ジオティノスの深淵

読了目安時間:19分

第26話 深淵の住人

「あれはっ!!」  注視(ちゅうし)していなかったので私は知りようが無いのだが、カイは最初、それは小さい虫か何かだと思ったらしい。大きく移動することもなく絶えず小刻みに動き続ける(さま)は、確かに羽虫を思わせるものだったようだ。しかし徐々(じょじょ)に大きくなり、短時間で硬貨ほどの大きさにまで成長したその闇の塊は、最早(もはや)羽虫と誤認(ごにん)する域を逸脱(いつだつ)していた。 「カイ、あれは一体……?」 「ボクも見るのは初めてだけど、よりにもよって今なの?!!」  (あせ)りと、()の悪さに対する苛立(いらだ)ちが混ざり合ったような声で、それでもカイはその続きを口にした。 「多分あれが、銀の髪飾り(ティアラ)魔銀(プラタ)に変えた原因――魔素特異点(プライマルポイント)だよ」 「いや、待ってください。魔素(プライマル)は目には見えない(はず)ですよね?」 「普通ならそうだね。だから、あれはもう魔素特異点(プライマルポイント)じゃない」  魔素特異点(プライマルポイント)であるのに魔素特異点(プライマルポイント)ではない? 訳が分からない。 「さっきも言ったように、魔素特異点(プライマルポイント)って普通は空気が――っていうか魔素(プライマル)が循環しない(よど)んだ部分に出現しやすいんだよ。だからまあ見たことはないけど、地中のちょっとした隙間(すきま)なんかに出来やすいって話だよ。そのとき周りに鉱石とか動植物があれば、それに魔素被曝(プライマルハザード)を起こして直ぐに消えちゃうんだよ。魔素(プライマル)が消費されちゃうからね」 「……でしたら、この髪飾り(ティアラ)が変質した時点で魔素特異点(プライマルポイント)は消えるのではないですか?」 「たぶんネックレスも指輪(リング)も変質してると思うけど、たったそれだけじゃ魔素特異点(プライマルポイント)に集まった魔素(プライマル)が自然に消えるのにはぜんぜん足りないんだよ」  そうして話している間にも、その黒い塊は少しずつその大きさを拡げている。 「じゃあ、周りに変質させるものがなくなっても消えずに残った魔素特異点(プライマルポイント)は、その後どうなると思う?」 「どうなると言われましても……それがこの黒い塊だと言うのですか?」  私の問いに、カイは(うなず)いてみせる。  しかし、そんな風に肯定されても、私には目の前で起こっている現象が何なのか、全く分からない。それはいつの間にか起き上がってきたフォートも同じだったらしい。 「それで、これは一体何なんだ?」 「魔素(プライマル)が消費されなければ、魔素特異点(プライマルポイント)はそれまでと同じように、どんどんその濃度が高くなっていくよね。で、濃度が高くなりすぎると――どのくらいかは知らないけど――その部分が目に見えるようになる。こうなると魔素(プライマル)は空間を(ゆが)めて、別の世界との境目を曖昧(あいまい)にしちゃうんだよ――ちょうど、こんな風に」 「別の世界って何だよ? 御伽噺(おとぎばなし)に出てくる精霊の世界みたいなのが実際にあるっていうのか?」 「深淵界(アビス)――そう呼ばれている世界があるんだって。それで、そこに(つな)がるから、アレのことを深淵門(アビスゲート)っていうんだよ。まだ完全に開くまでには時間がかかるみたいだけど」  カイの言う『別の世界』に対してフォートが「何を馬鹿なことを」とでも言うような口調で反論したが、返ってきたのは至って真面目な調子の言葉だった。そうしている間にも闇の塊は(ふく)らみ続け、既にそれは人の頭ほどの大きさにまでなっていた。 「深淵門(アビスゲート)が完全に開くと、何が起こるのですか?」 「さっきも言ったように、世界の境界が曖昧(あいまい)になる――ううん、こんな言い方じゃ分からないね。