人生が変わる音

読了目安時間:5分

エピソード:6 / 6

小早川 優太

小早川 優太

山のようにそびえ立ったショートケーキの絶壁を前に、優太を息を飲んだ。 真っ白の壁だと思っていたものは、生クリームの断面で、その間に所狭しと並べられているのは大きな苺だった。 飲み込んだ唾が喉を鳴らす音が耳の奥で響いた。大好物のショートケーキが、見た事のないくらいの大きさで自分の前に佇んでいる姿にただただ圧倒される。 そして何よりもワクワクが止まらない。 優太の背を悠に越えるサイズのフォークを両手で慎重に持って、優太がショートケーキを切り始める。 その刹那、ショートケーキの頂上よりも遥か上、まばらに空に佇む雲の間から声がした。 それは神のお告げのようでもあり、またそれは優太を起こす母親の声でもあった。 「優太!起きて」 現実よりも現実感のあった夢の世界が崩壊を始める。夢の世界の欠片が虚空へ零れ落ちて行くのを呆然と見守りながら、優太は目を覚ました。 「やっと起きた、おはよう」 目を覚ましたばかりの優太に向かって、エプロンに身を包んだ母親が声をかける。 「おはよう」 優太は少しだけ照れくさそうに返事をする。 燦々と照り返す朝の陽光が、カーテンの隙間から優太の部屋を照らし出す。 優太が中学生に入学する少し前、これまで住んでいたアパートからこの一軒家に引っ越してきた。家の周りには沢山の観葉植物が植えられ、晴れた日の午後には眩しいくらいに光り輝く白い外壁。友達が家に来た時にあげる感嘆の声や、羨望の眼差しがとても誇らしかったし、何よりも優太はこの家が好きだった。 「朝ごはん出来てるよ」 と母親に声をかけられて、まだ寝ぼけている目を擦って階段を下りる。 美味しそうな、肉の焼けた食欲を唆る匂いがリビングから漂ってくる。優太は階段を降りてから、リビングへと続いているドアをゆっくりと開けた。 「おはよう、優太」 父親はテレビに向けていた目を、こちらに向けて言った。 優太は父親の表情を見て、僅かに顔を綻ばせる。それは、見落としてしまいそうな程の僅かな表情の変化だった。 普段は仕事が忙しく、中々顔を合わせる機会がない父親が居ることが、優太は何よりも嬉しかった。 今年、小学三年生になった優太は、そんな気持ちを口に出したりはしなかったが、その表情や声から両親への気持ちは伺うことが出来た。 母親が呼びかけると、朝のニュースを見ていた父親はソファから腰をあげて、リビングの中央に置かれたテーブルへと着席した。 日曜日の暖かな陽光が、薄いレースのカーテンをすり抜けてリビングを照らし出す。 僅かに開いた窓から心地よい風が優太達の間を吹き抜ける。 「続いては、『人生が変わる音』で有名の、木村敏文先生の最新作の紹介です」 テレビに映ったアナウンサーがそう告げると、朝ごはんを運んでいた母親と、今まさに椅子に座った父親が即座にテレビの画面に目を移す。 まるで、少年のように二人は目を輝かせて、テレビの画面を眺めていた。 そして、二人は目を合わせるとどこか幸せように微笑んだ。 一体、どうしたのだろうか。 優太が不思議そうに二人の様子を眺めていると、父親が口を開いた。 まるで長年の秘密をこっそり教えてくれるように、父親は小さな声で言った。 「今、テレビで紹介してくれていた木村敏文先生。俺が子供の頃から大好きな作家さんなんだ」 「へ〜、そーなんだ」 優太は少しだけ拍子抜けしたように、間の伸びた声で答えた。 「それで二人は目を合わせてたの?」 優太は二人に純粋な目線で聞いた。 「実は、あの作家さんはね、お母さんとお父さんが付き合い始めた事に、深く関わっているのよ」 母親は、そう言うと少しだけ照れ臭そうに笑った。二人の出会い。それは、これまで聞いた事のない話だった。 まだ小学生の優太にとっては、両親はずっと一緒にいるとさえ思っていた。 二人に優太と同じ子供の時代があったことなんて、想像も出来なかった。 そんな二人の出会いに、テレビで紹介されるような作家が関わっているとはどういう訳なのだろうか。 優太はその話の続きがとても気になった。 「どういうこと?その話、もっと聞かせてよ」 優太がそう言うと、父親と母親はまた顔を合わせて楽しそうに笑った。 朝ごはんを運び終えた母親が席に座った。 四角いテーブルに、優太と母親が隣り合わせに座っている。 そしてテーブルを挟んで向かい側に父親が座っていた。 「そうだな、じゃあ今日は優太が産まれる前の二人の話をしようか。けど、その前に朝ごはんな」 父親がそう言って、手を合わせた。 「そうね、朝ごはんを食べてから」 母親もそう言って手を合わせるので、優太は先が気になって仕方無かったが、二人を真似て手を合わせた。 「いただきます」 三人の声が重なった。 小早川家の朝が今日も穏やかに始まろうとしていた。 朝ごはんを食べ終わると、父親はある一冊を本を持って優太に語り始めた。 その本のタイトルは「人生が変わる音」。 昔から家にある本のはずなのにとても綺麗で、新品のような輝きがあった。 優太はその本を手に取ると、荘厳な雰囲気を醸し出す大きな鐘が描かれた表紙をめくった。 表紙をめくると、新品のようでありながらもどこか昔懐かしい匂いがした。 優太はその表紙をめくった一ページ目に、ある書き込みを見つけた。 そこには木村敏文先生のサインが描かれていた。 「あ、サインだ」 優太はそう言うと、父親は少しだけ誇らしげな表情を浮かべた。 しかし、一体なぜこの本を見せてきたのだろうか。 二人とこの本はどんな関係あるのだろうか。と優太が頭に疑問符を浮かべていると、父親がゆったりとした口調で話し始めた。 「『人生が変わる音』。この音を、お父さんが聴いたっていったら優太は信じるか?」 あまりにも唐突な質問に優太が困惑していると、父親は続けて言った。 「今から話すのは、お父さんがこの本に描かれているサインを貰った日の出来事だ。そこで出会ったあるタクシーの運転手が、お父さんとお母さんの運命を変えたんだ」 そう言うと、父親は優太の頭をポンと撫でてから、話し始めた。 二人の出会いの物語を。 一人のタクシー運転手の物語を。 「タクシー運転手の名前は加藤 優一。実は優太の優 はこの人から取っているんだ」 そういって、昼ごはんの完成と共に母親に呼ばれるまで、優太は二人の、そしてタクシー運転手の物語を聴き続けた。

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