辺境夫婦善哉-ひきこもり雪獅子公と陽気な嫁様-

読了目安時間:18分

エピソード:19 / 45

第十八話

 ずっと心に残り続けている。 「強くありなさい。貴女(あなた)が持った力は、必ず貴女が生きる上で、貴女や貴女の大切な人を助けてくれるはず」  マイラが、父が再婚し弟が生まれてからも勉学や馬術、剣や弓の鍛錬を続けていたのは、幼い頃に没した生母のこの言葉があったからだ。  学ぶといっても、師はいなかった。  父はマイラが望むならとそうなってくれそうな人物を探してくれて、二人で直接頼みに行ったりもしたが、遠回しに傍流の姫など所詮国の道具のようなもの、学問など修めさせても無駄だと断られ続けた。剣や弓など尚更のことだった。お姫様の遊びと決めつけられて流された。  仕方がないので、多忙な父を(わずら)わせないように一人で何とかしようと思った。  家にある本は勿論、都に行ったときに買った本、取り寄せてもらった本などを読みあさったり、頼み込んで父の仕事を(そば)で見ていろいろなことを覚えた。  棒きれを振り回したり自作したいびつな弓で的当てしていたのを見かねた父が、マイラでも使えそうな品を揃えて、自分はそんなに得意ではないと言いながらも基礎的な構えや動きのみだが教えてくれた。それを携えて野山を駆け回り、どう使えばいいのか何となく理解していった。  全て、ほとんど、我流だ。  きっとこれはとても非効率的で、()()()()()()()()人からみれば本当に「全然」「まだまだ」なのだろう。  それでもマイラは、やっていてよかったと思った。  父についてファンロンの都に行くと、日に焼けた肌の色や決してほっそりとはしていない手足、華やかさの感じられない男子のような話題を口にするさまを、揶揄(やゆ)嘲弄(ちょうろう)されることもままあった。  それを知りながらも自由にやらせてくれた父にも、やや苦い顔をしながらも決して止めるようなことはしなかった母にも感謝している。  着飾りにこにこしているだけの姫君であったなら、今頃は目の前にいる黒い獣になすすべもなく食い殺されていたはずだ。  呼吸を整え、もう一振りの剣との距離を確認し、すぐ目線を黒牙獣(ワラウス)に戻す。そういえば、明るい場所でじっくり見るのは初めてだ。以前ツァスマ領内の男衆と共に黒牙獣を追い払ったことがあったが、薄暗い森の中、しかも遠目からではどんな獣かよくわからなかった。体付きはスニヤ──雪獅子(ルイツ)よりも一回り小さい。 (傷を……深くなくても、何度か付けられれば……)  目や首を狙えればいいのだが、今手元にあるのは弓ではなく剣。流石に難しいだろう。とすれば――足。  マイラの頭を噛み砕こうと、黒牙獣が跳躍した。少し低い位置から、 「せぇいっ!」  剣を振り上げると、ぎゃあ、と悲鳴のような鳴き声が響く。見るからに筋肉が発達しており硬そうな体に剣がはね返されそうになったが、手応えは確かにあった。即座に振り返って構え直しながら様子を見ると、右後ろ足から血が滴っている。しかし思っていたよりは傷が浅いようで、足取りは先程とそう変わりない。 「もう一撃……」  同じ足に入れられれば、動きをある程度抑えられるはず。狙いを定め、集中する。  すると、 「つまらん!」  アルマトが(わめ)いた。 「カルネの舞いと全然違うではないか!」  マイラは構えを解かぬまま言い返す。 「ですから申し上げたではないですか! 私には舞いの心得などありません! まして黒牙獣を仕留められるほどの腕前でも……ぅわっ」  黒牙獣がまたマイラを狙って跳んだ。咄嗟(とっさ)に避けるが、爪の先がかすっただけのはずの(そで)が派手に裂ける。軽い布地であまり重ね着をしていないので何とか動けてはいるが、貴人の邸宅を訪問するための装いは剣を振り回すには適していない。