木の母と木霊の父とわたしたち

読了目安時間:3分

兄弟の帽子

 俺が十八歳の頃、同い年で学舎に残っていた兄弟は、(ツル)だけだった。  年の近い他の兄弟達は、既に田畑や海の仕事に専念することを選んでいたが、俺は教師になるため、鶴は木守になるため学舎に残っていた。俺は、甲字(こうじ)だけで書かれた古い紅国(こうこく)の詩と睨めっこしたり、屋楼部(やろべ)産の本を見てアルファベットを覚えたりしていた。鶴はというと、鞘爺から借りた手記や本を読んでいるかと思ったら、ふっと机を離れて、学舎の裏山へ草木の写生に行ったりしていた。  ある時鶴は、机に本を散らかしたまま出かけて帰って来ず、皆が寝床の支度をしている頃に帰ってきたことがあった。何でもなかった風に居間へと入ってきた彼は、昼間出て行った時とは違う格好をしていた。一体どこの商人から買ったのか、当時の巻砂ではあまりに目立つ、松毬(しょうきゅう)模様の鳥打帽を被って帰ってきたのだった。先生達は、遅くまでどこにいたんだとか、そんな上等なものを買う金がどこにあったのかとか、一通り尋ねていた。  それに対して鶴は、特にこれといった顔色の変化も見せなかった。 「ちょっと散歩に行ってて。そんじゃ、おやすみなさい」  そう言って、さっさと寝床につく始末だった。  それから彼は、その帽子を時々被るようになったのだが、そのことについて何か語ることはなかった。  鶴が変わり者で目立っていたのは、生来のことだった。それでいて周りを打ち負かしてしまうような、妙な風格も備えていた。喩えるならば、皆が一二三四と数えている時に、独りで甲乙丙丁と歌っているような奴なのだ。  それでも、あの頃の鶴は様子が違っていたのだと思う。俺と鶴が十八歳と半年を過ぎた秋、鞘爺が亡くなったのだった。  鶴は涙も見せず、鞘爺の通夜の時も、火葬の時も黙り込んでいた。それから何日経っても鶴は喋らず、話しかけても目線すら合わせず、学舎では人と会うのを避けている様子だった。島の皆は、鞘爺に懐いていた分の悲しみが大きすぎるのだろうとか、あんなに若いうちから木霊に魅入られてしまったのかとか、そういったことを言って憐れんだ。中には、あの(よね)紛いが巻砂の木守を継げるのだろうかとか、そんなことを言う者もいた。巻砂の若者には買えそうもない派手な鳥打帽のことで、彼は港町の陰で「夢売り」をしたのだと、密かに噂になっていたのだ。  俺は鶴のことが心配だったし、いつも息の詰まるような胸騒ぎに苦しめられていた。俺たち二人は、学舎の小さな寝室を共用していたが、何を語りかけても押し黙っている彼との生活は、決して楽なものではなかった。それに、皆の噂するように、木霊が彼に付き纏っていると考えれば、夜に谷底を覗いたような心地になった。  彼が風呂や(かわや)に立っている間でさえも、俺は気が休まることがなかった。箪笥の上では松毬模様の帽子の綾織がてらてらと光っていて、こちらを眺めているようだった。異国情緒の意匠であったはずのそれは、魑魅魍魎(ちみもうりょう)()(しろ)に思えて仕方なかった。  晩秋の、冬の寒さを思うような夜だった。俺は布団につき、ランプを消した。鶴は既に隣の布団にくるまっていて、黒い癖毛の頭がそっぽを向いていた。鶴が喋らなくなってから数週間が経ち、俺は彼と話す習慣を失いかけていて、おやすみの挨拶も忘れていた。  鈴虫達の季節も過ぎた静かな夜で、天井の辺りから時折、チッチッチという音だけがしていた。鉦叩(かねたたき)が鳴いているらしかった。  布団の中で飽和する己の体温と、鉦叩の単調な歌に瞼を重くした時、隣で衣擦れの音がした。  鶴は起きているのだろうか。そう思っているうちに、胸元に冷たい風が入り込んできた。鶴がこちらを向いて、俺の掛布団をめくっていたのだった。何、と尋ねる間もなく、鶴は俺の布団の中に身を寄せてきた。肩の隣に、なめらかな胸の形が寄り添った。 「(カネ)、夢を見よう」  鶴の声と髪の毛が、俺の耳元をくすぐっていた。  久しぶりに聞いた鶴の言葉は、十つの頃に彼と試した、密かな遊びの始まりを告げるものだった。

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