辺境夫婦善哉-ひきこもり雪獅子公と陽気な嫁様-

読了目安時間:12分

エピソード:15 / 45

第十四話

 美術品よりも、花で飾られた宮廷。一見華やかにも思えるが、統治者がおわす場所としては異様であった。富を示すものがほとんどないのだ。  長い廊下を歩きながら、仮面の男は、僅かに表情を曇らせ呟く。 「ひどいものだな」  斜め後ろに従い歩くマイラは、応えない。夫の言い方からして、以前はもっと絢爛(けんらん)であったのだろう。建物は大きいが、ファンロンの王宮とは比べものにならないくらいに何もない。  この国――クォンシュが大陸でも屈指の国土と軍事力を持つことは確かだが、先帝の遊興のせいで財の半分以上を手放すことになり皇家の崩壊を何とか免れたという話はあまりにも有名で、隣国、しかも国境に接する地に生まれ育ったマイラもまたそれを知らないわけではなかった。今の皇帝が即位してすぐに友好国や国内の貴族諸侯との関係保持に奔走し、ここ数年でようやく安定させたのだ。  この点についてマイラは何も聞いてはいなかったが、父アデンがトウキの元へ嫁がせるのを渋っていた理由は恐らくここにもあったと確信している。いくら大国の貴人相手の政略婚とはいっても、国主が不安定な国に娘を嫁がせたいと思う父はいない。  謁見の間の前まで来ると、扉の両脇を衛兵が護っていた。右側にいた男が明らかに嫌悪感を示す。真相を知らずにトウキを疎んじている者なのだろう。  わかってはいるが、皇帝の敵ではないのだと伝えたい気持ちはあるが、余計なことはしてはいけないとマイラは思った。初めて来たよそ者の自分の言葉に耳を貸す者はいないだろうし、夫の立場を悪くしてしまうかもしれない。悔しいし悲しいが、おとなしくしているしかない。  それよりも少し距離を取った位置で立ち止まったトウキが、振り返らぬままマイラに小さく声を掛けた。 「ここから先、顔には出すな。お前の気持ちはわかっているしありがたい、不満なら後で俺がいくらでも聞く。……頑張れるか」  やや(かす)れた声。緊張している。  本当は、心を痛めているだろうに。  本当は、怖くて堪らないだろうに。  静かに奮い立つ夫の面目を潰してはならない。マイラは、頷いた。 「はい」  示し合わせるでもなく、夫婦は再度、同時に歩み出した。      ◎     ◎     ◎  広い、広い、白い石造りの謁見の間。大きな窓から入る陽光が、全体を明るく見せる。  左側に腕章を着けた直属の剣士隊、右側に侍従と大臣たちが並んでいた。歓迎と敵意、相対する視線を感じる。  ふたりの姿を見るなり、剣士隊の一番前にいる、やや灰がかった明るい茶色の髪の男が破顔した。マイラは気付いた。あれが「旦那様の父上」だ。顔立ちそのものはそうでもないが、やわらかな微笑みは少し似ている。  上段の間の玉座には、明るい紫の装束を纏い、氷晶石と繊細な細工が施された細身の金の宝冠を戴いた男。その右横には女性が二人と少女が一人従うように立っている。この三人は妻か。  トウキとマイラは、皇帝の御前まで進み出ると(ひざまず)いて最上の礼をした。場が静まり返る。 「皇帝陛下にあらせられましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます」  張り上げているわけではない、が、その空間全体に通る声。先程聞いたような緊張は全く感じられない。大丈夫だ。マイラは自身に言い聞かせる。 「この度は婚姻をお許しいただいたこと、誠に恐悦至極に存じます」  夫に続き、 「ファンロン王シュイリが姪孫(てっそん)、マイラ・シェウ・ルヨ・ファンロンでございます。以後お見知りおきを」  名乗りを上げる。  玉座の男――皇帝リュセイ・トゥガ・クォンシュは、表情を変えぬまま、 「面を上げよ」  (のたま)った。揃って顔を上げると、皇帝は苦笑する。人の善さそうな穏やかな顔。こちらも少し雰囲気がトウキに似ている。 「全く。