靴も茶角鹿のやわらかい革製であるものの、いつも外で活動するときの履き慣れたものではない。上手い具合に黒牙獣に傷を負わせたとしても、不利なことには変わりない。  切っ先を黒牙獣に向けたまま、呼吸を整え直しながら、素早く帯を解いて一番上の薄い布地の上着を脱ぎ捨てる。本当は帯を使ってたすき掛けしたかったし長い髪もまとめ直したいところだが、そんなことをしている隙にまた飛び掛かられたら確実にやられる。  若い娘の決死の姿に、龍は我が子を頭に乗せたまままた首をもたげた。 「アルマト。これは、よくない」 「すまないな親父どの。カルネのような美しい舞いは見せられないようだ。あれだけ剣を使えてカルネにも似ているのにな」 「あの娘はカルネではない」 「知っている」 「カルネであっても、黒牙獣は倒せない」 「キクロは倒した。あれより幼い時分に」 「あの、娘は」  金色の目を細めて。 「お前の弟子とも違う。術が使えない。剣の腕もお前の弟子に比べれば児戯(じぎ)」 「だから何だ」 「あの娘に何かあれば嫌われるぞ。トウキにも、ゲンカにも」  龍の言葉に、アルマトの顔が強張った。 「それ、は……」 「普段のお前なら、あそこまではしない。何を(いら)ついている、アルマト」 「…………別に、何も」  龍の娘は、猛獣と何とかやり合う息子の妻に不愉快そうな目を向けた。      ◎     ◎     ◎  目の前にふよふよと浮かぶ(たま)のようなものに向けて、将軍ゲンカは(うなず)いた。 「報せて下さったこと感謝する、オーギ隊長」  珠に映る髪の長い男はにこりと微笑む。 「早く行って差し上げて下さい。でないと我が師が癇癪(かんしゃく)を起こしてしまいます」 「それは困るな」 「恐らく困っているのはあちらでしょう」 「困る? あのアルマトが?」 「はい。今の師は少し不安定です。違和感があったので改めて残留していた師の気をリネアと読み直したのですが、昨日の謁見で外していたのも、そのせいかと。……心当たりはございませんか、ゲンカ様」  トウキやマイラではなく、まるでアルマトを案じるような言い方――あぁ、と溜め息を漏らすように、ゲンカは笑う。 「成程。これは『家族の問題』だな。わかった、すぐに向かおう」      ◎     ◎     ◎  マクト山は聖地とかそういう類のものではないただの山だ。しかし強い力を持った龍が居座りねぐらにしているというだけで影響を受けているのか、奥に入っていくほどに空気の変化を感じる。入山が禁じられているわけでもないのに誰も寄り付かない所以(ゆえん)だ。  そんな中を、雪獅子スニヤは物怖じせずに駆け上っていく。背に乗せた主人と、この山の主の間に同じ匂いを感じ取っているのかもしれない。時々ちらちらとトウキを気にする素振りを見せる。 「そうか、お前は怖くないんだな。ここは俺の爺さまの住処(すみか)。お前の……曾祖父(ひいじい)さま、に、なるのか?」  両手の上に乗ってしまうくらいに小さな頃から育てているから親代わりのつもりではあるが、兄弟のような感覚もあり、相棒とも思っている。  そんなことを考えていたら、先程自分で言った言葉を思い出した――「家族の問題」。 「……お前も俺の家族だな、スニヤ。そういえば爺さまに会うのは初めてか、ちゃんと紹介してマイラを連れて帰……マイラ…………この場合マイラはお前にとって何になるんだ?」  疑問を呈したことにより、スニヤが振り向きながら足を止めてしまった。 「あ、いや、止まらなくていい。すまないスニヤ、何でもない」  慌ててトウキが前進するように首元を叩くが、スニヤは走りだそうとして踏みとどまる。低く小さく唸っている。恐れているというよりも、威嚇しているように見える。 「スニヤ?」  呼び掛けると、長い尻尾を使って自分の体を叩き付けぱしぱしと音を立てている。