境界線上の魔王

読了目安時間:9分

エピソード:16 / 142

2-6 帰郷

 そこは、静謐かつ荘厳な王宮において、ひときわ特別な意味を持つ一室であった。  元来、煌びやかな装飾をほどこされて然るべきものであるとされる王宮。謁見の間ともなれば、玉座にはじまる内装の力の入れようは別格となり、まさしく絢爛豪華を体現したような印象を訪問者に焼き付けるものである──  などという一般論は、ここフェルミーナ国においてはさほど支持されていなかった。  そもそも、建国当初からして、王宮の建設すら渋っていたのである。牛舎のような平屋で執政をとろうとしたところ、さすがに周囲に止められて、渋りながらも王宮の建設許可に署名した。  そして、近臣たちの涙ぐましい努力の結果、いちおう豪華とはいえる外観をもつ王宮が完成した。だが、今日にわたるまでの行き届いた管理、保全のうえでさまざまな内装が施されてきたのにもかかわらず、謁見の間の質素な内装だけは当初の姿を保ったままであった。 「……そうか、万事うまくとはいかなんだか」  近臣たちは知ったのだ。  謁見の間において、真に見るべきは無機物にあらず、王者の姿ただひとつであるということを。  そして、その輝きに勝る装飾などありはしないのだということを。 「だが、被害がなかったことが何よりの成果だ。ふたりとも、よく大事なく帰還してくれた」  やわらかな口調で放たれる芯の太い声が、分厚い壁にこだまして、玉座の正面に跪いた三人の聴覚に吸い込まれた。 「久しいな、フロストライン嬢。そなたも健勝でなによりだ」  玉座のうえで、国王は身じろぎした。目の覚めるようなあざやかな金髪が、照明の色を浴びて光を放ったかに見えた。 「……いえ、すべて私の不徳のいたすところ。処断を受ける覚悟は済ませて参りましたゆえ…………」 「遅かれ早かれ実現していただろうことを思えば、性急な判断とも言い切れまい。そやつらが同行したことも巡り合わせだろう。そう自分ばかりを責めるでない」 「…………」 「よいな。そなたの作戦行動は、わが国にとって終始知り得ぬものであった。したがって、作戦の責任などありはせん」  低く垂れ下がっていたレフィリアの頭髪が、赤絨毯に音もなく接した。後方に控えていたレオンの表情がほぐれ、クリスが音もなく吐息をこぼした。 「傅くばかりでなく、作戦中の委細を聞かせてくれんか。その化け物の話など、じつに興味深いが……」 「は。体高は人の背丈の三倍ほど。白い紙を折り重ねたような体表と、伸縮自在の紐のようなものを駆使しておりました。魔力への耐性も非常に高く、生きて帰ってこられたことが不思議なほどで……」 「ほお……? して、そのような化け物をいかに仕留めたのだ?」  いかにも興味深そうに、国王は玉座の上で腰を浮かせた。 「いえ、それが……」 「彼の地からあらわれた剣士さまが、退治してくださったのです」  おもむろに、クリスが口を挟んだ。むろん、その口調は嬉しそうにうわずっている。 「剣士? 何者だ?」 「不明です。境界線を越えた人を捜していたようですが、特に何をなされるわけでもなく、すぐにお帰りになりましたわ」 「……ふむ、そやつはヒトのような姿であったのだな?」 「? ええ。装備は目をひく様相でしたが、背格好に関しては、人波に紛れていても不自然ではありませんわ」 「そうか……ふふふ、そうか」  嬉しそうに口元を綻ばせながら、国王はあごに手をあてて何やら黙考した。その腕がゆっくりと持ち上がり、手のひらで何かを払うような仕草が二度、繰り返された。 「…………」  玉座の後方にひかえていた近臣が、頭を下げて身を翻した。それにつづいて、隅で跪いていた侍従も、果ては近衛の兵士たちまでもが持ち場をあとにして、袖口へと姿を消していった。 「父上?」 「人払いはした。姿を見せてくれ。人に紛れていても、不自然ではないらしいからな」  怪訝な表情をみせたレオンの後方で、扉が微震する低音が響いた。振り返ると同時に身構えた三人の前で、内側からしか開かないはずの扉が、重低音の悲鳴をあげて開き、ゆっくりと動きをとめた。  開いた視界に入り込んだ陽光の向こう側に、あの剣士が佇立していた。 「あなたは……」  化け物と対峙したときに感じ取ることのできた、息苦しさすら覚える魔力こそ纏っていないものの、見紛えるはずのない漆黒の鎧の造形はそのままであった。  言葉の途切れた空間に響いていた足音は、国王の腰掛ける玉座の正面でぴたりと止まった。先日、直に対峙したばかりの三人が息を呑むなか、剣士はごく自然な所作で、ゆっくりと膝を折った。 「顔を……見せてはくれんか」 「……はい」  みじかい返事を告げた兜の下から、暗く陰った表情があらわになった。物々しい雰囲気のなかで、さまざまな色の視線を浴びながら、その剣士――セイジはゆっくりと顔をあげた。 「本当に、よく無事でいてくれた……」  震える声とともに、国王は座したまま頭を深々と下げた。姿勢を正すことも忘れて飛び上がったセイジの足先が、脱いだばかりの兜に勢いよくぶつかって、耳に突き刺さるような高い音が室内に反響した。 「陛下、何を……!」 「あの光の壁を見るたび、そなたを送り出した選択肢の正否を自問した。ついぞ、答えが出るはずもなかったが──」 「まさか、親父が呼んだのか?」  