深淵門(アビスゲート)はその名の通り、深淵界(アビス)とこっちの世界を(つな)ぐ通路になっちゃうんだよ。そうなると、深淵界(むこう)の連中が深淵門(そこ)を通ってこっちに押し寄せてくるんだ――コボルトの大規模侵攻みたいに」  そこまで分かっているというのに、先ほどからカイはじっと深淵門(アビスゲート)見据(みす)えながら、私たちにその説明をしているだけだ。その時間に何らかの対処は出来ないのだろうか? 「……そうなる前に(ふさ)ぐことは出来ないのですか?」 「ああやって目に見えるようになった時点で、ボクたちに出来ることは何もないんだよ――深淵門(アレ)が開き切るまではね」  カイによると、完全に開き切った深淵門(アビスゲート)を閉じる方法は2つしか知られていないらしい。  それが方法と言って良いのか分からないが、ひとつめは、自然に閉じるのに(まか)せることだ。というのも、深淵界(アビス)棲息(せいそく)する者たち――深淵の住人(アビスウォーカー)深淵門(アビスゲート)を通過する際、ある程度の魔素(プライマル)を消費するらしいのだ。そうして深淵門(アビスゲート)を構成する魔素(プライマル)が続く限り、深淵の住人(アビスウォーカー)はこちらの世界へと侵入し続けるのだ。  このとき問題になるのは、深淵門(アビスゲート)の規模と、通過してくる深淵の住人(アビスウォーカー)の強さだ。規模が大きいという事はそれだけ魔素(プライマル)が集まっているという事であり、その分同じ強さの深淵の住人(アビスウォーカー)が多数通過してくることになる。また、通過してくる深淵の住人(アビスウォーカー)が強いほど、通過する時に消費する魔素(プライマル)が多くなるらしい。どちらにしても厄介(やっかい)な事に変わりはない。  もうひとつの方法は、深淵門(アビスゲート)が完全に開き切った直後から、通過してくる深淵の住人(アビスウォーカー)(おさ)えつつも深淵門(アビスゲート)を破壊する方法だ。それがスキルでも武技(アーツ)でも、はたまた魔法でも、使用する際には自分の周りの魔素(プライマル)を消費する。つまり深淵門(アビスゲート)の至近距離でスキルを使えば、自然とそれを構成する魔素(プライマル)を消費するため、閉じるまでの時間を短縮できるということだ。勿論(もちろん)深淵門(アビスゲート)に直接衝撃(しょうげき)を与えても、少しずつ破壊できるらしい。 「それで、そこからはどんな奴らが出てくるんだ?」  闇の塊は、既にフォートが〈皮膚硬化〉で作り出す盾ほどの大きさになっていた。しかしそれはいまだに膨張(ぼうちょう)を続けており、深淵門(アビスゲート)として完成するにはまだ時間がかかるようだ。フォートはその間に()けることは極力()いておこうと思ったらしい。自分が相対(あいたい)するものの特徴(とくちょう)把握(はあく)しておきたいと思うのは当然のことと言える。そして、それに対するカイの言葉はこうだった。 「前に一度だけ封鎖指定領域(ダンジョン)に入ったけど、その時には()わなかったからね。さすがにボクも見たことがないものは説明できないよ。でも――」 「でも?」 「深淵の住人(アビスウォーカー)って、何種類もいるんだってさ。こっちの世界に陸人(トロール)獣人(リカント)小人(ディムニィ)がいるみたいに。んで、その中でもいちばん弱いやつについては、ちょっとだけ話に聞いたことがあるんだけど、コボルトなんか比べ物にならないほど強いらしいよ。どうするフォート? コボルトでもあんなに苦戦してたのに、これからもっと強いのを相手にしなきゃなんないよ?」 「どうもこうもねえ、やるしかねえだろ」 「お、言うねー」 「ただそこまで強いんじゃ、俺じゃ長くはもたねえだろ。早く始末してくれると助かるぜ」 「んー、さっきも言ったけど、ゲートが開いたらすぐに破壊しなきゃいけないんだよ。