境界線上の魔王

読了目安時間:8分

エピソード:43 / 142

5-4 水の舞踊【挿絵】

 手入れの行き届いた芝と、模様を描くように点在する水路。青緑色の世界が広がる庭園は、簡素ながらも美しく、水の都市といわれるルーレインを象徴するような景色であった。  屋敷の主もまた、飾り気がなく見晴らしのよいこの庭園を気に入っていた。  晴れた日の朝などは、朝露で光った芝の匂いが清々しく鼻孔をくすぐり、気の重くなるような任務へ赴く足取りを軽やかにしてくれる。  物心ついたときから変わらない、屋敷の扉を出て、敷地を出るまでのその数分間。それはレフィリアにとって、軍人としての衣を羽織るための儀礼のようなものであった。  だが、今日この日ばかりは、足が前へ進むことを拒むかのように重く、肺に取り込む空気もただただ冷たく感じられた。  左右に流れていく景色の間、はるか正面から立ち上る尋常ではない者の気配が原因であることは、もはや否定できない。  ……この地域の国境警備兵で、私の屋敷に出向いたことがあるのは、治癒魔法を得意とする東方防衛隊長ただひとりだ。そしてそいつは、私とレオンがラフィアに向かう直前に、負傷して後退したはずだった。 「以前の私なら、龍などというものの存在など笑い飛ばしていただろうなあ」  ――龍から襲撃を受ける可能性がある。  一年ほど前のレフィリアなら、一笑に付す想定であったに違いない。  ところが、ここ数ヶ月の間、史実の常識を打ち破るような事件に立て続けに立ち会って、嫌でも考えを改めざるをえなくなっていた。  人知を超えた化け物が存在すること。その化け物を片腕でねじ伏せる人間がいること。これらの事実を、国家を守る立場にある身として、想定と対応をしなくてはならないのだ。  そんな折、いるはずのない人間から、予定にない訪問を受けた。  あのリュートという龍族の話の直後だからこそ、なおさら意識してしまう。立ち振る舞いがあまりにも人に溶け込んでいたことも、疑心が生じる温床になっていた。 「まず、本人かどうかを確かめる必要があるな」  その考えは、屋敷の扉をくぐった直後に撤回され、レフィリアは剣を持参した自身の好手を賞賛した。巡らせた思考はすぐさま、これから起こるであろう戦闘における具体的な戦術へと置き換わった。  龍族であるリュート自身が『頑丈な肉体と莫大な魔力を持つだけの、ただの生物ですよ』とこぼしていた手前、魔物退治の延長線上とばかりに想定していたのだが、視線の先から見え隠れする人ではないものの気配は、とてもそのような軽い度合いの話とは思えない。 「そもそも、なぜ今になってやってくるのだ。知性はあっても、礼儀を知らんやつらのようだな」  眉をひそめながら、八つ当たりのように独り言を吐き出す。  その心境の原因のひとつに、龍の目的や意図が不明なことがあるだろう。  龍はリュートを追ってやってくるという話だが、本当にそれだけであるのなら、『リュートはここにはいませんよ』と門前払いをしてしまえばいい。  が、これもリュートから聞いた話になるのだが、どうも龍同士は近くにいる仲間の気配を察知することができるらしい。  ……つまり、やつらはここにリュートがいないことを知ってお越しくださったのだ。しかも、人間の振りをして、である。  正直、わけがわからない。 「……ああ、もう。頭の痛いことばかりだな」  龍同士のいざこざなど、龍同士で勝手にやっていてほしい。  だが、仮に龍が人里に降り立ち、その目的が邪なものであるのなら、いち軍人として職務を全うする必要がある。  振り払えない不安と焦燥を義務感で拭って、レフィリアはついに慮外な訪問者と面会した。  なるほど確かに国境警備隊だ、と、レフィリアは内心で首肯した。その姿かたちはまさしく、先日まで肩を並べて戦っていた壮年の隊長のものであったが、いかんせん気配が違いすぎるせいで余計に違和感を覚える。  とはいえ、人の姿を取り繕っている以上、人並みの交流は求めているのだろう。 「用件を」  人としての理性を保つべく放たれたはずの言葉は、交流と呼ぶにはあまりにも底冷えしていた。 「こちらにセイジ・ルクスリアという、フェルミーナ国の聖騎士が身を寄せているという情報が寄せられました」  ……なるほど、そちらか。  レフィリアは、心のなかの舌打ちを表情にしないように努めた。  境界線の情報と、それを仕入れるための作戦への脅威。龍にとって、龍を超える力をもつセイジどのの魔力は、龍以上に厄介なカードらしい。 「それで?」 「許可のなされていない不法入国を調査することが我々の職務ですので」 「結構なことだが、取り越し苦労だったな。彼なら旧ラフィア領にあらわれた化け物についての情報を共有し、すぐに旅立たれた」  レフィリアは、セイジがリュートとともにラフィアへ飛び去ったことを知らない。嘘も方便のつもりで口にした言葉は、幸か不幸か真実であった。  平静を装ったレフィリアの言葉に、警備隊長を自称する男はわずかに押し黙った。目線を動かすわけでもなく、表情を変えることもなく、身動きひとつしない様子が、なお機械的な印象を与える。 「……失礼ながら、家屋を捜索してもよろしいでしょうか」 「固辞する。