護衛の仕事を終えたイェビ=ジェミが円塔の前に現れた時、既に太陽は西の尾根に隠れようとしていた。蝉の声はいつの間にか油蝉から秋蜩になっているが、川の流れる音は変わらない。円塔の周囲には男が五人ばかりたむろしていた。イェビ=ジェミが近づいて行くと、その中の一人が手を上げた。眼鏡が光って見える。チェプサリだ。 「おう、お疲れさん」 「やっと涼しくなって来ましたね」 「そっちの方はどうだった」 「買い付けの成果は良かったり悪かったりだそうです。本の印刷用の紙を買い負けたとかで、頭を抱えてましたよ」 「最近、本の出る数がやたらと増えとるからな。印刷に向いた紙は値上がりしとるだろう」 「チェプサリ先生の本は私も持ってますよ」 チェプサリがにやりと笑う。 「当然だ」 「失礼しました」 「グリアットについては何か新しいことはわかったか?」 「意外に仲買人たちは冷静でした」 「やはりそうか」 「お気づきでしたか?」 「まあな。そもそもグリアットを犯人に見立てた時点で、私たちは馬鹿ですと言っているようなものさ。あまりにも雑過ぎる」 「先生、口が悪いです」 「誰かが言う必要があるのさ。お前たちは馬鹿だと。それが私の仕事だ」 イェビ=ジェミは吹き出した。チェプサリ自身と彼が書く詩の間には、様々なものが挟まっているようであった。だが、その様々なものがイェビ=ジェミは嫌いではなかった。 二人が立ち話をしていると、円塔の周囲にたむろしていた男たちが近寄ってきた。地元の若者たちがグリアットの番人をしているのかと思っていたのだが、どうも様子が変である。男たちの一人がイェビ=ジェミに声をかける。 「よう、久しぶりじゃないか」 「あれ、その顔は」 「俺だよ」 「お元気そうですね、ゲルヴァさん」 「お前こそ、随分出世したらしいじゃないか、中隊長だって?」 「たまたまですよ」 男は四年ほど前までチェレク連隊にいた古参兵のゲルヴァであった。イェビ=ジェミと同じ第八中隊で、そこそこの人望を集めていて、たしか最後は小隊長だったはずだ。ゲルヴァはイェビ=ジェミの最初の剣の師匠でもあった。郊外に農場を買って傭兵は引退したと聞いていたが、まだ傭兵の仕事も続けているのだろうか。 ゲルヴァと一緒にいた男たちも、よく見れば皆、使い込まれた剣と短剣を腰に下げており、見るからに傭兵風だ。 「ゲルヴァさんも人手が足りないんで駆り出された口ですか?」 「おうよ。わざわざ組合から連絡があったんで、しょうがねえなあってな」 「それで、皆さんこんなところで何をしてるんです」 「あいつさ」 ゲルヴァが塔の方を見た。 「なんかチェレク連隊にいた傭兵が濡れ衣を着せられて困ってるって話を聞いたもんでな、ちょっと様子を見に来たんだよ」 イェビ=ジェミはチェプサリをちらりと見た。チェプサリが片目をつぶってみせた。 「ご覧の通りですよ。早ければ明後日には裁判だそうです」 「明後日だ。今日、確認した。明後日の午前九時から、街道沿いの広場の、商工会議所の前で裁判だそうだ」とチェプサリ。 「さっさと片付けちまいたいのさ」 ゲルヴァが肩をすくめた。 「で、どうするつもりだ? 隊長さん」 「隊長さんは止めてくださいよ」 「いやあ、なんか面白くてな。あの若造が中隊長にまでなったかと思うとな。で、どうなんだ」 「そうですね、色々と考えてみたんですが、要はグリアットを縛り首だの鞭打ちだのにさせなければ良いだけなんですよ。こいつが本当の犯人だ、とかわざわざ引っ張ってくる必要は無いでしょう」 「なるほど」 「時間も限られてますからね。真犯人探しよりも、判事役が馬鹿な判決を出せないような状況を作る方に時間を使った方が良いんじゃないかと思ってます」 「例えばどうする?」 「傭兵を集めて判事役のところに直談判に行きます。これは多ければ多いほど良い。ゲルヴァさんみたいな強面が二〇人も来たら絶対に怖いはずです」 「おい、俺かよ!」 ゲルヴァもチェプサリも笑った。 「そうやって大勢で押しかけて直談判してから、最後に心づけで金貨を何枚か渡す」 「ははあ……お前、中隊長になって随分と腹黒くなったんじゃないか?」 「そうかもしれないですね」 「まあでも、それは効くな。受け取らせちまえばこっちのもんだ」 「で、裁判の時には、また傭兵を集めて騒ぐ」 「そいつは面白そうだな」 「そう思いますか?」 「ああ、面白い」 「じゃあ、傭兵仲間への声かけ、ご協力いただけますか?」 「もちろんだ。どれくらい集めたい?」 「二〇人居ればいけるのではないかと思います」 「よし、二〇人だな。あと一五人。楽勝だ」 ここでチェプサリが割って入った。 「ラツモの方はどうする? このまま泳がせておくのか?」 「まずはグリアットをあそこから出すのを優先で良いと思います。ラツモはその後で。クレフェとマハラビエ街道の間で網を張っておけば、まず取り逃がさないでしょう。それからじっくり話を聞きますよ」 「そうだな、ご挨拶はさせていただかないとな」とゲルヴァ。 チェプサリは軽く首を捻ってから、イェビ=ジェミを見た。 「判事役に会いに行く際には、私もご一緒させてもらうよ」 「それも詩の材料にするんですか?」 「その通りだ。滅多に見られるもんじゃないからな」 「チェプサリ先生が一番楽しんでますよね」 「人生は楽しんだもの勝ちだぞ」 「わかります」 「いいや、まだまだだ。おい。そこの若いの」 チェプサリはゲルヴァの近くに立っていた二十歳くらいの傭兵に声をかけた。 「これで酒と食い物を買ってきてくれ。仲間がいたらそいつも連れて来い。どんどん連れて来い」 そう言いながら、金貨を二枚渡す。結構な金額だ。驚くイェビ=ジェミを見てチェプサリが笑う。 「どうせならグリアットくんも酒盛りに混ぜてやった方が面白いだろう?」 「それはそうですね」 「ほら、お前さんも一緒に買い出しに行って来る!」 チェプサリに急き立てられて広場に向かいながら、何故かイェビ=ジェミは笑いだしていた。
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エスティ
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エスティ
2023年1月7日 17時26分
ムルコラカ
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ムルコラカ
2022年6月15日 15時32分
柚木白
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柚木白
2022年7月5日 3時50分
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見るもの聞くもの、すべてがネタになる。分かります分かります。
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2022年6月28日 18時46分
akiwoK
2022年6月28日 19時17分
ありがとうございます。やはり創作のインスピレーションは普段とは違うものを見たり聞いたりしたときに湧きますよね!
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akiwoK
2022年6月28日 19時17分
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ビビッと
100pt
2022年6月28日 18時46分
《「人生は楽しんだもの勝ちだぞ」》にビビッとしました!
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2022年6月28日 18時46分
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