境界線上の魔王

読了目安時間:8分

エピソード:63 / 142

6-7 反逆の狼煙

「…………」  レベッカがノインを引き連れて、およそ二時間近くが経過していた。  見送ることしかできなかった店舗の従業員たちの内心に募っていた不安が、しだいに言動となって表面化しつつあった。やがて、耐えかねたかのように、ひとりの男が声をあげた。 「なぁ……レベッカ、大丈夫かな……」  独り言のようなその声を聞き入れた男たちが、ぴくりと手をとめた。誰からともなく目を配らせるも、やはり力なく振るった頭が、明確な白紙回答をしめしていた。  レベッカがどういった女であるか、ということに関しては、職務的には彼らの踏み込むべき領分ではない。だがそれ以上に、理性を超えた本能のようなものが、深く知るべきではない、という直感を彼らの心に深く根付かせていた。  が、今回の件はさすがに事情が異なる。  第二次性徴期すら履修していないような、幼児とすら呼んでよい男児。それも、ルーレイン国で最古・最大規模の商会ギルドの大番頭を養父にもち、つい先月、その養父から地位を継いだばかりの、アウシュレーゼ家の長男。フェルミーナの許可を得て風営法を遵守しているとはいえ、ルーレインの表舞台のこれほどの大物を相手どるのは、彼らにとって初めての事態であった。 「へたしたら国際問題か」  大丈夫かな、とは、つまりそういう意味の心配であった。 「なあ、やっぱり只事じゃねえよ。今からでも止めにいったほうが――」  最初に声を出した男が、悲鳴のような声をあげた。  その声に、同じく悲鳴に似たような声が重なって、男たちはふたたびぴたりと動きをとめた。 「…………」  静けさに包まれた部屋の天井から、女の艶めかしい嬌声がひびいた。耳をそばだてるまでもなく、その声は徐々に熱を帯びていった。時折入り交じった懇願するような言葉も、情事を疑うはずもない色気に覆われていた。  誰からともなく、時刻を確かめる。他の遊女たちはみな帰路についており、店に残っている女はレベッカひとりであった。 「仕事、すっか……」  誰からともなくこぼれでた溜め息と声を受けて、男たちは仕事を再開した。  いつまで経っても降り注ぐ声の下で励む手の動きは、先程と比べて明らかに精細を欠くものであったが、彼らがうら若い男という事実を鑑みると、誰にも責められるはずのないことであった。 …… ………… ……………… ……………………  時は、少し遡る。  見せつけるようにして開封された招待状を手にとったレベッカが、相変わらず腕を組んで立ち尽くしたままのノインを横目で見た。腕を組んだ、とはいっても外見が外見なので、印象としては威厳より生意気さが先攻する。それでも浴びせられる視線に居心地が悪くなったのか、レベッカは自分の隣をぽん、と叩いた。 「座りなさいよぉ。こっちも落ち着かないわ」 「む……」  ノインも思うところがあったのだろう、とくに口にする言葉もなく、素直に従った。屋外などであれば、子供から手紙を受け取った母親、という図にも見えなくもなかったが、生憎、清涼感のある事情と結びつけるような白日の空間ではない。 「ふうん……」  指先の炎に照らされた招待状の文面をしばらく眺めやっていたレベッカであったが、やがて含みのある声の余韻とともにそれを封筒にしまいこみ、ノインに突き返した。 「……なんで、私を誘ったわけ?」  封筒にのびたノインの指先が、ぴたりと動きをとめた。 「あなたひとりならまだしも、私は敵だと思われているわよ? 利点なんかないじゃない?」 「だからこそだ。私ひとりが足を運んだところで、また余計な勘ぐりをされているだけだと思われるのが関の山だろう。貴様も、あの屋敷の一件を謝罪し、誠意をしめしてこそはじめて、まともな対話を望めるというものだろう」 「……いや、話を聞くとかの前に、私がいるだけで警戒されるでしょお?」 「いまの貴様ならそれほど脅威と思われんだろうよ。私の魔力で並の龍ていどにはなっているだろうからな」  言うなり、ノインは引ったくった封筒を袋にいれて、大事そうに懐にしまいこんだ。にぶい点滅を繰り返していた照明が、明かりと呼ぶには儚げな光を取り戻しつつあった。 「それに、現地には要監視対象級の人材が勢揃いだ。フェルミーナの国王と王子ふたり、ルーレインの女指揮官、ラフィアの王女とその兄、そして標的とその侍童らしき銀髪の女……」  レベッカの長い睫毛の下の瞳が、じろりとノインを見下ろした。語尾のかわりに苦笑をこぼしたノインの意図は、身を以て理解していることであった。 「笑わないでちょうだいよお……」 「くく、いや失敬。まさか標的以外にあんな化け物がいたとはな。フェルミーナに緋色級が遣わされたと聞いたときには何事かと思ったものだが、その龍の読みをあの小娘はねじ伏せたわけだ」 「でも、標的はもっと強いのよねえ?」 「で、あろうな。少なくとも、緋色級二匹を相手どって生きて帰った。