境界線上の魔王

読了目安時間:8分

エピソード:75 / 142

2021-8-12 前後章の順を入れ替えました。文章に変更はありません。

6-19 その感情に名前をつけて

 薄明るい光をまぶたに感じて、セイジはゆっくりと目を開いた。  見慣れた天井から視線を外すと、薄く開かれた窓から、まだ眠い、と言いたげな朝日がぼんやりと射し込んでいた。  その景色を眺めていると、「あっ」と、驚いたような声があがった。ぱたぱたと足音をたてて、マリーが駆け寄ってきた。 「ごめんなさい、起こしちゃいましたか?」 「……いや、いい。早めに起きるつもりだったし」 「なにか、ご用事ですか?」 「うん、境界線でクリスたちと会った時、でっかい化け物がいただろ?」  のそのそと体を起こして、どこかにあるはずの上着を探す。と、お目当てのものがすっと差し出されたので、遠慮なく受け取る。 「……ああ、あの、羊皮紙の巨人みたいな」 「そう、それ……で、そもそもなんで現れたのか、ってことを、昨日の帰りにちょっとレオ兄と喋ってたんだけど、ひょっとしたら、黒い魔力が原因かなって」 「はあ。実験……ですか?」 「兼、自己分析かな」  昨夜、ノインに啖呵をきられたときのことを思い出す。  確かに、おれは自分のことを他人に言い伝えてはいなかった。だけど、黒い魔力に関しては、そもそもおれ自身がよくわかっていない。使わずにすむなら使いたくない力だったからだ。  だから手始めに、例の化け物の検証を兼ねて、黒い魔力の実験をしてみようかと考えたのだ。人のいない境界線沿いであれば、たとえ当てが外れても、周囲への影響は考えずにすむだろう。そのことを、レオ兄に相談しにいこうと思っていた。  人気のない、朝もやに埋もれた廊下。  レオ兄の部屋は、いくつかの部屋を挟んですぐそこにある。何をどう試そうか、なんてことを考えながら歩いている間に辿り着き、しかし扉に手をかける前に、ふと考え直す。 「まだ、寝てるかな……?」 「起きてる人の気配はしますね」 「え、お前、人が起きてるか寝てるかも分かるの……?」 「なんとなく、ですけど……」  こいつにわからないことはあるのだろうか、と思いながら、ゆっくりと扉をノックする。時間の止まったような静かな空白のあと、姿をみせてくれたのはレフィリアだった。 「……おはよう。レオンなら寝ているが、なにかあったか……?」  そういう彼女自身の声も、いまにも消えてしまいそうなほどに頼りなかった。視点と併せて、声までまるで行方が定まっていないあたり、おそらく寝ていないのだろう。 「……はい。あの、大丈夫ですか?」  色んな意味で。 「うむ……すまない。レオンの調べ物につきあっていてな……眠いが、言われたことを忘れるほどではない」  言いながら、レフィリアは目元をぐりぐりと指でおさえた。凛としたいつもの様子からは想像のつかない、それは親しい間柄にしかみせないような、自然体さながらの彼女であった。 「ええと……境界線の化け物の件で、レオ兄に実験の許可をもらいたかったんですけど」 「ああ、あの件か……構わんよ。レオンから話は聞いているからな」 「え? いいんですか?」 「ふふ、セイジどのの頼みごとならば、奴も反対はしないだろう。無理だけはせぬように……などとは、私の口から言えたものではないが、気をつけてな」 「はい、お気遣いありがとうございます。昼までには戻ります」  頭をさげたセイジが、かるい足取りで踵を返した。ふと視線を感じて、レフィリアは首をもたげた。 「……どうした?」  マリーがひとり、いかにも何かを言いたげに佇んでいた。声をかけられて、思い出したようにゆっくりと口を開いた。 「レフィリアは、レオンハルトさんのことを信頼しているのですね」 「……うん? まあ、それなりに付き合いも長いしなあ。何かあったか?」 「いえ、なにか、いいなあ、って思っただけです」  朝日のような笑みを残して、マリーはとたとたと忙しげにセイジのあとを追った。その背を見送りながら、レフィリアが髪を掻きながら苦笑を浮かべた。 「ついてこい、とも、ついていきます、とも言わずに行動をともにする……ふふ、それを信頼と呼ばないのであれば、果たして君たちはどういった間柄を望んでいるのかな……」  呆れたような、それでいて嬉しそうなレフィリアの独り言に、ふたりの弾むような声が折り重なった。 …… ………… ……………… ……………………  境界線。  天をつらぬくように聳え立つ、世界を分断する光の柱。  二十年ほど前、突如と現れた怪現象は、だが、その領域を侵害されない限りにおいては無害であった。  そう。無害であったのだ。それがなおさら、人々の疑念を湧き上がらせていった。  ――誰が、いったい、なんのために。  考えと力の及ばぬ人々の諦観の眼差しを浴びて、境界線はその日も無言のままに輝いていた。  天地を煌々と結ぶ光の麓、その大河のそばに、セイジとマリーが物見遊山のように佇んでいた。  周辺には、人の気配どころか、文明の欠片すら見当たらない。フェルミーナの王宮から、やや西よりに北上した、ただなだらかに広がるばかりの草原。  