木の母と木霊の父とわたしたち

読了目安時間:3分

鶴と雪

「ねえねえ、鞘爺。母木様と木霊は、こいびとなの?」  十歳のおれが、鞘爺に質問している。鞘爺は困った様子で苦笑いしているが、その顔色は明るくて、まだ病の気配は見えない。  十歳のおれと鞘爺は、木守の家にいた。庭では紅葉(もみじ)の若木が色づき、庭を囲う木立の隙からは、母木の姿が見えている。縁側には、色褪せた柄布で修繕された布団が朝日に干されている。もう見ることのできなくなった、鞘爺の布団。懐かしい風景だ。 ——懐かしい? 「母木様と木霊が恋人なのか、か。うーん、そうだねえ……まずは、恋人って何だと思う?」  鞘爺は、膝の上で組んだ両手の指を、しきりに曲げたり伸ばしたりしている。難しいことを語らねばならない時、気まずい思いをしている時の、鞘爺の癖だ。十歳のおれは、そのことにまだ気付いていない。癖と分かったのは、鞘爺が亡くなる少し前だった。 ——鞘爺が亡くなったのは、いつのことだ? 「えっとねー、こいびとっていうのは、すっごくすっごく仲良しで……顔が赤くなって、チューしちゃうくらい仲良しのこと?」 「あはは、そうかもしれないね。そういうお話は、お兄さん達から教わったのかな?」 「秘密!」 ——今この記憶を辿っている、このおれは何だ? 「そっか、秘密かあ。鶴も大人になったんだね」 ——鶴という名の人間は、今、どこにいる? * 「鞘よ、なぜ私を殺さないのだ」  木霊がわたしに語りかけていた。あなたとわたしたちのためです、そう答えようとして、涸れた喉から息だけが漏れる。 「私は、己が存在を続けたいのと同じくらい……終わってしまいたいのだ。病に命尽きようとしているお前には、分からないのかもしれないが」  死んだ先生の精を通して、初めて木霊の姿を見た、若かりし日。それから年を経るに連れて、木霊の姿は明瞭になっていった。白いもやの中に形作られた、長い髪の青年の姿。雪の作る陰のような、冷たい色をした瞳が、美しく鋭い眼差しをつくっている。 「……あ、なた、は、ユキ」  出ない声を無理やり絞り出す。それは、わたしが彼に与えるべき名だった。 「鞘、それは……私の名か?」 「そう……あなた、は、美しい、雪の、夢……」  雪色の鋭い眼差しが和らいでいくように見えて、それを見届ける前に視界が失われていく。  暗闇の中で、ひどくやさしいものが唇に触れ、やがてその感触も消えていった。 *  私の(ユキ)という名は、自殺した木守の命名らしい。  先月に十七歳の誕生日を迎えるまで、知らないことだった。(スミ)先生は何も言ってくれなかったが、兼先生に尋ねたら、少し躊躇(ためら)われた後に教えてくれた。いつも溌剌(はつらつ)としている兼先生とは思えない、疲れた暗い顔で語っていた。自殺した木守と彼が、密かに恋人の関係だったという噂は、本当なのだろう。  今朝も、いつもの夢を見た。この島には珍しい雪が、何もかも真白く覆う夢。目が覚めた口の中に、涙のような味と妙な粘度を感じて、密かに恥ずかしく思う。  私もこれから大人になって、あの雪の夢を、大切な誰かに明け渡すのだろうか。そうして、名前の通りだと笑いあったりするのだろうか——そんなことを考えながら、緩やかな午睡につく。  キュルル、キュルルと、外に鳥の声が響いている。毎年この時期に渡ってくる、鍋鶴(なべづる)達の鳴き声。今日は数が多いのか、いつになく騒いでいる。  こんな日に生まれた子供には、きっと鶴という名がつくのだろう。

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