境界線上の魔王

読了目安時間:9分

エピソード:23 / 142

3-6 小さな歓迎

 ゆらゆらと揺蕩う銀色の膜が、無言の圧力を押し出している。本家の境界線と違い、意図せずして生み出されたラフィアの境界線は、あらゆる意味で不完全なのだろう。未熟な防護魔法のように揺れ動きながら、その巨体を鎮座させている。  眩い光景から視線を外して振り返ると、意を決したように唇を結んで立ち尽くすクリスと、クリスを守るように立ちはだかるマリーの姿が目に入った。 「──クリスは昔、ラフィアに単身で調査に入ったことがあった。ラフィアが光に沈んですぐ、その時はまだ聖騎士ですらなかったあいつの実力を盲信して、おれはためらいもなく送り届けちまったんだ……」  突如として訪れた、異常なほどの魔物の質と量の増加。それを鑑みた試験の中断が告げられたあと、レオンがクリスの目を盗んで、そう告白した。不足した情報を口調で補完させながら、かけるべき言葉を模索するセイジの肩に手をおいた。分厚い鎧のあげた小さな悲鳴が、レオンの無念を語っているようであった。 「すまん、セイジ……妹を、クリスティアを、頼む」 「らしくないよ、レオ兄」  遠慮がちに飛び出したセイジの声に、レオンが力なく顔を上げた。 「その時のことは知らないけど、いまのクリスの実力は、未開の地でも十分通用する。おれが保証するよ」 「……そこは、嘘でも『俺が守る』とか、格好いいこと言ってくれよ」 「いや、それこそ柄じゃないでしょ……」 「そうか……そうかもな……」  みじかい沈黙のあと、レオンはセイジの肩から手を離した。 「気をつけてな」 「なんとかするよ。レオ兄も、気をつけて」  ……あの時のレオ兄は、窮地を飄々と乗り越えるいつもの姿からは想像できないほどに弱々しく感じられた。死を覚悟するほどの地に身内を送り出し、自身はその援護すら許されない立場と状況。  かつて、おれが旅立ったときのクリスも、同じ胸中で立ち尽くしていたのだろうか。直後に命じられたラフィアの調査で無茶をしたのは、無力感に苛まれ追い詰められた末の暴挙だったのではないか。 「クリス」 「はい」  間髪入れずに、真っ直ぐな返答があった。とても、死に触れた場所へふたたび足を踏み入れる人のものとは思えない。  この狂気にちかい信頼の遠因に、おれの出奔があるのならば、応えなくてはならない。 「背中は任せたぞ」 「――はい!」  快活な返答を体現するように、クリスは眼前のマリーを後ろから抱きすくめた。  微笑ましい光景に踵を返して、銀幕に片足を踏み入れる。ゼリーのようなやわらかな弾力がささやかな抵抗をみせたが、体重をかけるとすぐにその違和感はなくなった。  本家本元の境界線は、天地を彩る魔力の壁が、侵入者を締め付けるかのように圧力をかけてくる。容赦なく浴びせられる魔力の豪雨にさらされて、抵抗力のない者がふるいにかけられるわけなのだが、こちらの境界線はその力がかなり弱い。今だけはありがたいことだが、そのせいで魔物が往来しているのだから、歓迎できることばかりではない。  うすぼんやりとした空間をものの数十歩かきわけると、視界を色濃く滲ませていた境界線が途切れ、明瞭な景色がぱっと飛び込んできた。 「……ここが、緋の国ラフィアか」  自分に問いかけるように、セイジはその言葉を口の中で反芻した。  ルーレインから続く鬱蒼とした森林は、境界線を敷居にぱたりと密度を減らしており、視線の奥には赤茶けた土肌の露出した荒涼な大地が広がっている。向かって左側に本元の境界線が、右奥側には天頂を雲のなかに潜めた山脈が連なっており、国家ラフィアはその隙間に半月型の領土を所有している。  もっとも、それはもう過去の話なのであるが。 「いらしたのは、初めてですよね?」  コルクを引き抜いたような、気の抜けた音をたてて、クリスの身体が境界線のもやをくぐり抜けて現れた。 「ルーレインすら、今回が初めてだからなあ」  広がる景色に見とれたように、のんびりと答えたセイジであったが、わずかな拍をおいて慌てたように振り返った。 「申し訳ありません。魔王を名乗っていたときの口調が抜けておりませんでした」 「いいえ、規則上はセイジさまのほうが格上なのですから、お気遣いはご遠慮くださいませ」 「……小耳に挟む程度には聞いてましたけど、セイジは人の世ではそれほど偉い立場にあるのですか?」  乱れた頭髪を不機嫌そうに掻き分けながら、マリーがぽつりとこぼした。語尾の疑問符が、質疑に対する態度をあからさまに表していた。 「具体的にと言われると、少々困ってしまいますが……これは?」  魔法具を差し出して、気の緩んだ会話を中断させる。作戦のためであって、始まるのであろう自分の話を聞き入れることに耐えられそうになかったわけではない。決して。 「索敵用魔法具です。投擲した先でべつの魔力を感知すると、音と光を起こして接敵を報せてくれます」  こんな風に、と、かるく助走をつけ、遠く霞みがかって見える岩山めがけて魔法具を投げつけた。慣れない鎧が枷になったのか、やや手応えが感じられなかったが、問題はないだろう。 「……なるほど、魔法具を使うことによって、位置を知られることを防ぐわけですのね」 「はい。通常の探知魔法では、行使者の位置を隠すことは難しいのですが、これなら一方的に探知できるんです……では、これを」  手渡した球体の魔法具を食い入るように見つめてから、クリスは意を決したように顔をあげた。 「なるべく山なりに投げてくださいね」  横顔で頷いて、クリスは地を蹴った。