アルソウムの双剣 The Swords of Arthoum

読了目安時間:6分

エピソード:49 / 126

逆茂木

 太陽が真北にある。イェビ=ジェミとブレイは道端に楠の大木を見つけ、その下で昼食を取った。先を急ぐ旅である。宿場で手に入れた麺包(ぱん)と干果を噛りながら、小川で水を汲んで鍋で沸かし、茶葉を放り込んで煮立てて飲む。それだけだ。  小さな鍋がイェビ=ジェミとブレイの間を行き来する。会話はほとんど無い。相変わらずブレイは山ばかり見ている。いよいよなのだ。ダスティ峠で最初に会った「山の兄弟」のイニシマンは、アレバ山への巡礼を出すのは一三年に一度だと言っていた。だからブレイにとっても、これは初めての巡礼だ。しかも、たった一人で、ダスティ峠を代表してここまで来た。そしてこの先には、もしかしたらではなく、ほぼ確実に犯罪組織の一団がいる。  イェビ=ジェミはブレイの年齢を知らないが、どう多めに見ても二〇歳は越えていないだろう。  この娘は、背負うには重すぎるものを運んでいるのではないか。  イェビ=ジェミには些かながらも自負がある。今この時点で、自分はアルソウムで最も優秀な戦士であるという自負だ。一人の兵士としても、中隊指揮官としても、自分の右に出る者は、おそらくいない。戦闘技術でも、実戦経験でも、実績でも。だが、そんな自分でも、この先は一人では行きたくないような場所である。いくら素人に毛が生えたような盗賊の類であっても、五人、一〇人を一度に相手にすれば、自分は確実に負ける。それくらいに危険な場所だ。  何故、それがわかっていてこの娘は先に進むのか。  一旦引き返して様子を見た方が良いのではないか。  仲間を連れて出直した方が良いのではないか。  そんな言葉を何度も何度も飲み込みながら、ここまで来てしまった。  これが戦争なら、イェビ=ジェミは確実に引き返すだろう。戦争は、少なくとも負けないという算段をしてからやるものだからだ。だが、ブレイがやっているのは戦争ではなくて巡礼だ。そして、巡礼者がしばしば生命を危険に晒してでも先に進もうとすることも、イェビ=ジェミは知っていた。  だから、ラツモを追う仕事のついでという体裁を取って、ここまでブレイと一緒に来たのだ。ここまでは、傭兵の仕事とブレイを助けることが両立出来ていた。  だが、ここから先はどうか。  どう計算しても「合わない」。  いよいよ危なくなったら自分だけでも逃げてしまうべきか。アレバ山までは送ると言ったのだから、そこまでは付き合うべきなのか。イェビ=ジェミはまだ迷っている。迷い続けている。「隊長さんにしては珍しいですね。いつもその場でパッと答えを出す人なのに」などとチェレク城で言われてから一ヶ月も経っていないということが、信じられない。  それぞれが迷いを抱えながらも、二人の旅は終わりに向かって進んでゆく。  昼食を終えたイェビ=ジェミとブレイは土手を下り、渡し場に向かった。河原は拳や人の頭ほどの石ころに埋め尽くされていた。渡し船はさほど大きなものではなく、ロバが乗り込んだ時にぐらりと揺れた。ロバは何故かイェビ=ジェミを睨みつけた。  プイカ川を渡って再び石ころだらけの河原を横切り、右岸を更に遡る。渡し場のすぐ西側で川は左右に分かれていた。ブレイは迷うことなく左側の流れを選び、淡々と上流に向かって歩き続けた。イェビ=ジェミとロバが後に続く。  何度目かの休憩を取った時、イェビ=ジェミは谷を囲む尾根の上の方の木がまばらになっていることに気づいた。山肌の木々が中腹より少し上の辺りで途切れているのである。その先には岩と下草、そしてところどころに生えている低木しか無い。イェビ=ジェミがブレイに声をかける。 「あそこには「山の兄弟」はいるの?」 「居ないよ。森が無い場所では人は住めない。私たちが住むのはもっと低い山」 「じゃあ、あの辺にはもう道は無いの?」 「あることはあるけど、巡礼のためだけの道だね。それ以外には使わない」 「そうか……」 「あっちを使ってみる?」 「いや、行けるところまでは谷の道で。ああなるともう食料も水も補給出来ないからね」  ブレイは無言で頷いた。見ていても緊張が伝わってくる。  夕方になった。