僕の青。薔薇の青。きみの青。

擬似兄妹と家庭教師

 おかっぱヘアの女の子が僕を睨んでいた。腕を組んで仁王立ち。制服の上に紺色のカーディガンを羽織っている。でも膝上のチェックのスカートから伸びた足が少し寒そうだ。時計を見ると二十分も遅刻していた。駅前のロータリーからバスに乗るはずが、うっかり目的地まで歩いてしまった。どおりで考え事がはかどるはずだ。  彼女は都内の女子校に通う高校二年生。名前は三ツ谷悠歩(みつやゆみ)という。母方の親戚の娘さんだ。僕は彼女の家庭教師をしており、主に英語を教えている。    ある時、法事で親戚同士が集まった際に、お互いの子供の話題が出た。よくある風景だ。普段それほど顔を合わせる機会もない親戚と共通の話題は子供のことと昔から相場が決まっていると、あとでこっそり僕に言ったのは父である。    しかしこの時はいつもとは違った。ただの世間話で終わるはずが、タイミングが災いしたというべきか、次のような展開になったのだ。 ①うちはすでに受験を終えた大学生がいる ②彼女の家には受験を将来に控えた高校生がいる ③その大学生の息子はアルバイト先を探している ④高校生の娘の家と二駅しか離れていない ⑤息子も娘もそれなりの偏差値の学校に通っている  以上の条件をミキサーにかけた結果、息子が娘の家庭教師をしたらいいんじゃないかという話がまとまった。  当事者である息子も娘もその場にいたのだが、二人ともひとりっ子ゆえに大勢の中で自分の意見を主張するのが苦手なことから、口を挟む間もなく決定されてしまったのである。  教師と生徒は、初めのうちはお互いに緊張してしまい、まともな会話が成立しなかった。親戚であってもそれまで二人だけになったことなどなく、二人とも兄弟がいないので、こういった場合のコミュニケーションスキルがない。それが次第に打ち解けてきたのは、家庭教師を始めて二か月以上経ってからのことだった。  その前に、数回の授業でわかったことがある。それは、彼女はとても優秀で僕が教えるまでもないという事実だ。さらに聞いてみれば有名な進学塾に通っている。そして僕の家庭教師の枠は二週間に一度だから、僕の役割に意味があるのかと悩んだ。アルバイト代をいただけるのはありがたいが、なんだか後ろめたい。 「それじゃあやめちゃうの?」ある日、彼女にそんな自分の気持ちを打ち明けてみた。すると意外なことを聞いたという顔をされてしまい、僕も意外な気分になった。「だってきみは家庭教師なんかいらないだろう。それにご両親に無駄な出費をさせたくないからね」「先生の役目は勉強だけじゃないよ。だからやめないでも欲しい」さらに意外な言葉が返ってきて、僕は混乱した。  僕に理解できるように説明して欲しいと頼んだところ、彼女は恥ずかしそうに次のような理由を打ち明けてくれた。彼女の父親は大手の建設会社に勤めている。橋梁の設計であるとか高速道路の補修であるとか、とにかく僕はよくわからない専門分野の仕事で、地方への出張が多く留守がちだ。母親は母親でインテリアデザインの仕事を持っており、いつも帰宅時間が遅い。だから彼女は、家にいても一人で過ごす時間が多く、話し相手が欲しかったのが理由の一つ。そして絶対に内緒だからねと約束させられた秘密の理由は、ずうっと兄が欲しかったのだという。  一人で色々考えるのが性分の自分は、話し相手が欲しいと思ったことはない。でも二つ目の内緒の理由には共感できるものがあった。一人っ子にとって"兄妹"は未知の存在だ。友人や知り合いや親戚や、その他世間一般の情報諸々から僕が今まで得た兄妹というイメージは、自由を侵害すると同時に共に日常を生きる仲間であり、相談相手であり、互いのエゴをぶつけ合う喧嘩相手でありエトセトラ。一人っ子の自分にとってそんな生々しい生き物がいつも身近にいるという状態は、実現不可能であるが故に、ある種の憧れがあった。実際に兄妹がいたら面倒なことの方が多いかもしれない。でも、もしいたらとふと思うことも多い。だから、人の気持ちを察するのが苦手な僕でもユミちゃんの気持ちはよくわかった。 「先生ってば!」「あれ?」「あれじゃない!いきなり上の空になるんだから、もう!今、自分の世界の彼方にトリップしてたでしょう」「ご、ごめん」  しまった。目の前にユミちゃん本人がいるのに、また考え事スイッチが入ってしまった。 「人と話している最中にそれは良くないよ。すごく失礼で変な人に思われる」「そうだね。悪かった。謝るよ」「それに電話ぐらい出てよね。事故にでもあったんじゃないかって心配するでしょ」確かに。反論の余地もない。ごめんと頭を下げる。「もういいよ。時間がもったい無いから早く上がって」  腕を引っ張られながら芝生の庭を通り抜けて玄関へ向かう。オレンジ色のバラが咲いていた。この前に来た時はまだ蕾も見えなかったのに。どんな香りがするのだろうか。あとで嗅いでみよう。 「先生。今日は焼きリンゴだからね。楽しみだなあ」「うん。あっ!しまった。頼まれてたりんごを買ってくるの忘れた!」考え事に没頭していたせいで、駅前のスーパーで買い物するのを完全に忘れていた。絶対に怒られると思ったら、ユミちゃんはニコッと笑って舌を出し、可愛らしくウィンクした。「どうせそんなことだろうと思ったから、学校からの帰りに買っておいたよ。先生」「・・・ごめん」 はあ。つくづく自分が情けない。

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