境界線上の魔王

読了目安時間:5分

エピソード:67 / 142

6-11 闇より出でて闇より昏し

 レベッカがレオンの策略に落ちた頃合い、その一方、そんなことなど知る由もないノインは、今まさにレオンの影へと追いすがろうとしていた。  なぜ、やつはこの状況下で単独行動をしているのか。  ふと、そんな思考が頭の隅をよぎる。が、それも捉えてしまえば判明することだ。目の前に吊り下げられた獲物が仮に罠であったとて、他に手立てなどない。状況の変化に食らいつくことを躊躇っていては、如何様な好機も手にすることはできない。ノインは、みずから生きたヒトとしての経験から、そう判断を下した。  魔法は使えない。  使ってしまえば、いよいよ標的にはじまる騎士たちを呼び寄せてしまう。標的の人となりを知らない以上、それは早計にすぎる。  しかし、相手はただの人間だ。じきにこちらが追いつくであろう。  ……と、思っていたのだが。 「なぜ、追いつけんのだ……!」  右に左に、迷宮のように入り組む道筋を、山鹿のように飛び跳ね駆け抜けていく奴との距離は、予想に反していっこうに縮まらないでいた。  考えてもみれば、魔法が使えないのはこちらだけなのだ。ヒトどもには、そのような遠慮は必要ない。  それでも、今更引き返すことなどできない。 「む……?」  奴を追って飛び込んだ扉の向こう、ノインは思わず足をとめた。  ……屋外だろうか。龍の夜目ですら天井が見えないほどの、夜のなかにあってなお濃い夜闇が広がっていた。肌に刺さるようなひやりとした空気は、夜風を思わせる。  その空間の中心で、奴もまた足を止めた。 「……レオンハルト、王子殿下だな?」  疑問符を引きずるような誰何の声に、沈黙が誰よりも雄弁に回答をしめした。 「おい、何か言ったらどうだ――」  ごとり、と、思わず詰め寄ろうとしたノインの足が、物々しい音をたてて躓いた。  落とした視線が、物言わぬ虚ろな視線と重なった。灰色の肌をくり抜いたような黒点からは血がだらりと溢れ出し、大きな顎が何かを言いたげに開かれている。  それは、紛れもなくヒトの頭蓋であった。 「なっ……!」  思わず後退したノインの足が、ぬるい水たまりを踏み抜いた。靴と足底にべったりと貼り付いた感触が、嫌でも背筋に怖気を走らせた。  ふたたび距離をはかり、後背を窺う。果たして、恐れていた挟撃はなかった。  ――あるはずがなかった。明るく口を開けているはずの出入口それそのものが、ノインの視界から消失していたのだ。  ぴちょん。  足首を包む水たまりに、ぼやけた水の波紋が輪をえがいた。息をのむばかりのノインの頬に、冷たい雫が触れた。声もあげられず、身動きもとれず、ノインは何かに縋るように、自分の頬に指先を這わせた。思いがけず粘ついた感触に指を離すと、頬と指の間に半透明の白糸が弧をえがいた。  ――水では、ない。  おそるおそる、視線を天に向ける。蜘蛛の眼のようにいびつに絡み合う複眼が、くすんだ紅色の光をたたえて、天井を埋め尽くしていた。  五月雨のごとく降り止まぬ衝撃に、ノインはもはや冷や汗が流れる感情すら失していた。 「ねえ」  だからこそ、聞き慣れたその声に、ノインは思わずぎこちない笑みを浮かべた。  ……だからこそ、振り返ってしまった。 「レベッカか? 今までどこに――」  底をつきかけた気力を振り絞った声は、哀れ半ばで弾けて消えた。  視線の先、赤黒い水場に溶けるような真紅のドレスをまとったレベッカの、黒い髪の隙間から、つい、と、血の川が流れだした。  彼女の白絹のような肌が、じわり、じわりと、赤黒い液体に染まりつつあった。 「なんで……私を置いていったの……?」  今度は、後ろから。  それを追うように、前から後ろから、果ては空から。悲痛なレベッカの声がノインを取り囲んだ。覗くのも息苦しい影の奥から、血にまみれたレベッカが次々と押し寄せた。 「痛いわ……とっても痛いわ……」 「一緒に来て欲しいって、言ってくれたじゃないの……」 「ねえ……どうして、何も言ってくれないの……?」  猫のように毛を逆立てながら、しかし竦み上がることしかできないノインへと、無数の手がのびた。 「「「ねえ……?」」」  身をよじって逃げ出したノインの襟が、長く白いレベッカの手指に捕まった。決死の抵抗むなしく、小さな体はついに引き倒された。  満ち始め押し寄せる生ぬるい血潮へと、背中から押し込まれるように。  水面と底の判別もつかない闇のなかへと、吸い込まれるように。緩やかに此岸から遠ざかる死の匂いが、ノインの鼻孔をくすぐった。  手足をのばし、懸命に水を掻くノインであったが、すべては手遅れであった。  ひとつ舞い上がる間に、ふたつ押し戻されてしまう。次々と体にまとわりつくレベッカの影たちが、もがく少年の足に絡みつき、腕を抱きしめ、視界のいっさいを黒で覆い尽くしてしまう。  やがて、感覚と自由のすべてを奪われたノインの意識は、沈みゆく体とともに、音もなく溶けて消えてしまった。  死は、彼らの敵ではない。  龍族は、死すると宝玉になる。ゆえに死への恐怖はない。  だが、恐怖そのものへの恐怖はある。殺してくれと嘆願させるほどの、精神の心の臓への集中攻撃。龍に弱点があるとすれば、まさしくそれであった。  だが、生半可な精神攻撃など、龍たちの驚異的な魔力の前では無力であった。だからこそ、その弱点は弱点にはなりえない、はずであった。 「……大丈夫かな、これ」  広大な王宮の、さして広くもない一室。  その石畳のうえで仰向けになって、全身を痙攣させ、焦点を失ったノインの瞳を、セイジが不安げに見下ろしている。 「幻覚魔法、久しぶりに使ったからなあ。加減が難しいんだよ、これ……」 「起きなければ、斬り殺せばいいさ。宝玉にさえすれば、もとに戻るようだからな」 「……物騒ですよ、レフィリア将軍」 「ふふふ、こいつらにはいい薬だろう。ヒトの倫理が理解できないのなら、体に刻み込んでやるだけさ」 「レオ兄たちは大丈夫かな?」 「安心しろ。女を無力化することにかけては、奴は超一流だ」  嬉しそうにくすくすと笑ったレフィリアをよそに、セイジは物言わなくなったノインの体を担ぎ上げて、かすかに苦笑した。  この人たちのほうが、龍よりよっぽど怖いんじゃないか、と。