スニヤがこうするのは、警戒するように知らせているときだ。山頂の方を見つめて、鼻をひくつかせている。 「母上……?」  思い当たることといえばそのくらいだ。山に足を踏み入れて時間が経っているのだから、そこら中に満ちている(あか)き龍の気に対するものではないだろう。  が、アルマトが乱心しているようでもない。彼女は大陸随一の腕を持つといわれている術士、そんなことになっていたら()()とわかるはずだし、龍であるトウキの祖父の気に怯えなかったスニヤがトウキの母で半人半獣であるアルマトの気配を察しただけで敵認定するとも思えない。 「何かいるのか、スニヤ」  ぐうぅ、と返事をするように(うめ)く。スニヤ――雪獅子ほどの獣が気にするものが、この先にいるのか。  スニヤを(なだ)めるように後頭部を撫でながら、耳をそばだてる。  上から流れてくる風に乗り、枝葉の揺れる音に紛れて微かに聞こえる。  金属が何か硬いものとぶつかるような音。  聞き慣れた若い娘の声。  マイラが、剣を取っている? 「行くぞスニヤ、マイラを助ける」  改めて首元を叩いて促すと、奮起するかの如く一声()えて、スニヤは駆け出した。  別の獣の雄叫びが聞こえた。マイラと黒牙獣は互いに目線を外し、周囲を伺う。声の大きさからして、そう離れてはいない。 「スニヤ……?」   そんなまさか――マイラは思い直して再び黒い獣を注視し構えるが、当の相手はマイラなど眼中になくなったかのようで、うろうろと声の主を探っている。  気のせいではない、近くに何かいる? 「祖龍様!」  声を掛けると、赫き龍はふぅん、と息を吐いた。 「お爺様と呼んでくれ。そのほう、我が孫の妻なのであろう? 孫の妻は孫も同然」  想定外の気安い言葉にマイラは困惑すると同時に義母との血の繋がりを感じた。その義母はというと、龍の頭の上に座したまま何やらそっぽを向いている。  彼女の様子も気になったが、思い切って、 「あ、はいっ、えと、お爺様っ」  呼んでみると、 「うむ」  龍は満足そうに応えた。無礼と思われていないのならいいのかな、マイラは自身に言い聞かせる。 「あのっ、ひとつ、お訊きしたいことが」 「うむ。言ってみろ」 「ここには雪獅子が棲んでいるのですか?」  そんなはずはない、それはマイラもよく知っている。雪獅子の被毛が真っ白でふわふわとしているのは、冷たい雪の中に紛れるためだ。クォンシュの都は滅多に雪は積もらないと聞いているから、さほど離れていないこの山も例外ではあるまい。 「雪獅子。いや? あれはもっと高く雪深い山のものだろう。このような街に近くて低い山には棲み着かんよ」  案の定の返答。そう、わかっていたはずだし、当然の返しだ。 「じゃあ」  『こんなところにいるはずがない』。  それでもあの声は、絶対に聞いた覚えがある。  『ここにはいない』。  しかしそう遠くない場所には確実に一頭いるのだ――連れてきたのだから。  となれば、可能性は一つ。 「そうだな、今の声は」  今の声は、やっぱり。  そう思ったときだった。 「マイラ!」  名を、呼ばれた。  聞き慣れた男の声。  気付いた瞬間には既に、あたたかく強い力が体を締め付けていた。  立っていたはずなのに、何かの上に座っている。しかも高い場所に移動している。急に開けた視界、ここは森の中ではない。最初に立っていた岩の上だ。 「怪我は、ない……ようだな」  心配と安堵が入り混じる、今にも崩れてしまいそうなその声は。  手から剣が落ちる。  ゆっくり見上げる。  下にいる龍と同じ金色の目。龍の体と同じ赫い髪。  あぁ、そんな。だって知らないはずなのに。  張り詰めていたものが解けていく。  自分を抱きかかえるその存在に、思い切りしがみつく。 「だ、んな、さま」  妻としてしっかり夫を支えなければ。