顔のわからない幽霊

読了目安時間:10分

エピソード:5 / 6

時計の針は回る。 君の残り時間は××。 君の残り時間は―――――。

「僕と結婚してください」  病院でエルヴィスがそう言うと、リエナはとてつもない衝撃を受けたのかごほごほと盛大に咳き込みだした。 「エル。やっぱり頭打ったんじゃないの。それも重傷の強打」 「たんこぶだけだから大丈夫」 「正気なの。今日は嘘をついてもいい特別な日じゃないわよ」 「正気だよ」 「幽霊と結婚だなんて、馬鹿じゃないの」 「別に幽霊と結婚しちゃいけない法律なんてなかったと思うよ。それにリエナは僕より年上だから、問題ないはず」 「私、歳の割にはチビだし貧相な体だし……」 「僕は好きだよ」 「結婚指輪もはめられないし、キスもできないわよ。赤ちゃんもできないし、何より、変な人だって思われるわよエルが」 「構わないよ。そういう形式がなくたって、好きだって気持ちが伝えられるのならそれでいい。人の目も気にしない。君がそこにいて、姿が見えて、僕が傍にいることを許してくれるのなら、僕はこれ以上は望まないよ―――――あ、でも」 「でも?」 「理想の旦那さんってどんな感じなのか、よくわかってないってことに気づいてしまったよ」  その言葉にリエナはしばしきょとんとして、やがてぷっと吹き出してしまう。 「エルが旦那さんで私が奥さん。何だかとっても変ね。特に旦那さんのエルっていうのが」 「そうかな」 「ええ、とても私達らしいかも」  リエナは笑う。とても可愛い笑顔を浮かべているような気がした。 「いいわよ。なってあげる。貴方のお嫁さんに」  そして二人で静かに教会で誓いを立て、二人だけの結婚式をあげた。  どちらも変わらない普段着のまま、誰もいない礼拝堂でひっそりと愛の告白をした。  光を透かす色鮮やかでいて繊細なステンドグラスの下、笑い合う。 「ドレスを着たリィは見たかった」 「そこは想像で補いなさいよ」  タキシードもウェディングドレスも無いけれど、寂しくなかった。  重ねた唇は感触も体温も感じないけれど、お互いの存在がここに在るということを実感できた。  充分に満たされた。  祝福の鐘は鳴らずとも、二人は結ばれる。 「君の顔を見つけるまで君を愛します。見つけた後でも、忘れません」     ◆  あれから、どれほどの月日が流れたのか。  数えきれないほどの思い出は人生の旅路の軌跡そのものであり、本の一冊だけではまとめきれない。  どの過去も忘れることなく、埋没することなく、心の内にあった。  時代は進み、少しずつだけれど世界は着実に進歩し、変化していた。  発展を遂げる文明は新たな技術を生み、列車の走る速度は上がっていく。街の様子も移り変わり、目に映る風景も色を変えるように組み替えられていく。  庭に植えた木が育っては豊かな緑葉を茂らせ、枝に立派な実をつける。  だんだんと老朽化していく家屋。新しく建てられる民家。  顔ぶれは徐々に入れ替わるように変わっては増え、減っては変わっていく。  馴染みのあった世界の雰囲気が変わる。  歳を重ねれば重ねるだけ、老いていく。時が刻を刻むたびに生まれ変わり、失っていく。  エルヴィスは、リエナの顔をひたすら探している。  あまり広くないアトリエは探し求めている顔の絵でいっぱいになり、それでも尚描き続けていた。  滑らかだった手にはいつの間にか皺が刻まれ、硬く強張り出してきたのはいつからだっただろうか。  絵の具の香り。紙の香り。室内の独特な木の香り。ここに存在するあらゆる香りが馴染み、もはやありふれた空気の一部になるほどに、彼はここで絵を描いていた。描き続けていた。  描く。描く。呼吸をするように無我夢中に、一つの世界を描き出す。探し出さなければならない唯一の物を手に取るために、懸命に筆を走らせる。左腕はもはや、彼の生き様の象徴であり、心臓よりも大切な部位であり、全てを繋ぎ止める手であった。 「最初から右腕がなかったように思えてきたよ」  右腕を失う前よりも、長い時を越える。  そんなエルヴィスをリエナは見守るように、いつだって傍にいた。  お互いに口を開かなくとも通じ合える何かが、そこには絆のように強く結びついていた。 「今でも右腕を失くしたことは、悲しいの?」 「悲しくないよ」  年中の長袖に通された虚ろな〝右腕〟にそっと触れたリエナは、「右腕だけが幽霊になるなんて都合の良い話、さすがにないわよね」と切なげに言った。 