遠い海

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遠い海

 私の夢は平凡で、特別だ。  幼なじみの暁斗(あきと)と、もう一度海に行くこと。  誰に聞いても「そんなこと?」と言うだろう。  そう、「そんなこと」だ。  空が遠かった。  思い通りにならない体が横たわるだけの、この暗闇から抜け出したかった。  友だちの誰よりも死に近いところにいることを、呪わしいと思っていた。  けれど、自分を哀れみたくはなかった。  何度目の入院か、数えるのも忘れた今日。  吐き気とともに浮上する意識が、私を現実に引き戻す。  カーテンのすき間から、もれる朝の光。  視界いっぱいに広がった白い天井を見上げて、一日のはじまりを知る。 (まだ生きてる……)  それが喜ばしいことなのかどうか、思いをめぐらすことすら疲れたというのに。  いまだに考えることをやめない私がいるのは何故だろう。  それは――。 (暁斗があきらめないから)  それまで元気だった私が、血液の病気だと知ったときも。  移植治療が必須で、身内の誰にも適合者がいないと分かったときも。  この3年にわたり、ドナーが見つからなかったときも。  暁斗はあきらめなかった。  馬鹿みたいに「大丈夫」を繰り返す彼に「私に言ってるのか自分自身に言い聞かせてるのか、それじゃ分からないわね」と苦笑をもらしたのはいつだったろうか。 「綾香(あやか)は絶対大丈夫だから。また元気になったら出来ることを一緒に考えよう」  そんな励ましが辛く感じて、泣いて叫んで、なじったこともあった。  どこまでも優しい暁斗は「ごめん」と言って、自分を責めた。  本当に謝らなければいけないのは私の方だったのに。  それも、もう終わると信じたい。  午後4時。  面会時間。 「――ドナーが見つかったんだって?」  学校から真っ直ぐやって来た暁斗が、弾んだ声で病室に飛び込んできた。  昨日の夜に両親から聞いたらしい。 「良かった。良かったよ……本当に良かった……!」  半分泣いたような笑顔で肩を叩いてくれた君に、私は何を返せるだろう。  まだ何も返していない。  何も返せていない。 (死ニタクナイ――)  もう何度もくり返し叫んだ。  眠らせたはずの言葉が、脈打ちはじめる。  死にたくない。  死ねない。  まだ、君に何も返していない。 「なあ綾香、知ってるか?」 「……何?」 「本当の宝ものって、人生のどん底に落ちてるんだって」  どこでそんな話、仕入れてきたの?  また知ったかぶって、馬鹿ね。  その言葉は、声にならずに。 「だから、お前きっと、それを拾いに行ったんだよ」  代わりに一筋だけ、目から温かい水がこぼれた。  もしそのどん底に、宝なんてものがあったのなら。  私が見つけたのは君だ。  君が差し伸べる手だ。  私を励ます君の声だ。 「大丈夫。きっとうまくいくよ」  もう少しだけ、頑張ってみようか。  この熱が引くまでは。  1か月後の検査までは。  次の秋が来るまでは。  そんな風に耐えたこの3年間が、無駄ではなかったと信じたい。  まだ元気だった頃に君と行った、あの海にもう一度行きたい。  夜明けの空を見つめて、  茜色の夕日を眺めて、  満天の星空を見上げたい。  暁斗とふたりで。  もう1度あの場所に行けたのなら。  またふたりであの海を見れたのなら。  どうしても言えなかったことを、伝えてもいいだろうか。  今まで、ありがとう。  これからも、よろしく。  誰よりも君のことが、大好きだよと――。

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