ボクはそれを優先することになるから、当然フォートには深淵の住人(アビスウォーカー)を引き付けるだけじゃなくて、その始末もやってもらうよ?」 「何だって?」  フォートは、自分が深淵の住人(アビスウォーカー)を止めている間にカイが(たお)すと思っていたのだろう。それなのに、その侵攻を止めつつも数を減らせと言われ、大きく(あわ)てていた。 「別にボクが深淵の住人(アビスウォーカー)の対処に集中したってもいいけどさ、そうなると深淵門(アビスゲート)の破壊は誰がやるの? フォートが深淵の住人(アビスウォーカー)の足止めだけをするなら、あとはエストしかいないよね? でもできるだけゲートの魔素(プライマル)を削りながら壊すとなると、エストにはゲートの至近距離にいてもらわなきゃならなくなるよ? 魔導士(ウィザード)にその距離は危険なんじゃない?」 「そりゃその通りだが――だったら、俺が深淵門(アビスゲート)の真正面で出口を(ふさ)いで、深淵の住人(アビスウォーカー)が出てこないようにしてる間にエストの魔法で片っ端から(ほうむ)っていけばいいんじゃねえのか?」 「うーん、どうもフォートは勘違いしてるみたいだね。深淵門(アビスゲート)っていうのは、方向があるわけじゃないんだよ」  カイによれば、(ゲート)などという名称がついているからこそ(おちい)りやすい誤解があるという。深淵門(アビスゲート)は、この玄室(げんしつ)に入る時に通り抜けてきた扉のような、出る方向が一定になっているものではないらしい。今この場にあるもので最もイメージが近いのは、私が出した〈トーチライト〉だ。点光源がその一点から全方向に光が放射されているのと同じように、深淵の住人(アビスウォーカー)深淵門(アビスゲート)から全方向に飛び出してくるという。 「だからゲートの前に立ったからといって、深淵の住人(アビスウォーカー)は必ずフォートの方に向かってくるとは限らない。ボクの方に来るかもしれないし、空いてるところから回り込んでエストの方に向かうかもしれない。フォートには、そうやって出てくる深淵の住人(アビスウォーカー)を、自分のところに引き付けるようにしてほしいんだよ」 「エストよりも無茶苦茶言いやがる……俺がチーム組む相手はこんなのばっかりかよ」 「私は無茶など言った覚えはありませんよ」  と、反射的にフォートに反論してしまったが、今はそんな場合ではなかった。 「ま、まあそれよりも。私はいつも通り、フォートの後ろから魔法を使います。なるべく足止めしてくださいね。それで、カイは? 問題なくゲートの破壊に集中できるのですか?」 「ボクはちょっとした小細工をするから、ちょっとくらい向かってきても何とかなるよ」 「小細工?」 「そ、小細工。でもそれ説明してる時間は無さそうだよ」  カイが目を()る方向を見ると、そこにはカイの身長ほどにまで(ふく)れ上がった闇の塊があった。それが一際(ひときわ)暗く辺りの光を飲み込んだかと思うと、次の瞬間には、全周に闇の輝きを放出していた。それが深淵門(アビスゲート)完成の合図だったのだろう。それを証明するかのように、カイの方に向かって、その刻限(とき)を待ち()びていたとばかりに何かが飛び出してきた。  体高は1メートル程度――ディムニィよりも少し高い程度だろう。(ひど)く猫背で前のめりになった上体からは、肉食獣を思わせる頭部が前に突き出され、その眼球は濃緑(のうりょく)の怪しい光を(たた)えている。両側に大きく広げられた腕は木の枝のように細かったが、その先端で枝分かれしている指先には鋭い爪が備わっている。腰から下がまた異様で、昆虫のような脚が放射状に四本伸びている。全体的にほぼ骨と皮だけのように見えるその体躯(たいく)は、まるで甲虫を思わせる闇色の光沢に包まれていた。 「――〈バーニングフィスト〉っ!」  