「右腕だけが幽霊になったら、今度こそ君と手を繋げるね」  そんな冗談が言えるほど、二人は共にいた。共に在った。  時計の針はくるくると、無音の時の知らせを伝える。    今は何年の何月の何日の何時の何秒?―――――出会ってからの時間を数えられなくなるほど、長針は短針は重なり合っては離れ続けた。   ◆ 「エル。お祭りに行きましょう。いつまでもアトリエに籠ってないで、たまにはお外に出たほうがいいわよ」  ある時のこと、急かすリエナにそう促されたエルヴィスは「そうだね」と微笑し、ゆっくりと椅子から立ち上がり、傍に置いていた杖を手に取った。古びた上着を羽織り、帽子を被って外に出る。久しぶりの海風がどこかくすぐったい。  街のほうからは騒がしい人々の歓声や笑い声が響いてきている。 「もうお祭りの季節なんだね」 「エルったら、日付の感覚吹っ飛び過ぎ」  穏やかな街は昔よりも活気づいて、毎年恒例行事でもある祭りが年々華やかさを増してきている。  街中を飾る花々やリボン、軒を連ねる屋台。笑顔で道を行きかい、すれ違う人々。エルヴィスとリエナはそんな人々の中を散歩をするように歩いていく。舞う紙片の花吹雪はそれこそ雪のようで、太陽の光を浴びて白く輝いている。それらが石畳みに積もれば、季節外れの雪景色が完成されていく。 「転ばないように気をつけなさいよ。エルはいっつも注意散漫なんだから」 「うん。ありがとう。気をつける」  甘い焼き菓子の香り。色とりどりの花飾り。民族風な衣装。軽快な音楽。祭りの時だけは街の様子は一転して、別世界になったようにさえ思えてしまう。人々も街も化粧をして、一日限りの祝い事を満喫するかのように夢と光を振りまく。多種多彩の彩光。  歩く先でエルヴィスの名を呼ぶ者がいれば、エルヴィスは微笑んで手を振り返した。  有名な画家として名を馳せるようになったエルヴィスのことは、今では街の誰もが知っている。  とても、長い時間が過ぎた。  とても、長い時を生きたような気もするし、ここまで来るのに一瞬だったような気もする。  体感時間が短くとも、全ての時の流れはどこまでも平等で、世界は変わりゆく。   リエナの容姿はいつまでも変わらない。  相変わらずの〝無個性顔〟のまま、エルヴィスの隣に立っている。  エルヴィスは随分と年老いて、茶髪はほとんど白に色が抜け、杖無しでは歩くのが困難になっていた。  一緒に旅をしたのは何年前のことだろうか。  結ばれたのは何十年前のことだろうか。  幾つもの尊い記憶が写真のようになっては脳裏に焼き付き、映写機によって投影されるように蘇る。  共に寄り添い、当たり前でいてかけがえのない日々を過ごしているのは今も変わりないが、全ての始まりの地点には何十年前に立っていたのだろうか。  何年も何十年も経過したが、未だにリエナの顔は見つからない。 「君の顔を、一刻も早く見つけ出さないとね」  絵の仕事を受け付けるのを止め、エルヴィスがリエナの顔を探すことだけに専念するようになったのは、いったいいつからだろうか。 「エル。あのね」 「どうしたんだい」 「……何でもないわ」  楽器の音色と誰かの歌声が調和する空間で、リエナは触れられない手でそっとエルヴィスの左手を握った。  もう残りの時間が限られてきていると、お互いに悟っていたのかもしれない。   ◆  エルヴィスが病を患い、医療所で入院するようになったのはそう遅くはなかった。  絵の具の匂いの代わりに鼻につくのは、薬品のいかにも清潔そうな匂いであり、全然違うはずの物同士だというのにつんとした刺激臭はどこか酷似している点があると、エルヴィスはリエナに話した。   「エルは、おじいちゃんになってしまった。私は、昔と変わらないのに」  自身の透けた手を見下ろしては、リエナは複雑そうに笑った。  真っ白なベッドの真っ白なシーツに身を横たえ、真っ白な毛布の上に力無く置かれているエルヴィスの手はごつごつとした硬岩のようで、おまけにくしゃくしゃに丸めた用紙のような皺や細い血管が浮き出ており、どこからどう見ても年寄りの手をしている。それも手だけではなく体中が。  これまでの人生が充実していたのか、多忙だったのか、過酷だったのか、有意義だったのか。若い頃の面影を僅かに残している老人は、たくさん努力し、苦労し、そして乗り越えた証をその身に残していた。 「リィの手はいつも綺麗だね」 「当たり前よ。