いくら呼んでも来ないくせに、珍しく連絡をよこしたと思ったらファンロンの姫と結婚したいだなんて。まさか引っ込み思案のお前が自分から妻を選んで娶るとは思わなかったよ。……はぁん、言っていた割になかなか愛らしい女房どのじゃないかトウキ」  文官と武官が正装で揃い、しかも嫁いできた異国の姫が挨拶に来ているにも関わらず初っ端から随分と砕けた物言いに、その場にいた全員が驚愕した。トウキも当然戸惑ったが、歪みそうな顔を何とか保ちながら、 「は……」  何とか返答する。  しかし皇帝は止まらなかった。 「何が『は』、だ。気取るんじゃないよ生意気に。いくら表向きは臣に下ったとはいえよそよそしいにも程がある」 「……陛下。公の場にございますれば」 「何を(かしこ)まる必要がある? ここにいるのはお前の女房以外俺とお前が子どもの頃から知って…………あぁ、いや。うちの嫁さんたちは初対面か。剣士隊も四、五人若いのがいたな……まぁいいか。全員休め、楽にしていい。トウキ、それからそこのファンロンの姫、マイラどのといったな? 立たれよ。遠路遙々(はるばる)やってきたのにそんな姿勢では益々疲れるだろう?」 「陛下」 「命令だ。跪くな、立てトウキ・ウィイ。二度言わせるな、首を()ねてしまうぞ」  言葉自体はきついが、口調は厳しくはないし顔は笑っている。明らかに親しい者に対する冗談だ。仕方なくゆっくり立ち上がると、皇帝は更に軽口を叩く。 「うん。やっぱりお前は見目がいい。顔が半分焼けているのに着飾ると絵になる。龍女の息子も伊達じゃないな」 「……恐れながら陛下。勿体なきお言葉なれど、この場にそぐわぬお言葉は」 「そう言うな。お前は俺の自慢の弟分。これまでよくしてやれなかった、これからは目一杯甘やかしてやる」  好き放題の皇帝陛下に、臣下たちがざわつき始めた。親ぐらいの年代の大臣の一人が(いさ)めに入る。 「陛下、これはあくまでも公式な謁見。そのような」  と――皇帝の目つきが、変わった。 「余に逆らうか」  睨んでいるわけではない。  が、口を挟んだ大臣に向ける目は、掛けた声は、冷たい。  たった一言、放っただけ。それだけで、大臣は青くなり、無言で下がった。  トウキは察していた。静かに叱責されたのは、かつて皇太子派だった――トウキを排斥しようと躍起になっていた貴族の一人だ。  しかしこんな場でそのように強く当たるだなどと、皇帝のすることではない。一体何を考えているのか。これではまた派閥争いに火がついてしまうではないか。  そんなトウキの心配をよそに、皇帝リュセイはにこりと笑いかけた。 「それはともかくめでたい。うん、実にめでたい。いいことだな」 「陛下」  後方で時宜(じぎ)を得るのを見計らっていたシウルが前へ出る。 「こちら、ファンロン王よりの贈り物でございます」  小さな朱塗りの台に、鮮やかな空色の布に包まれた箱が乗っている。刺繍も入っていない無地のものだが、艶のあるその布はファンロンでは“最上の青”と呼ばれる最も高価な生地だ。  右側の先頭にいた侍従が出てきて受け取り、上段に上がって皇帝に捧げる。玉座の男はそれを遠慮なく開いていく。 「ファンロンの青、何度見ても美しいな。……あぁ、これは、見事だ」  白木の箱の中から、成人男性の拳ほどの大きさもある真っ赤な石を取り出す。吸い込まれそうな濃い深い色でありながら、燃えるような(きら)めきを内包している。 「こんなに大きな龍星石は初めて見た。濃い赤なのも珍しい。国の宝だったのでは?」  自分に問いかけている――マイラは礼をしながら返答する。 「陛下の仰せの通り、これまでファンロンで産出した龍星石でも最大のものだとか。わたくしの輿入れが決まってから見つかったと聞き及んでおります。此度(こたび)の縁組に際して大変縁起がよい、是非赫き龍の国の陛下にと、大伯父が持たせて下さいました」 「これがファンロンから出た……羨ましい限りだ。