺が泣いた

    くにざゎゆぅ

    2022年6月28日 21時16分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月28日 22時59分

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    実は狙ってました。

    羽山一明

    2022年6月28日 22時59分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年6月1日 5時51分

    前回ぐらいから名前だけは出てきているファウストさま。引っ張りますねぇ~。拙者なら我慢できなくなって色々書いちゃう感じであります押忍。

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    うさみしん

    2022年6月1日 5時51分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月1日 9時56分

    マリーの正体ともども書いても全然いいんですけど、セイジの掘り下げができていない時点で周囲をあれこれあけすけにしてもしょうがないかなと思いまして。そのかわり、名前で色々と匂わせております。

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    羽山一明

    2022年6月1日 9時56分

    ミミズクさん
  • 吟遊詩人

    秋真

    ビビッと ♡1,000pt 〇200pt 2022年5月15日 10時32分

    《濡れて冷えた頭を、温かくて柔らかなセイジの手が撫ぜてくれた。雨に打たれる身体のうち、セイジに触れる指先と、セイジに触れられたそこだけが暖かくて、私は子供みたいに泣きじゃくり続けた。》にビビッとしました!

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    秋真

    2022年5月15日 10時32分

    吟遊詩人
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年5月15日 13時16分

    このあたりから一人称視点を織り交ぜはじめました。主人公以外でもアリかな、と。

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    羽山一明

    2022年5月15日 13時16分

    ミミズクさん
  • あんでっどさん

    星降る夜

    ビビッと ♡500pt 〇200pt 2021年9月16日 17時43分

    《何も言わないセイジの不器用な優しさが、その時はただ、嬉しかった。》にビビッとしました!

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    星降る夜

    2021年9月16日 17時43分

    あんでっどさん
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年9月17日 2時56分

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    「いつも応援ありがとう!」ほっぺげver.ノベラ&ステラ

    羽山一明

    2021年9月17日 2時56分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    黒猫のプルゥ

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月11日 4時24分

    未だかつて、これほどまでに禍々しい聖騎士があったろうか。いや、ない(反語)。明らかに人間には相応しくない力。程度は違えど、同じく圧倒的な強さを持つマリーと、互いでしか理解し合えない苦しみを慰め合う。だから二人には他人が割って入れない絆があるんですね。

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    黒猫のプルゥ

    2022年2月11日 4時24分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月11日 4時49分

    立場と思い。それらと相反する絶対的な力。セイジとマリーは、そういった共通点をもって行動をともにする理由がありました。理屈とも感情とも少し違う、因縁のような奇縁。まだまだお互いのことを知らないふたり、よい着地点を見つけられるとよいのですが……。

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    羽山一明

    2022年2月11日 4時49分

    ミミズクさん

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