境界線上の魔王

読了目安時間:7分

エピソード:62 / 142

6-6 夜に蠢く

 時は、ポーラが亡国の王女として演説をはじめた黄昏の終わり。  華やかなフェルミーナが夜の帳に包まれて沈黙する暗がりの頃合い。そんな夜の下でこそ、光り輝く世界がある。  色街もそのひとつだ。  人々の喧騒と陽光から逃げるような、往来から少し外れた路地裏。空が黄昏色に染まる頃、その一画はひっそりと蠢動をはじめる。大小さまざまな魔法具が、あるものは眩く、あるものは控えめに、さまざまな色彩でもって主張をはじめる。異質な雰囲気をまとった空間に、まばらに現れ始める人影は、妙に足取りを弾ませる男が大半を占める。  どこか浮足立つようなその空間に、厳しい顔つきをしたひとりの男児が足を踏み入れた。  一見して幼年期であろうことが見て取れる小柄な体躯に、小洒落た壮年の男性が着こなすような、ベージュと焦茶の二色を織り交ぜた襟付きの正装をまとっている。小さな歩幅で踏み鳴らす足取りは、地面に八つ当たりをするかのように速く重い。  迷子というわけでもないのだろう。真正面を射抜く視線からは、行き先を探す様子はみられない。 「…………」  奇異な場所の奇異な視線を一身に浴びながら、男児は不機嫌そうに唇を真一文字に結びなおした。やがてその足取りが、一軒の店先の前でぴたりと止まった。店構えと看板をふと見上げると、いきおい口をあけた扉へと歩を進めた。 「お、おい、君……」  門番のように店先に立っていた男たちは、慌てつつも男児を制止しようとして失敗した。成人男性を相手どることならともかく、子供を抑えつける経験も想定もしていなかったからである。  堂々と店のなかに侵入した男児は、店のなかに佇む初老の男の前で立ち止まった。 「何用ですかな、ご少年」  端的な男の質問に、男児は懐から白銀に輝くプレートを取り出した。縁をひかえめに着飾っているのは金だろうか、薄暗い店内の照明を反射した光を浴びて、男の目がするどく引き締まった。 「ルーレイン国が商会ギルド『レ・ノイエ』大番頭、ノイン・フォン・アウシュレーゼだ。レベッカという名の花魁はいるか?」  何用ですか、という問いかけに対するノインの回答は、やや的から外れていた。というより、そもそもノイン自身に、質疑に応答する意思がなかった。みずからの用件と身分だけを叩きつけ、ただひたすら答えるだけの立場へと相手を押し込む。そういった態度であった。 『返答やいかに』  男を見上げる小さな瞳の光が、無言のままそう語っていた。 「通してちょうだい」  息をのむ沈黙を、透き通るような女の声が引き裂いた。男は慌ただしく、ノインはゆっくりと、声のするほうへと視線を向けた。 「レベッカ、お前、お客人は……」  絞り出したような男の声に、レベッカと呼ばれた女は妖艶な笑みを浮かべた。淡黄色で統一された照明用の魔法具が、あらわれた女に怯えるように繰り返し点滅した。 「たった今お帰り遊ばしましたわ。お急ぎのご用事があったそうよぉ」 「…………」  この店には玄関口をのぞく出入り口はない。それ以外の『なんらかの方法で』お帰りになった、ということなのだろう。  立ち尽くした男も含め、男児を手招きするレベッカを止めるものは誰一人としていなかった。蠱惑的な肉体をもつこの女性は、ときにそれだけでは表現しがたい魔性を放つことがあった。  一年前のある日、ふらりと現れた彼女は、ともに時を過ごした客をつぎつぎと心酔させた。それゆえこの店に身をおいてまもなく、店の代名詞となるまでに名を馳せることとなった。  そこまではよかった。だが、時と逢瀬を重ねるごとに、顧客たちは心酔を越えて従属の気配すら見せはじめるようになった。誰もが例外なく骨抜きにされていくさまを間近で見届けてきた従業員たちは、しだいに彼女を畏れるようになった。 『魔性などではない。レベッカは、あの女は魔女だ』  誰かが口にしたその言葉を、誰一人として諌める者はいなかった。 …… ………… ……………… ……………………  肩を並べたふたつのグラスのうえを、レベッカの細く長い指がなぞった。鈴の音に似たするどい音がかすかに響くと、手のひらから滲んだ光が小さな氷の欠片となって、グラスに降り注いでいった。満足気にそれを見下ろしたレベッカが、仔猫のように生き生きとした動作で踵を返すと、艶めかしい生足がドレスの隙間から覗いた。 「はい、どうぞぉ」  レベッカが、部屋の入口で立ったままのノインへとグラスを運んだ。