これは事実だ」 「直後に使者を飛ばすあたり、ただ生きて帰ったわけじゃないんでしょうねえ」 「返り討ちにしたとみるのが妥当だな」  折り重なるようなやり取りのあとに、みじかい沈黙がつづいた。火花が散り息の詰まる沈黙ではなく、互いが熟考に沈む心地の良い沈黙であった。 「……なるほどねえ。そんなのが向こうにいるなら、私ひとりが増えたところで、大した脅威とは思われない、と」  ノインの結論にたどり着いたレベッカが、ふいに首をかしげた。 「あら? じゃあ私の魔力、返してくれてもいいんじゃないの?」 「案ずるな。私たちにその意思がなければ戦闘にはならん」 「けち」 「必要な措置だ。時が来れば返すさ」 「時が来れば、ってなによ? ヒトとやり合わないのに、一体誰と戦うつもりよ?」 「龍」  ゆるやかに張りつめていた空気が、硝子のごとくひび割れる音が響いた。見つめ合った互いの灼眼が、言葉を越えた意思を痛いほどに表明していた。 「私は、今回の件には納得していない。あれほど監視だけにとどめていたヒトへの物的干渉を、あの標的に限って例外扱いしたと思えば、ふたたび禁じろという。干渉どころか接触ごとだ」 「命令に不満を抱くなんて、忠実な使いとしては落第点じゃない?」 「忠実だからこそだ。命令の本意が理解できないまま、使命に励むことはできぬ」 「ほんと変なところで真面目なのねぇ。でも、合点が行ったわぁ。叛逆に私を巻き込むつもりだったのね」  叛逆、という言葉に反応して、ノインがぴくりと眉を顰めた。慌てて口を塞ぐ仕草をしてみせたレベッカであったが、ノインの表情にたちこめる暗雲が晴れることはなかった。 「乗らんなら構わんぞ。うまくいっても得られるものは情報だけだ。失敗すれば、貴様の言うとおり龍族に目をつけられるやもしれぬ。貴様に特にうまみはない」 「いけずねぇ。うまみならあるじゃない?」 「? ……なんだ、それは?」 「緋色級を相手どって生還したヒトよ。彼に取り入っちゃえば、龍族でも簡単に手出しはしてこなくなるじゃない?」 「……隙あらば殺そうとすらしていた相手を、今度は利用しようというのか」 「卑屈ねえ。彼らだって情報は欲しがっているでしょお? 利害は一致するじゃない」  それにね、と、レベッカが言葉をつづけた。呆れるままに溜息を吐こうとしたノインが、あらたまった彼女の表情をみとめて、ふいに唇を結んだ。 「先に旗色を変えたのは、私たちに指示を出した龍族よ。手のひらを返しただとか、彼らに言われる筋合いはないわ」 「……まあ、な」  斑の怒りを交えた、突き放すようなレベッカと、自分に言い聞かせるようなノイン。色彩の異なる二匹の龍の声は、だが、紛れもなく意思をともにするものであった。 「乗るわ。龍としても、ヒトとしても、このまま言いなりになるのは嫌よ」 「ヒトとしても……?」 「そうよ。あなたなんて、私よりずっと長くヒトの世界にいるじゃない。ヒトとして生きてきた自分を蔑ろにされて悔しくないの?」 「いや……」  考えたことがなかった。といった様子で俯いたノインの幼い顔立ちに、苦悩によく似た灰色の陰がさした。 「持って生まれた龍の力を揮うことも好きよ。だけど、ヒトでいる私も好きなの」 「それは傲慢だろう……と言いたいところだが、商人の傲慢は美徳とも言うらしいからな」 「やん。やっと素直になったわねぇ」 「!? こら、何を――」  弾けるような笑みを浮かべたレベッカが、気持ちの勢いそのままにノインに抱きついた。体格差もあったであろうが、何より不意打ちにすぎた。抵抗する間もなく、ノインの体はやわらかな寝台に背中から押し倒された。 「……ね。ヒトとして生きていくしかない私たちなら、ヒトの営みを体現するのも不思議じゃないわよね?」  馬乗りになったレベッカが、羽織っていた薄手の絹地を音もなく捲くった。色の薄い肌が、淡い照明の下で扇情的な艶を帯びて光った。回りくどい言葉の意図は、言葉より熱っぽいレベッカの目つきがありありと語っていた。 「……そうだな」  呆れたような、諦めたような。そんな声と吐息をこぼしたノインが、前髪を乱雑に掻き上げた。そのままレベッカの胸元に手をのばすと、彼女に一糸残されていた衣服を体ごと引き寄せた。  額が触れあうような距離で、ノインがふっと口角を吊り上げた。この日初めてみせたその表情は、幼い顔つきに浮かぶ笑顔にしてはあまりにも色気が強すぎた。 「ただし、私が上だ」 「えっ――」  言葉の意味を飲み込む時間は与えられなかった。レベッカの体が寝台に引き倒され、小さなノインの手足が、猫のようにするりと体を入れ替えて、両者の攻守がひと息のうちに入れ替わった。  余裕綽々の表情から一転、レベッカがはだけた胸元を恥じるかのように両腕で隠した。その目の前で、ノインが襟元を無造作に緩めると、ふわりとレベッカに覆いかぶさった。 「ふふ、経験がないとでも思っていたか? 私は二十年、ヒトの世にいるのだぞ?」 「あら……? あっ――」