職権を利用するほどの事態ではないだろう。一個人で犯罪者などであれば協力もするが、彼は法に縛ることすら許されない英雄なのだぞ」  すっぱりと、書類を読み上げるように淡々と、レフィリアは慮外者の無礼な申し出を斬り捨てた。 「職務を全うしたいのなら、国境に戻って剣をとりたまえ。治療術師のいない戦線維持ほど、士気が低迷する現場もあるまい?」 「こちらを優先すべきとの判断です。どうか再考を願います。彼は危険です」 「断る。彼の適性は聖騎士試験によってすでに保証済みだ。ともに戦った私の意見も、彼の経歴に異をとなえるものではない」  こいつが人の皮をかぶっているのは、国境警備の身分を利用して、セイジどのに単独行動を強制したいためのものだろう。  が、人の法に則る限り、セイジ・ルクスリアという騎士に罪を問うことはできない。その魔力こそ、規則的な尺度の内側にないものの、未成年ながら騎士の理念に基づいて行動できる貴重な人材だ。  作戦直後の暴走じみた行為にしても、彼がいなければ化け物を制圧することは不可能であったうえ、当人の理性によって終幕を迎えている。現場指揮官の権限をもつ私とレオンの見解としては、上申するほどの問題ではないとの判断だ。 「話が以上なら、これにて失礼する。まだ食い下がる元気があるのなら、その気力は前線に復帰するまでとっておきたまえ」  結局のところ、この龍は、正式な手順を踏むことが目的完遂の近道だと認識していたようだ。  こちらにとっては力任せの正面突破こそ最も恐れる事態であったが、セイジどのがいる限りそれは敵わないと判断したのだろう。それ自体は決して間違った選択肢ではないが、人の土俵で話術を用いて論破を目論むことも、同様に無謀であっただけの話だ。 「……人のことより、自分の心配をしたらどうだ。軽い怪我ではなかっただろう」  レフィリアが、みずからの右足の膝を叩いてみせた。男もそれに倣って、かるく揺らした右膝を小突いてみせる。 「ご心配には及びません。運良く西方司令より腕のいい治癒師が戻っておりまして」 「それは重畳。しかし妙だな、怪我は左足であったはずだが?」  男がぴたりと動きを止め、にわかに押し黙った。俯いたその姿勢から、言葉の代わりに殺意にちかい気迫がにじみ出た。 「……もう、素性を隠そうともしないわけだな」 「どうやら、自己紹介は不要であるらしいからな」  レフィリアは、剣の柄に這わせていた手のひらを、勢いよく引き抜いた。剣先が高々と天に掲げられると、付近の水路から水柱が立ち上り、ひと息のうちに大小無数の水球に変異した。 「勝手にぼろを出した癖に、格好がつくものだな。人外にも身分証明というものはあるのか?」 「言いよるわ、小さく弱き人間風情が。虚勢を張らねば立ってすら居られぬか」 「虚勢はお互いさまだろう。その人間風情ひとりに手を焼きながら、よくもまあそれだけ舌が踊るものだ」 「ぬかせ、生娘が! いらぬ口をきけぬ体にして、見せしめにしてくれる!!」 「遠慮しておこう。私は今、これ以上ないほどに幸福なのでな」 5-4 水の舞踊【挿絵】の挿絵1  水音とともに、空中で弾けた水球が次々とレフィリアの姿見となった。  互いに臨戦態勢をとった直後、張りつめた空気が轟音とともに振動した。屋敷の一角に空いた大穴から、煙と砂埃が溢れ出して、硝子の割れる音がそれにつづいた。 「余所見とは余裕だな!」  振り返ったレフィリアの喉元に、もはや人間の写し絵であることをやめた鉤爪が振り下ろされた。血飛沫を確信した龍の不意打ちは、狙い通りに無防備な標的を捉えて、柔らかな抵抗とともに喉元を食いちぎった。  弾けるように噴き出したのは、だが、無色透明の液体であった。 「なに?!」  レフィリアであったはずの人形は水音とともに崩れ落ちると、鋭く尖った無数の円錐に姿を変えた。それを合図に、周囲で佇んでいたレフィリアの姿見たちが、いっせいに龍へと飛びかかっていった。 「隠れて不意を付く魂胆か?」  言いながら、龍は一人目の姿見を斬り捨てた。人形はやはり棘のような円錐を置き土産にしていったが、龍の腕のひと振りで水に戻り、地面に消えていった。 「好きなだけ小狡い真似をするがいい! それが尽きたときが、貴様の最期なのだからなあ!」  吼えた龍の攻撃が、さらに苛烈さを増した。雨霰の如し人海戦術もやがてまばらになり、龍はついに無傷のまま、最後のひとりと対峙した。 「貴様が本体だな」  龍の口角が、勝ち誇ったように吊り上がった。吸い込まれるように龍に襲いかかった他の人形とは明らかに異なり、ひとり残されたその人影は、物言わぬまま、顔色も変えず、音もなく佇んでいる。 「どうした? 観念したか? それとも力の差に物も言えぬか?!」  言うが早いが突進した龍の目の前で、それは深々とお辞儀をした。訝しげに足を止めた龍に向けてまっすぐに目線を持ち上げると、ゆっくりと口を開いた。 『忙しない一人芝居、ご苦労さまです。お帰りはあちらになりますので、どうぞお気をつけてお引取りください』 「…………あ?」  人影はふたたびお辞儀をすると、軽快な水音とともに地面に消えていった。  その後には、静寂そのものの庭園と、全身から水を滴らせる龍だけが残された。