底と側面を抱きかかえるように支えられたグラスの中身ごしに、ふくよかという表現では控え目にすぎる胸元があらわになっている。グラスへと手を伸ばせば、そのまま触れてしまいそうな距離であった。 「…………」  渋面を浮かべ、扉に背を預けていたノインが、なにか言いたげに、しかし無言でグラスをひったくった。いきおいグラスを呷った直後、引きつっていた表情がよりいっそう強張った。ノインの目の前でひざまずいたレベッカが、彼の衣服に手をかけていたのだ。 「……何をしている」 「いやぁねえ。女の子にそれを言わせるのぉ?」 「いいから離せ。そういうことをしにきたのではない」  あら。と、レベッカが声をこぼした。立ち上がり、飲み干されたグラスをそっと受け取る。 「そうなの? 残念ねぇ。あなたの顔、とっても好みなのに……」 「貴様はどうも世俗に染まりすぎているようだな。それも、文化の循環に貢献するわけでもない、このような職業――」  呆れたようなノインの声が途切れた。グラスを握りしめたレベッカの柔和な表情が、烈火のごとく一変していた。 「取り下げてちょうだい。私はこの仕事に誇りをもっているのよ」  紅玉を散りばめたような燃える瞳と相反して、狭い室内の空気が音もなく凍てついた。嫋やかな指の間、割れることなく、しかし小刻みに揺れるグラスが、レベッカが激情ではなく理性でもって怒りを露わにしていることをしめしていた。 「あ……」  そのことを悟ったのか、半開きになったノインの口から、後悔をしめすような弱々しい声が漏れ出した。頑として目を逸らさないレベッカの気迫に気圧されて、力なく肩を落とし、素直に頭をさげた。 「……すまない。軽率な発言だった」 「職業に貴賎なし、よ。みんな生きるためにやってるのよぉ」  それにね、と言葉をつづけたレベッカの表情が、いつもの可憐な印象をとりもどしていた。 「これでもちゃあんと考えているのよ? 遊女なら合理的に人目を避けられるし、ちょっとくらい怪しまれても衆目には晒されないし、裕福な上客が多いから、情報や伝手も手に入れやすい……」 「……なるほど、確かに情報や伝手……人脈は魅力的だな」  ひとりごちたノインは、顎に手をあてて俯いた。商人としては同意せざるをえないものがあったのだろう。その態度を満足気にみつめたレベッカが、ひとりで寝るには大きすぎる寝台のうえに座り込んだ。 「それで、どういったご用件だったのかしらぁ?」 「とぼけるな。お前のところにも使者がきただろう」  使者。  その言葉を聞きいれた直後、レベッカの切れ長の瞳が、すっと研ぎ澄まされた。じりじりと、虫の声のような異音をたてていた照明用の魔法具が、ついに部屋を暗がりに包み込んだ。玄関口でそうあったように、ふたりの間に流れる異様な雰囲気――もとい、魔力に耐えかねたのだろう。 「……ええ、来たわね」  距離をあけたふたりが、どちらからともなく指先に火を灯した。赤々としたドレスに飾られた金色のスパンコールが、暗闇にうつしだされたレベッカの顔をより妖艶に彩った。 「お前は知らんだろうが、先日の戦闘の際、標的はラフィアの領土で緋色級の龍、それも二匹を同時に相手どっていた。それから間もなく使者が遣わされ、標的への接触を禁ずる命令がくだされた。不自然だとは思わんか?」 「……へえ。あんな規模の戦闘に現れなかったのは妙だとは思ってたけど、そういう事情だったのねえ……ふうん……」  レベッカが、初めて聞き入れる情報を咀嚼するかのように、何度も小さく頷いた。 「不自然ね。でも、だからってどうするのぉ? 接触が禁止されてるんじゃあ、確かめる手段なんてないじゃない」 「いや、ある」  みじかい断言とともに、ノインは懐に忍ばせていた袋からなにかを取り出した。  手にとった封筒から抜き取られたのは、上物の羊皮紙だろうか。ごく簡素な文章の下には、二名分の署名が添えられている。 「? ……なあに、それ?」 「フェルミーナ王家からの招待状だ。難民となっていたラフィア国民の受容を記念して、ラフィア王女ポーチュラカがスピーチを行うらしい。そこに標的も同席する」 「…………ああ、え?」  長い沈黙ののち、レベッカが調子はずれの声を出した。ゆらりと蠢いた炎に照らされたノインが、怪しげに口角を吊り上げた。 「龍として接触するのは禁止された。だが、ヒトとしての接触を禁じられた覚えはない」  レフィリアの邸宅を襲った男の龍ノインが、女の龍レベッカに向けて、嬉しそうに封筒をはためかせた。