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  • ちびドラゴン(えんどろ~!)

    くにざゎゆぅ

    ♡100pt 〇300pt 2022年7月18日 21時06分

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    良き哉 良き哉

    くにざゎゆぅ

    2022年7月18日 21時06分

    ちびドラゴン(えんどろ~!)
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年7月19日 1時00分

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    御礼申し上げます

    羽山一明

    2022年7月19日 1時00分

    ミミズクさん
  • タイムトラベラー

    枢(kaname)

    ♡2,000pt 〇200pt 2022年1月3日 11時25分

    あぁぁぁびっくりした……え、レベッカそんな血みどろで置いていかれたの?と素直なまでに幻術に掛かりました。ええ。幻覚ですよね、そうですよね。やり方は尽くえげつないものですが、セイジって優しいなと改めて感じました。嬉しかったです。二人の龍がどうなるのか気になります。

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    枢(kaname)

    2022年1月3日 11時25分

    タイムトラベラー
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月3日 17時39分

    セイジはノインと初対面でしたので、「よくわかんないけど暴れられると面倒だし」と少し強めに魔法をかけてしまったこともありますが、どちらかというとノインがただビビりというだけだったりして。

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    羽山一明

    2022年1月3日 17時39分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇200pt 2022年6月15日 5時43分

    本当にヤバい人達。絶対に敵には回したくないであります!

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    うさみしん

    2022年6月15日 5時43分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年6月15日 9時06分

    この作品ではこれくらいが限度です。倫理観を知ったうえでぶち抜く現代ファンタジーなどを書くと、たぶん「理性的な狂人」のオンパレードになると思います。

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    羽山一明

    2022年6月15日 9時06分

    ミミズクさん
  • メタルひよこ

    うさみしん

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年2月13日 6時21分

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    ホラー「ギャーッ」

    うさみしん

    2022年2月13日 6時21分

    メタルひよこ
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年2月13日 11時43分

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    実は狙ってました。

    羽山一明

    2022年2月13日 11時43分

    ミミズクさん
  • ひよこ剣士

    乃木重獏久

    ♡1,000pt 〇100pt 2022年1月14日 0時16分

    不審の念を抱きながらも、足を踏み出すごとに策略にはまっていくノインが哀れ。湧き出て迫る相棒の血まみれ姿に意識を散らすノインの様子は、まさしくホラーですね。龍の精神を追い込む幻覚魔法、セイジ自身が恐怖というものの神髄を知っていなければ、ここまで効果をもたらさなかったことでしょう。

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    乃木重獏久

    2022年1月14日 0時16分

    ひよこ剣士
  • ミミズクさん

    羽山一明

    2022年1月14日 2時08分

    魔力は感情の顕現ともいわれ、人間の魔法技術の成長が著しいのはひとえにこのせいです。ゆえに、もっとも多大な魔力を持ち、もっとも凄惨な過去を持つであろうセイジが放つ幻覚魔法の威力は……ご覧のとおりです。

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    羽山一明

    2022年1月14日 2時08分

    ミミズクさん

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