こいつらのほうがよっぽど人間楽しんでそう

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  • サキュバステラ

    特攻君

    ♡1,000pt 〇300pt 2022年1月1日 15時52分

    思惑がある以上、龍族も一枚岩になれないのは人間と同じですね。※あけましておめでとうございます。今年もじっくりと読ませていただきます!

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    特攻君

    2022年1月1日 15時52分

    サキュバステラ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月2日 9時49分

    そうですね。自我や思想は、感情とは決して切り離せないものなのだと思います。ヒトも龍も、あまり変わらない生き物なのかもしれませんね。 改めまして、あけましておめでとうございます。今年もごゆるりとお付き合いいただければ幸いです。

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    羽山一明

    2022年1月2日 9時49分

    ミミズクさん
  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年7月12日 21時01分

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    「気になるわネ!」ステラ

    くにざゎゆぅ

    2022年7月12日 21時01分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月12日 23時31分

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    実は狙ってました。

    羽山一明

    2022年7月12日 23時31分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年6月11日 5時22分

    筆致について質問がありまぁす! 羽山センセの作品で出てくる「みじかい」という単語、なぜ仮名に開いているのかわからんのであります。意味も無くよく表記ブレを起こす拙者も、前後の漢字が繋がって読み辛くなった時は意図的に開く場合はありますが、羽山センセのケースはそれとも違う様で。

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    うさみしん

    2022年6月11日 5時22分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月11日 10時40分

    「ふたり」もそうですが、好みです。強いて言うならば、「みじかい」は文頭に位置づけられることが多く、そういった箇所に三文字のルビを内包する漢字を採用すると目の動きがとどまってしまうので、そうしたところもちょっと意識しています。

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    羽山一明

    2022年6月11日 10時40分

    ミミズクさん
  • 吟遊詩人

    秋真

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年8月3日 21時00分

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    頑張ってくださいね

    秋真

    2022年8月3日 21時00分

    吟遊詩人
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年8月4日 1時34分

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    がんばります!!!

    羽山一明

    2022年8月4日 1時34分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月11日 4時35分

    スタンプ押したつもりが押されてませんでした。せっかくなのでコメントを。なかなか健康的なシーンで羨ましい。あまり熱を入れないでさらりと書くのがクールだと思います押忍

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    うさみしん

    2022年2月11日 4時35分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月11日 5時24分

    せっかくのコメント、とっても感謝。本作のターゲットはあくまで青少年であり、R15はゴア表現にとどめております。肉感的な表現は、僕がトチ狂わない限りないかなと思います。悪しからず。。

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    羽山一明

    2022年2月11日 5時24分

    ミミズクさん

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