マイラは嫁いでからずっと、そう思っていた。  だが今は、そんな考えはすっかり吹き飛んでしまい、ただ幼子のように泣きじゃくるだけだった。      ◎     ◎     ◎ 「これはまた随分な嫁いびりですね、母上?」  トウキは未だ龍の頭の上にいる少女の姿をした母に呆れと怒りが同量含まれた眼差しを向けた。 「百歩譲って力を試そうとしたのだとしても、よりによってあんなものをけしかけるだなんて。龍女アルマトともあろう者が、相手を見誤るなど笑い(ぐさ)にも程があります」  アルマトは応えるどころか目すら合わせようとしない。 「母上!」 「知らん」 「『知らん』、ではないのです!」 「旦那様」  ずっと肩を抱かれているマイラは、苦笑しなから夫を宥める。泣き()らした目の周りは擦りすぎて赤くなっているが、もうすっかり落ち着いている。 「もうよろしいではないですか、無事だったのですから」 「いいはずがないだろう!」  珍しく強い語気にマイラは少し驚いた。それだけ心配していたのだから、そうなってしまうのも無理はない。先日のチェグルでの一件もある分尚更のことだ。 「お前は気楽に考えすぎる。母上もだ。黒牙獣なんて俺だって相打ち覚悟でなければ勝てない、剣も術も自在に使えるキクロ兄さんとは違うんだぞ」 「……ごめん、なさい。勝てると思っていたのでは、ないのですが」  しゅんとする妻にトウキははっとして慌てた。 「あ、いや、すまない、責めているのではなくてっ、ただあんなものが相手ではっ」  例の黒牙獣(あんなもの)はというと、現在少し離れたところでスニヤに遊ばれている。本気でかかっていっているつもりらしいが、雪獅子の方が体が大きく、力も素早さも格段に上なので相手になっていない。  対するスニヤは無邪気なもので、獣が相手になるのが嬉しいのか、楽しそうにくるくる回ったり飛び跳ねながら誘い、腹を立てて食らい付こうと飛び掛かる黒牙獣を軽く避けては首根っこをぱくりと(くわ)えて放り投げ、また遊びを求めている。  そんな獣たちを、赫き龍は興味深そうに見つめる。 「あれが、お前の子飼いの雪獅子か」  トウキもスニヤの方をちらりと見て笑う。彼に任せておけば黒牙獣がこちらに向かってくることもないという信頼もあるが、何よりはしゃぐ姿が見られるのが嬉しい。まだ成獣というまで育ちきっていないのかもしれないとはいえ、拾ったときとは比べものにならないくらいに大きくなった。ヒトの身では本気で構ってやれない。 「優しく賢い子です。名はスニヤと」 「雪の女神に(つか)わされたのだな。見たところオスのようだが」 「あ、えぇと、それは、はい」 「そうか、妻と、お前の子か。よく連れてきてくれた」 「はい」 「こんな喜ばしい日だというのに、」  龍は頭の上でふてくされたような態度でいるアルマトに向けてか嘆息した。 「お前という子は、全く。我よりもヒトと共にいる時間が長かろう、まだ馴染めていないのか」 「うるさいぞ親父どの。我は龍女アルマト、龍でありヒトであり、龍でなくヒトでもないもの。そうそう慣れ合うと思うなよ!」 「確かにお前は龍とヒトの間に立つ者。お前の在り方は幾度も教えてきたが、慣れ合えと言っているわけではない。それはお前もわかっているはず。……まぁ、此度(こたび)愚行(ぐこう)は致し方なきことではあろうがな」  祖父ののんきな言いようにトウキは唖然(あぜん)とした。 「致し方ない!? 何を言っているのです!?」 「まぁ、まぁ、落ち着け孫よ。理由はもうすぐわかる」 「何、を」 「来たぞ」  馬が駆けてくる音が聞こえる。スニヤと登ってきた道を振り返ると、 「ちちうえ?」  愛馬に(また)がる灰がかった茶色の髪の男――将軍ゲンカが見えた。ゲンカも息子夫婦や妻や義父の姿を認めると逸ったか、馬から飛び降りて自らの足で坂道を駆け上がってくる。 