境界線上の魔王

読了目安時間:6分

エピソード:70 / 142

6-14 暁はいまだ遙か

 時刻はまもなく二時にさしかかろうとしていた。  尋常が寝静まり、妖魔が目覚める丑三つ時。果たしてどちらにあてはまるのか、といった龍どもに、ひとまず寝静まる様子はみられないようであった。勤勉に動き回る時計の針に負けじと、忙しげに部屋を駆け回る影がひとつ、それを見つめる影がひとつ。  いずれも交渉の疲労に余韻は残していなかったが、抱える雰囲気にやや隔たりがあった。 「…………」  レオンに案内された広い部屋の、広い寝台の上。胡座をかいたノインは、すこぶる不満顔であった。むくれた視線の向かう先で、レベッカがいかにも嬉しそうにクローゼットを物色している。かすかに聞こえる艶やかな鼻歌も、ノインの機嫌を快方にもたらすに至らないようであった。 「~~~♪」 「……おい、レベッカ」 「? なあに?」 「なあに、ではない。なにを暢気に寛いでいるのだ。これから――っ!」  するどく研ぎ澄まされていたノインの瞳が、動転をあらわにした。  嬉しそうに服を抱えたレベッカが、その場でおもむろに服を脱ぎ始めたのだ。怒りと羞恥の折り混ざった赤面を慌てて逸らしながら、何かを言いたげに口を開閉させて、しかし何も言えずに口をつぐむ。 「これから……なあに?」  平然と着替えを終えたレベッカが、くすくすと笑いながらノインへと歩み寄る。 「……これからの身の振り方を考えるべきであろう。じつのところ、貴様の腹の内はどうなのだ? このまま唯々諾々と、やつらに従うつもりなのか?」 「少なくとも、仕事は辞めることなるでしょうねえ。名残惜しいけど、しょうがないわ」  とすん、と、レベッカが寝台に腰を落とすと、小さなノインの体がわずかに揺れる。落ち着きを取り戻したノインと、腰をおとしたレベッカの視線が重なった。 「いいのか? 誇りをもっている、と言っていただろう?」 「そりゃ続けたいわよお。けど、ヒトと関わるお仕事だから、一族に狙われることを気にしてたらみんなに迷惑かけるでしょ?」 「ほお。そういった観点をもつことができたのか」 「なによ、失礼ね……」  投げやりに言い放ち、口を尖らせるレベッカを見やって、ノインはかすかに首を傾げた。 「褒めているのだぞ。歳若い龍は、みな力を誇示するばかりで、えてして周りを顧みないものだ。貴様もそうだと思いこんでいたが、認識を改める必要があるな」 「……そんなことより、あなたはどうなのよ」  外見は子供と、その発言に振り回されるばかりの母であるが、いかんせん年齢に違いがありすぎた。たいしたものだぞ、と嬉しそうに微笑むノインに、レベッカは恥じらうようにあわてて話題と目線を逸らした。 「あなたの商会って、二国間の通商の屋台骨みたいな立場でしょ? 龍がどうとか以前に、ヒトとしての影響力が大きすぎないかしら?」 「問題ない。いま私の腹心として働いている有能な従姉妹がいる。手紙の数枚では承服せんだろうが、あちらからこちらに接見するぶんには、やつらの指示の範疇であろう?」 「へええ。じゃあ、本当に一族に見切りをつける用意ができているのね」 「ああ。そもそも、やつの討伐などどだい叶わぬ話であったのだ。一族郎党出張ったとて、一筋縄ではいくまい」 「一族郎党、ねえ……」  含みのある沈黙を吐き出して、レベッカは寝台に背を預けた。目の前に倒れ込んだその身体に、ノインは居心地の悪そうな視線をのせた。 「あなた、ひょっとして今の龍族のこと、よく知らない?」 「……なんだ、どういう意味だ?」 「『境界線』があらわれて、女王さまが代替わりしたでしょお? その時に『ヒトに過干渉すべからず』っていうそれまでの方針に反対する、強硬派陣営が出てきた……ってところまでは知ってるわよねえ?」 「当然だ。私もそこに居合わせていたのだからな」 「……じゃあ、その陣営の規模が、『標的』の出現と同時に、爆発的に増大したことは?」  はたと顔をあげたノインの仕草が、それを眺めたレベッカの薄い笑みが、二匹の知見の差をあらわしていた。その言葉を飲み込んだ直後、ノインの脳裏に不確かな、だが強烈な違和感が走り抜けた。 「なぜ、そんなことを知っている? 貴様がこちらに派遣されたのは、標的が我らの目に留まる前のことであろう?」  棘のある不快感を含んだノインの声色に、隠しようのない不信感がまとわりついた。  「あら」と、声をあげたレベッカが、ゆったりと体を起こした。ぎしりと音をたてて這い寄る姿に、ノインの腰がわずかに浮かびあがった。 「その強硬派から情報を受け取ってるからに決まってるじゃない?」 「なっ――」  悲鳴にちかい絶句は、永遠に中断させられた。  獲物を捉えた蛇のように首をのばしたレベッカが、半開きになったノインの唇をふさいだ。ノインの手足が抵抗するより早く、交わった唇の隙間から、青白い光がぼんやりとこぼれ落ちた。顔を離したレベッカが、薄桃色の唇に伝った白糸を舌で舐めとって、恍惚とした笑みを浮かべた。 「本当ね。体内のほうがよく効くわ」 「貴様っ……なにを……」 「あら。まだ喋れるのね。お願いだから『おとなしくしててね?』」 「…………っ!」  何だ。  何が起きている。  さまざまな疑念が、力なく押し倒されたノインの脳内でせめぎ合った。  力ない呼吸音が、かすれた喉を押し通る。その吐息の熱まで感じる。    しかし、喋れない。  なぜだ、と、レベッカに対する叛意を抱こうとしたその瞬間、思考がぶつりと途切れてしまう。  ――魅了の魔法か。  なぜ、いまここで、私に?  強硬派とはなんだ? 情報を内通して何を企んでいるのだ――? 「……来たわね」  廻り始めた思考が、またしても乱された。  龍族だけが感じ取ることのできる同族の気配に、五感のすべてがざわついた。いくつかの気配は緋色級に匹敵する。使者と呼ぶにはあまりにも剣呑に過ぎるそれらが、北の方角から凄まじい勢いで迫りつつあったのだ。 「生憎だけど、時間が惜しいわ。『私の魔力、返してちょうだい』」  薄ら笑いを浮かべるレベッカが、ノインの腹のうえに手のひらをかざした。弱々しく開閉した唇と、硬化したままの手足にかわって、困惑まじりの嫌悪に燃える濃紺の瞳が、断固たるノインの意思を表明していた。  力なき抵抗は、だが、静かに裏切られた。わずかな光に包まれたノインの体から、眩いほどの光の球が浮かび上がった。ほう。と、色気を帯びた息を吐いたレベッカが、その光をそっと手のひらに乗せて、愛おしげに抱きかかえた。  それは、分かたれた自分の魔力との再会を喜ぶようなしぐさであった。 「あなたは商人としては一流かもしれないけど、血なまぐさい駆け引きは甘すぎるわね。でも、そういうところ、嫌いじゃないわよ」  意味深な言葉を言い残して、レベッカは颯爽と立ち上がった。部屋の入口で立ち止まると、怒りのまま睨みつけるノインを、幼子の我侭でも見るように、やわらかな笑みをたたえて振り返った。 「交渉のとき、庇ってくれて嬉しかったわ。じゃあね」 「…………!」  そう言い残すと、レベッカは夜の光の向こう側にするりと姿を消した。別れ際、わずかに見せたその表情を見届けたノインの、荒ぶるばかりであった目つきが、ふと怒りの矛先を見失った。  遊女としての自分を誇示するための演技であるような、いつ何時でも、尊大にすらうつる綽々たる態度と声色。それが、付き合いのみじかいレベッカという龍の、ヒトの世での姿であるはずだった。  そんな彼女が。敗勢にあってすら、不敵な笑いを飾るであろうレベッカが浮かべた憐憫。 「あれではまるで、別れを惜しむかのようではないか……?」  声のないノインの問いかけは、広い部屋にゆるやかに溶け出して、誰の耳にも入ることなく消えていった。