助走をつけるための風の魔法で位置が看破される勢いであったが、このさい目をつぶって見守った。 「……やっ!!」  人に当たったらただではすまないであろう勢いで放たれた魔法具は、天頂と地平の中間方向の空をつらぬいて、放物線を描くことなく見えなくなった。投擲姿勢をといたクリスが、こちらに視線を流して嬉しそうに笑ってみせた。  笑い返した視線の先、まだはるか遠目に見る森の付近から、光が柱状に立ち上った。 「警戒!」  張り上げた声をかき消すように、光の見えた近辺から破裂音が轟いた。投げ込んだ魔法具の反応であることは疑いようがなく、緩やかに流れてきた空気がひと息のうちに張り詰めた。 『青水晶の翼と祝福を、彼の者に』  口早に詠唱して、生まれ変わった飛天龍を抜いたクリスめがけて防護魔法を展開する。  位置を察知されることなど、もはや気にかける必要はない。すでに互いの存在を、魔力をもって認識しているからである。  おそらく魔物であろう微弱な魔力がひとつ。それを追うような動きをみせる、強大な魔力がもうひとつ。  身構えるふたりとの距離を再度確認し、手のひらを弛緩させる。樹木の波打つ音がしだいに大きくなって、果たしてそいつは姿を現した。  木々の間を跳ねるようにしてやってきたのは、やはり昨日、試験会場を襲ったあの魔物の類型であった。こちらの姿を視認すると、首のない体を天へと向け、両腕を大きく広げて咆哮した。 「逃がすかああああああっ!!」  化け物のけたたましい咆哮は、だが、半ばから絶叫のような人の声に乗っ取られた。体を強張らせた一同の眼の前、黒々しい魔物の背に、青白い三日月状の刃が吸い込まれるように振り下ろされた。なおも抵抗の意思をみせた魔物の体は、二度目の一閃であっけなく両断された。  魔物の体ごと地面に突き刺さった鎌がすっと持ち上がって、その向こう側の人影がゆらめいた。  弾けるような速度で、セイジの右腕が跳ね上がった。開いた手のひらには、すでに射出を待ちわびた炎の魔法が揺らめいており、セイジの意思ひとつで対象を焼き尽くすはずであった。  果たして、景色が炎上することはなかった。  息を呑む逼迫が、空間ごと切り取られたかのように静止し、冷ややかな沈黙がおとずれた。 「……人間か?」  まっすぐに掲げた手と魔法はそのままに、眉をひそめたセイジがおそるおそる口を開いた。 「そらこっちのセリフや。なんや自分、人間か? どぎつい魔力しとるから、魔物や思たわ」  姿をあらわにした少女が、セイジに向けた鎌をおろして、開口一番に毒づいた。華奢な指先から鎌の柄が離れると、鎌は燐光を放ってひと息に雲散霧消した。  渦を巻いて消えた空気が粒状に輝いたのは、レオ兄とよく似た冷気の魔法を操っているからなのだろう。しかし、問題はそこではない。 「……あの、何をされていたんですの?」  クリスも困惑を隠せない様子だった。意気揚々と抜いた剣をおさめながら、口調を探るようにゆっくりと話しかけた。 「見たわかるやろ。こいつら探して掃討しとるんや。なんぼやっても終わるもんちゃうからな」  聞きたいのはそこではない。しかし、戦闘の直後だからなのか、やたらと刺々しい視線を突き刺してくるものだから、追求もしづらいものがあった。 「ラフィアの住民たちは、境界線に呑まれたものだと思っていたんだが……」 「そらそう思うやろな。あたしもあの時はさすがに助かるとは思わんかったわ」  心ここに在らずといった様子でそうこぼすと、少女は周囲を見回して、かるく頷いた。 「ん……今日はこんなもんやな。ほなまた」 「え、ちょっ……!」  踵を返すと同時に、片足はすでに地を蹴っている。掘り下げるどころか、取り付く島もない。 「……なんやねんなもう。あたしに用あって来たわけやないんやろ?」 「それは……そうなんだが……」  言いたいのもそういうことではない。何を口にすれば、この小柄な少女の気を引くことができるのか。  子供を相手取った経験が皆無な脳みそをなんとか回転させていると、クリスがちらりと目で合図して、少女に歩み寄った。 「ね、あなた、毎日魔物を見つけては討伐しているんですよね?」 「ん……? まあ、やりたないけどな」  神妙なクリスの目配せを受けて、首肯を返してみせる。 「私たちは、かつてこの国に何が起こって、今、どうなっているのか、それを調査しにきたのです。お仕事をお手伝いしますので、あの魔物たちの話も一緒に教えてもらえませんか?」 「いや、そらありがたいけど……」  険しい顔つきで、少女は首をかしげた。時折、流す視線が凍てついているのは、おそらく気の所為ではないのだろう。 「……まあええわ。ほっといてようわからんことされるよりええやろしな」  ついといで、とぶっきらぼうに言い放って、少女は地を駆った。脇目も振らず、振り返る気配すら見せずに、まっすぐに森の真ん中を突っ切っていった。 「ごめんなさい、流れでお付き合いさせることに……」 「いえ、助かりました。他に手がかりもないですし、ここは彼女に従ってみましょう」  荒れ地と化した領土の探索を主体に考えていただけに、乖離した現状の行く先がまったく読めない。ひとまず、乗りかかれるものがあるのなら、乗っかってみるのも悪くはないだろう。 「……ん?」  風の魔法に身を浮かべた直後、何やらむずかゆい違和感が声に変わってこぼれ落ちた。 「何か、忘れてないか……?」  呼応して空中で静止したふたりと視線を交わして、喉奥に詰まる記憶を求めて首をひねった。  二秒後、少女の向かった先で閃光と爆発音が炸裂し、悲鳴と怒号が立て続けに響きわたった。

