アルソウムの双剣 The Swords of Arthoum

読了目安時間:5分

エピソード:48 / 126

第一部「道しるべの歌 Waymark Songs」第十章 遡上

万年雪

 翌朝、二人はラタンションの南門を出た。街道をテラルマ川沿いに三里。そこから右に折れて、プイカ川に沿って西方山地へと向かう。ラタンションからは西門を出て真っ直ぐ西に向かう街道もあったが、アレバ山はそちらには無いとブレイは断言した。イェビ=ジェミが理由を尋ねると、ブレイは一言「歌の長さ」と答えた。おそらく、道標の歌がどれだけ続いているかで推測したのだろう。イェビ=ジェミには、ブレイの判断を疑う理由が無い。  テラルマ川と合流する辺りのプイカ川は、流れの周囲に広大な湿原が広がっていた。街道はプイカ川の北、一里ほどのところを南西に向かって伸びている。湿原には灌木や葦が生い茂り、川そのものはほとんど見えない。イェビ=ジェミは、ディエブ川の河口の大三角州の中を思い出した。一方、ブレイは初めて見る風景らしく、興奮しているのが如実にわかる。そんなブレイの様子を、後ろを歩くロバが不思議そうに見ている。 「これ、川なの?」 「川だよ」 「これ全部、水が流れるところ?」 「どうかな。野分けが来たら全部、水に浸かるかもね」  野分けとは夏から秋にかけてアルソウム地方にやってくる暴風雨のことだ。これが来ると野原の草が倒れて、まるで巨大な手で分けられたように見えることから、その名がついた。また、水田の稲が野分けで倒れることを「カレヴィに踏まれた」と言う。無論、ありがたくない話である。カレヴィ神の神像がああも恐ろしい容貌をしている理由が、これだ。 「見てみたい!」 「危ないからだめ」 「えー、そんなのずるい」  何がずるいのやら、さっぱりわからない。  ブレイはそれからも、ひたすらに川の方ばかり見て歩き続け、しまいには石に躓いて転びそうになった。右腕をイェビ=ジェミに掴まれて、なんとか踏ん張ったブレイは、バツの悪そうな顔をして、小さく舌を出した。  街道の右手には、水田が広がっている。どうやらプイカ川から分水して水田を灌漑しているらしい。遠くに見える水田の間を、用水路のようなものが走っている。イェビ=ジェミたちと相前後してラタンションの南門を出た旅人たちが、思い思いの場所で街道から外れて水田の中へと消えて行った。収穫の手伝いをして回る出稼ぎらしい。植えられている稲は早生のものから晩生のものまで、収穫の時期が固まらないように工夫されているようだが、それでも地元の農民たちだけでは収穫の手が足りないのだろう。  平和な風景である。だが、イェビ=ジェミには気になることがあった。プイカ川を行き来する船が妙に少ないように思える。この規模の川なら、今見えている数の三倍か四倍は川船がいるのが当たり前ではないだろうか。ディエブ川の支流のハザ川、あるいはトゥーバの戦いの時にアルソウム軍の大砲を運んだウィシチェ川には、ここよりも遥かに多くの川船がいた。よほど、川船には向かない地形なのか。あるいは上流になにかあるのか……?  この日、二人はプイカ川を二五里ほど遡ったところにあるナアレフという宿場町に泊まった。イェビ=ジェミは宿屋や食堂で、昨日ヤクザ風の男たちが現れなかったかを尋ねて回った。案の定、見るからに堅気ではない珍妙な服を着た一団が現れ、町に一泊して上流に向かったという話があちこちで聞かれた。  ただ、カリュベスで傭兵くずれたちが腰に下げていた巨大な両手剣は、誰も見ていないという。さすがにあれはカリュベスに置いてきたか。イェビ=ジェミは少しだけ残念であった。連中があんなものを振り回している限りは、自分一人で三人でも四人でも倒せる自信があったからだ。まともな武器に持ち替えたとなると、かなり厄介だ。  翌朝早く、イェビ=ジェミとブレイもプイカ川の上流を目指して出発した。今日はいよいよ西方山地に入ることになるだろう。  山地が近づくにつれて、ブレイの目つきは鋭さを増していった。時折、ブレイは立ち止まり、太陽を見上げ、影の長さを計り、西に見えている尾根を数えた。そして、中央山塊の山の中でやっていたように、目を閉じて右手で太ももを小さく叩きながら何かを呟いた。歌が終わるのを待っていたイェビ=ジェミが、ためらいがちにブレイに声をかける。 「どうかな? アレバ山への行き方はわかった?」 「うん」  ブレイは西の山々を見つめたまま答えた。 「この川はあそこで二つに分かれている。右の流れを辿って谷に入っていくと、しばらく行ったところで川はもう一度分かれる。今度は左を辿る。あそこに頂上が七つに割れた高い山が見えるね」 「あれがアレバ山?」 「違う。あれは里の人が祀っている山だ。ミズル山。アレバ山はここからだとミズル山の裏にあるから見えない」 「でも、あっちなんだな」 「ああ」  アレバ山があるという方向には、万年雪を被った険しい山々の頂きが見えている。「山の兄弟」が祀る山というからには、それなりに高い山だろうと予想はしていたが、いざ近くまで来てみると、思っていた以上に高い山々であった。今の自分たちの装備で対応出来るものだろうか? だが、もしも必要なものがあればダスティ峠を出る時にスキーブリとルファーリが持たせているはずである。ここは道標の歌と同様に、「山の兄弟」に受け継がれてきた知識を信じるしかない。  プイカ川はナアレフ宿より五里ほど上流で本流と支流に分かれていた。南から流れてきて合流しているのはテュバン川というらしい。本流も支流も緑色の水を湛え、ゆったりと北東に向かって流れている。この辺りでもまだ川の両側には湿地帯が広がっており、橋はかかっていない。どうやら湿地帯の中に渡し船の船着き場があるらしい。  イェビ=ジェミとブレイは本流の左岸沿いの街道を進む。谷はまだ広く、両側の尾根は頂上の木々が見えるほどに低い。山肌の緑色はほぼ一色である。 「あそこは里の人の山だよね?」  イェビ=ジェミがブレイに確認すると、ブレイは無言で頷いた。ブレイはひたすら左右の尾根を眺めて何かを呟いている。道標の歌を確かめているのだ。  ナアレフを出て三時間も歩くと、谷はいよいよ狭くなり、左右の尾根は高さを増していった。右の尾根と左の尾根の間は一里ほどだ。その多くは段々畑や棚田になっている。棚田では里芋の葉が揺れている。農地の間には藁葺き屋根の家々が点在し、それらの真中辺りを川がゆったりと流れている。尾根筋は、イェビ=ジェミが見ても明らかに麓と違う緑色である。より陰影が濃く、より深い。既に尾根の上には「山の兄弟」の世界が広がっているのだ。

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  • 男戦士

    ムルコラカ

    ♡1,000pt 2022年7月15日 15時22分

    プイカ川を往来する船が少ない、というのが何やら意味深ですね。イェビ=ジェミの懸念は当たるのか否か……?

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    ムルコラカ

    2022年7月15日 15時22分

    男戦士
  • 男盗賊

    akiwoK

    2022年7月15日 16時30分

    よくそんなこと気づくなこいつと思いながら書いてましたここ(笑)

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    akiwoK

    2022年7月15日 16時30分

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