境界線上の魔王

読了目安時間:5分

エピソード:66 / 193

6-10 弱者の反撃

 吹き抜ける風さえ声をひそめる、冷えた回廊であった。  まっすぐにのびる石畳の先に、レベッカとノインを見下ろす荘厳な王宮の姿があった。城壁のところどころに掲げられた燭台の炎が、物言わぬ灰色の肌をゆらりと照らしている。ビードロの窓からはにぶい灯りすら窺えず、それはまるで無人の廃城のように空虚をまとっている。 「……祝賀会、本当に今日の日付だったわけ?」 「言いたいことはわかる。が、見紛えたわけではない」 「ええ……だって、道中にそういう感じの人たちもいなかったわよ?」 「それはそうであろう。このような場に招待を受けるような身分の者が、のこのこと城下を練り歩くはずもない」  貴賓なる者共は、帰り途にすらふさわしい身分を求める。それはノイン自身が痛いほどによく見知っていることであった。 「……あなた、遠回しに自分のこと持ち上げてなぁい?」 「聞かれたことに答えただけだ。いらぬことを勘ぐる暇があれば、これからのことに頭を働かせよ」 「交渉……交渉ねえ。言っておくけど、材料になるような情報なんて、産まれたばかりの私に期待しないでね?」 「そんなことに期待はしておらぬ。交渉が頓挫したときのことを言っているのだ」  ノインはあくまでそっけない。見上げた城壁から視線を引き剥がし、ふたたび足早に歩を進めた。  やがて、音高く踏みならす冷たく堅い石畳が、やわらかな絨毯に姿を変えた。刻まれていた足音がいよいよもって静寂に溶けて、会話のないふたりを繋ぐものも消え去った。等間隔で据えられた燭台の炎に赴くまま、行き先を誘導されているようで、ノインはふと懐中時計を取り出した。  睨めつけるように見下ろした文字盤のうえ、黄金色の針が、真夜中であることを告げている。 「…………」  きん、と音をたてて閉じた時計をしまいこみ、目線を持ち上げる。 「妙だな、こちらの動向は気取られているはずなのだが」 「わざわざ結界まで張ってあったものねえ。待ち構えてるのかしら?」 「いや、こちらの意図までは察知していないはずだ。やつらが戦闘を加味しているのなら、わざわざ城内を戦場にする必要はないだろう」 「もしくは、私たちに何もさせない自信があるとか?」 「……標的がいるからか。確かに、そちらのほうがありえるな」  とはいえ、あちらが姿を見せない現状、魔力の気配を頼りに足を動かすしかない。そもそも、こちらは一度襲撃を仕掛けている側なのだ。今宵、ヒトどもに恨みを晴らされたとしても、それはむしろ正当防衛といえよう。  思考をひと段落させたノインの、持ち上げた瞳が見開かれた。通路の奥、灯りに照らされた十字路を、見知った顔が横切ったからだ。 「奴は――」  答えを言葉に出すことなく、ノインは駆けだした。オレンジ色の炎を受けて、目の覚めるような光彩を放つ金色の短髪。フェルミーナ第一王子のレオンハルトに間違いない。  ヒトの一派のなかで、もっとも交渉相手として適した相手。まさしく好機であった。  逃す理由などない。 「追うぞ!」 「あ、ちょっと……」  遠ざかっていくノインの背を、レベッカは声ほどに追随できなかった。  遊女である彼女の仕事着は、みずからの肢体を室内で誇示するためのものである。ただでさえ動き回ることに向いているはずのない、薄いドレスとハイヒール。ヒトであろうが龍であろうが、走ることなどとてもかなわないのだ。 「待ってってば!」  曲がり角に消えたノインに追い縋るべく、レベッカはちいさな風の魔法を喚び起こした。いわば敵陣のど真ん中であわや孤立など、考えるだけでも幸先が不安になる。ぱっと吹き抜けた風を肌で感じながら、靴の裏と背中でその波に乗るようなイメージを浮かべる。 「わっ……!」  焦燥が魔法にあらわれてしまったか。レベッカの体は、押し出されるどころか攫われるかのように風に乗って、曲がり角で急転換したのち、なにかに勢いよくぶつかってようやく止まった。 「痛ったぁ……なぁに? もう……」  したたかに顔をぶつけたレベッカが、気だるい声をさらに間延びさせて独りごちた。座り込んだまま顔をあげたレベッカの目線と大差ない、ノインの小さな背中が、静かにそこに佇んでいた。 「……え? どうしたのお?」  あれだけの勢いで駆けていったのにもかかわらず、諦めてしまったのか。違和感をそのまま口に出したレベッカの前で、ノインはゆるりと振り返った。 「……ああ、どうやら見失ったようだ」  一本道で見失うことなどあるのだろうか。そう言い掛けたレベッカの先手をとるように、ノインが言葉をつづける。 「やつら、やはり我々のことを認識しているな。誘い込まれているのやもしれぬ」  口惜しげに告げたノインが、レベッカへと手をさしのべた。手のひらと表情を忙しげに見比べたレベッカの前で、またしてもノインが機先を制した。 「この上、単独行動は危険なようだ、立てるか?」 「え? ええ……」  ノインの顔つきは、いつもと変わらず不満げに強張っている。だが、物言いや口調そのものは、いつもよりどこかやわらかな印象であった。ましてや『立てるか?』などという気遣いが、この幼い唇から飛び出すことなど、思いもよらぬことであった。 「きゃっ……!」  引き寄せられた手のひらは、思いの外力強く、レベッカの体を持ち上げた。あわやノインを押し倒すほどの勢いは、しかし抱き抱えるようにしてゆるやかに受け入れられた。 「おっと」  何の気なしに、といった声をあげて、ノインは動揺するばかりの体をゆっくりと引き離した。  異性と手を繋ぐことも、抱きすくめられることも、レベッカにとっては日常の出来事である。  しかし、身をおく職務の外側では、彼女の経験値は初心者に等しかった。それも、一時は相争った相手とあって、より強く彼女を困惑させた。 「すまない、大事ないか?」 「……はい」  保ち損ねた平常心が、気の抜けた声となってあらわれた。  点滅する思考のなか、ノインの色の濃い双眸が、ふいにレベッカに肉薄した。びくりと体を震わせた彼女の声は、ノインの唇によって音もなく塞がれた。  次の瞬間、レベッカの四肢がもう一度びくりと震え、だらりと脱力した。その身を横たわらせたノインが、袖口で無造作に唇を拭った。 「……体内が弱点なのは、人も龍も変わらんようだな」  低い声で呟いたノインの体が、滲み出した燐光の外套を羽織った。溶けて消えた光の中から姿をあらわしたレオンが、底冷えするような凍てつく視線を、唇を奪ったばかりのレベッカに突き刺した。 「これで、まずは一匹」 「…………」  その一部始終を覗き込んでいたポーラが、むしろ敵であるレベッカに同情するかのような複雑な表情を浮かべて、ぽつりと口を開いた。 「……顔のええ男は、やっぱ怖いわ」

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