境界線上の魔王

読了目安時間:9分

エピソード:45 / 142

5-6 剣なき鍔迫り合い

 南北に別れたレフィリアの屋敷の中庭には、庭園より少しだけ豪奢な空間が広がっている。  その中心部に据えられた噴水のなか、それはそこにあるはずのない彫刻のように佇んでいた。  吹き抜ける風に濡れた衣服を晒されながら、顔色ひとつ歪めることもない。茹で上がった熱もすっかり冷めたのか、殺気どころか気配そのものが抜け落ちているような変わりようであるが、それがかえって不気味な雰囲気を滲ませている。 「…………」  レオンたちを目前にしても、やはり反応は鈍いままであった。ただ、双眸から立ち上る緑色の光だけが、言葉や態度をしめすように強くゆらめいている。 「……もう、何もせんよ」  沈黙を破ったのは、侵入者からであった。剣を構えたままのレオンが、ゆっくりと前に出る。 「信用できると思うか?」 「できぬだろうな。であるから、こうして態度だけでも改めているのだ」  改めてこれか。そう思いつつ、レオンは皮肉を喉奥に押し留めた。  あのリュートという龍が変わりものだったのかもしれない。生物としての性質なのか、傲岸不遜が指先にまで染み付いているようで、仁王立ちのまま『態度を改めた』と言い張るのはいっそ清々しさすら感じる。 「龍というものは、格上には逆らえんのだ。今ここで私がどれほど暴れようとも、そこの女にねじ伏せられるのが関の山よ」  ――龍。  薄々勘付いてはいたものの、本人の口から告げられたその事実が、レオンの声をひときわ曇らせた。 「……じゃあ、なんで逃げないんだ」 「言ったとおりだ。命令には背けん。しかし抵抗も無意味ならば、今ここで貴様らから情報を引き出すことこそが、唯一の策だ」  そう胸を張った龍の全身が淡い光に包まれた。身構えるレオンとレフィリアを庇うように、アリアが前に飛び出した。息をのんだ三人の目の前で、龍の輪郭が形を変えながら光を萎めていき、やがて瞳の焔とよく似た鮮緑色の短髪をもつ少年の姿となった。  もはや驚愕することに慣れてしまったレオンが、ふと動きをとめた。襟元を整える少年の姿絵を膨大な記憶のなかに見出すと、半開きのままの唇から懸命に声を絞り出した。 「……その姿が、お前の本体か?」  レオンは、真意を悟られぬようあえて迂遠な言葉を選ぶあまり、震える声を抑制することに失敗した。 「そうだ。平時はヒトとして人里に紛れ、ことが起これば龍として行動する。それが我々に与えられた使命だ」  唖然とするばかりのレオンの隣で、同じくレフィリアが重々しく眉を寄せていた。  口ごもるふたりを見据えて、龍はなおも言葉をつづけた。 「そういえば、貴様とは面識した覚えがあるな。レオンハルト・フェルミーナ王子殿下よ?」 「……まさか、アウシュレーゼ家の当主か」  震えたままの声に、粘度の垣間見える嫌悪の色が混入した。  ノイン・フォン・アウシュレーゼ。ルーレイン国内における最大規模の商会『レ・ノイエ』を、年端もいかぬ少年が跡を継いだ、という話を聞き及び、そのお披露目の場に足を運んだのは、至極最近の話である。違えるはずもない、握手を交わした記憶が蘇ると、それとともに沸き立った自己嫌悪が、レオンの思考を泥濘のように侵食しはじめた。 「ご名答。目的のためなら毒まで食らうと噂される貴様でも、腰が引けることがあるのだな」  苦々しく表情を染めるレオンと相反して、龍改め少年ノインは口角を怪しげに吊り上げた。 「……この場でお前を痛めつけて、情報を引き出すこともできるんだが」 「それはない。清濁を混ぜ込み、皿ごと喰らう、とは貴様を揶揄する評判の一節だが、相手がなんであろうが、貴様が拷問の類に手を染めることはない。その程度の人となりは理解しているつもりだぞ?」 「…………」 「我らは貴様らのことを調べ上げているが、貴様らは我らの委細を知らない。そして貴様は、気に食わないからといって感情的に斬り捨てるより、あくまで冷徹に必要な情報の収集を試みる。そういった人間のはずだ」  レオンの内心で、するどい舌打ちが二度ほど炸裂した。正体が露見したことに得心がいったところで、なんの解決にもなっていない。大きな溜め息に灰色の感情を乗せて吐き出すと、レオンはすぐさま冷静さを取り戻し、短いやりとりの内側に潜む真意の確認に取り掛かった。  ……こいつの言うことは正鵠そのものだ。言論を簡潔かつ正確に、そして断言する。交渉術における『こちらが優位である』と明示する行為に他ならない。  そして、おれたちが今ここでこいつを仕留めたところで、こちら側になんの益もないことをわかっている。実に腹立たしいが、ここは話に乗るしかなさそうだ。 「……わかった。レフィリア、悪いが、矛を収めてくれないか」 「それは構わないが、お前の目的は何だ? 私達のことを調べ上げているというのなら、私達から引き出す情報などないだろう?」  その言葉を聞いたノインが、ぴたりと動きをとめて、顎に手をあてて俯いた。  人の世に潜り込んでいるだけあって、仕草の機微も様になっている。これで表情や態度まで様変わりするようなら、ますます人との区別などつかないだろう。 「……いや、そうだな、しまった。私が知りたいことを、貴様らが知っているとは限らんな」 「言うだけ言ってみろ。内容次第じゃ交渉もなにもないだろう」 「む、それもそうか……」  顔をあげたノインが、そのままふっと上空に目をやった。いまだ警戒半分に様子を見ていたレオンたちの前で、指をくっと上に向けてみせた。 「お兄さま!」  聞き慣れた声につられて、三人の視線が跳ね上がった。  見上げた屋敷のさらに上空から落下したふたつの人影が、レオンたちの目の前に水柱をつくりあげた。