「あぁ、よかった、無事だなマイラどの。…………いや、無事、とも、言い(がた)いな……」  きれいに結っていた髪は乱れ、よそ行きの衣服は泥だらけな上に袖は無残に裂けている。 「大丈夫ですお義父(とう)様、怪我はありません!」  元気に応えるが見るからにボロボロな息子の妻に、ゲンカは申し訳なさそうな顔をした。 「あぁ、何て姿だ、代わりの衣を用意しよう。妻が迷惑をかけて本当にすまなかった。……義父上(ちちうえ)、ご無沙汰しております」  (ひざまず)き、赫き龍に向かって礼をする。龍はふぅん、息をした。 「息災で何よりだ。来てくれて早々こんなことを言うのも何だが、()()を」 「はい」  立ち上がったゲンカは数歩前へ出て、義父の頭上に腰掛ける妻に声を掛ける。 「龍女。お迎えに上がりました」 「来いなどと言っておらん」 「いいえ、龍女。貴女は私に言わねばならぬことがあるはず。貴女の夫たる私にはそれを聞き、知る義務があります」 「そんなものはなーいー!」 「アルマト、我が妻」  微笑み、両腕を広げるゲンカ。アルマトは口を尖らせて立ち上がると、飛び降りる。綿毛のついた花の種子のようにゆっくり降下し、夫の腕の中に収まった瞬間――少女が美女に変わった。絡み付く白く細い腕にぎゅう、と力が入る。一連の流れに、トウキとマイラは何か見てはいけないようなものを見てしまった気分になり、思わず違いの手を握る。  息子夫婦のことなど全く気に留めることなく、ゲンカは愛おしそうに抱き上げている妻の髪を撫でた。 「気付いて差し上げられなかったことは申し訳なく思います、が、いくら心が乱れるからといって、このようなことは感心しません」 「だって」 「どのくらいになるのですか」  躊躇(ちゅうちょ)して、小さく答える。 「三……いや、四……」 「ではもうそろそろ落ち着くでしょう。しばらくは童女の姿にもならない方がよろしい。体に負担がかかります」 「あの方が()()()のだ。それに我は龍の娘だぞ」 「半分はヒトでしょうに」  義父母の会話を聞いていて、マイラは気付いた。 「あの、…………もしかして、お義母(かあ)様は、」  そっとアルマトを下ろすと、ゲンカは 「あぁ、えぇと」  少しだけ照れ臭そうに、笑った。整っていたものが僅かに崩れるような表情の変化――やっぱり旦那様に似てるなぁと感じ入りながらマイラはとても穏やかな心持ちでいたのだが、 「……子が、できた……らしい、な」  衝撃の事実を知らされたトウキはというと、 「な、んっ……!?」  固まった。      ◎     ◎     ◎  アルマトと二人で話をしたいから、と言うゲンカを残し、トウキとマイラはスニヤに乗り下山を始めた。日が傾きかけている。 「この後またオーギの家に行くことになっているが……」  とても再訪問できるような装いではないな、とつい言いかけて口を(つぐ)む。前に座るマイラはくすくす笑った。 「私は先に戻ります、このような姿で伺うのは失礼ですものね。キクロ様のお宅の前で下ろして下さい」 「シウルに一緒に戻ってもらおう。元々その予定だったからな」  スニヤを止まらせ懐から短剣を出して指先を傷付けながら古い言葉を唱えると、小さな血の玉が花が咲くように広がり、薄赤色の鳥の形になった。その鳥に最低限の連絡事項を含ませ、空に放つ。  遣いを見送るマイラが、後ろのトウキに身を任せるように寄り掛かった。 「弟君か、妹君か。楽しみですね」  スニヤに進むように指示を出して、トウキは苦笑した。 「この歳でできるとは思わなかった。もう三十になるんだぞ」 「私の父も、母親は違いますが伯父たちとは親子程に離れていますよ」 「……まぁ、そうだな。俺も父上が若いときの子だから、うん……そういうことも、あるのかもしれないが……」  それでもやはり受け入れるには時間がかかりそうだ。