クォンシュは氷晶石はよく出るが龍星石ほど高価な鉱石はなかなか見ない」 「クォンシュの氷晶石も大陸随一の品質ではございませんか。手に入れやすい美しい石というのはそれだけ広く愛されやすいものです。わたくしどもも、このように、ウェイダで出た石を揃いのものに」  耳飾りを示すと、皇帝は嬉しそうな顔になった。 「ウェイダの氷晶石を着けて下さっているのか」 「急に決まった縁組でしたので、双方準備に追われてどのようなものにするのか話し合うことができなかったのですけれど、だ……トウキ様が、わたくしのことを思って作って下さったのです」 「へぇ」  興味深そうにトウキを見る。目が合ったトウキは僅かに顔を顰めて、しかし無礼だと咎められないように無言のまま頭を下げる。皇帝は玉座の肘置きに頬杖をついてにやにや笑った。 「まだ何も言っていないよトウキ」 「は」 「またそういう返事をする。……マイラどの。()()()()だがどうか末永く宜しく頼む。これでも心根の優しい子なんだ」  そう言う彼もまた、トウキに声を掛けるときは見守るようなやわらかい眼差しを送っているのがわかるし、表情は窺えないが、トウキもほとんど昔から見知った面々とはいえこんな大勢の前で幼い弟に接するような扱いをされて、さぞくすぐったい思いをしているだろう。  この中にいる何人かは、この二人を引き裂こうとしていた。  それでも彼らは互いを信じていた。  直接会うのは十年以上ぶりだといっても、やはり仲がいいのだとマイラは感じた。  その上で「頼む」と言われるのは嬉しいことだ。 「はい、勿論、存じておりますとも!」  思わずいつもの調子で返事をしてしまい、はっとするが、皇帝は、 「明るい嫁御だ。いい妻を娶ったなトウキ」  にこやかに返した。      ◎     ◎     ◎ 「何を考えている」  小柄な少女を一人伴って控えの部屋へとやってきたリュセイに、トウキは詰め寄った。身分や年齢は勿論、直接顔を合わせていなかった時間の壁は感じさせない距離感だ。 「あんなところであんなことを言えば、また(いさか)いが起こるだろう」 「だからさ。ああすればあぶり出せる。俺たちが手を組むと不都合な奴らがわかれば、あとは叩くだけじゃないか」  のんびり言う従兄に唸りながら、トウキは額に手を当てた。 「やり方が……雑だ……」 「稚拙だと感じさせられる方がいい。油断したところをぶん殴る。これも戦法だよ。昔はできなかったことだけど、今ならできる。その為にしばらくおとなしくしていたんだ。……一掃できたら、トウキ、お前をまたここに」 「悪いが戻る気はない」 「何で!」 「イノギアと同じ(てつ)を踏みたいのか? ここ数年荒れに荒れて今年の初めに王位に就いたのは四歳の子ども、デアーシュに攻め入られるのも時間の問題というじゃないか。皇帝が力を取り戻したとようやく皆が認めてきているのに内紛など起きてみろ、クォンシュは今度こそ終わる。それに、」 「それに?」 「死にそうな目に遭うのは二度と御免だ」  リュセイはきょとんとした後、苦笑いした。少しだけ寂しそうでもある。 「ああ……そうだな、すまなかった。俺もお前を失うのは嫌だ。しかしお前、田舎にいるくせにいろいろ知っているなぁ」 「国境に接する田舎だからこそ聞こえてくる話もある」 「お前をウェイダにやったのは正解だったな。おかげでファンロンともちゃんとした縁と結べた」  満足そうな顔を、今度はマイラに向ける。 「……うん。確かに多少逞しさはあるけど……とても、馬に乗ったり剣を振り回したりするようには……」 「え」  そういえば、謁見のときもマイラのことを知っているふうなことを口にしていたような――夫を見ると、目を逸らされる。一体何を皇帝に伝えていたのか。 「だんなさまっ」  小声で訴えるが、当の旦那様はといえば変わらず目を合わせないように、そして笑いを堪えている。 「素早い上に両手で剣を使う。俺より強い」 「なぁっ!?」  マイラの反応を見た皇帝は声を上げて笑った。 