「助太刀、感謝する」 警邏隊の一人がイェビ=ジェミに声をかけた。まだ少し息を切らせている。声の感じからすると、イェビ=ジェミより少し年上のようだ。イェビ=ジェミは倒れている敵の服で剣を拭ってから鞘に収め、軽く帽子のつばに手をやった。既に長剣の刀身からあの不思議な光は消えている。 「警邏隊に斬りかかるやつがいるんですね、ここは」 「最近はね。あんたは?」 「イェビ=ジェミ・ガイリオル。傭兵です。チェレクから来ました」 「随分と戦い馴れてるな」 「半月前までチェレク連隊にいました。第八中隊です」 「おう、チェレク連隊か。道理で強いわけだ。俺はガルトリ。カリュベス連隊第五中隊長だ。よろしくな」 カリュベス連隊にもチェレク連隊のグディニャ遠征の顛末は知られているらしい。握手を交わしながら、イェビ=ジェミが尋ねる。 「チェレクでは警邏隊に歯向かう奴なんて会ったことが無いですよ。何ですか? あいつらは」 「そこだよ」 ガルトリが蜂亭を見た。 「最近はここに妙なのが集まってきてるのさ。煙草の臭いがしたんで、店の前に立ってた奴らに、手に持っているものを見せろと言ったら、いきなり斬りかかって来やがった。ここの奴らは中庭の連中と違って、警邏隊にも平気で突っかかってきやがる」 「連隊に戻って増援を頼んだらどうです」 「それがなかなか、そういうわけにもいかんのよ。ここは王室直轄都市だからな。俺たちは建物の中には入れん」 「え、それはどういうことですか?」 「この町の中の警察権は近衛隊が持ってるんだ。俺たちは通りと広場の見回りだけ、下請けでやらされてるのさ。踏み込もうと思ったら近衛隊を呼んで来ないと」 「なるほど……」 近衛隊と陸軍は昔から仲が悪い。近衛隊は王室直属の部隊で、維持運営費は全て王家の私費で賄われている。つまり、雇い主は六領邦の冠を束ねるクルサ家そのものである。任務は王室の護衛と王室直轄都市の警備に限定されており、兵科は大半が軽騎兵。隊員のほとんどは貴族や大商人の次男、三男だ。 一方のアルソウム陸軍は諸侯領や自治都市、公認四宗派から収められた税金なども運営費に使われていて、その出動には議会の承認が必要である。兵科は複合歩兵、軽騎兵、砲兵、工兵に分かれており、本拠地を離れての遠征能力も持っている。兵士の大半は王室ではなく連隊長に雇われており、イェビ=ジェミのような平民出身者ばかりである。 これだけあらゆるところが違うから、両者は全く相容れない。近衛隊は陸軍を貧乏人の軍隊と馬鹿にしているし、陸軍は近衛隊など城壁の外に出られない臆病ものだと陰口を叩く。だが、確かに近衛隊は剣で戦うのは上手いし馬にも乗れる。そして、ここは城壁の内側である。近衛隊の縄張りなのだ。 「その店に腹は立つが、近衛隊に頭を下げるのはもっと腹が立つ。ま、こいつらを締め上げて色々と教えてもらうぐらいしか出来ないな」 ガルトリが合図をすると、警邏隊の兵士たちは路上に倒れていた男たちを蹴飛ばして立たせた。カリュベス宮の中の駐屯所に連行されるのだろう。 「あんた、しばらくはカリュベスにいるのかい?」 「そうですね。二、三日かな」 「その後は? チェレクに戻るのか?」 「戦死した仲間の家族に最後の給料を届けてから、マンガルメの実家に顔を出そうと思ってます」 「そうか。気をつけてな。なんかあったら声をかけてくれ。俺たちはカリュベス宮の兵舎にいるからよ」 「わかりました。ご武運を」 「あんたもな」 警邏隊が暴漢たちの尻を何度も蹴飛ばしているのを横目に見ながら、イェビ=ジェミは広場に出て、宿へと向かった。頭上には三分の二ほどに欠けた月が出ている。ブレイと二人で野宿した晩に見た満月を思い出す。あれから今日で四日目だ。 そろそろ真夜中か。東の市門へと向かう大通りは静まりかえり、人通りはほとんど絶えている。立ち並ぶ酒場も、これほど遅くなると開いているところはまばらだ。月明かりの下、イェビ=ジェミの足取りは、こころなしか早い。左腰に下げた長剣が揺れる。 大きく左に弧を描いている通りを抜け、市門が見える所に差し掛かった。