その水の壁を破って飛び出したクリスとポーラが、左右からノインへ斬りかかっていった。  交差する閃光を、ノインは避けようとはしなかった。鉤爪を失い、人の造形そのものに成り果てた両腕と、ふたりの得物の刃先が触れた。  木に鉈を振り下ろしたかのような鈍い音が響いて、ノインの腕が体ごと押し出された。余波で立ち上った飛沫が、射殺すような目の色をしたふたりの全身を斑に濡らした。 「クリス、止まれ!」  助太刀にきたはずのクリスの後背に、諌めるようなレオンの声が浴びせられた。押し合いになった剣を軸に、クリスが跳ねるように後退した。 「ポーラもだ。少し待ってくれ」 「なんや、緊急招集の魔法具使ったん、こいつのせいちゃうん?」 「そいつのせいだ。だけど、とりあえず待ってくれ」 「…………」  じつに不満そうな表情をみせながら、ポーラがしぶしぶ引き下がった。背を見せないよう、魔法の鎌をノインに向けたままの態勢を崩さなかったことが、彼女の強い警戒心を如実にしめしていた。 「警戒せずともよい、小さく優秀な兵士たちよ。すでに雌雄は決した。私に交戦の意思はない」  ポーラよりもさらに小柄なノインが訥々と語る。いつもなら誰よりも早く言い返すであろうポーラだが、いまは沈黙を守ったまま、時が過ぎるのをじっと待っている。 「お兄さま、この相手は……」 「ああ、龍だ」  剣を構えたまま、視線を固定したままのクリスの身を、魔力の風が撫ぜた。肩を並べるポーラとともに、今すぐにでも飛び出さんばかりの覇気を滲ませている。 「焦んなって。そいつ……ノインの言うとおり、戦闘はそいつから棄権した。いまは情報交換中だ」 「そういうことだ。しかし、本当に優秀な戦力を揃えたものだな」  感心したような声をこぼしたノインが、確かめるように手のひらを開閉した。ふたりの剣を受け止めて赤黒く変色した箇所をじっと見つめて、すっと顔を持ち上げる。 「……だが、その優秀な人間たちが束になっても、太刀打ちのかなわぬ人間がいる」  みずからに言い聞かせるような、その低く小さな声に、その場の誰もが体を震わせ眉をひそめた。  お互い、思い浮かべる者の名を確認するまでもなかった。 「セイジのことだな?」 「そうだ。親しい人間なればこそ、あの者の恐ろしさは肌で理解できるだろう?」 「理解はできるが、賛同はできないな。懐柔できなきゃ処分しますっていう、手前勝手な都合だろ?」 「…………処分?」  クリスの琥珀の瞳が、波打つ水面の光を受けて、不気味にさざめいた。獣のように打ち震えたその両肩を、レフィリアとポーラのふたりが抑え込んだ。 「手に余ろうが、持ち主が制御できているのなら何も言うまい。我らとて、強者が産まれるたびにいちいち腰をあげたりはせん」  ちらちらと照り返す光から、ノインが煩わしげに顔をそむけた。流れた視線がクリスのそれと重なると、ノインはふたたび視線を戻した。 「あ奴は、セイジという男は違う。途方もなく莫大な魔力を、なんの枷もなくぶら下げておる。その矛先がいつどこへ向かうのか、本人にすらわかっておらん。自他ともに御しきれず、ひとたび荒れ狂えば抗うすべはない。これを災害と呼ばずしてなんとする?」  ……こいつの言うことは正鵠そのものだ。だけど、 「言い分はよくわかった。わかったうえで繰り返すが、同感はできないな」  正しい、だけだ。 「お前さんがたは、ただそこにある力の大小と危険性だけを見ているんだろう?」 「当然だろう。力は弱いか強いか、それが全てだ」 「龍の価値観はそうかもしれねえな。けど、人の強さってのはある日突然産まれるもんじゃない。例えば騎士に憧れを抱いた子供なら、そうなりたいと夢見て初めて育まれるもんだ」 「……ふむ? それで?」  淡々と言葉をなぞるだけのようであったノインが、わずかに声色を弾ませた。  理解の行き届かないことに、なんとか興味を示そうとしているような。言葉遣いはともかく、それは外見相応の子供の振る舞いであった。 「人同士、互いの影響が循環して、その仕組みの産物のひとつに強さがある。その循環の最重要ともいえる人材を引き抜かれちゃあ、仕組みが瓦解しちまうだろ?」 「……なるほど、構造の一種にすぎない個性が、その実、構造に還元されているのか」 「まあ、そんなかんじだな……で、もうひとつが」  振り返ったレオンが、落ち着きを取り戻したクリスに歩み寄った。困惑するクリスに肩を並べると、ふたたびノインへと向きなおる。 「ここにいる全員、セイジには何度か命を救われた。その恩人がある日、龍とやらの琴線に触れたから処分されるらしい、って言われて納得するのは、人としてどうよ?」 「あたしは騎士やないけど、人を守ることを生業にしといて、人を見殺しにはできんやろ」  レオンが意外そうな表情を浮かべて、割って入ったポーラの横顔を見下ろした。それに気がついたポーラに、不機嫌極まる視線を突き刺されて、じつに嬉しそうに目を逸らす。  腕を組んで、そのやり取りに聞き入っていたノインが、何かを決断したようにひとつ大きく頷いた。 「不思議なものだな。力こそ全てであるのなら、負けた私は正しくないのだろう。しかし勝ったはずの貴様らは、力は二の次だと言いよる」 「悪かったな。人間ってのは時と場合によって理屈や感情を使い分けるめんどくさい生き物なんだよ」 「ふふふ、そうであろうな。ヒトが完璧な生物なら、龍族がでしゃばる必要もあるまい」  肩を震わせたノインが、憑き物が落ちたような軽い笑い声をあげた。息をのむような冷ややかな雰囲気がほぐれると、クリスとレフィリアが吐息とともに剣を下ろした。  ささくれだっていた場の魔力が落ち着くと、ようやく水面が穏やかな沈黙を取り戻した。  戦いが終わり、平穏が訪れた。  ――少なくとも、この瞬間は。