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  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年7月11日 22時23分

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    「気になるわネ!」ステラ

    くにざゎゆぅ

    2022年7月11日 22時23分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月11日 23時22分

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    実は狙ってました。

    羽山一明

    2022年7月11日 23時22分

    ミミズクさん
  • 吟遊詩人

    秋真

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年7月31日 20時51分

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    「あなたが神か…!?」ステラ

    秋真

    2022年7月31日 20時51分

    吟遊詩人
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月31日 23時12分

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    「女神ですから」氷川Ver.ノベラ

    羽山一明

    2022年7月31日 23時12分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年6月10日 7時03分

    くっ! ポーラたんが出たのは最初の一行だけ、しかも名前だけ。くぅっ! それとレベッカのいい女描写がとても良かったです。色々と勉強になったであります押忍。

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    うさみしん

    2022年6月10日 7時03分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月10日 8時20分

    ポーラは最新話でもスヤスヤ中です。相変わらず展開を考えずに書いているのですが、戦闘終了までのどこかで活躍させたいと思っております。明日には考えが変わっているかもしれませんけど!

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    羽山一明

    2022年6月10日 8時20分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月10日 5時15分

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    な…なんだってーっ⁉

    うさみしん

    2022年2月10日 5時15分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月10日 9時14分

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    実は狙ってました。

    羽山一明

    2022年2月10日 9時14分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    乃木重獏久

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年1月8日 22時04分

    人としてならセイジに接触を図ってもよいと詭弁を弄するノインとレベッカの動向が気になります。しかし、ノインが龍であることは、レオンも知っているはずで、ノインに対する何かを企んでいない限り、招待などしないはず。この招待状、やはり不正に入手したものなのでしょうか。でも、どうやって。

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    乃木重獏久

    2022年1月8日 22時04分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月9日 3時14分

    詭弁ですね! ただ、詭弁だとしても、それなりに規則を遵守する意志はあるようで。レベッカはともかく、ノインはヒトとしての歴史もかなり浅からぬ気配がするので、祝賀会のことに見識があってもおかしくはないですね。まあ、頭空っぽで乗り込んでくるだけなら、返り討ちにあうだけなんですけどね。

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    羽山一明

    2022年1月9日 3時14分

    ミミズクさん

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