あの傍若無人な母親を思えば尚のことだろう。  確かに滅茶苦茶な人だったな、とマイラも思い返し苦笑いを漏らしてしまったが、あんなことをされていながらも、彼女を苦手だとは感じなかった。 「お義母様のこと、大目に見て差し上げて下さい。お爺様に私を会わせたかったというのは、本当のことだったのだと思います。お爺様とお義母様は、祖母と親しかったようなので。……でも、子ができると、しばらく心の揺らぎが大きくなったりすることもあると聞きます。お義母様は、きっと私に旦那様を奪われてしまったと感じられたのでしょう」 「…………そう、なのか……?」  過去に自分がされたこともあってか、トウキとしては母にそこまで大事にされているようには思えないらしい。  それでもマイラは知っている。  我が子が愛されていると笑いながら言った姿は、とても嬉しそうだった。 「そうですよ。大好きな殿方との間にできた、たった一人のご子息ですもの」  ゲンカが迎えに来た後のアルマトは、それまで通りに言動が高慢でつんけんしていはいたが、ずっとゲンカにぴったりとくっついていた。あれはどう見ても好きな相手に甘える態度だった。 「うちの母も、弟ができたとき、少し不安定だったことがあるんです。嬉しかったり楽しかったりしても、本当にちょっとしたことで涙が出てしまうって困っていました。でもお義父様も仰ってたとおり、そろそろ落ち着いてくるはずです。もう大丈夫、ですよ」 「……母になる、とは……大変なんだな……」 「私も、そんなふうになったり、するんでしょうか」 「えっ」  思わぬ話題の転換にトウキはどきりとした。流れとしては別段不自然でもないのだが、まさかこんな流れ弾が飛んでこようとは。  マイラも先日話したことを思い出し、しまったと思ったようで、わたわたする。 「あ、いえその、後々! ですから! 跡目は必要っ、ですけどねっ、今すぐでなくて後々の話ですっ」 「うっ、あっ、はいっ」 「あの……旦那様は、()()()()()()がお嫌いだったり」 「いっ、いや、別に全然そういうわけではっ」 「左様で、ございますか。……私は、旦那様がお相手であるなら、大丈夫ですので……妻ですし……」  手綱を握る手に触れると、びくっとした。そっと撫でる。 「旦那様のお子なら。思慮深くて、優しくて、勇気のある子になるでしょうね」 「……俺、には、そんな、勇気、など」 「陛下のお命を救いました。昨日だって、敵視してくる人たちの前で、堂々となさっていました。そうでしょう?」  振り向いた笑顔は、西日のように(まぶ)しい。トウキは胃の上のあたりがぎゅっと締め付けられるような気分になった。不快ではない。顔が熱を帯びるのがわかる。 「私のような女の子が生まれたらどうなさいますか?」 「えっ」 「……今、私が縁談をいくつも破談にしてきたこととか、はとこを投げ飛ばしたこととか思い出しましたね」 「い、いや、そんな、ことは」 「ふふ、ふふふ。……旦那様。私、こんなふうに育ってしまいましたけど、後悔はしてないし、誰に何て言われても全然気にならないんですよ。だって、破談になっていなかったら旦那様のお嫁さんになれなかった。剣を学んでいなければ、黒牙獣に食い殺されていた。……でも、旦那様、やっぱり私のような」 「お前のような娘が生まれれば、確かに気苦労は絶えないだろうな。が、」  手に触れ返し、そのまま包むように握る。 「お前の、子であれば。明るくて、(さと)くて、真っ直ぐで……強い子になる」 「……そうだと、いいですね。…………ところで、あの、旦那様」 「……ああ」  揃って振り返る。  少し距離をとって、黒牙獣がとことこついてきているのが見える。 「……どうしましょう、あの子」 「どうしよう、な……」  スニヤがご機嫌そうに、うるるる、と鳴いた。