それが深淵門(アビスゲート)から全身を現すや否や、カイは無情にも炎を(ともな)う一撃をその鼻面に叩き込んでいた。拳の威力を物語るように燃え上がりながら吹き飛ばされたそれは、深淵門(アビスゲート)(ふち)で弾かれ、玄室(げんしつ)の壁にまで吹き飛んで叩きつけられた。全周が出口という割には、ゲートには深淵の住人(アビスウォーカー)がぶつかる程度の硬度(こうど)はあるらしい。もしかしたら一方通行なのだろうか?  しかし、当然とでも言うべきなのかは知らないが、それで終わりではない。()を置かず、先ほどと同じ外見の深淵の住人(アビスウォーカー)がゲートを通り抜けて来たからだ。 「なんか出てくるのが速いなっ! フォートっ、思ったよりもいっぱい来そうだよっ! できるだけ引き付けてっ!!」 「何でそんな事が分かるんだよっ?!」 「ハンターギルドでは、コイツのことを『堕ちた尖兵(フォールンクリーガ)』って呼んでる! さっきボクが言ってた、深淵の住人(アビスウォーカー)の中でもいちばん弱いやつだよ! コイツが来たってことは、ゲートが閉じるまでずっと、コイツがイヤになるほど押し寄せて来るんだよっ!」  そう言っている間にも、カイは新たに現れた1体を炎で包み込み、弾き飛ばしていた。  一方のフォートは、目の前のフォールンクリーガに苦戦を()いられていた。()(いだ)くように両側から振るわれた〈爪撃〉が、(あわ)い光に(つつ)まれたフォートの盾の表面を削っていく。続けざまに大口を開けて噛みつく〈襲牙〉を繰り出してくるが、流石に盾の様な平面にはその牙を立てるのは難しかったらしく、牙は盾の表面を(すべ)っていく。しかし、それでも前に進み出てくる力は強く、フォートはそれを盾で押し返すだけで手一杯になっていた。  ――かのように見えたのだが。 「このっ! 〈シールドバッシュ〉っ!!」  フォートは体ごと盾を一気に引き、支えを失って前のめりになったフォールンクリーガの鼻面へと、盾を力強く叩きつけた。しかし強引に放ったその一撃では(あご)(くだ)けた程度の損傷(そんしょう)に留まり、(たお)すには至らなかった。少し動きが(にぶ)くなったように見えるが、フォールンクリーガは変わらず腕を振るいながら押し寄せてくる。そして悪いことに、その背後から更にもう1体のフォールンクリーガが姿を見せていた。 「カイ! こいつには弱点ってものは()えのかっ?!」 「頭を完全に壊すか、腰で上下に切り離すか――〈ディスチャージブロー〉っ! で、動かなくなるはずだよっ!」  フォートの叫びに、カイが更に1体を攻撃しながら答える。カイに(おそ)い掛かったフォールンクリーガは、今度は先ほどのように壁際まで飛んでいかず、その場で粉々になって(くず)れ落ちていった。  カイの言葉を聞き、私は4本脚で安定しているのを逆手(さかて)に取り、動きの無い腰骨(こしぼね)に狙いを定め、呪文を詠唱した。 「〈プリズムシュート〉っ!」  (くだ)けた結晶からは、一筋の光条が(きら)めく残滓(ざんし)()いて、急な曲線を描きながら疾走(はし)る。それはフォールンクリーガの背後から腰骨(こしぼね)へと吸い込まれていき、次の瞬間には、フォートの目の前にいるフォールンクリーガは上半身と4本の脚へと分かたれ、石畳(いしだたみ)に転がっていた。しかし、確かに身動きが取れなくなるという意味では分かたれた上半身はその場から動かなかったが、依然(いぜん)として何かに(すが)るように藻掻(もが)き続けている。これは腰への攻撃は止めた方が良いだろうと判断したその時、藻掻(もが)く上半身の頭部を踏み(くだ)きながら、新たなフォールンクリーガがフォートへと押し寄せた。ゲートを見れば、更に新たな1体が深淵界(アビス)からその姿を現し始めていた。  それとは別に押し寄せてきた1体が繰り出す左右の爪を(かわ)しながらも、カイはフォートの状況を素早く確認し、声を上げた。 