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  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年7月22日 18時40分

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    見事なお点前で

    くにざゎゆぅ

    2022年7月22日 18時40分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月22日 22時52分

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    御礼申し上げます

    羽山一明

    2022年7月22日 22時52分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年6月18日 5時29分

    策謀に次ぐ策謀。拙者、最新話までに得てる情報内の勢力図が正しいかどうか、大変不安になってまいりましたぞ!

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    うさみしん

    2022年6月18日 5時29分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月18日 17時39分

    え、そんな複雑ですかね、この作品。むしろひどいくらいに簡略化しているつもりなんですけど……!

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    羽山一明

    2022年6月18日 17時39分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月14日 4時12分

    レベッカが鮮やかに一本取りましたね。しかしノイン相手に果たして余裕があったのかそれともフリだったのかが気になります押忍。

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    うさみしん

    2022年2月14日 4時12分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月14日 9時02分

    どちらかというとノインがチョロ……レベッカを信頼しつつあったのが原因かもしれません。一時期は殺されかけたはずなのですが。対するレベッカのほうは……次話を!

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    羽山一明

    2022年2月14日 9時02分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    乃木重獏久

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年1月16日 21時04分

    なんと、レベッカが老獪なはずのノインの裏をかくとは。激変する龍族内の事情。しかし、彼女の様子からは、単にノインを裏切ったようには見えません。むしろ、剣呑な事態から、ノインを遠ざけようとしているようにも。ヘイゼルの警戒網が消えた今、北から迫る強力な龍は、一体何者なのでしょうか。

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    乃木重獏久

    2022年1月16日 21時04分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月16日 21時40分

    気の抜けたところをパクっといかれました。ノインもなんだかんだ、レオンとの駆け引きには肝を冷やしていたようで、人心地ついた直後ともなると油断するのも致し方ない。新たな龍とレベッカの邂逅は、また新たな起点を生みます。どうぞお楽しみに。

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    羽山一明

    2022年1月16日 21時40分

    ミミズクさん
  • タイムトラベラー

    枢(kaname)

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年1月6日 19時36分

    龍たちのやり取り好きです。今回のお話で、ノインは素直だな、と感じました。『レベッカよりもノインの方が龍についてよく知っている』という固定観念になりかけていた印象が崩れて、まさかのレベッカが裏をかいて来るとは……!!やられました。今後、二人の関係がどうなっていくのか気になります。

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    枢(kaname)

    2022年1月6日 19時36分

    タイムトラベラー
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月7日 4時28分

    ノインのほうが遥か昔に故郷を出奔しておりますので、故郷の事情についてはかなり疎いところがあると思います。それでなくとも思わぬレベッカの挙動に一本とられました。素直であるべき時は、ポーラより素直かもしれない。おじいちゃんなのに……。

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    羽山一明

    2022年1月7日 4時28分

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