それから数日後、修平はまた夜のプールで一人泳いだ。クロールだけではなく子供のころに水泳クラブで会得した四つの泳法を忘れないように必ず200m個人メドレーを泳ぐようにしている。バタフライは大海を華麗に進むエイだ。大きく両腕を広げ、一回ずつ水面にバシャンと落ちる。でっかい泳ぎで50mを泳ぎ切る。背泳ぎではターンしたあと水中をバサロで数メートル進む。そして水面に上がりながら腕の掛きも加えスピードをグッとアップさせる。その瞬間がたまらなくカッコいい。映画『インディ・ジョーンズ』で潜水艦が浮上するシーンがあるが、まさしくあの感じ。いつもあの映像を思い出す。自分が潜水艦になってしまうのだ。ブレストもターンのあとは水中深く潜行し、礼儀正しいお辞儀のように両腕をまっすぐに揃えて腿まで伸ばす。自分で自分に痺れるね。北島康介になったみたいだ。ほんとカッコいい。その後もできるだけ大きい泳ぎを続ける。今日も誰も見ていないがとにかくカッコよく決める。そしてまた桑山の家に立ち寄った。あれから10日ほど経っていた。
「今日も思いきり飛び込んだの?」桑山は前回がプールの特別な日だったことを忘れている。
「いえ、残念ながら今日は普通に飛び込み禁止です」
「あっ、そうか。この前が特別ね。で、今日のネタは何よ」
「あのあと山部祐吉の牧谿に関する本を読んだんですが、そのなかで山部は、牧谿を禅僧というよりはどちらかというと専門の職業画家だったんじゃないかと言っているんですよ」
「うん、それにも俺は反対」桑山は待ってましたとばかりに異を唱えた。現在の美術史家より一世代前の先生たちもそういう主張をする傾向にある。専門家を素晴らしい特殊人間のように奉る風潮。それは昔から洋の東西を問わず変わらない。根強く人々を支配している」
「みんな専門家に弱いですからね」
「でも、印象派の人たちは言ってみればアマチュア集団だった。後期印象派のゴッホなんか10年間しか絵を描いていない。それにもかかわらずゴッホの魅力は無限だよね。ゴッホは絵でキリスト教を伝道しようとしたんじゃないか。ゴッホは画家というより牧師だったからあんなに凄い絵が描けたんだ。近代日本画の富岡鉄斎は自分は画家ではなく神官であると言い続けた。村上華岳は『私は画家にならなかったら宗教家になっていた』と言った。ほぼ同時代の中村彝も岸田劉生もキリスト教の洗礼を受けている。専門の職業画家なんて二流なんだよ。本当に心の底から感動できる絵なんて描けるわけがない」
「そりゃまた山部祐吉と正反対の言い分ですね。山部は、牧谿は禅僧だからその絵は禅余画家の作だけれども、絵のレパートリーが広くレベルも高い。職業画家の上を行っていると述べています」
「それは禅僧だからこその間違いだよね。俺に言わせれば、禅画僧の絵が職業画家よりいいなんてのは当たり前過ぎて話にもならないよ」
「そ、そうですか。でも山部はさらに、牧谿の絵は余分な哲学や精神性などをくっつける必要のない、きわめて高いクオリティを持っているとも語っているんですけど……」
*牧谿 (1280頃活躍)《猿鶴図》国宝 (猿図)173.3×99.4㎝ (鶴図)173.1×99.3㎝ 絹本墨画淡彩 京都 大徳寺
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