「フォート、それがんばって引き付けといてっ!」  言った直後から、カイの動きはそれまでと比べて明らかに精彩(せいさい)を欠いていた。しかしそれでも、フォールンクリーガの攻撃は(かろ)うじて(かわ)し続けている。何か別の事に集中している様にも見えるのだが、もしかしたら先ほど言っていた小細工なのだろうか?  そんな私の疑問も、直ぐに氷解することになった。 「――〈ディスプレース〉っ!」  声を発すると同時に、カイの姿は(かすみ)に包まれたかのように(おぼろ)げになっていた。それだけではなく、全く同じ動きをするカイが5人いるように見えていた。それは(たと)えて言えば、乱視を眼鏡で矯正(きょうせい)している時に、急に眼鏡を取り外されたような状態だった。  月魔法〈ディスプレース〉。自分自身の幻影(げんえい)を周囲に多数投影することにより、正確な居場所を相手に(とら)えさせないようにする攪乱(かくらん)系の呪文だ。視覚情報を頼りに行動する相手には多大な効果を発揮するが、〈熱源視覚〉や〈気配察知〉のスキルを持つ相手には効果が(うす)くなるのと、広範囲を一掃(いっそう)するような攻撃の前には意味が無いことが弱点と言える。フォールンクリーガの振るう爪がカイの姿をすり抜けている状況から考えると、フォールンクリーガは視覚のみで相手を(とら)えているのだろう。そしてどうやら〈ディスプレース〉は、チームを組んでいる者に対しても同じように幻影(げんえい)を見せるらしい。  これでカイに多少フォールンクリーガが向かって行ったとしても、それを無視してゲートの破壊にある程度専念(せんねん)することが出来るだろう。しかし、それもフォートが充分に他のフォールンクリーガを引き付けてくれるのが前提条件となるのだが。  勿論(もちろん)フォートもそれは分かっていた。新たにカイの方に向かって行くフォールンクリーガに対し「そっちじゃねえだろっ!」と叫びながら(あわ)い光に包まれたショートソードを突き出したり、ゲートを抜け出した直後に自分の方を見ている1体に「おう、かかって来やがれっ!」と声を上げている。  それは同時にフォート自身を鼓舞(こぶ)し、放置しておけば私に向かってくる(はず)だったフォールンクリーガの足止めにもなっていた。私はといえば、それでも横から回り込んでくるフォールンクリーガから先に〈プリズムシュート〉を撃ち込み、フォートが止めているものにも対応していくが、呪文をひとつ放つごとに新たな1体がゲートを(くぐ)り抜けてくるという状態であった。玄室(げんしつ)には常にフォールンクリーガが5体前後居る状態が続いており、これは現状を打破できずに膠着(こうちゃく)していると言うよりは、何とか状態を維持できていると言うべきだろう。  しかし終わりが見えない。 「どれだけ出てくるんだっ! (きり)()えぞっ!」  そんな風にフォートが(たま)らず悪態をつくが、誰も(とが)めることはしない。そうでも言わないと気力を維持できないであろう事は、この場にいる誰もが理解していた。私もそんなものに反応している(ひま)があったら、その時間を詠唱に回している。  とはいえ、フォートが言うほど状況は悪いものではない。深淵門(アビスゲート)は今、その口を開いた直後に比べると、その大きさを半分以下にまで縮小しているからだ。既にそれだけの数のフォールンクリーガが(くぐ)り抜けてきたからだとも言えるが、フォートがゲート前に張り付いていること、何より、カイによるゲートの破壊が着実に成果を出しているのだろう。  本来ならば私もゲートの破壊へと回るべきだったのだろうが、それをすると、ゲートの至近距離にいる2人に呪文の余波が降りかかってしまう。だからと言って私ひとりに任せていたら、ゲートの破壊はこれほどまでに速くは進まなかったに違いない。  その時は確実に近付いている。