「そうか、トウキより。ショウハ、剣の、手合わせ、してもらったらどうだい」 「けん? お前、強い?」  部屋の出入り口付近で控えていた少女が、とことことやってきて幼子のようにリュセイにぴったりとくっつき、興味深げにマイラを見る。年の頃は十二、三といったところか。クォンシュとファンロンはほぼ同じ言語を用いているので話すのに何の苦労もないが、片言で話す彼女は少し離れた国の出身らしい。  白い肌に遠目からは黒く見えた夜空のような深い濃い青色の髪は、大陸北方に多い民族の特徴だ。 「ヴェセンの方ですか」  マイラの問いに、リュセイは頷いた。 「これでも一応三人目の嫁さんでね。ヴェセンのリラダ王の姪で名はショウハ。先月嫁いできたばかりなんだ」 「左様で、ございますか」  マイラはショウハに礼をすると、改めてゆっくりと名と出身、皇帝の従弟のトウキの妻であること、剣と弓を嗜んでいることを告げた。本は父の書斎まで漁って沢山読んできているので、ヴェセンの言語はほんの少しだけわかる。  しばらくぶりに聞いた母国の言葉に嬉しくなったのか、ショウハの表情が輝くように明るくなった。リュセイの袖をぐいぐい引く。 「弓。へーか、おれ、弓、やる、たい」  袖を引かれたリュセイは少女の頭を撫でる。 「ショウハ。ちゃんと名乗りなさい。名前、言う。できるね?」 「ん。ショウハ。ヴェセン、王の、姉の、娘。るせ、へーかの、つま!」  懸命に伝えようとしてくる小さな妃殿下の求めに応じて、マイラは握手した。あどけない顔と陶磁器のような肌色に反して、掌はごつごつと硬い。剣胼胝(だこ)がある。  ヴェセンは国土自体は大きくはないが、男女問わず武器をとり他国の戦に助力することで成り立たっている勇ましき者たちの国だ。そう聞くと荒々しい猛者のように思えるが、ヴェセンの女は美しく着飾ることで、武に優れた男を家長とする家の出身であることと、自身の強さを表すのだという。  ショウハも、身に付ける蔓と花を模した髪飾り、ほんのりと透ける織物の飾り帯、纏う衣の刺繍までもが白銀で統一されており、星の精のような繊細な優美さがある。勿論強者たるヴェセン王の血縁であり、彼女自身もそう育てられそれなりに腕が立つのだろうが、先帝の行いのせいで倹約を心掛けている皇帝リュセイが彼女自身と祖国の文化を重んじその装いを許しているのだと思うと、トウキとの血の繋がりを感じるマイラである。 「ところでトウキ。帰る日を延ばさないか」  戯れる妻たちを尻目にリュセイが言うと、トウキは思い切り、顔を顰めた。 「嫌だ。帰る。早く帰る。仕事がある。帰る」 「積もる話もあるんだし、ゆっくりしていけばいいのに」 「そう言って留めさせるつもりだろう。嫌だ。ここは怖いから絶対帰る。俺はウェイダで生きる」 「引き籠もりめ。……まぁ、術を使えばいつでも話はできるがな」  二人が立ち話をしているのに気付き、 「お二人とも、座られたらいかがですか」  マイラが椅子を勧めた。ショウハも理解できる言葉を聞き取ったか、空いている椅子を持ってきてリュセイの傍に置く。誇り高いヴェセンの民でありながらも懸命に添おうとしているのは、やはり丁寧な扱いを受けているからだろう。 「ありがとう、ショウハ」 「よい!」  皇帝と、二人目の側室。  年齢こそ親子ほどに離れてはいるが、このふたりも確かにこういう形の夫婦であるのだ。  そんなふたりを微笑ましいなと思いながらマイラは見ていたが、椅子に腰を下ろしたトウキはというと、尚も表情が晴れないでいた。 「そういえば、リュセイ。父上はともかく、龍女……母上の、姿を見なかったが」  リュセイは、たった今言われて気付いた顔になった。 「…………いなかったな、そういえば」  従兄弟たちは、向かい合って座ったまま沈黙したかと思うと、 「うわぁ」  全く同じ言葉を、同時に、小さく漏らした。

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