人形たちの物語詩

人形屋の奏でた狂想曲(3)

 海岸までの道筋を画いた紙をもらうと、ナナは青年にお礼を言って店を出た。紙の地図どおりに歩いて行くと、すぐに路地を抜けた。そして、その先に広がっていたのは、夕焼けに染まる海。さらに、その海にかかる桟橋の先に、小さな影がぽつんと座っていた。近づいて見てみると、それは四歳くらいの女の子だった。茶色の髪を頭の上で二つに結った女の子は、膝を抱えて夕日の沈む海を見ていた。 「チトセちゃん、こんなところで何してるの?」  ナナは女の子の――チトセのとなりに座りこんで、そう聞いた。チトセは初め、おどろいてナナを見あげたのだけれど、すぐにまた海に顔を向ける。「おにんぎょうさん、どこにあるのか、かんがえてるの」  返ってきた舌足らずな言葉に、ナナは人形のことを思い出した。あわてて手提げ袋から汚れた人形を取り出す。 「チトセちゃんのお人形さんってこれのこと?」  ナナが人形を見せたら、チトセはじっと人形を見つめた。だけど、やがてまた顔をそむけて首を横に振る。 「ちがう。チトセのおにんぎょう、もっときれいなかみしてるもん」 「……そっか」  どうやら、この人形の持ち主はチトセではないらしかった。どこか残念に思いながら、ナナは人形を袋にしまう。  チトセもナナも、それからしばらく無言だった。波の寄せて返す音や、カモメの鳴き声だけが耳を打つ。ナナはみるみる内に沈んでいく太陽を見ていた。不思議なことに、いつもは動いているように見えない太陽も、今だけは沈んでいくようすがはっきりとわかる。そこでふと、それまで沈黙を守っていたチトセが口を開いた。 「チトセのおにんぎょうね、すっごくだいじだったんだよ」  そう言って、チトセは桟橋の上に転がっていた小石を海に放り投げる。小石は水面で跳ねることもなく、とぽんと海に沈んだ。 「いつもいっしょだったの。あそぶのも、ごはんたべるのも、ねるのも、おきるのも、いつもいっしょだったの。きのうのまえのひも、いっしょにあそびにいったんだよ。ずっとずっといっしょだった」 「うん」 「だけどね、おうちにかえってきたらなかったの」 「うん」  ナナはただうなずいて、チトセの話を聞いた。  チトセの母親であるヒロコは、きっとどこかに置き忘れてきてしまったのだろうと、チトセに言ったらしかった。ナナも、そうだろうと思いながら相づちを打った。実際、人形が自分で歩いてどこかへ行くことなんてありっこない。もし、そんなことができるのなら、ナナの拾った人形だって、今ごろとっくにもとの持ち主のところへ帰っているだろう。だって、あんなにも会いたいと泣いていたのだから。 「チトセのおにんぎょうさんね、しんじゃったおねえちゃんのかみのけでつくったんだって」  そのとき、ナナは自分の耳を疑った。「死んだ、お姉さん?」 「うん」と、チトセがうなずく。「びょうきで、しんじゃったんだって」  当時、チトセは生まれたばかりで、死んだ姉のことはほとんど覚えていないという。遊んでもらった記憶はおろか、会った記憶すらない。知っているのは写真で見た姉の顔と、両親に聞かされた「昔から体が弱く病気がちだった」ということだけだった。  けれど、不思議なことに、チトセはその人形で遊んでいると、姉がそばにいる気配を感じるのだと言った。実際には、もっとつたなくて子どもらしい言葉だったのだけれど、そんな気持ちになるのだというようなことを、たしかに言った。チトセ自身は知らないはずの、死んだ姉の気配を感じるのだと。だから、その人形はただの人形ではなく、チトセの姉なのだとも。 「チトセ、おねえちゃん、おいてきちゃった。いつもいっしょにあそんでくれたのに、おねえちゃんのことわすれておいてきちゃったんだ」  ぼろぼろと涙を零して泣き始めたチトセの背を、ナナはそっと撫でてやった。自然と、ナナの眉尻もさがっていく。胸の内が焼けつくようだった。 「でもね、チトセちゃん。チトセちゃんのお母さん、すごく心配してるんだよ」 「おかあさんが?」 「そう。チトセちゃんのことさがして町中走り回ってたんだよ」ナナは、うなずいて言った。「だから、今日はもうお家に帰ろう?」  