私は目の前に迫りつつあったフォールンクリーガに光条を放ちつつ、フォートに声をかけた。 「〈プリズムシュート〉っ! フォート、あと少し耐えてくださいっ!」 「少しったって――うおあっ?!!」  光条がフォールンクリーガの頭部を粉砕(ふんさい)した瞬間、深淵門(アビスゲート)は更に新たな1体を追加した。それは盾と剣でそれぞれ1体ずつを牽制(けんせい)するので手一杯でいたフォートを視界に入れると、先に居た2体の隙間(すきま)に分け入るように殺到(さっとう)してきた。しかも悪いことに、それまでのフォールンクリーガが〈爪撃〉と〈襲牙〉しか使ってこなかった所為(せい)もあり、フォートは3体目が繰り出してきた技に対応できなかったのだ。  割り入って来た3体目は、腕を顔の前で交差した状態でフォートの目前まで(せま)ったかと思うと、それを勢いよく左右に振り広げた。それは2体からの攻撃を(ふせ)いでいた盾とショートソードを同時に大きく外側に弾き、身体の正面を無防備にさせていた。〈ガードブレイク〉が決まった瞬間だった。続いて繰り出された〈襲牙〉に押され、フォートはその牙こそやり過ごしたものの、(こら)え切れずに背中から後ろに倒されてしまった。そこにフォールンクリーガが()し掛かり、左右の爪を振るい始めた。盾と剣でそれらを弾くだけの防戦を()いられ、フォートの顔に(あせ)りの色が(にじ)み始めた。  悪い状況になったのはフォートだけではなかった。3体目の放った〈ガードブレイク〉がフォートの両腕を外側に弾くと同時に、それまでフォートが(おさ)えていたフォールンクリーガが、それぞれカイと私に向かって弾き飛ばされたのだ。4本脚のフォールンクリーガはその程度でバランスを(くず)すことはなく、そのままカイと私を新たな標的と認識(にんしき)し、(おそ)い掛かってきた。  カイは〈ディスプレース〉の効果があるため、1体増えたところで然程(さほど)影響は無いようだったが、問題は私の方だった。先ほど〈プリズムシュート〉を放ったばかりの私は新たに詠唱を始めたところであり、突然こちらに向かってきたフォールンクリーガには咄嗟(とっさ)には対応できない。  私は必死に詠唱を途切れさせないようにしながら、両腕を広げて〈爪撃〉を仕掛けてくるフォールンクリーガの脚を()り、後ろへと跳んだ。私の足がフォールンクリーガの脚を離れた直後、私の目の前を鋭い爪が交差していった。その光景に(きも)を冷やしながらも詠唱は続けていたが、着地際(ちゃくちぎわ)に足がもつれてしまい、私は石畳(いしだたみ)に尻を打ち付ける羽目になった。距離を(かせ)いだのは良いが、これでは直ぐに動くことは出来ない。  詠唱を続けながらもフォートの状態を確認すると、フォールンクリーガの4本脚の拘束(こうそく)から抜け出せず、(あわ)く光る盾と剣で〈爪撃〉の雨を(から)くも(しの)いでいた。とはいえ、あの状態では長くは持たないだろう。私の目の前にもフォールンクリーガが(せま)っているためフォートに意識を回している余裕など微塵(みじん)も無いのだが、それでも同時に呪文を2つ発動できるならば、と(せん)無い事を考えてしまう。  するとそんな時間さえも許すことなく、フォールンクリーガは私が起死回生の一手で(かせ)いだ距離を(またた)く間に無にし、鋭い爪を高く(かか)げた。振り下ろされるそれを間一髪で横に転がって(かわ)したところで、私は(ひど)く長く感じた呪文の詠唱を終えた。 「〈プリズムシュート〉っ!!」  発声し、今までと同じように結晶が(くだ)けた直後、私はそこに(にわ)かには信じられないものを見た。破片が散らばった跡からは、それまでとは違い、()()()()()(きら)めく尾を()いていたのだ。  あまりにも突然の事に、私は当初狙いを定めていた目前のフォールンクリーガにさえ、光条を外してしまうところだった。