木の母と木霊の父とわたしたち

読了目安時間:4分

花守の夢

 花守の見せる夢の中で、おれは苦痛に(つい)えていた。  巻砂よりも幾分か亜熱帯に近そうな、蘇鉄(そてつ)や赤榕に似た木が青々と茂る村で、誰かがおれの()()()(なた)で切りつけていた。痛みに塗りつぶされる思考の中で、この誰かから逃げることを思いついたが、うまく体が動かない。  おれの体は、巨大な樹木――母木の姿をしていた。 「母木様。これが本当の、わたくしの為すべきことだったのです」  鉈を持った誰かが、暴力の手を休めることなく、低い声で呟いている。人の言葉を聞いて、少しだけ意識が明瞭になる。体の中を傷つけられていると感じたのは、母木の幹の内部を覆う、肉質の壁を切りつけられているためだった。鉈を振るわれている部分から、白い血が――母木の樹液、人の血と精の素であるものが、絶え間なく流れ出ているのを感じた。  体中に張り詰めている力と気のようなものが、どうしようもなく抜け出ていくのがわかる。自分の指先であるかのように感じる枝の先では、小さな紫色の実がふるふると揺れていて、妙にそれが切なく見える。もうすぐ完熟しそうな、無花果(いちじく)に似た実。  おれは今、あの帽子屋と花守の母である、犬琵琶の母木の記憶を辿っているらしかった。 「母木様。あなたに番う木霊も、この終焉を望んでおいででした」  母木に仕え、木霊と対話できる彼は、木守に違いなかった。しかし、彼の為していることは、到底木守のやることとは思えないどころか、同じ人間としても信じられない行為であった。  考えている間にも、木守の手が休まることはなく、鉈の傷は肉壁の膨らみ――赤子の宿る場所に届きそうになっている。 ――兼、兼……。  気がつけば、十つの頃に初めて夢を見せあった、ひとりの兄弟の名を思っていた。見ていると少しばかりからかってやりたくなる、素直な番犬みたいな彼。こんな時に助けを求めてしまうのが、幼い頃から世話になっている鞘爺でないことに、ひどく哀しみを感じる。  おれは巻砂の島と、皆に言われるまま木守になる未来が嫌になって、自分を傷つけたかったはずだった。だから他所者ばかりの宿場町にやってきて、花守を探して、彼と交わることを望んでいた。  それが今では、早くこの痛ましい夢から助け出されることを望んでいる。 「ああ、母木様……わたくしが赤子を取りあげる時、あなたがその肉の(むろ)でこの腕を絞め上げたこと。わたくしが夜眠るたび、木霊がこの口を啜っていったこと。あなた方がわたくしを犯し、狂わせたのは、この終焉のためだったのですね……」  そう言った木守は、唐突に手を止めた。  鉈の刃は、たった一人残された胎児の前の、空中で静止していた。木守の目が見開かれ、血走った白目があらわになっている。奥歯のぶつかる、がちがちという音と、荒い息が喉を通る、ひょうひょうという音だけがしている。 「あ、あ、あ……できない、できるものか、わたしは、わたしたちは、血の母と、息の父に、作られた子なのだから!」  木守は叫び、鉈を振るった。刃は叫んだ喉に向かっていた。 * ――鶴はさあ、えっと、なんだっけ……なんか大人の、難しいこと、知ってるんだよな?  兼が変なことを言い出した。 ――あ、ほら! 母木様の伝説の本とか、いっぱい読んでるし。な?  兼は笑ってそう話すけれど、目はやたらとまばたきしているし、眉は困っている。  こういうときの兼の顔が、おれは好きなんだと思う。誰にも真似できないやり方で、意地悪したくなる。 ――えっと、何のことかっていうとだな、えっと……なんで大人のひとは、もうりっぱな大人なのに、好きなひとどうしでお布団に入るのかとか、こっそりチューするのか、っていうこととか……かな? みんなも、なんでだろうねって言ってたんだ。  兼は腕を組んで、さも難しいことを考えているかのように、首を傾げてみせた。本当は、答えなんて分かってるくせに。 ――ええっ、やってみたら分かるものなの? でも、俺たちまだ、そんなに大人じゃないし……。  兼がうつむいてしまったので、頭のてっぺんのつむじを突っついて、逆方向にぐるぐるしてやった。短く刈った髪の毛が、指先でじりじり言っている。犬の夏毛みたいだ。 ――うーん、試してみてもいいけどさ。鶴、お前、ちゃんと秘密にしてくれよ。  兼がやっとこちらを向く。日焼けにしては赤い顔。黒い瞳がおれを見て、すぐに目線を逸らす。 ――それで、これから俺たち、何をしたらいいんだ?  夢を見よう。そう答えて、おれは兼のくちびるにチューをした。

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