ナナが立ちあがって手を差し出すと、チトセは小さな手の平でそれをつかんだ。 「……うん」  幸い、帰り道には困らなかった。気を利かせてくれた人形屋の青年が、この海岸からチトセの家までの道筋も地図に記していてくれた。白いメモ用紙の裏側には、“チトセちゃんをよろしくお願いします”と、走り書きされていて、青年の人のよさがうかがい知れる。ヒロコとの約束の時間はとっくに過ぎていたけれど、その途中にカイセイ中学の場所も記してあったので、ナナは学校に寄ってヒロコがいるかどうかを確認することにした。  とっぷりと日が暮れた中、チトセと並んで歩いていく。なくした人形のことが気にかかっているらしく、チトセはナナに手を引かれながらも、ずっとうつむいて黙りこんでいた。今、ナナの手もとにある人形の持ち主も、こんなふうにしているのだろうか。今朝みた夢の中でも泣いていた人形を思い出して、未だ見ぬ“ちぃちゃん”という少女の姿をチトセに照らし合わせた。  それにしても、と思う。まさか、死んだ人の髪の毛で人形を作るなんて。  伝統ある人形の髪の毛に、人の髪の毛が使われることはあるらしいけれど、それは生きている人から提供されるものであって、“死んだ人から”という話は聞いたことがない。しかも、それはチトセの死に別れた姉のもので、チトセは人形から死んだ姉の気配を感じ取っているという。  チトセのただの思い違いかもしれないのに、どうしてかナナにはそうとは思えない。今のところ、チトセに害はないようだったけれど、死人の髪の毛を使った人形というのはどこか不吉な予感がした。  ヒロコは、学校の校門前に立っていた。落ち着かないようすで辺りを伺いながら、約束の時間を過ぎてもまだ、彼女はそこで待ってくれていた。 「ヒロコさん」  ナナが声をかけると、ヒロコがぱっと振り向いた。そして、連れられたチトセの姿を見つけるなり、「ちぃちゃん!」と声をあげる。大あわてで駆け寄ってくるその姿に、チトセもまた「おかあさん!」と叫んで、ヒロコのもとへと駆けていった。 「どこに行ってたの。お母さん、心配したのよ」 「ごめんなさい、おかあさん」 「お願いだからもう勝手に一人でどこかへ行かないって約束して」 「うん」  ひしと抱きしめ合う親子を、ナナはどこか懐かしい思いで目を細めて見守っていた。  あのとき、幼かったナナはどうして迷子になってしまったのか、あまりよく覚えていない。けれど、保護してくれた巡査さんに連れられて再会したナナの母は、叱るよりも先にぎゅっと抱きしめて「よかった」と何度も呟いていた。厳格なナナの父親ですら、その目に涙を浮かべていたことだけは、ナナもはっきりと覚えている。後日、こっぴどく叱られたこともまた、今となってはいい思い出でしかない。急に、今は遠くにいる両親に会いたくなる。 「あの、あなたもありがとう。チトセを見つけてきてくださって、もう、なんとお礼を言っていいか……」  チトセから体を離して、ヒロコはくすんと鼻をすすった。感極まって、声も瞳も、涙に濡れている。そんなヒロコに、ナナはゆっくりと首を横に振ってみせる。 「いえ、チトセちゃんが無事でよかったです。私もそろそろ帰らないといけないから、これで失礼します」 「ありがとう。本当にありがとう」  チトセの母親は、何度もナナに頭をさげた。ナナは二人に別れを告げ、早足でその場を立ち去った。  ぽつぽつと灯る街灯の下を、ナナはどこか物寂しい気持ちで歩いた。あの日以来、顔すら合わせていない両親の姿が頭にちらついて消えない。チトセとヒロコの抱擁を思い出しては、寂しさがますます募った。  カーテンの閉まっていない民家の窓に、いくつかの人影が映っている。硬く閉ざされているはずの窓の向こうから、賑やかな声が聞こえてくる。それは、ナナにはとても手の届かない、家族との会話。  手に提げた袋の中から鈴の音がする。目を落とすと、人形のガラス球がナナを見あげていた。 「あなたも、寂しいんだね」  ちょうどすれ違った街頭の明かりに、人形の瞳が煌めいた。  いつもよりずっと遅くに帰宅したナナを、ハルミの暖かい手料理が迎えてくれた。