何とか意識を集中して1本の光条はフォールンクリーガの頭部へと導いたものの、その間に、何故か発生したもう1本の光条は、あらぬ方向に飛び去ろうとしていた。私は残り1本になったことでその光条の軌道(きどう)を強引に()じ曲げ、フォートに()し掛かっているフォールンクリーガの頭部へと(いざな)った。しかし飛び去っていく光条の軌道(きどう)を修正するのは難しく、それは狙っていた頭部ではなく右肩を破壊するに留まった。  それでもフォートには充分だったらしい。上から降り注ぐ〈爪撃〉が途切れた一瞬を突き、フォートは渾身(こんしん)の力で背中を跳ね上げた。そしてその勢いに乗せて―― 「喰らいやがれえええええっ!!」  左腕を大きく振り抜き、()し掛かっていたフォールンクリーガを左に大きく弾き飛ばした。勢いが()がれること無く壁に叩きつけられたフォールンクリーガは、その衝撃(しょうげき)で頭部を(くだ)かれ、そのまま動かなくなっていた。  この瞬間、玄室(げんしつ)で動き回るフォールンクリーガは、カイの周りにいる3体……いや、今またゲートを(くぐ)り抜けてきたので4体となった。その深淵門(アビスゲート)も、カイの(たゆ)まぬ努力により、かなり縮小化されていた。恐らくこのまま放置しても、新たに現れるフォールンクリーガは多くても4体程度ではないだろうか。しかし勿論(もちろん)、それを良しとするカイではなかった。  カイの周りにいたフォールンクリーガ3体のうち1体をフォートが剣で引き付けたことにより、カイの行動に余裕が生まれた。その瞬間を逃さず、カイは右手に炎を(まと)わせ―― 「〈バアアアアニングッッッッフィストオオオ〉ッ!!!」  叫びながら、それを思い切り深淵門(アビスゲート)へと叩きつけた。その一撃が決め手となり、闇の輝きを放っていた深淵門(アビスゲート)は、元からそこには何もなかったかのように霧散(むさん)していった。  恐らく、その一撃に持てる精神力を注ぎ込んだのだろう。武技(アーツ)を放った後の拳を突き出した体勢で、カイの動きは止まっていた。更に、それまで絶えず周囲に現れては消えていたカイの幻影(げんえい)が、残らず()き消えていった。後に残っているのは、無防備な状態を(さら)しながら肩で大きく息をする、カイの小さな体だけだった。  それを好機と見たのか、近くにいた2体のフォールンクリーガが殺到(さっとう)する。しかしその時には、次の私の呪文が完成していた。 「〈プリズムシュート〉っ!」  言葉の直後、私の頭上で(くだ)けた結晶からは二筋の光条が空を疾走(はし)り――それらの脚がカイに辿(たど)り着く前に、それぞれの頭部を貫いていた。それと同時に、フォートも相手取っているフォールンクリーガのうち左側の1体に向かって、やや大振りな〈シールドバッシュ〉を放っていた。その盾に横殴りにされたフォールンクリーガの頭部は半壊し、フォートの振り抜いた左腕の動きに合わせて残りの頭部が石畳(いしだたみ)に叩きつけられたことにより、フォールンクリーガは動かなくなった。  残るは右側にいる1体。しかし、疲労が極限(きょくげん)にまで蓄積(ちくせき)しているのか、ショートソードを(にぎ)る右腕が中途半端にしか上がっておらず、明らかにフォールンクリーガの〈爪撃〉を受け流す体勢にはなっていなかった。そんなフォールンクリーガの爪の一撃がフォートの右腕を貫き―― 「フォートっ!!!」  私はその光景に、思わず叫び声を上げていた。  フォールンクリーガの爪はその勢いのままにフォートの右肘(みぎひじ)を破壊し、ショートソードを(にぎ)ったままの腕を切り飛ばしていた。

体調が悪いと筆が全く進みません……それに仕事が重なると致命的です。 待っていてくださった皆様方には本当に申し訳ありませんでした。

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