関西弁、文字に起こすとひらがなばっかりになる問題

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  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年5月23日 21時11分

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    えんどろ~!ファイ

    くにざゎゆぅ

    2022年5月23日 21時11分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年5月23日 22時55分

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    うれしぬ

    羽山一明

    2022年5月23日 22時55分

    ミミズクさん
  • 吟遊詩人

    秋真

    ♡2,000pt 〇200pt 2021年6月6日 22時08分

    『この狂気にちかい信頼の遠因に、おれの出奔があるのならば、応えなくてはならない』この一文がメチャクチャ心に刺さりました。こういう心情を、この登場人物に、こういう場面で……、このタイミングで……。唯一解のような描きかた、お見事でございました!

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    秋真

    2021年6月6日 22時08分

    吟遊詩人
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年6月8日 4時12分

    唯一解、とのお褒めをいただき、本当にありがとうございます…!セイジは性格的にとても主人公という柄ではありませんが、このセリフは誠実で愚直な騎士である彼だからこそ言えるのかなと思います。たまには格好いいところ見せないと…!

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    羽山一明

    2021年6月8日 4時12分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年4月25日 6時32分

    ポーラたん来たァァァッ! 気ィついたらこの時点ではまだ名乗っとらへんのですね押忍。

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    うさみしん

    2022年4月25日 6時32分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年4月25日 11時16分

    名乗れませんね。「ポーラ」と言うのも変ですし、ファミリー・ネームなど誰とも知れない相手にはなお語れません。ゆえのざっくばらんな言葉遣いなのかもしれません。

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    羽山一明

    2022年4月25日 11時16分

    ミミズクさん
  • くのいち

    葵乃カモン

    ♡500pt 〇200pt 2021年6月16日 5時23分

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    良いものを見せてもらった

    葵乃カモン

    2021年6月16日 5時23分

    くのいち
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年6月18日 1時41分

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    うれしぬ

    羽山一明

    2021年6月18日 1時41分

    ミミズクさん
  • 土偶(純金)

    阿暦史

    ♡100pt 〇111pt 2021年12月13日 23時18分

    関西弁、文字に起こすとひらがなばっかりになる問題にビビッとしました!昔標準語を定める際、京都弁も候補だったみたいですね。もしそうなってたら「関東弁文字にすると〜」ってなってたんでしょうね。関西弁少女…出てくるだけで夢が広がります。どこに連れてってくれるのでしょうか…

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    阿暦史

    2021年12月13日 23時18分

    土偶(純金)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年12月14日 2時30分

    なんにも考えず、慣れ親しんでいるという理由だけで書いてみたのですが、かなり切実な後書きになりました。ひらがなばっかになっちゃう泣き所。御所だったので、遷都がなければあるいは玉音放送が関西弁だった未来があったかもしれないですね。

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    羽山一明

    2021年12月14日 2時30分

    ミミズクさん

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