生前はお手入れを欠かさなかったし」  年老いたエルヴィスと比較すればリエナの肌は若々しく、皺も無ければ染みも無く、白髪も無い。陶器のように滑らかな肌に、ほっそりとした体。若さの全てをここに体現したかのような姿に保たれている。  幼かったエルヴィスと出会った時と、変わらぬ姿のままここにいる。  少年は成長し、青年になった。  青年は成長し、初老になった。  青年は成長し、老人になった。  今後、行き着く先はどこになるのだろうか。 「昔のエルは髪の毛も濃い紅茶色で、肌も白くて背も高かったのに、今じゃ他のおじいさんと見分けがつかないくらい老けちゃって」 「そんなに僕は老けたかい?」 「自分で鏡を御覧なさいよ。よぼよぼとまではいかないけれど、ちょーっぴり素敵なおじいさんしてるから」 「ははは。そうかい」  照れくさそうにはにかむエルヴィスに、リエナはぼそりと呟いた。   不意に、開けた窓から優しいそよ風が入り込む。  「―――――エル。私は昔、父様と母様と一緒に暮らしていたの。いつも皆笑顔で、幸せだった。多分、世界一幸せな家庭だったと思うわ」  それは、遠い遠い昔、エルヴィスが生まれるよりもはるか昔の過去の話だった。 「でも父様は私を庇って事故に巻き込まれて死んでしまったの。私はその時のこと、つらすぎて忘れてしまった。母様は私をひどく責めたわ。お前のせいであの人は死んだのよ!って。私は父様似だったみたいだから、そんな顔で見るなって言われたこともあったわ」  今まで一度たりとも話したことの無かったリエナの昔話を、エルヴィスは黙って聞いていた。  私は自殺だったのと、ぽつりと呟いた。 「結局母様はおかしくなって、私を置いて死んだわ。だから私も後を追いかけたの。私も死ねば、父様と母様は許してくれるんじゃないかって、もう一度皆で仲良くできるんじゃないかって本気で思って疑わなかった。だけど死んだら私は幽霊になった。父様と母様にはまだ会えてない。だから、寂しかった。寂しかったけれど、今までエルが傍にいてくれたから、私はここまでやってこれたのよ」  リエナは少々気恥ずかしそうに微笑した。〝無個性顔〟に、もしかしたら仄かに赤みがかかったのかもしれない。 「エルは私の友達になってくれた。家族にもなってくれた。私の寂しさを埋めてくれた。そして、私の顔を探してくれている―――――一瞬でも〝こんな顔失くなってしまえ!〟なんて思ったからいけなかったのかしら。だけど、私は私の顔が好きだったのよ」  そこまで話してから一旦口を閉じ、しばらく間を開けてからもう一度話し出す。 「……エル。死んだ人の魂は本当に星になるのかしら。あの空の向こうには、何が待っているのかしら」  リエナは窓の外に目を向ける。  二階建ての医療所からの景色はなかなか良いもので、澄み渡った雲一つない蒼穹と悠久の海が一望できた。二つの青は決して重なることはないが、寄り添うように天と地からお互いを支え合っている。  太陽の光が水面に反射しては、真珠の粒のように瞬いては、真昼の星空を作る。  空の彼方を仰ぎ見ても、どこまでも抜けるような青しか見えない。  終わりなどない。終わりなど、見たくない。 「ねぇ、エル。貴方は死んでしまうの?」  ぽつりと、リエナは洩らす。  その先の〝結末〟を恐れるかのように。 「うん。いつかは、死んでしまうのだろうね」  僕は生きていて、生き物はいつか必ず死ぬのだからと、エルヴィスは言う。  その先の〝結末〟を決意するかのように。 「悲しいことを言うのね」 「昇っても、いつかは沈まなければならないからね」  それはまるで太陽。月。  リエナは、何も反応しなかった。  その代わりにエルヴィスの左手に自身の手を重ね、そのまま顔を伏せる。  頑なに顔を上げようとしない彼女に、エルヴィスは優しく囁いた。  「リィ。大丈夫だよ。僕は、顔を描くのをやめないよ。まだ、ここにいるよ。最後まで―――――君の顔を探すことが、僕の人生の課題だからね」  エルヴィスは笑い、リエナは、笑わなかった。  死んだら、星になるのだろうか。  死んだら、光になるのだろうか。  死んだら、闇になるのだろうか。  死んだら―――――どこへ消えてしまうのだろうか。  誰かの時間が止まり、命が終わり、眠りにつくまで、残りの時間は僅かとなっていた 「―――――君の笑顔を、見つけなくちゃ」

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