谷間の日没は早い。太陽は右手の剥げ尾根の上にかかろうとしている。その向こうには縦に高く伸びる雲。アルソウム地方で「カレヴィの槌」と呼ばれる危険な雲だ。風神カレヴィが気まぐれな槌を振り下ろす時、その下では雷と豪雨が降り注ぐ。  ブレイも「カレヴィの槌」には気づいていた。だが、その表情は変わらない。イェビ=ジェミを見上げて、短く言葉をかけただけだ。 「あの雲はここまでは来ない。大丈夫。もうしばらくすると川の水が増えるから、川には近寄らないようにして」  ブレイの言う通り、川の水は見る見るうちに増していった。だが、道は何とか水に沈まない場所を通っている。二人と一匹はなおも歩き続け、太陽が尾根の向こうに完全に隠れた頃、ようやく宿場へとたどり着いた。ただし、宿場といっても道沿いに十数軒ほどの民家が立ち並ぶだけの、ごくごく小さな村である。  だが、その村は異様であった。  村の西側に、つまり峠の側に、枝が付いたままの木が並べられている。逆茂木だ。逆茂木は右岸と左岸の山肌から川岸まで隙間なく続いていた。イェビ=ジェミとブレイが歩いている道もその例外ではない。事実上、道はこの村で行き止まりということだ。  イェビ=ジェミとブレイは顔を見合わせた。ブレイが不思議そうな表情で尋ねる。 「何、あれ?」 「逆茂木だね」 「何であんなものを置いているのかな」 「人を通さないため、かな?」 「船を使えば簡単に通れるよ」  確かに逆茂木の手前の川岸には、何艘かの小さな川船が置かれている。 「じゃあ、人以外を通さないためなのかも」 「私もそうだと思う」  二人は村に一軒だけあった旅籠に入り、部屋が空いているか尋ねた。旅籠の女将は奇妙なものを見るような目つきで二人を迎え入れた。 「珍しいねえ。二日続けて客が来るなんて」 「この辺はそんなに旅人が少ないところなんですか?」 「うーん、以前はそこそこ人の行き来があったんだよ。この谷をずーっと西に行くとブレニだからね。マンガルメ王国とブレニ王国の間の峠道はこの先にあるベルティン峠と、あとは北の方にあるドレム峠くらいじゃない? だからこの道を使ってブレニにものを売りに行ったり、ブレニからものを運んで来たりね」 「最近、何かあったんですか?」 「狼さ」  ブレイが首を傾げた。 「狼? 狼が出たくらいでそんなに大事になったの?」 「大事も大事だよ。ここから一五里ばかり上流に行ったところにブリンコラって村があってね」  ブリンコラ! トゥーバで戦死したスピルキの家族が住んでいるという村の名前である。こんな山奥にあったのか。 「そこに狼が出た?」 「ああ。それも普通の狼じゃない。狂犬病に罹った狼の群れが、四月にブリンコラに出たんだ。それでブリンコラの連中が大勢死んだ。だから私らは、あそこに木を置いて谷を塞いじまった」 「狂犬病……ですか?」  その言葉に聞き覚えはあったが、どういう病気なのか、イェビ=ジェミは良く知らない。そんなイェビ=ジェミの様子に気づいたブレイが説明する。 「狂犬病は怖いよ。犬や狼がこれにかかると、やたらと人や動物を咬む。咬まれたら助からない」 「助からないって? 死ぬの?」 「遅くても三ヶ月か四ヶ月のうちに必ず死ぬよ。人も、それ以外の動物も」 「そうなのか……」 「狂犬病にかかった動物は水を怖がる。川のところに木を置いていないのは、あそこからは狼が入って来ないからだろうね」  旅籠の女将も頷いている。

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  • 男戦士

    ムルコラカ

    ♡1,000pt 2022年7月16日 20時08分

    何やらイェビ=ジェミの当初の目的が頓挫しそうな暗雲が……。ブレイのこともあり、今後の去就がどうなるか分かりません。ドキドキしながら続きをお待ちします。

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    ムルコラカ

    2022年7月16日 20時08分

    男戦士

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