食い気味に狼狽するレオンの横顔を、物珍しげにレフィリアが見上げた。  問いかけたレオンの熱意に反して、問いを受けた国王の反応は、ひどく淡白なものであった。 「手は打っておく、と言っただろう。命を救われておきながら、何を狼狽して──」  続く言葉を、国王自身が遮った。 「……そこなお嬢さんは、そなたの連れか?」  国王を除く全員が、いっせいに振り返った。開いたままの扉の脇に何かがさっと隠れ、わずかな間をおいて、観念したようにマリーがその姿をみせた。 「マリーちゃん!」  いち早く反応をみせたクリスに手を引かれて、遠慮がちに入室する。 「……おひさしぶり、で、いいんでしょうか? 怪我の具合はどうですか?」 「平気ですわ。魔力もじきに快復します」 「マリー、お前、城下で買い物してるって……」  あら。と、振り返って口を出したのは、マリーではなくクリスであった。 「よいではありませんか。彼女もあの戦いの功労者ですわ」  言いながら、マリーの頭を抱きすくめるように撫で回す。マリーはといえば変わらず無表情のままで、クリスの手に指を絡めながら、そっと彼女を引き剥がした。  べたべたと馴れ合うふたりをよそに、国王がセイジのもとに歩み寄った。皺を寄せた眉間に指先をあてて、レフィリアたちの報告を受けたとき以上に神妙な顔つきをしている。 「なるほど、我が子のために彼の地に残る決意をした、ということだな?」 「いや、あの、何か大きな誤解をされていらっしゃるかと……」 「──ならば、如何様な理由があるというのかね? 名誉と地位と故郷までをも捨て、新天地にて暮らす理由が?」  国王が、ふいに口調を変えた。陰りさえみえた俯いた表情がひと息のうちに生気を取り戻し、言葉を詰まらせたセイジを真正面から見据えた。  遠目からやりとりを伺っていたレフィリアが、隣で他人事のように苦笑するレオンをちらりと横目見た。 「? なんだ?」 「……いや、嫌らしい搦め手の話術に血の繋がりを感じてな」 「おれが嫌なやつみたいに聞こえるが……」 「悪いが、否定はできんな」  レオンの苦言を両断したレフィリアは、ふたたび眼前のやりとりへと目線を転じた。国王とまっすぐに視線を合わせ続けるセイジの横顔が、季節のせいとは言い難い量の汗に濡れていた。無言の威圧を耐え忍ぶように、頑なに唇を結ぶセイジの表情をみとめて、国王がふっと口元をやわらげた。 「ふっ、ははは! あいすまんかった。そなたの部屋はそのままにしておる。気が済むまで身体を休めてゆくがよい」 「……何も、お尋ねにはならないのですね」  独り言のような、低く滑り出したセイジの声に、国王はぴくりと表情を凍らせた。首をかしげるセイジから目を逸らすと、いかにもばつの悪そうな溜め息を吐き出した。 「彼の地から戻って以来、クリスティアがな……セイジさまには、セイジさまのお考えがあるのです。と日夜うるさくてな……」 「ちょっ──」  金切り声にちかい、みじかい悲鳴を響かせたクリスの白肌が、みるみるうちに紅色に変わっていった。その腕に抱きかかえられたままのマリーが、クリスの手の甲に指先をつつっと這わせて、羞恥心に追い討ちをかけた。 「本当に、入れ込んでいますねぇ……?」 「やめて、マリーちゃん、本当にやめて……」  国王とレオンが、どちらからともなく意地の悪そうな笑みを重ねた。その視線がすぐに外れたのは、白い目で静観するレフィリアの姿が視界にうつりこんだからである。 「……まあ、そんなわけだ。話すべき機が訪れたときには、改めて耳を貸そうぞ」 「ご厚情、いたみいります……」  先んじてセイジとマリーが、つづいて、いまだ顔に両手をあてて硬直するクリスを引っ張りながら、レフィリアがうやうやしく退室した。  残されたレオンは、開いたままの鉄扉から離れていく一同の後ろ姿をしばらく眺めていた。国王はいまだ玉座に腰を下ろしたまま、しかし声を上げることはなく、奇妙な沈黙がつづいた。 「──そういえば、父上」  姿勢はそのままに、レオンが背中で口火を切った。 「……なんだ」 「あの化け物のことですが、しきりに『カオス』と呟いておりまして」  舞台役者めいた、確かめるような足取りで、レオンは扉のほうへと歩を進めた。 「瑣末なことでしょうが、ご報告までに」  返事を待つことなく、振り向くこともなく扉をくぐった。長い廊下をしばらく進み、声も届かなくなるであろう頃合いで、おもむろに振り返る。遠く視線の先に小さく、だが確かに頭を垂れてうなだれる国王をみとめて、レオンはすっと目を細めた。 「ふぅん……」  突き放すような重々しい独り言を厚い絨毯に吐き捨てて、レオンはふたたび踵を返した。  その背が完全に見えなくなると、あたりは完全な沈黙に包まれた。  ただひとり、切り取られたかのように取り残された国王が、うつむいたままの唇をゆっくりと開いた。 「カオス……っ!!」  レオンの言葉をなぞるようささやかれた口元が、突如として痛苦にゆがんだ。吐き出した声を喉奥に押し戻されたような、形容しがたい違和感に襲われた国王は、決死の様子で呼吸をととのえると、ちらりと廊下の奥へと視線を放り投げた。  景色の奥、確かに無人であった廊下を見やると、国王はひとつ大きく息を吸い、込められぬ言葉を乗せたような、長い溜息を吐いた。