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  • メカノベラ

    南雲遊火

    ♡10,000pt 2020年8月30日 23時35分

    最新話までやっと読めた……(応援ptまとめてどーんでごめんなさい) お母様www まさかのΣΣΣ これは本当におめでとうございます!!! そして最後! 最後!!! うしろーwwwwww

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    南雲遊火

    2020年8月30日 23時35分

    メカノベラ
  • チンチラちゃん

    半井 幸矢

    2020年8月30日 23時50分

    お、親までイチャイチャしている……どういうことだ……!? そういうことだ!!  そしてなんかついてきた黒い子どうしたスニヤと何があった??? ptドーンすぎます大事に使って!!(ありがとうございます

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    半井 幸矢

    2020年8月30日 23時50分

    チンチラちゃん
  • 邪気眼ぱいせん

    富士見永人

    ♡2,000pt 2020年8月31日 4時27分

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    「尊い」…現場からは以上です

    富士見永人

    2020年8月31日 4時27分

    邪気眼ぱいせん
  • チンチラちゃん

    半井 幸矢

    2020年8月31日 5時26分

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    あぁ~うれしいんじゃあ~

    半井 幸矢

    2020年8月31日 5時26分

    チンチラちゃん
  • ひよこ剣士

    服部匠

    ♡1,000pt 2020年8月27日 18時41分

    なんとお子……!仲睦まじい!! 迫力のあるバトルシーン、盛り上がりがすごくて、読んでいてとてもたのしかったです。アルマト様の少しお気持ちが乱れた訳がわかってほんわかです!! そして夫婦はいつでもかわいいはかわいい………!!

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    服部匠

    2020年8月27日 18時41分

    ひよこ剣士
  • チンチラちゃん

    半井 幸矢

    2020年8月27日 20時56分

    緊迫感が感じられたらいいなぁとバトルシーンは一生懸命書いているのでそう言っていただくとお゙ぉ゙ん゙浮゙がれ゙ぢゃ゙ゔに゙ゃ゙あ゙あ゙ぁ゙ん゙ アルマトは半分龍だけど半分ヒトなのでヒトらしいところも出したくてああなりました😊 主人公夫婦は通常運行です大丈夫です🚋

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    半井 幸矢

    2020年8月27日 20時56分

    チンチラちゃん
  • れびゅにゃ~

    ritka

    ♡500pt 2020年10月17日 19時00分

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    筆文字「その発想はなかった」

    ritka

    2020年10月17日 19時00分

    れびゅにゃ~
  • チンチラちゃん

    半井 幸矢

    2020年10月18日 7時25分

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    計画通り

    半井 幸矢

    2020年10月18日 7時25分

    チンチラちゃん
  • ひよこキング

    ふぅ

    ♡500pt 2020年8月28日 21時57分

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    あらーっ

    ふぅ

    2020年8月28日 21時57分

    ひよこキング
  • チンチラちゃん

    半井 幸矢

    2020年8月28日 22時58分

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    あら~~~っ!

    半井 幸矢

    2020年8月28日 22時58分

    チンチラちゃん

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    『魔女編』ついに完結! 『英雄編』胎動…

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    2022年8月12日更新

    国を離れた精鋭たちの集う独立ギルド『ガレーネ』。 彼らは世界各地で起きる様々な問題を秘密裏に解決する役割を担う。 ある時、村育ちの兄妹であるジオとネルマは王都の観光をきっかけに彼らから勧誘を受けることに。 ギルドに加わった二人はメンバーたちと任務や休日の時間を共にしながら、少しずつ互いのことを知っていく。 しかし重要な任務の最中、別行動をしていたジオに不穏な影が忍び寄る———— 『厄災編』『竜人編』ともに、表紙イラストは菊月様に描いていただきました。 【無断使用・無断転載等は厳禁】 また、第一弾のイラスト公開記念として第0話を合わせて公開中です。 『厄災編』最終話で鮮明に描かれなかった主人公ジオの過去に遡ります。 *上のイラストは『竜人編』の表紙になります。

    • 残酷描写あり
    • 暴力描写あり

    読了目安時間:10時間38分

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  • 紫亜乃ちゃんは、復讐したいのです!

    ひんぬーいじり、許すまじ!

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    2022年8月13日更新

    ——「紫亜乃(しあの)、僕はさ、この状態から進行していった先にある究極の甘えって、紫亜乃の胸の突起に僕が吸い付くことだと思うんだ」 急いでジタバタして逃げようとする私を、優鋭(ゆうえい)さんはガッチリと掴んで離さなかった。 「まぁまぁ、そう慌てなさんな。知っての通り、僕は紫亜乃が嫌がることはしないよ。なぜこんなことを僕が言い出したのか、ちゃんと論理だてて説明する。この話を聞けば、むしろ紫亜乃の方から突起を差し出してくるから」—— 頭がよくて口の立つお兄さん彼氏にイジられてばかりの女の子が、日々復讐に明け暮れる。年下彼女の可愛い仕返し奮闘記!

    読了目安時間:2時間49分

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