当然ながら、市門はとうに閉ざされている。門の上に設けられた見張り台には、少し大きめの油燈が三つ。不寝番の近衛兵の影が動いているのが見えた。イェビ=ジェミの宿は道の右側だ。幸い、一階の酒場はまだ開いているらしい。灯火の明かりが通りに漏れて、淡い滲みを作っている。 宿に近づいたイェビ=ジェミは、二階の窓からブレイが下の通りを見ているのに気づいた。部屋の明かりはついていない。ブレイは頬杖をついてイェビ=ジェミを見下ろしている。 イェビ=ジェミは窓の真下で立ち止まって、ブレイを見上げた。 ブレイは何も言わない。 イェビ=ジェミは帽子を脱ぎ、鉢金を外して、もう一度窓を見上げた。 ブレイが小さく首を傾げる。 「上がって来ないの?」 ようやくブレイが口を開いた。イェビ=ジェミは一階の店の中を通り抜けて中庭に出ると、右手にある階段を上った。そっと部屋の扉を開ける。ブレイは窓際の椅子に座ってこちらを見ていた。月明かりが少女の髪をかすかに光らせている。 「遅かったね」 「ごめん」 「何で謝るの?」 「何でだろう?」 「私にもわからない」 二人は顔を見合わせて少しだけ笑った。笑った途端に、イェビ=ジェミはほっとして、ブレイの前の床に座り込んでしまった。どすんという音がした。床につっかえた剣と短剣をのろのろと腰帯から外し、まとめて自分の寝台に立てかける。 ブレイが右手を差し出して、そっとイェビ=ジェミの頬を触った。 「ずっと心配だったよ」 「ごめん」 「謝らなくて良い」 「すまない」 「聞き分けが悪いな、ガイは」 ブレイがにこりと笑った。 戦闘で固くなっていた心が、すっと柔らかくなるのがわかった。 「何か変な臭いがついている」 「ああ、これは神殿でついた臭い」 「何の臭い?」 「煙草」 「煙草って何?」 「さあ……何だろうな? よくわからないけど、禁止されているんだ」 「それがあったの?」 「ああ。いっぱいあった」 「危ない場所に行ってきたね」 「ごめん」 「ガイ」 ブレイがイェビ=ジェミの顔を覗き込んだ。 「気をつけて」 そう言うと、ブレイはイェビ=ジェミの頬から手を離した。
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hagi
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hagi
2023年9月22日 11時09分
エスティ
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エスティ
2023年4月19日 23時19分
ムルコラカ
真夜中に至るまで起きて待っていたブレイと、彼女の顔を見て緊張を解きほぐして安心した様子を見せたイェビ=ジェミ。これはもうお互いかなり意識してるでしょう! 仄かな甘さがたまりませんなぁ~!
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ムルコラカ
2022年7月10日 15時22分
かぶき六號
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かぶき六號
2023年3月1日 21時22分
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ビビッと
100pt
2022年9月3日 15時50分
《一方のアルソウム陸軍は諸侯領や自治都市、公認四宗派から収められた税金なども運営費に使われていて、その出動には議会の承認が必要である。兵科は複合歩兵、軽騎兵、砲兵、工兵に分かれており、本拠地を離れての遠…》にビビッとしました!
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2022年9月3日 15時50分
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