少し南に向かえば、境界線と並行するように東西にのびる大陸公路があるが、フェルミーナから西へと向かうその道は、もはや与えられたただひとつの役目すらも亡失し、時の止まった風景のなかの一本の線画と成り果てていた。  その寂寥に背に向けるようにして、セイジが境界線をぼうっと眺めやった。 「……なんか、これを見るのも久しぶりって感じがするなあ」 「そうですね。色々ありましたから」 「色々、あったなあ……」  染み入るように腕を組むセイジの横顔に、マリーがくすりと笑いかけてみせた。 「でも、みなさんいい人でよかったです。余所者の私にまで親切にしてくださって」 「うん。まあ、そこは心配してなかったんだけど……」 「……けど、なんですか?」  言いよどむセイジの顔を、マリーが首を傾げるようにして覗き込んだ。 「もし、お前が拒絶されるようなことがあったら、おれはすぐにこの壁の向こうに帰るつもりだったよ」  瞬間、眉を寄せていたマリーが、大きな目をぱちぱちと瞬かせた。その移り変わりをみとめたセイジが、気の抜けた声を出して顔を逸らすと、すかさずマリーがにじり寄る。ゆるりと弧をえがく口元と、細く綻んだ目元が、隠しようもない喜びの色に満ち満ちていた。 「へええ? そうだったんですか?」 「嫌か?」 「えっ……?」  意を決したのか、はたまた開き直ったのか。容赦なく距離を縮めるマリーの顔を、セイジがいきおいよく見据えた。瞬間、重なったふたりの視線は、熱まで伝わるほどの至近にあった。  ひと呼吸の間があった。どちらからともなく、あわてて顔を逸らした。互いの顔にさす紅色は、互いに認めるまでもなかった。 「黙るなよ……」 「いえ、あの、内心を打ち明ける、って、そういうことだったんですか……?」 「……嫌か?」 「いえ……ずるいです、それ……」  逃げるような恥じらいのなか、マリーのなかにあったひとつの逡巡が、思考の水面に顔をだした。  ……私が人里に拒絶される可能性は、境界線を超える前に、何度となく考えたことがあった。  それそのものに、私は抵抗を覚えない。懸念があるとすれば、セイジのほうだった。  拒絶された私を気遣うあまりに、セイジが騎士としての過去を捨てるような道を選んでしまうんじゃないか。いや、私の知っているセイジなら、きっとそうするだろう。  出会う前のセイジがどういう風に生きてきたかを、私は今まで尋ねたりはしなかった。セイジも言いたがらなかったから、もしかして、よくない思い出があるんじゃないかな、と思ったりもした。  それでいいと思っていた。  ところが、ラフィアの作戦のために必要だからと、いざ身分を明かして帰郷したセイジを迎えたのは、様々な人からのあたたかな声だった。祝賀会のときなんて、時として人だかりすらできた。  親しげな人は再会を祝い、そうでない人も、彼との出会いに感謝を告げた。私は今更にして、セイジがどういった人間であったのか、その過去に積み上げた何かを見た気がした。  素直に喜ぶセイジの横顔に、私は安堵に似た感情を覚えて。  ……同時に、言いようもない不安に駆られた。  セイジが人里に帰らない理由、その後ろめたさが、じつはセイジ自身の思い過ごしであって。  もうひとつの問題点だった、溢れるほどのセイジの魔力が、リュートさんの首飾りで解決した今。  セイジのなかに、人里を離れる理由がなくなった。それはつまり、私と一緒にいる必然性がなくなることを意味していた。  一緒にいられなくなる。そこまで考えついて、飲み込んで、初めて、やっと。  ……それでいい、とは、思えなくなっていた。  私のなかにある、人智を超えた異形の力。その力を手に、時として振りかざす気持ちは、私達ふたりだけを繋ぐ縁だと思っていた。思いたかっただけだった。  セイジには、あの力を手にするまでの縁があって、私の知らないところで、それはちゃんとセイジを待っていた。再会した縁は、いま、当たり前のように呼吸をはじめた。喜ばしいことだった。  セイジには、私以外に頼れる人たちがいたんだ。  納得を装った本心が、この場所(セイジの隣)は譲りたくない、と願うようになった。その気持ちは、人里でさまざまな人に触れるたびに、どんどんと強くなっていった。 『セイジにとって、私はいったいどんな存在なのですか?』  そう口にできれば。そして、私の望む答えが確かめられたら。と思いながらも、どうしても言い出せなかった。ひとつを取り除いた、その他の答えを拾い上げた瞬間、かろうじて形を保っている氷のような関係が、音をたてて壊れてしまうような気がした。  ……だから、セイジが、私を必要としてくれている。そんな言葉をかけてくれたことが、なによりも嬉しかった。胸の底に滲み出たこの感情の名前を、私は知っていた。 「ね、セイジ。私、ここにいてもいいんですよね?」 「いや、『ついてくるな』なんてこと、今まで一回も言ったことないだろ……」 「……ふふ、そうですね」  まっすぐに言えない私の質問に、まっすぐとはいえない答えが返ってきた。またひとつ似通ったところを見つけて、思わず笑みがこぼれる。  私はセイジの過去を知らない。その思い出のなかに、私はいない。  だから、これからの思い出の一番近くには、私を置いてほしい。 「では、これからもそういたしますね」  それくらい望んでもいいじゃないか、と。そんな甘いことを考えてしまった。