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  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年6月18日 21時05分

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    見事なお点前で

    くにざゎゆぅ

    2022年6月18日 21時05分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月19日 3時35分

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    御礼申し上げます

    羽山一明

    2022年6月19日 3時35分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年5月21日 5時34分

    大自然の猛威を前にしては人類などけちょんけちょんなのであります。そんな力と同レベルであると認識されてるセイジの力でありますが、その制御が不完全とあれば警戒されて当たり前と言うか、排除に動く勢力が出てくるのも仕方の無い事だと思うのであります押忍。過ぎた力を持つ者の悲哀を感じます押忍

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    うさみしん

    2022年5月21日 5時34分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年5月21日 11時18分

    魔法ってなんなんだ? という疑問に対しては、龍族も正しい解を得ているわけではありません。むしろ不確定要素に備えるために、多少なりとも強引だろうが先手をとる、という、至極まっとうな行動理念です。

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    羽山一明

    2022年5月21日 11時18分

    ミミズクさん
  • 吟遊詩人

    秋真

    ビビッと ♡1,000pt 〇200pt 2022年1月23日 8時09分

    《「悪かったな。人間ってのは時と場合によって理屈や感情を使い分けるめんどくさい生き物なんだよ」》にビビッとしました!

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    秋真

    2022年1月23日 8時09分

    吟遊詩人
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月23日 15時43分

    めんどくさくても相容れなくても、人間らしく生きていてほしいと、そう思います。

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    羽山一明

    2022年1月23日 15時43分

    ミミズクさん
  • あんでっどさん

    星降る夜

    ♡500pt 〇200pt 2021年8月29日 20時23分

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    楽しませていただきました

    星降る夜

    2021年8月29日 20時23分

    あんでっどさん
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2021年8月30日 3時07分

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    がんばります!!!

    羽山一明

    2021年8月30日 3時07分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月1日 4時54分

    いいや、拙者騙されませんぞ! こんなオイシイ配役の龍が簡単に納得して引き下がるわけがないのです! 何だかんだ言いながら、そのうちまた熱い戦いを繰り広げると予想するであります!

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    うさみしん

    2022年2月1日 4時54分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月1日 8時57分

    龍は理性的に冷静に、機械のようにただ淡々と最善手を尽くす、というイメージなので、本心からの言葉かな、とも思うのですが……戦いは続きます。そのうち、というか、その……。

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    羽山一明

    2022年2月1日 8時57分

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