著者コメント 敬語とか謙譲語あたりがもう怪しい

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  • 吟遊詩人

    秋真

    ♡2,000pt 〇500pt 2021年3月14日 18時05分

    羽山さん、この度は素晴らし過ぎるレビュー、本当にありがとうございました! 多くの方にこのレビューを読んで頂けたらと活動報告でも紹介させて頂きました。このレビュー通りの良い作品にしていけるよう頑張ります。今後とも宜しくお願い致します!

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    秋真

    2021年3月14日 18時05分

    吟遊詩人
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年3月21日 0時17分

    こちらこそ、ありがとうございました。個人的に「読んでもらえている」と実感できる瞬間が物凄く嬉しいので、レビューを書けば喜んでもらえるかな、と、そんなただの思いつきでした。各種ポイントが尽きない程度に、更新に追いつけるように頑張ります…!

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    羽山一明

    2021年3月21日 0時17分

    ミミズクさん
  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年5月15日 21時04分

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    面白かったです。

    くにざゎゆぅ

    2022年5月15日 21時04分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年5月16日 6時44分

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    ありがてえありがてえ

    羽山一明

    2022年5月16日 6時44分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年4月17日 5時14分

    一段落したであります! 戦闘シーンもいいですが、こういった何気ない日常の描写が凄く心地よいであります押忍!

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    うさみしん

    2022年4月17日 5時14分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年4月17日 9時10分

    最新話あたりはもう、何気ない日常さんは殉職されてますからね……。いや、もうどこに挟めば良いのかもわからず。突っ走っております。日常力は後日掲載する長編のほうで補ってください。

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    羽山一明

    2022年4月17日 9時10分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年1月17日 7時19分

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    想像の上をいってます!

    うさみしん

    2022年1月17日 7時19分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月17日 17時13分

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    続きはもっとすごいんだからね!

    羽山一明

    2022年1月17日 17時13分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    乃木重獏久

    ♡1,000pt 〇100pt 2021年11月24日 0時37分

    魔導王の正体がセイジである事実に驚く、皆の様子が面白い。そして、相変わらずマリーちゃんは可愛らしい! しかし、王様の手引きでセイジが来ていたとは。そして、過去のいきさつが気になりますね。

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    乃木重獏久

    2021年11月24日 0時37分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年11月24日 3時35分

    セイジと知己であるレオンすら驚き、同時に戦地にて看破しえなかった理由はのちほど。今のセイジとクリス、どちらも知るはずのクリスが気取れなかったのが一番アレかもしれません。マリーはマリーである限り可愛いを貫きます。誰もが何かを抱えたまま、物語は次のシーンへ。

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    羽山一明

    2021年11月24日 3時35分

    ミミズクさん

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