コメント

もっと見る

コメント投稿

スタンプ投稿


  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年7月29日 20時50分

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    面白かったです。

    くにざゎゆぅ

    2022年7月29日 20時50分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月30日 3時37分

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    報われました…!

    羽山一明

    2022年7月30日 3時37分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年6月24日 2時45分

    この心理描写の繊細さは少女マンガの雰囲気を感じるほどですぞ! 毎度毎度頭が下がる思いであります。勉強になりますぞ押忍! 

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    うさみしん

    2022年6月24日 2時45分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月24日 4時17分

    この子のイメージを崩さずに書くのは非常に難しいです。そのわりには流れで書けるので楽しい。なんなんだろう。

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    羽山一明

    2022年6月24日 4時17分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月17日 3時26分

    甘甘っ! 何だか深刻そうなエピソードの導入部なのに甘甘っ! こういった話は大好きです!

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    うさみしん

    2022年2月17日 3時26分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月17日 8時57分

    たまーにこういう一人称視点の話をぶっこんでいく予定です。先へ進むにつれてどんどん暗くなっていく話なので、中和せねばいけません(確信

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    羽山一明

    2022年2月17日 8時57分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    乃木重獏久

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年1月22日 1時24分

    マリーちゃんの抱く心情が切なく健気です。報われる時が来て欲しいと、強く思わせる素敵な回でした。自分が知らない愛しい人の過去というものは、興味深いと同時に、それを知る者に対して複雑な思いを抱かせるものですが、過去にとらわれずに未来に希望を見出すマリーちゃんの前向きな姿がいいですね。

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    乃木重獏久

    2022年1月22日 1時24分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月22日 11時52分

    彼女が報われないのであれば、いったい誰が報われるというのでしょうか。そう思わされるほどに清廉な少女の思い、どこかで確かに成就することでしょう。彼女自身、自分のことをよくわかっていない背景がある点、セイジが黙る理由もまたどこか感じるものがあるのだと思いますが……

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    羽山一明

    2022年1月22日 11時52分

    ミミズクさん
  • あんでっどさん

    星降る夜

    ♡500pt 〇100pt 2021年10月29日 20時12分

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    グッジョブ!

    星降る夜

    2021年10月29日 20時12分

    あんでっどさん
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年10月30日 2時30分

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    ありがてえありがてえ

    羽山一明

    2021年10月30日 2時30分

    ミミズクさん

同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る

読者のおすすめ作品

もっと見る