食事をしながら遅くなった理由を話すと、ハルミは「大変だったわね」と、ナナを労わってくれた。それからすぐに暖かいお風呂を沸かしてくれて、ナナがお風呂からあがると部屋に布団まで敷いてくれていた。  湯冷めしない内にと勧められて布団に潜ったナナは、一日の疲れがどっと押し寄せてくるのを感じた。重くなった体が柔らかい布団に沈みこんでいくように、ナナの意識もゆっくりと夢の中へと沈んでいく。  その日の夢も、拾った人形の夢だった。相変わらず、人形はちぃちゃんちぃちゃんと誰かを呼びながらさめざめと泣き、ナナはそのようすをただ黙って見つめている。  けれど、その晩の夢は少しだけ、どこかが違っていた。どこが違っていたのかは上手く説明できないけれど、とにかくナナはそんなふうに思った。  ――誰をさがしているの?  ナナが声をかけると、人形は初めてナナの存在に気がついたようすで顔をあげた。袖に隠されていた赤いガラスの瞳が月明かりにかがやく。寂しげなかがやきがナナを見つめ、小さく揺れた。  ――あなたは、だれ?  首をかしげて尋ね返す人形の声は、鈴のように愛らしかった。  ――私は、ナナ。  応えてナナが名前を教えれば、人形は今度は反対側に首を傾ける。透き通った青い髪がさらさらと流れて、まるで小さな川面のようだった。ナナ、ナナ――食べにくいものを噛み砕いて飲みこむように、あるいは何かに刻みこむように、ゆっくりと、ナナの名前を繰り返す。あなたを直したのは私だよ、とつけ加えてやると、人形は弾かれたように首をもとの位置に戻した。表情の変わらないその顔に感情が映ることはなかったけど、ナナには人形がおどろいているのだとわかった。  ――なおしたの、ちぃちゃんじゃないの?  聞かれて、ナナは首を振る。  ――違うよ。ここには、ちぃちゃんはいないから。  ――いない? どうして?  ――わからない。私があなたを見つけたときには、ちぃちゃんはいなかった。  それなら、ちぃちゃんはどこにいるの。三度、人形に尋ねられて、ナナはやっぱりわからないと首を振った。たちまち人形は言葉をなくし、丸い顔をうつむける。  ――あなたは、ちぃちゃんをさがしているの?  人形はうつむけたばかりの顔だけをナナに向けて、静かに机の上から見おろした。じっと黙りこんで、質問の意味を解釈しようと考えているようだった。やがて、ゆっくりとうなずいて、それからまた顔を持ちあげる。  ――ナナ、おねがい。おねがいがあるの。  懇願するような声色で、人形は言った。  ――ちぃちゃんをさがして。いっしょに、ちぃちゃんをさがして。  考えてみなくとも、町に来たばかりのナナが人形の言う「ちぃちゃん」を見つけだすなんてこと、到底できっこないことだった。そんなことは、ナナ自身が一番よくわかっている。なんていったって未だに町の中で行けるところは限られているし、今日だって危うく迷子になったまま帰れなくなるところだった。町の人の名前だって、知っているのはご近所さんと数人のクラスメイト、それから一緒に暮らしているハルミくらいのものだ。  それなのに、ナナには無理だと、はっきりとそう思ったはずだったのに、どういうわけかそのとき少し黙ったナナの口から出てきたのは、たしかに“うん”という肯定の言葉だった。  ――あなたの名前はなんていうの。  夢の中のナナがそう尋ねると、人形は小さくかぶりを振った。ちりりと、小さな鈴の音が否定を返す。  ――ないの。なまえ、もってないの。  ナナは一瞬、言葉に詰まった。それから、ふと人形の帽子の先にぶらさがる金色の鈴に目を留める。そうだ、スズ――スズにしよう。人形の名前。「ちぃちゃん」に会えるまでの、この人形の名前。  とっさな思いつきだった。それはありふれたような、ありきたりな名前だったかもしれない。  けれど、人形はナナが名乗ったときと同じように「スズ」という名前を、何度も何度も繰り返し口にして、  ――スズ。それが、スズのなまえ。  生まれたばかりの新しい自分の名前を、誇らしく、高らかに告げた。

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