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  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年6月16日 20時43分

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    見事なお点前で

    くにざゎゆぅ

    2022年6月16日 20時43分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月17日 1時38分

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    御礼申し上げます

    羽山一明

    2022年6月17日 1時38分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年5月18日 5時48分

    挿絵のレフィリア、凛々しいであります! ちなみにこの服装、支給された軍服でしょうか、それとも私服でありましょうか。ちょっと気になったであります押忍。

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    うさみしん

    2022年5月18日 5時48分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年5月18日 11時37分

    オーバーコートは支給品です。それ以外は勤務中の正装といった具合のもので、似たデザイン、色合いのものをいくつか所持しているようです。

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    羽山一明

    2022年5月18日 11時37分

    ミミズクさん
  • 吟遊詩人

    秋真

    ビビッと ♡1,000pt 〇200pt 2022年1月2日 11時48分

    《「断る。彼の適性は聖騎士試験によってすでに保証済みだ。ともに戦った私の意見も、彼の経歴に異をとなえるものではない」》にビビッとしました!

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    秋真

    2022年1月2日 11時48分

    吟遊詩人
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月2日 20時36分

    こんなふうに、ズバっと言い切る女の人は格好いいと思います(真顔)

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    羽山一明

    2022年1月2日 20時36分

    ミミズクさん
  • あんでっどさん

    星降る夜

    ♡500pt 〇200pt 2021年8月25日 20時47分

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    見事なお点前で

    星降る夜

    2021年8月25日 20時47分

    あんでっどさん
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年8月26日 5時28分

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    御礼申し上げます

    羽山一明

    2021年8月26日 5時28分

    ミミズクさん
  • 土偶(純金)

    阿暦史

    ♡1,111pt 〇111pt 2022年2月13日 14時45分

    レフィリア様の絵つきだー!!イイイイイイイ!!!!!!!タイトルとも重なっててオシャレ!麗しい!水滴飲みたい!← 竜が人の世に潜んでいることは語られていましたが、こうも仲間達の近くに現れるとは…アチチですね!

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    阿暦史

    2022年2月13日 14時45分

    土偶(純金)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月13日 20時59分

    めっちゃいいタイミングでお越しいただきまして。この絵、いままでで一番のお気に入りかもしれません!こちらの水滴はサービスとなっておりますので、ご遠慮無くお飲みください。龍が続々と敵意をもって現れ始めました。もはや各地で戦闘は避けられないようです。

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    羽山一明

    2022年2月13日 20時59分

    ミミズクさん

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